目指せ華麗な七十代!

旧mandalaflowerからタイトルを替えました。今から始まる七十代をより華麗に生きる覚悟です。

タネ

2018-10-13 | 日記
秋もたけなわ、山里は明るい曇り空です。

昨日は来客の日でした。

突然友人一家がやって来ました。

一家五人総出で現れてびっくりポンです。

前以て言ってくれればお茶菓子など用意しておいたのにね。


この辺のお宅はお邪魔すると

あれもこれもといっぱいお茶菓子や漬物などをふるまってくれます。

でも我が家にはそう言った買い置きのお菓子がありません。

買うと食べちゃうので買わないようにしています。

昨日はたまたま近所の歌仲間と朝から歌おうという日だったので

そちらへの参加者が持って来てくれた柿や茹でた枝豆などが

あったのでそれでご接待。

自家製の枝豆に舌鼓を打っていました。

もちろん無農薬。

この枝豆は本当に美味しい豆なんですよ。

実は元種は我が家から出ています。

家で作った豆が美味しかったのでタネを取り次いで毎年育てていました。

そのタネ豆を何年か前に分けてあげたものですから

美味しいに決まっています。


何事もタネは大事なのです。


この春今までタネを保護していた種子法が廃棄されました。

どうして?

それも経済のためなんです。

タネを自由競争にして農家に毎年タネを買ってもらおうという魂胆のようです。

自分のうちで取り継いだ伝統野菜のタネも買わないとダメという法律に変えようとしています。

大きなタネ会社が儲かるシステムを作ろうとしているのでしょう。

これっておかしな話ですよね。

タネを守るのが難しくなってくるようでは困ります。

むしろこれまで以上に大事なタネを保護する政策にしてほしいですよね。

うちの枝豆は本当に美味しくてその美味しさをほしいに人には自由に分けてあげられる

そんな世の中がいいな。



家人は今畑仕事に夢中で、今日も冬野菜の種蒔きをするそうです。

今日は少し腰が痛むので休養したかったのですが、

道具その他の運搬係を仰せつかりました。

しょうがないな、と思っていたら

そこへ近所のおじさん登場。

寝過ごして仕事を休んじゃったから

何でも手伝うよと言います。



ヤッホー、また天使が現れた


家人のヘルプをおじさんに任せます。

そして私はこれを書いている。。。うふ


種まきがうまく実りを結びますように。



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インドひとり旅・荷物が。。。。。

2018-10-09 | お題
インドひとり旅の一番の思い出は前回書いたように

秋野不矩さんとのすれ違いだけではありません。

本当にお話ししたかった一番の思い出は荷物がなくなったことです。


入国の手続きを終えて、さあ初めての異国の地へ繰り出そうというその前に、

機内に預けたリュックサックが、

旅に必要なものほとんどを詰め込んで預けた荷物が、

私のだけ、

出て来ませんでした。


え?

どうして?



ベルトコンベアに乗った荷物は一つまた一つと人々の手に渡っていき、

空港に残る人も少なくなると同時に

不安な気持ちが心に広がっていきました。

何度もなんども、黒いベルトコンベアはただいたずらに回るだけで

私の荷物は最後まで現れませんでした。

旅の初めから荷物が盗まれたのか?

何がなんやら途方に暮れました。

その後私が拙い英語でどうやってそのことを知ったのか、

今となってはすっかり記憶が抜け落ちていますが、

その時わかったことは、

乗って来た飛行機の最終目的地がボンベイなので

おそらくボンベイ行きの荷物に混じってしまったのだろういうことでした。

私のリュックはボンベイに行ってしまったのです。


その結果、私は毎日インディアンエアーのオフィスに電話をかけて、

荷物が届いているか確認するように言われました。

たいして英語もできないのにさ、

そんなことまでさせられて、おかげでずいぶん英語の勉強になりました。

そんなわけで

ひとり旅の第一歩を手荷物一つ握りしめ、

もうう暗くなり始めたカルカッタのの安宿街を目指して歩き出したのです。


今思えば、荷物もなしで空港からタクシーに乗るツーリストは

運転手にとってどんな印象だったのでしょう。

インドに住んでいる日本人と思われたでしょうか。

想像もできませんが、何事もなくドライバーは一軒のゲストハウスの門の前で

私を下ろしました。

その時のタクシーの様子とか鮮明に覚えていますけど今は省略。


ホテル・モダンロッジ、それがインドで私の泊まった最初のホテルの名前です。

ガイドブックに出ていました。

フロントに行き、部屋を見せてもらい、二階の部屋に決めました。

初めての晩ですし他のあてもないので

即決して鍵をもらうと、

マネージャーが荷物はどこだ?と聞いて来ました。

荷物は持っていないというと

驚いて、どうした?というので

多分拙い英語で説明したのかもしれません。

とりあえず部屋のベッドに横になり気分を少し落ち着けて

考えてみたような気がします。

手荷物の中には

ハンカチ鼻紙とパスポート、機内の退屈しのぎに積んだ文庫本、

ガイドブック、とそのくらいのものでした。

ベッドに横になっても

体を覆う布一枚ありません。

安宿ですからね、あるのはベッドだけなんです。

確か一晩二十ルピー払いました。

当時の換金で五百円未満だったような気がします。

もちろん水シャワーでバスタブなんてありません。

お金はトラベラーズチェックです。

全てドル建てでした。

それを腹巻きに巻きつけて

泥棒に取られないようにするのがインド旅行者の常識でした。

インドではすり盗難が多いからくれぐれも気をつけるように

というのが当時のガイドブックには必ず書いてあったのです。

パスポートだって紐付きの袋に入れて首から下げていましたよ。

当時のインドでは置き引きや盗難、釣り銭のごまかし、

何倍にもふっかけてくる料金など、お金にまつわる事件がいちばんの問題でした。

観光客の金をいかに巻き上げるか、

親しそうに近づいて来る悪人も多かったのですよ。



度々インドに出向くようになりその人柄を知るようになって気がついたのですが、

インドの人は

あなたを試すようなところがあるようです。

あなたがお釣りのごまかしをきちんと見破れば、

お主、なかなかやるのう、というった風で友達付き合いが始まったりする経験を幾度も
して来ました。

でも初めての時はそんなことを知る由もなく、

ただただ、警戒心を持ちながら旅をしたのです。

カルカッタの街で見失った荷物を待ちながら

私は五日間を過ごしたことになります。

本当は都会の雑踏をすぐにでも離れて田舎へ行くつもりでいた私ですが、

インドに着いて最初に自分の計画を木っ端微塵にされました。


でも私にとってはこれがよかったと思っています。

私は荷物が来るまではカルカッタに止まらなければならなりませんでした。

けれどもそれは、私にとって思いがけない楽しみの発見となりました。

一日目、カルカッタの人にとって私は初めて見る異国人。

ネパール人か、とよく聞かれました。

日本人の旅人はまだそれほど多くなかった時代です。

いつもホテルの近くのチャイ屋か小さなレストランで食事をしていると

二日目、三日目になるともう顔なじみのようになって来て、

四日目はもうずっと昔からの知り合いのような

とても近しい関係が生まれるのです。


この現象には驚きながらとても感動しましたね。

インド人は真っ直ぐに私の目を見て語りかけて来るので

私も真っ直ぐに彼らの目を見ながら話をするようになりました。


人と人との向き合い方が

日本人同士のそれとは全く違いました。

それは新鮮で驚きで感動でした。

昔からの知り合いのように

親しみを込めた瞳で「ナマステ、〇〇」などと声をかけられると

なんだかとても心温まって

ここへ来てよかった、この人たちと出会えてよかったと

そんな気持ちになったものです。

たった四日か五日で、ですよ。


この経験は私に長期滞在型の楽しさを教えてくれたような気がします。

ここから始まったインドの旅は

時期を分けて何度も続きましたが、

大抵一つの場所に一ヶ月とか二ヶ月滞在するスタイルでした。

その慣習も全ては初めての旅のこのハプニングがあってのこと、

ですからその後のインドの旅に大いに影響した

この思い出は多分一生忘れられないのです。




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あれ、できちゃった。

2018-10-09 | 日記
おはようございます。

どんよりと曇り空。

昨日はとてもいいお天気でした。

県庁所在地に住んでいる友達が半年ぶりに遊びに来ました。

歌の会の友達ですので会えば必ず歌います。

昨日は十四曲の小さな歌集を私のウクレレで歌いました。

この歌集は短いので時間がない時にはよく歌います。

そのせいか、ウクレレも久しぶりに弾いたのに、

なんと昨日は歌いながら弾けたのです。



前回まではまだできなかったことが

しばらく時間を置いていたらできちゃいました。

自分でも

なんでだろう?


でもまあ、嬉しいです。

弾き語りって言葉があるけれど

私にとってそれはとても難しいことでした。

だって歌に気を入れると手がおろそかになるし、

手の配置を気にしていたら歌の歌詞が読めません。

歌詞が外国語なので本がないと歌えないのです。

弾きながら歌いながら本を読みながらの三重奏だもの

難しいの当たり前ですよね。

でもそれが続けていたらできるようになりました。

弾きながら歌うことが目標だったし感激してます。

なせば成るといいますが本当ですね。

ますます楽器を弾くのが楽しくなって来ました。


次はギターだ


十時を過ぎたらやっと空が晴れて来て

今は青空が広がっています。


秋の良い日がまた始まりました。



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アレチウリにやられる

2018-10-06 | 日記

いいお天気になって来ました。



ジャーン、この木の山をご覧ください。

こちらは昨日集めた薪にする木です。

まさに山のようにあります。

ほとんどが去年から今年の春頃に伐採されたものなので

割れば即薪になる頼もしい木の山ですよ、そして



こちらは今年伐採のもの。

これは来年の薪になります。


山暮らし、薪ストーブのある暮らしは大好きですが、

薪作りだけはまだ経験ありません。

斧を振り上げる仕事がこの婆にできるでしょうか?

それはお助け人に任せた方が良さそうです。

幸いいつも誰かお助けマンが現れてくれるので

本当に助かっています。




昨日は朝から友人の助けを借りてこの木を運んだわけですが、

この場所の一角がアレチウリなる植物に覆われていました。

アレチウリとは外来植物で長野県では有害植物の指定を受けています。


アレチウリを知らなかった友人は

その名の音を聞いて不思議な名前だと思ったそうです。

でもそれが荒地ウリだと知った時には

すぐに合点がいったようです。

漢字ってやっぱりすごいよね。


だけど話は漢字のことじゃなくて

荒地ウリのことなんですが

昨日木を運ぶ際に荒地ウリの被害にあいました。

はじめ何が起きているのかちょっとわかりませんでした。

台風のための倒木や支障木を適当に切って山と積んである中から

欲しい木を引きずり出したりその木を放り投げたりの作業をしているうちに

身体中がチクチクと針のむしろにさらされているような感覚に襲われました。

なんだこれ、とばかりに手袋や仕事着を見ると

無数の細い針が刺さっています。


革手袋だったのでては被害を免れたけど、

気がつけば服もズボンも前後ろに荒地ウリの細い細いトゲが

いっぱい刺さっていました。

お尻の方にもついています。

そのまま車の椅子に座ったら大変だよ、脱いだ方がいいよ、

と友人がアドバイスしてくれました。

本当だよね。

ナイスアドバイスありがとう。


荒地ウリの実が落ちている場所で

お尻を下ろして枝拾いをしていた時についたのでしょう。

あの辺で生えていた荒地ウリのツルを引っぺがすようにむしった時に

落ちたのですね。

荒地ウリからの復讐のようです。


幸い作業ズボンの下にスパッツを履いており

お尻のトゲは流石にそこまで届いていなかったようなので

ズボンを脱いで帰りました。

が、そのほかはチクチク、チクチクでもう大変でした。

こんなにひどいトゲの被害は生まれて初めてです。

ホント、荒地ウリって危ない植物ですよね。

有害指定を受けている意味がわかります。

荒地に生えるウリ系の植物ですから勢力がものすごく強いようです。

何より悪いのは

その実に細かいトゲがびっしりと生えていること。

その上トゲは何にでもすぐにくっついてしまうこと。

ですからむやみやたらに

駆除しようとすると手袋や来ている服にくっついて

痛い痛い思いをさせられます。

なかなか手強い植物なのです。

一度生えると駆除が大変な植物なので有害と言われているのです。


外来種で荒地にはびこって困っているのをニュースで度々聞いたことがありました。

でもその大変さを知ったの昨日が初めてです。

あんなのがうちの畑に来て欲しくありません。

絶対に嫌です。

イラクサより嫌。





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薪集めと薪割り人

2018-10-06 | 日記
お天気曇ってます。

台風の影響は当地ではあまり感じません。


先月から雨の日が多くて薪の準備が出来ていませんでした。


朝夕涼しくなってストーブは焚いているけれど

使っているのは去年の薪です。


それももう残り少なくなって来て

薪を調達する必要に駆られていました。


ついに昨日、手伝ってくれる人の都合もついて

大量に薪になる木を運んで来ることができました。

軽トラの荷台三杯とうちの車に積めるだけ積んで帰って来たものの

この材木を薪にするには薪割りをしなければならないのです。


さすがに家人はまだ薪割りまではできませんし、

私もチェンソーは使えません。

材木を確保したまでは良かったけれど

これを燃やせる形にしなければならないのです。


なんとか二人でやるしかないね、

そう話しているところに

電話のベルが鳴りました。


受話器を取るとなんと

イギリス在住の友達からで

「今日本に来ているから来週遊びに行くよ」と言うではありませんか。


なんと言うことでしょう。

この人は去年も来てその辺に転がっていた材を

全部薪にしてくれた人なのです。

私たちにとっては

何よりの薪割りお助け人が

再び日本にやって来てこのタイミングで来てくれるとは

神様に感謝してもしきれません。


彼は母親が高齢なので最近毎年帰国しています。

今年はパートナーをイギリスにおいて一人で来ているそうです。

彼女もまた本国で高齢の父親の面倒を見ています。

だから一緒に来れなかったのね。


それにしても


これで薪の心配がなくなりました。

安心して冬を過ごせそうです。

薪ストーブも薪がなくては始まりませんものね。



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