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塩哲の色即是空

私の日常の活動状況を飾り気なく、素のままで表現する。

街を巡る 東京の名水_1 芭蕉庵の湧き水

2009-11-02 05:36:51 | 街巡り_09
 心温まる鷺坂の湧き水から、神田川沿いを関口方面に遡上していく。
この辺りも神田川の橋巡りや坂巡りなどで、よく歩いたところだ。胸
突坂の坂下まで来て、関口芭蕉庵の開園時間まで数十分あったので、
坂の途中にある水神社(神田上水の守護神)の境内で小休憩。
 10時と同時に芭蕉庵の扉が開き、スタッフの方に湧き水の所まで
案内していただいた。そこは建物の裏側にあり、石をくり抜いた大き
な鉢にポタリポタリと水滴が落ちていた。少し口に含むと、この水も
甘露だった。スタッフの方に話を伺うと、1ヶ月前までは勢いよく清
水がほとばしっていたという。再度、訪れたいところである。
(文京区関口2-11-31)
湧き水_2  胸突坂

街を巡る 東京の名水_1 鷺坂の湧き水

2009-11-01 03:38:25 | 街巡り_09
 大日坂からさらに小日向の西の路地を進むと、「鷺坂」がある。
 この坂上の高台に旧関宿藩主、久世大和守の下屋敷があり、地元
の人は「久世山」と呼んでいる。この地には堀口大学や三好達治、
佐藤春夫が以前住んでおり、彼らが山城国・久世の鷺坂と結びつけ
坂の名前をつけたといわれる。なかなか、趣のある坂だ。
 坂下の石碑には堀口大学の父親・九万一(外交官)の揮毫により
詩が刻まれていた。
 「山城の 久世の鷺坂神代より 春ハ張りつつ 秋は散るけり」
 坂下から北側に整備された土手があり、その下にステンレスの器
が置かれた光景が目にとまった。これが「鷺坂の湧き水」。チョロ
チョロと土手に差されたホースを伝って水が流れている。
 脇には、たばこの吸い殻をすてないようになどと書いた札があり、
一抹の不安はあるものの、ホースを伝って流れ出る水を手ですくい
口に含んでみた。甘露な清水だった。
(文京区音羽1-2-11)
鷺坂_1  鷺坂_2

街を巡る 東京の名水_1 切支丹屋敷跡

2009-10-31 04:14:44 | 街巡り_09
 小高い台地になっている小日向界隈を進んでいると「切支丹屋敷
跡」の案内板が目についた。
 江戸時代、幕府は基督教を禁止して、その教徒を厳しく取り締ま
った。この辺りには初代の宗門改役を勤めていた井上政重の下屋敷
があったところで、正保3年(1646)屋敷内に牢屋を建て、バテ
レンを収容していた。中にはイタリアの宣教師、ヨセブ・キアラや
シドッチなどが入牢していたという。
 ところが、享保9年(1724)牢屋は火災により焼失、寛政4年
(1792)には廃止されている。そこには、屋敷跡を証明する礎石
や石碑が設置されていた。
 この屋敷跡から路地を西に進んでいくと「大日坂」があった。
(文京区小日向1-24)
大日坂

街を巡る 東京の名水_1 観音水

2009-10-30 06:28:36 | 街巡り_09
 播磨坂を登り切り春日通りを横断し、続いて「藤坂」を下る。こ
の坂は、富士山が望まれたので「富士坂」や、坂下が湿地帯で禿
(河童)が出たので「禿坂」などの別名がついている。
 その坂下左側に「伝明寺」がある。当日は墓地の大がかりな工事
が行われており、名水の在処が心配されたが、そこだけ工事中の囲
いがなく写真に納められた。こちらの寺の別名を藤寺と呼ばれ、境
内には見事な藤棚が配置されており、藤の花が咲く頃は見事だろう。
 さて、名水の場所は寺の外堀に沿ってあり、お寺の反対側は東京
メトロ・丸の内線が地上を走っている。注目の水は「観音水」と呼
ばれ、名前のとおり観音像が祀られている。現在は水も枯れている
ものの、工事中の土手からごくわずかであるが湧き水が出ていた。
祠の中に置かれた観音様が微笑んでいるように見えた。
(文京区小日向4-3-11)
藤坂  伝明寺

街を巡る 東京の名水_1 極楽水_2

2009-10-29 06:20:58 | 街巡り_09
 美味しい極楽水を頂き、もう一つ極楽水があるという場所を探し
た。寺の前に建っている小石川パークタワーという大きなマンショ
ンの敷地一角にあるという。
 パークタワーのエントランスの端に「極楽水」の説明板があった。
了誉聖冏上人が応永22年(1415)に傳通院の元になった庵を結ん
だところで、後に宗慶寺の境内となる。元和7年(1621)家康の
側室、茶阿局を埋葬して、その法号から宗慶寺と名付けられている。
 「江戸名所記」にも“小石川吉水の極楽の井”と出てくる。そこ
には竜女が了誉上人の心に打たれ、その報恩のしるしとして名水を
出したと伝えられている。現在の宗慶寺はパークタワーの隣り、北
東側にある。
 早速、パークタワーの敷地内に入り整備された一角に「極楽の井」
があった。ただし、水は湧き出ることはなく、今後湧き出ることを
期待されているのか、水路が造ってあった。
(文京区小石川4-16)
極楽水_説明板

街を巡る 東京の水_1 極楽水_1

2009-10-28 06:20:16 | 街巡り_09
 菊坂から白山通りに出て千川通りから共同印刷を目指す。その印
刷会社の裏手に善仁寺があり、ここの井戸の水を「極楽水」といっ
て有名。
 こちらの寺は安和2年(969)創建と歴史もあり古刹である。こ
の湧き水は、東国を巡歴していた親鸞聖人が休憩のため立ち寄り、
一杯の水を所望したところ、井戸の水面が深くて汲み上げるのに四
苦八苦していた光景を眺め、それではと親鸞が手にしていた杖で土
を掻くと清水が湧き出てきたという。それで極楽水と名付けられた。
 つるべ式の井戸と手水舎があり、墓参りの時の水は井戸から汲み
上げるようであり、つるべを引き揚げて手を洗ったところ、とても
冷たい水なので驚いた。手水舎の水を口に含んでみると、清らかな
サラリとした水で甘露だった。
(文京区小石川4-13-19)
手水舎

街を巡る 東京の名水_1 一葉ゆかりの井戸

2009-10-27 06:28:12 | 街巡り_09
 梨木坂を下り菊坂に出る。この辺りは東京大空襲の被害を免れた
民家が数多く残っているところで、郷愁を呼ぶ雰囲気が伝わり歩い
ていてもしっとりと心穏やかになる。木造の建物には心が宿るのだ
ろうか。
 そして、石畳の狭い路地裏へ向かうと、左右の民家から笑い声や
息づかいがそのまま聞こえてきて、歩くのもソロリ状態となる。目
指すところに到着。そこは「一葉ゆかりの井戸」。
 小説家、歌人であった樋口一葉(1872~96)が短い間、この地
の一軒家で家族と住んでいた頃、路地裏の共同井戸を利用していた
という。現在は手動式のポンプが取り付けてあるが、当時は桶で井
戸の底から汲み上げていたのだろう。
 小説も有名だが、肺結核でなくなる24歳と数ヶ月の間、膨大な
日録や雑記を残しており、これを一般に「一葉日記」と呼ばれてい
る。ペンネームの由来は、達磨が一葉のあり舟に乗り長江を渡る絵
からだとか、達磨が少林寺の壁に向かい9年座っている内に足が無
くなり“面壁九年”の故事にあわせて、日々の暮らしに困っている
自分に“お銭(あし)がない”と洒落から付けたといわれる。また、
蘇東坡の詞の「前赤壁賦」の中の“駕一葉之扁舟”の一節からとっ
たともいわれているが、どれも定かではない。
 この井戸のポンプを勢いよく押して水を汲み上げ口に含んでみた。
この水、なかなか甘露な味で喉を潤せ一息つけた。
(文京区本郷4-31-10)
梨木坂

街を巡る 東京の名水_1 東大赤門

2009-10-26 06:29:35 | 街巡り_09
 東京大学の池之端門からキャンパスに入る。広大な敷地で、元は
加賀金沢前田藩の上屋敷であったところ。目的は「赤門」を眺める
ためで、古ぼけた大学病院の建物を眺めながら西側に進む。
 朱に塗られた赤門が見えてきた。正式には「旧加賀屋敷御守殿門」
と呼ぶ。文政10年(1827)第11代将軍・家斉の溶姫が13代藩主
・斉泰に嫁入りした時に建てられており、切り妻造り薬医門形式で
左右に番所が置かれている。
 三四郎池周辺は森林に迷い込んだような錯覚になり、自然が数多
く残っている。東大キャンパスは再度、散策してみたいところだ。
 赤門から本郷通りに出て本郷5丁目の旅館が多く建ち並ぶ通りを
歩く。粋な看板を掲げた「鳳明館」に目がとまる。私が中学生の時
は、修学旅行は東京で宿泊地は本郷にあった旅館であった。その旅
館がどこだったかは記憶にないが、東京に住んでいた叔父・叔母が
来訪しお菓子を頂いた思い出は残っていた。
 鳳明館の玄関から旅立つツーリストの一行と出くわした。ここか
ら南下していくと下りの坂になり「梨木坂」(本郷5丁目6~7番
地の間)であった。この近くに梨の大木があったと伝わっている。
(文京区本郷3-30-1)
旅館_鳳明館

街を巡る 東京の名水_1 弁慶鏡ヶ井戸

2009-10-25 05:16:06 | 街巡り_09
 湯島を後に不忍池の沿った道を北に進む。東大の池之端門手前に
「境稲荷神社」があり、この裏手に井戸がある。
 その名も「弁慶鏡ヶ井戸」と厳つい剛毅な名が付けられている。
弁慶とつくからには、そのいわれも凄い。源義経とその一行が奥州
遠征の旅途中、弁慶が見つけて一行の喉を潤したと伝承されている。
昭和に入り埋められた井戸は、昭和15年に再び掘り出され、この
水も東京大空襲時には被災した方たちを数多く救っている。
 ところが多くの命を救った名水も、時は現在、“保健所より飲用
に不適当と指定を受けている“旨の告知ボードが張り出してあった。
まあ、飲んで腹を痛めようが文句は言えませんが、私は押し出し式
のポンプを動かして活きよい良く出てきた水を、少しだけ口に含ん
でみた。無味無臭の軟水だ。
(文京区池之端1-6-13)
鏡稲荷神社  注意書き

街を巡る 東京の名水_1 湯島天神

2009-10-24 03:20:39 | 街巡り_09
 せっかく訪れたところが有名な神社なので、そこも少し紹介しよ
う。「湯島天神」、ここは既に何度も訪れているところなので、あ
えていわれは書かないが、一番印象に残っているのは、一立斎広重
(安藤)の「江戸百」巡りで訪れた時、江戸百の絵と同じ状況で巫
女さんが境内を行き来していたので、同じように写真を撮らしてい
ただいた時はラッキーであり、思わず唸ったものだ。その写真はこ
のブログにもアップしている。
 ここは梅の季節に来ないと風情が出ないが、「男坂」や「女坂」
を眺めると情緒を感じとれて好きなスポットである。やはり、朝
早く伺うと人の姿もまばらで、清々しさを堪能できる。
(文京区湯島3-30-1)
男坂  女坂