夜窓より ☆私の考えなり流儀なり☆

日刊『中・高校教師用ニュースマガジン』に連載中の教育への雑感をまとめておきます。夜間定時制高校の教師の視点です。

「遠景のモノ語り」(10)

2022年10月05日 | 教育
■「遠景のモノ語り」(10)

  瀬尾 公彦(愛知県)
(seo@ksn.biglobe.ne.jp)


*黄色い歪んだメガホン*

 

その高校の職員室の横にはソファーを配した部屋があり、そこは

職員の休憩室でもあり、放課には例えば成人の生徒が喫煙しに来

る場所であったりした。会議や生徒との相談もそこでよく行った。




入学直後から、学校には来るが職員室にはなかなか入れない女生

徒がいた。中学は行っておらず、フリースクールのようなところ

に時々通っていたようであった。1ヶ月くらいその部屋で相手を

したりして、少しずつ教室に出るようになった。



その生徒が野球部のマネージャーとなった。私は野球の試合中メ

ガホンを持って、常に声を出していた。ヒットを打てばわざわざ

褒めるし、力を抜いて走る生徒はその場で叱った。そのマネージ

ャーに、スコアの付け方を教えたり仕事を教えた。私は無理して

でもマネージャーの仕事をたくさん作るのだが彼女もよく動いて

くれた。おとなしいかと思えば、意外に大きな声で声援できるの

で、そのうち彼女用にメガフォンを渡した。



二年生の時に全国大会にも出場できたが、球場で最も鳴り響いて

いたのは彼女の声であった。友人も増えていき、教室の中でも元

気が出てきた。



当時生徒はいろいろな名前で私を呼んだ。勿論「せんせー」が多

いのであるが 「セオさん」「セオちゃん」親しみを込めて様々で

あったが、彼女ひとりだけ「オッティ」と呼び続けた。もともと

は「セオティーチャー」→「セオッテイー」→「オッティ」とな

ったように記憶するが、友人との会話も、一人「オッティ」を使

用し続け、私に対しても「オッティ、お疲れ」のように使ってい

た。そういうところも個性的ではあったが、しっかりした自分を

持っていた。部員からの信頼も厚かった。



彼女を二年間教えて、私は転勤となったが、転勤先が男子校であ

ったので、試合の日はスコアをつけに来てくれた。その代わり、

彼女の進学の相談に乗ったり、願書をファミレスで一緒に書くの

を手伝ったりもした。そして4年制の大学に進学して、無事卒業

して就職していった。



手元に残されたメガホンには、「先生用のメガホン 全国行くぞ。

瀬尾てんてい かんとく がんばあ」とボールのイラストとともに

彼女の字で記されている。



世界中で私たちだけに価値のある思い出の品である。



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===編集日記=== 
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  皆様に支えられて「日刊・中高MM」第4966号です。

 瀬尾公彦さんの「遠景のモノ語り」、お届けします。

 ・黄色い歪んだメガホン

 ・世界中で私たちだけに価値のある思い出の品である。

 素敵な遠景のモノですね。モノを頼りに思いでや暮らしや人生を語る。
 出来る人になろうって思うのですが、なかなかです。だからこそ瀬尾
 公彦さんの筆がさえるように感じるのです。文章の書き方の教材とし
 てこの「モノ語り」を使えそうですね。