老人と海 (新潮文庫)ヘミングウェイ,福田 恒存新潮社このアイテムの詳細を見る |
久しぶりに文学というものに触れてみました。ヘミングウェイの老人と海を読んで結構感動したという昔の友人の言葉を思い出し、自分も読んでみました。むかしから気になってはいたのですが、いつかは読んでみようと思いつつ、この年まで読まずじまい。読んでみてなかなか良かったです。主人公の老人が85日もの間、漁にでるが獲物を獲ず苦しい生活を続けるなか、ある日遠方へ漁へ出て大物を仕留める。ブラックマーリンなのか掛かった大物は、なかなか浮上せず、魚を取り込むことが老人にはできない。その過程での葛藤と心理の動き。弱気になったり集中して魚を寄せるための活動などは、日々の生活での活動に重なるものがある。弱気にならないよう、他人を当てにしないよう自身と戦いながら自然へと挑む老人の姿。魚との格闘は3日間にもおよび、やっとのことで取り込んだときには、老人は体力、精神ともに限界までなり意識を失いながら魚と格闘する。力を尽くしてあげた魚も、帰港の途中に何度も何度も鮫に狙われ、その都度、老人は最後の持てる力を尽くして鮫を銛で突いたり、棒で叩いて追い払う。港につく数日の間に度重なる鮫の攻撃で魚の姿は仕留めたときと姿、形を変えてしまう。その身のほとんどは鮫の餌となり最後には頭と尾だけの姿となる。鮫に襲われる途中の老人の心理描写が妙に現代人の生き様を反映しているように思える。現代人、いずれの時代の人々も自分が得たいもの、大切なもの、実績の積み上げというものが、外敵要因でその大切なものを失う厳しさ、悔しさなどを表現しているようでそういったものの哀れさを表現しているように思える。最終的には、もどってきた村の人々も頭から尾まで長さからその魚体の大きさに老人の労をねぎらう姿勢を見せる。でも一番の印象は、数多くの漁の経験をもつ老人も大きな目的、目標を実現するために死力と葛藤が人間くささが表現されており、その弱さと強気の葛藤がその場面ごと短いサイクルで出てくるところが心を指す。