昨年の11月29日、神宮外苑の銀杏の黄葉が気になり、日の出の
時間を目指して伺った。既に黄葉は始まっているものの、緑色の
葉の銀杏もあり、あと1週間から10日ほどで落ち葉になるのでは
ないだろうか。
外苑を後に、青山辺りを巡ってみた。
R246を通る時、いつも気になっているお寺がある。「梅窓院」
だ。通りから眺めると、山門までの参道の両脇に竹林が植わってい
る。ところどころに石灯籠や地蔵さんなども置かれている。
この寺は、寛永20年(1643)江戸幕府老中の青山幸成(遠江
掛川藩主、後に摂津尼崎藩主)が亡くなった時、この地にあった下
屋敷に長青山宝樹寺梅窓院として建立。青山の地名はこの方からと
られた。
青山家墓の一角の手前に「洞水門」と名の付いた水琴窟があった。
説明によると、江戸時代後期の化政年間(1804~30)に流行った
化政文化の趣が取り入れられたもので、1983年に発見されている。
水琴窟とは土中に壺を埋めて、その上からわずかな水滴を垂らすと
反響音がする、わび・さびの世界を奏でる古風な音の芸術である。
(港区南青山2丁目26番地)
梅窓院_表札
時間を目指して伺った。既に黄葉は始まっているものの、緑色の
葉の銀杏もあり、あと1週間から10日ほどで落ち葉になるのでは
ないだろうか。
外苑を後に、青山辺りを巡ってみた。
R246を通る時、いつも気になっているお寺がある。「梅窓院」
だ。通りから眺めると、山門までの参道の両脇に竹林が植わってい
る。ところどころに石灯籠や地蔵さんなども置かれている。
この寺は、寛永20年(1643)江戸幕府老中の青山幸成(遠江
掛川藩主、後に摂津尼崎藩主)が亡くなった時、この地にあった下
屋敷に長青山宝樹寺梅窓院として建立。青山の地名はこの方からと
られた。
青山家墓の一角の手前に「洞水門」と名の付いた水琴窟があった。
説明によると、江戸時代後期の化政年間(1804~30)に流行った
化政文化の趣が取り入れられたもので、1983年に発見されている。
水琴窟とは土中に壺を埋めて、その上からわずかな水滴を垂らすと
反響音がする、わび・さびの世界を奏でる古風な音の芸術である。
(港区南青山2丁目26番地)
梅窓院_表札