勝どき橋のスペックは、橋長246m、幅員22m、支間長・可動
部25.8m×2、固定部86m×2。構造形式は可動部がシカゴ型
固定軸・双葉跳開橋、固定部がソリッドリブタイドアーチ橋。昭
和15年6月14日に完成し、当時の費用で418万円だった。
隅田川の河口部は、江戸から昭和の初期まで港域で船舶の航行
が盛んなところだった。河岸には工場や倉庫が林立し背の高い貨
物船や大型船も多かった。そのために1日に数回開橋する可動式
となった。
その開閉の回数では、戦前が1日5回で戦後が1日3回、また
1961年以降は1日1回となった。船が通る間、晴海通りは約20
分間の交通止めとなった。
昭和30年代にはいると生活物資の運搬は自動車に転換されてい
き、隅田川を航行する船が減少していく。そのため、1970年11
月29日を最後に開閉が中止されており、それ以降は開かずの橋と
なった。
(中央区築地6丁目20-1)
繋ぎ目_1 繋ぎ目_2
部25.8m×2、固定部86m×2。構造形式は可動部がシカゴ型
固定軸・双葉跳開橋、固定部がソリッドリブタイドアーチ橋。昭
和15年6月14日に完成し、当時の費用で418万円だった。
隅田川の河口部は、江戸から昭和の初期まで港域で船舶の航行
が盛んなところだった。河岸には工場や倉庫が林立し背の高い貨
物船や大型船も多かった。そのために1日に数回開橋する可動式
となった。
その開閉の回数では、戦前が1日5回で戦後が1日3回、また
1961年以降は1日1回となった。船が通る間、晴海通りは約20
分間の交通止めとなった。
昭和30年代にはいると生活物資の運搬は自動車に転換されてい
き、隅田川を航行する船が減少していく。そのため、1970年11
月29日を最後に開閉が中止されており、それ以降は開かずの橋と
なった。
(中央区築地6丁目20-1)
繋ぎ目_1 繋ぎ目_2