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ゴサインタン を読んだ。 長い小説でした。

2010年12月06日 23時31分01秒 | 読書評
ゴサインタン―神の座 (文春文庫)
篠田 節子
文藝春秋

ゴサインタン を読んだ。

長い小説でした。
篠田節子氏の小説は、これまた初めて読みました。

都心近くの田舎町での農家の次男 輝和とそのネパール人妻 淑子の物語。
日本語が不自由な外国人妻。結婚当初からその素性をはっきりさせること
ができず、読み始めの当初は、農家への嫁入りの問題やその家族の抱える
諸事情を描いたドキュメンタリー小説かと思いきや、読み進むにしたが
って、これは、神秘的な神の降臨を描いたものかと思わせる。

がしかし、そこでまた進展があり、神秘的な振る舞い、現象、身近な人
の切実な問題を解決する糸口を与えたり、病気などを直したりするその様
を見て、近隣の人々が神とあがめ、その周辺で宗教団体的な活動が進む。
宗教団体の光景は、個人的には読み進むには抵抗感があるというか、
拒否反応が起きたり、読み手側にも葛藤を与える。

描かれている宗教的要素は、カルト的なものはなく、読み進むにしたがって
人々が勝手に思い込む神というものは、その捕らえ方、信じ方などで人
それぞれであることが描かれている。神というものの周りには、それを
利害に結びつけるものがいたり、新興宗教の教祖そのものが利害を得る
為に広めようなところがあると思う。輝和の妻、淑子は神秘的な力を
もとに周りから神とあがめられるが、そこに利害は無く、むしろ輝和の
実家、結城家の資産を解き放ち、すべてをなくすことからはじめることを
実行する。

人の周りに資産というものが無くなると、どうなるのか、その過程での
自身と妻に対する葛藤に重みがあり、文章から受ける心理的圧力で澱みが
できてしまう。

宗教団体は、淑子の教えを実践するにあたって、宗教色を薄くしていき
自然の循環による山を蘇生させ、その恵みで養鶏、有機農業などを拡大
させていく。団体に経済的な柱ができ、地域との融合、団体の存在意義が
世の中に認められると、良い交流と商品の提供の循環が生まれ、仕事をする
労働をする、周辺社会へ貢献するという動機が生まれ、人々の迷いや苦しみ
というものを希釈していく。その様は、この小説のなかでの一筋の明るさ
である。

そのまま、良い方向に団体が回っていくのかと思うと、そこから淑子が
失踪する。神としての託宣が、まわりが心身ともに豊かになるに従い
神秘的な能力を発揮できなくなり、まわりは神で無くなったという
思いで淑子を見る。そして祖国ネパールに秘密裏に戻る。

その後は、輝和もネパールへ妻探しの旅が始まる。この部分は、少々退屈
で、その神秘的な能力の源泉となるものが描かれているのかと思えば、
そこは薄く、短絡的な読み手である私は、夫の妻探しの旅の描写は
退屈な部分であった。

神というものを求める群集心理とそれに対比して、同じ環境にいながら
神というよりは、人の温かみとぬくもりを求め妻として捕らえようとする
一人の男の心理描写の対比がそれぞれ描かれており、そこの部分は
面白みがあった。


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