目指せ華麗な七十代!

旧mandalaflowerからタイトルを替えました。今から始まる七十代をより華麗に生きる覚悟です。

インドひとり旅・荷物が。。。。。

2018-10-09 | お題
インドひとり旅の一番の思い出は前回書いたように

秋野不矩さんとのすれ違いだけではありません。

本当にお話ししたかった一番の思い出は荷物がなくなったことです。


入国の手続きを終えて、さあ初めての異国の地へ繰り出そうというその前に、

機内に預けたリュックサックが、

旅に必要なものほとんどを詰め込んで預けた荷物が、

私のだけ、

出て来ませんでした。


え?

どうして?



ベルトコンベアに乗った荷物は一つまた一つと人々の手に渡っていき、

空港に残る人も少なくなると同時に

不安な気持ちが心に広がっていきました。

何度もなんども、黒いベルトコンベアはただいたずらに回るだけで

私の荷物は最後まで現れませんでした。

旅の初めから荷物が盗まれたのか?

何がなんやら途方に暮れました。

その後私が拙い英語でどうやってそのことを知ったのか、

今となってはすっかり記憶が抜け落ちていますが、

その時わかったことは、

乗って来た飛行機の最終目的地がボンベイなので

おそらくボンベイ行きの荷物に混じってしまったのだろういうことでした。

私のリュックはボンベイに行ってしまったのです。


その結果、私は毎日インディアンエアーのオフィスに電話をかけて、

荷物が届いているか確認するように言われました。

たいして英語もできないのにさ、

そんなことまでさせられて、おかげでずいぶん英語の勉強になりました。

そんなわけで

ひとり旅の第一歩を手荷物一つ握りしめ、

もうう暗くなり始めたカルカッタのの安宿街を目指して歩き出したのです。


今思えば、荷物もなしで空港からタクシーに乗るツーリストは

運転手にとってどんな印象だったのでしょう。

インドに住んでいる日本人と思われたでしょうか。

想像もできませんが、何事もなくドライバーは一軒のゲストハウスの門の前で

私を下ろしました。

その時のタクシーの様子とか鮮明に覚えていますけど今は省略。


ホテル・モダンロッジ、それがインドで私の泊まった最初のホテルの名前です。

ガイドブックに出ていました。

フロントに行き、部屋を見せてもらい、二階の部屋に決めました。

初めての晩ですし他のあてもないので

即決して鍵をもらうと、

マネージャーが荷物はどこだ?と聞いて来ました。

荷物は持っていないというと

驚いて、どうした?というので

多分拙い英語で説明したのかもしれません。

とりあえず部屋のベッドに横になり気分を少し落ち着けて

考えてみたような気がします。

手荷物の中には

ハンカチ鼻紙とパスポート、機内の退屈しのぎに積んだ文庫本、

ガイドブック、とそのくらいのものでした。

ベッドに横になっても

体を覆う布一枚ありません。

安宿ですからね、あるのはベッドだけなんです。

確か一晩二十ルピー払いました。

当時の換金で五百円未満だったような気がします。

もちろん水シャワーでバスタブなんてありません。

お金はトラベラーズチェックです。

全てドル建てでした。

それを腹巻きに巻きつけて

泥棒に取られないようにするのがインド旅行者の常識でした。

インドではすり盗難が多いからくれぐれも気をつけるように

というのが当時のガイドブックには必ず書いてあったのです。

パスポートだって紐付きの袋に入れて首から下げていましたよ。

当時のインドでは置き引きや盗難、釣り銭のごまかし、

何倍にもふっかけてくる料金など、お金にまつわる事件がいちばんの問題でした。

観光客の金をいかに巻き上げるか、

親しそうに近づいて来る悪人も多かったのですよ。



度々インドに出向くようになりその人柄を知るようになって気がついたのですが、

インドの人は

あなたを試すようなところがあるようです。

あなたがお釣りのごまかしをきちんと見破れば、

お主、なかなかやるのう、というった風で友達付き合いが始まったりする経験を幾度も
して来ました。

でも初めての時はそんなことを知る由もなく、

ただただ、警戒心を持ちながら旅をしたのです。

カルカッタの街で見失った荷物を待ちながら

私は五日間を過ごしたことになります。

本当は都会の雑踏をすぐにでも離れて田舎へ行くつもりでいた私ですが、

インドに着いて最初に自分の計画を木っ端微塵にされました。


でも私にとってはこれがよかったと思っています。

私は荷物が来るまではカルカッタに止まらなければならなりませんでした。

けれどもそれは、私にとって思いがけない楽しみの発見となりました。

一日目、カルカッタの人にとって私は初めて見る異国人。

ネパール人か、とよく聞かれました。

日本人の旅人はまだそれほど多くなかった時代です。

いつもホテルの近くのチャイ屋か小さなレストランで食事をしていると

二日目、三日目になるともう顔なじみのようになって来て、

四日目はもうずっと昔からの知り合いのような

とても近しい関係が生まれるのです。


この現象には驚きながらとても感動しましたね。

インド人は真っ直ぐに私の目を見て語りかけて来るので

私も真っ直ぐに彼らの目を見ながら話をするようになりました。


人と人との向き合い方が

日本人同士のそれとは全く違いました。

それは新鮮で驚きで感動でした。

昔からの知り合いのように

親しみを込めた瞳で「ナマステ、〇〇」などと声をかけられると

なんだかとても心温まって

ここへ来てよかった、この人たちと出会えてよかったと

そんな気持ちになったものです。

たった四日か五日で、ですよ。


この経験は私に長期滞在型の楽しさを教えてくれたような気がします。

ここから始まったインドの旅は

時期を分けて何度も続きましたが、

大抵一つの場所に一ヶ月とか二ヶ月滞在するスタイルでした。

その慣習も全ては初めての旅のこのハプニングがあってのこと、

ですからその後のインドの旅に大いに影響した

この思い出は多分一生忘れられないのです。




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あれ、できちゃった。

2018-10-09 | 日記
おはようございます。

どんよりと曇り空。

昨日はとてもいいお天気でした。

県庁所在地に住んでいる友達が半年ぶりに遊びに来ました。

歌の会の友達ですので会えば必ず歌います。

昨日は十四曲の小さな歌集を私のウクレレで歌いました。

この歌集は短いので時間がない時にはよく歌います。

そのせいか、ウクレレも久しぶりに弾いたのに、

なんと昨日は歌いながら弾けたのです。



前回まではまだできなかったことが

しばらく時間を置いていたらできちゃいました。

自分でも

なんでだろう?


でもまあ、嬉しいです。

弾き語りって言葉があるけれど

私にとってそれはとても難しいことでした。

だって歌に気を入れると手がおろそかになるし、

手の配置を気にしていたら歌の歌詞が読めません。

歌詞が外国語なので本がないと歌えないのです。

弾きながら歌いながら本を読みながらの三重奏だもの

難しいの当たり前ですよね。

でもそれが続けていたらできるようになりました。

弾きながら歌うことが目標だったし感激してます。

なせば成るといいますが本当ですね。

ますます楽器を弾くのが楽しくなって来ました。


次はギターだ


十時を過ぎたらやっと空が晴れて来て

今は青空が広がっています。


秋の良い日がまた始まりました。



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