「夜窓より」 (17)
瀬尾 公彦(愛知県)
seo@ksn.biglobe.ne.jp
今回は保護者の視点を絡めつつ書いて行きたいと思う。現在ではたとえ
ば、「保護者会」と言っているが、かつて私の経験した夜間定時制では、
「保護者雇用主懇談会」と称していた。東北や九州などからの集団就職
(と言っても昭和50年後半の話であるが)がまだ少しは続いており、そ
この寮長や上司の方々が生徒達の問題の前面に立ち、何か事があると、
我々教員と共に対応していた。
名古屋の戦後の夜間定時制の歴史の中に、例えば紡績工場への集団就
職に伴って昼働いて夜学校に通うという時代があったわけである。その
会社の関係者が結構親身になって若者に寄り添っていたが、それは当然
会社にもより、次第に会社の衰退により厳しい状況となっていく。私の
経験したのは、そのような集団就職の末期と言っても良いであろう。家
出をした生徒があると、連絡を取りつつ何とか熱心に対応する会社もあ
ればすぐ首にして郷里に戻すという会社もあった。そう言う彼らは会社
の車で学校まで送迎があり、部活動をする余裕もなく、少し息苦しい印
象はあった。しかし親以外の保護者の存在にある種のノスタルジーも少
し感じてしまう。
いつしかそのような集団就職も私の周りからは消えてしまったが、現
在でも名古屋では企業内学園という、例えばトヨタとかデンソーなどが
単位制高校と連携しつつ、働きながら高卒を目指していく学校もある。
私も部活動の試合などで遭遇するわけであるが、どこも夜間定時制高校
よりは、真面目な生徒達の印象がある。詳しく知っているわけではない
が、現在のような不況下では結構人気があるとも聞く。
さて話を戻して。現在においては保護者と呼ばずにここでは親と呼ん
でも良いであろう。まもなく入学式であるが、夜間定時制高校に入学す
る親に共通する思いは「不安」であろう。進学校などの入学式のような
「希望」にあふれるものはまずなく、重い不安の先に、この子が何とか
卒業して欲しい、という不安の遠い先の、願いのようなかすかなる「希
望」であると言っても良いであろう。
中学校で不登校を経験した生徒の親は、とりあえず受検しに来たこと
にほっとし、入学式に来たことにほっとしている。しかし明日の不安は
抱えている。退学経験のある生徒の親は、この学校への様々な適性を不
安に探る。学校の雰囲気。周りの生徒達。教員の対応。中学校の先生に
「この子は定時制にしか合格しないでしょう」と言われてきた生徒の親
たちも、その定時制とはどんなところかと不安のただ中にある。
そして我々教員はその「不安」を取り除くことが第一の仕事であると
言っても良い。入試の時から戦いは始まる。私は一年生の担任をやると
きには、大体が定員内(近年は定員を超える学校も愛知では増えてきて
いる)なので、入試の監督の時から教室で生徒の名前を覚え始める。合
格発表のときからどんどん話しかけることにしている。調査書の中学で
の欠席日数や部活動などをメモしておいて、「おめでとう。」「よくが
んばって受けに来たねえ」とか「野球部やってみる?」というようにフ
レンドリーに声をかけていくのである。引率の中学校の先生にもどんど
ん話を聞き、親とも出来るだけ話す。最近は入試に引率して待っていた
りする親もいるので、時間があれば、世間話的に話をする。後に聞くと、
生徒達はこの私のファーストコンタクトを結構印象的にいつまでも覚え
てくれているようである。
そして入学式が担任として最初の親との第一ステージとなる。ここは
大事なところなので、結構がんばって語ることにしている。「みなさん
も、子供達を卒業させたいと思っている。私もそう思っている。生徒達
もそう思っている。もっと言えば、誰もが生徒の幸福を願っている。私
たち三者は共通の目的を持つ仲間である。であるからこれまで中学校な
どで先生達とぶつかってきて不安に思っている人は安心してください。
もし本人がその目標を捨てようとしたりしたときは私と皆さんで彼らに
立ち向かう事になるでしょう。しっかりタッグを組んでいきましょう。」
とか「皆さんがお子さんが定時制に通うことを恥ずかしく思わない事」
とか、言いたいことを最初に全面開示するのが私の流儀である。
この後は保護者会などにも一切来ずに、次に顔を見るのは卒業式とい
う親さえいるのである。予定が終わると、「どんな些細な話でも良いの
で、何かあれば、今から時間をとりますので、お話聞かせてください。」
と話すと例年数名の親は残って自分の子供の話を聞かせてくれる。
私の経験する夜間定時制では約半数の生徒達が退学していくというの
が相場?である。最も大事なのがこのスタートである。私は他の多くの
先生達のやりかたに反して、親にはあまり連絡せずに、休んだりしても
本人に直接電話しながら指導していく。生徒達には、「おまえらがこの
ままでは退学しそうなにおいがしたり、こちらの電話に出なかったり、
明日は行くわ、とか言って来なかったりしたときは家に連絡する。」と
言うスタンスでずっとやってきている。親と子の関係がスムーズでない
家も少なくはない。よく言うのは「たまに一日休むのは許すが、続けて
休んだりしたら親に電話する」と言うこと。その事も親には話しておく。
実際には脅しだけであまり親には連絡しない。基本的にはこちらの力で
本人を指導していけばよいと考えている。
一方で、気になる方は気楽にいつでも連絡してください、と話してお
く。「今日学校行っていますか?」くらいでもいいので、不安なときは
いつでも連絡してくださいというスタンスである。それでも特に一年生
の最初の時期は、何か危なさそうな感じがすると、親とはこまめに連絡
はする。場合によっては家に行ったり、親に学校に来てもらう。早期発
見早期治療で、ここを見逃すことは避けたいと考えている。一度親との
信頼関係が出来てしまえば、後は何かと指導もスムーズとなる。幸い今
まで親とのトラブルは一切なかったと思う。
さて前任校では、「フリートーキング」と称して、親と教員が丸くな
って自由に話すという場を設定した。大体参加者は10人から20人くらい
で年に2回ほど設定してやっていた。普段ため込んだ子供へのストレスを
発散するかのように、結構子育ての悩みをフランクに話す場となってい
た。基本的には他の親の苦労を聞き、得るところが多かったと言う印象
を残していったようである。現代、悩める親も孤立しがちである。我々
教員にも得るところは少なくなかった。
夜、家に戻ってこない女生徒を探しに、家で待っていることに耐えき
れず、あてどもなく何時間も繁華街を車で探し回る母親。全く社会性を
持たない生徒の親が将来就職できるか不安に思っていたり、自分として
は普通に生きてきたつもりが、親として、様々なところで問題を起こす
生徒により人生観が揺さぶられたり人として成長させられたりしたこと。
結構重い言葉が紡がれていったこともある。
その中で印象的だったやりとりがある。確か暴走族でつかまって少年
鑑別所に入った生徒の親が、早く普通に生活が出来るようになって欲し
い。真面目な子が羨ましい、と言うような話をした際に、真面目で学校
は休まないが、閉じこもりがちでアルバイトも出来ない生徒の親が、「
いやお宅のお子さんの方が羨ましいですよ。その子は後何年かすれば、
しっかり働いて生きていける力があるはずです。うちの子は将来を考え
ると本当に心配です。」といったようなやりとりであったと思う。
私が思うに、二人に共通する教科書的な「幸福」はないであろうが、
恐らくその一人一人の幸福につながる道はあるであろうし、その事の端
緒が、この夜間定時制高校での生活であってくれればと願いたい。
今年も不安な面持ちの生徒たちと親たちが正門をくぐってくる。
微力ながら、真摯に向き合いたいと思う。
***************************
今日は現場仕事で
暑さで汗が次から次に出て
これでもかこれでもかと流れて
体の中がとろけ出しそうだった
それでも俺は「お先に失礼します」と叫んで
ヘルメットを脱いで学校に向かう
定時制高校では仕事をするのは
まあ当たり前のことではあるが
それでもまあ
ちょっとしたことをしているという
実感はある
もう今日は力は出ないと思っていても
不思議と体育の授業では
バスケットボールを持って
全力で駆けている俺がいる
その後の授業では
大概力尽きて寝てしまったりするのだが
そして暗い夜道を
友人と帰っていくそのひとときが
実にさわやかなときなのである
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瀬尾 公彦(愛知県)
seo@ksn.biglobe.ne.jp
今回は保護者の視点を絡めつつ書いて行きたいと思う。現在ではたとえ
ば、「保護者会」と言っているが、かつて私の経験した夜間定時制では、
「保護者雇用主懇談会」と称していた。東北や九州などからの集団就職
(と言っても昭和50年後半の話であるが)がまだ少しは続いており、そ
この寮長や上司の方々が生徒達の問題の前面に立ち、何か事があると、
我々教員と共に対応していた。
名古屋の戦後の夜間定時制の歴史の中に、例えば紡績工場への集団就
職に伴って昼働いて夜学校に通うという時代があったわけである。その
会社の関係者が結構親身になって若者に寄り添っていたが、それは当然
会社にもより、次第に会社の衰退により厳しい状況となっていく。私の
経験したのは、そのような集団就職の末期と言っても良いであろう。家
出をした生徒があると、連絡を取りつつ何とか熱心に対応する会社もあ
ればすぐ首にして郷里に戻すという会社もあった。そう言う彼らは会社
の車で学校まで送迎があり、部活動をする余裕もなく、少し息苦しい印
象はあった。しかし親以外の保護者の存在にある種のノスタルジーも少
し感じてしまう。
いつしかそのような集団就職も私の周りからは消えてしまったが、現
在でも名古屋では企業内学園という、例えばトヨタとかデンソーなどが
単位制高校と連携しつつ、働きながら高卒を目指していく学校もある。
私も部活動の試合などで遭遇するわけであるが、どこも夜間定時制高校
よりは、真面目な生徒達の印象がある。詳しく知っているわけではない
が、現在のような不況下では結構人気があるとも聞く。
さて話を戻して。現在においては保護者と呼ばずにここでは親と呼ん
でも良いであろう。まもなく入学式であるが、夜間定時制高校に入学す
る親に共通する思いは「不安」であろう。進学校などの入学式のような
「希望」にあふれるものはまずなく、重い不安の先に、この子が何とか
卒業して欲しい、という不安の遠い先の、願いのようなかすかなる「希
望」であると言っても良いであろう。
中学校で不登校を経験した生徒の親は、とりあえず受検しに来たこと
にほっとし、入学式に来たことにほっとしている。しかし明日の不安は
抱えている。退学経験のある生徒の親は、この学校への様々な適性を不
安に探る。学校の雰囲気。周りの生徒達。教員の対応。中学校の先生に
「この子は定時制にしか合格しないでしょう」と言われてきた生徒の親
たちも、その定時制とはどんなところかと不安のただ中にある。
そして我々教員はその「不安」を取り除くことが第一の仕事であると
言っても良い。入試の時から戦いは始まる。私は一年生の担任をやると
きには、大体が定員内(近年は定員を超える学校も愛知では増えてきて
いる)なので、入試の監督の時から教室で生徒の名前を覚え始める。合
格発表のときからどんどん話しかけることにしている。調査書の中学で
の欠席日数や部活動などをメモしておいて、「おめでとう。」「よくが
んばって受けに来たねえ」とか「野球部やってみる?」というようにフ
レンドリーに声をかけていくのである。引率の中学校の先生にもどんど
ん話を聞き、親とも出来るだけ話す。最近は入試に引率して待っていた
りする親もいるので、時間があれば、世間話的に話をする。後に聞くと、
生徒達はこの私のファーストコンタクトを結構印象的にいつまでも覚え
てくれているようである。
そして入学式が担任として最初の親との第一ステージとなる。ここは
大事なところなので、結構がんばって語ることにしている。「みなさん
も、子供達を卒業させたいと思っている。私もそう思っている。生徒達
もそう思っている。もっと言えば、誰もが生徒の幸福を願っている。私
たち三者は共通の目的を持つ仲間である。であるからこれまで中学校な
どで先生達とぶつかってきて不安に思っている人は安心してください。
もし本人がその目標を捨てようとしたりしたときは私と皆さんで彼らに
立ち向かう事になるでしょう。しっかりタッグを組んでいきましょう。」
とか「皆さんがお子さんが定時制に通うことを恥ずかしく思わない事」
とか、言いたいことを最初に全面開示するのが私の流儀である。
この後は保護者会などにも一切来ずに、次に顔を見るのは卒業式とい
う親さえいるのである。予定が終わると、「どんな些細な話でも良いの
で、何かあれば、今から時間をとりますので、お話聞かせてください。」
と話すと例年数名の親は残って自分の子供の話を聞かせてくれる。
私の経験する夜間定時制では約半数の生徒達が退学していくというの
が相場?である。最も大事なのがこのスタートである。私は他の多くの
先生達のやりかたに反して、親にはあまり連絡せずに、休んだりしても
本人に直接電話しながら指導していく。生徒達には、「おまえらがこの
ままでは退学しそうなにおいがしたり、こちらの電話に出なかったり、
明日は行くわ、とか言って来なかったりしたときは家に連絡する。」と
言うスタンスでずっとやってきている。親と子の関係がスムーズでない
家も少なくはない。よく言うのは「たまに一日休むのは許すが、続けて
休んだりしたら親に電話する」と言うこと。その事も親には話しておく。
実際には脅しだけであまり親には連絡しない。基本的にはこちらの力で
本人を指導していけばよいと考えている。
一方で、気になる方は気楽にいつでも連絡してください、と話してお
く。「今日学校行っていますか?」くらいでもいいので、不安なときは
いつでも連絡してくださいというスタンスである。それでも特に一年生
の最初の時期は、何か危なさそうな感じがすると、親とはこまめに連絡
はする。場合によっては家に行ったり、親に学校に来てもらう。早期発
見早期治療で、ここを見逃すことは避けたいと考えている。一度親との
信頼関係が出来てしまえば、後は何かと指導もスムーズとなる。幸い今
まで親とのトラブルは一切なかったと思う。
さて前任校では、「フリートーキング」と称して、親と教員が丸くな
って自由に話すという場を設定した。大体参加者は10人から20人くらい
で年に2回ほど設定してやっていた。普段ため込んだ子供へのストレスを
発散するかのように、結構子育ての悩みをフランクに話す場となってい
た。基本的には他の親の苦労を聞き、得るところが多かったと言う印象
を残していったようである。現代、悩める親も孤立しがちである。我々
教員にも得るところは少なくなかった。
夜、家に戻ってこない女生徒を探しに、家で待っていることに耐えき
れず、あてどもなく何時間も繁華街を車で探し回る母親。全く社会性を
持たない生徒の親が将来就職できるか不安に思っていたり、自分として
は普通に生きてきたつもりが、親として、様々なところで問題を起こす
生徒により人生観が揺さぶられたり人として成長させられたりしたこと。
結構重い言葉が紡がれていったこともある。
その中で印象的だったやりとりがある。確か暴走族でつかまって少年
鑑別所に入った生徒の親が、早く普通に生活が出来るようになって欲し
い。真面目な子が羨ましい、と言うような話をした際に、真面目で学校
は休まないが、閉じこもりがちでアルバイトも出来ない生徒の親が、「
いやお宅のお子さんの方が羨ましいですよ。その子は後何年かすれば、
しっかり働いて生きていける力があるはずです。うちの子は将来を考え
ると本当に心配です。」といったようなやりとりであったと思う。
私が思うに、二人に共通する教科書的な「幸福」はないであろうが、
恐らくその一人一人の幸福につながる道はあるであろうし、その事の端
緒が、この夜間定時制高校での生活であってくれればと願いたい。
今年も不安な面持ちの生徒たちと親たちが正門をくぐってくる。
微力ながら、真摯に向き合いたいと思う。
***************************
今日は現場仕事で
暑さで汗が次から次に出て
これでもかこれでもかと流れて
体の中がとろけ出しそうだった
それでも俺は「お先に失礼します」と叫んで
ヘルメットを脱いで学校に向かう
定時制高校では仕事をするのは
まあ当たり前のことではあるが
それでもまあ
ちょっとしたことをしているという
実感はある
もう今日は力は出ないと思っていても
不思議と体育の授業では
バスケットボールを持って
全力で駆けている俺がいる
その後の授業では
大概力尽きて寝てしまったりするのだが
そして暗い夜道を
友人と帰っていくそのひとときが
実にさわやかなときなのである
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