■「遠景のモノ語り」(10)
瀬尾 公彦(愛知県)
(seo@ksn.biglobe.ne.jp)
*黄色い歪んだメガホン*
その高校の職員室の横にはソファーを配した部屋があり、そこは
職員の休憩室でもあり、放課には例えば成人の生徒が喫煙しに来
る場所であったりした。会議や生徒との相談もそこでよく行った。
入学直後から、学校には来るが職員室にはなかなか入れない女生
徒がいた。中学は行っておらず、フリースクールのようなところ
に時々通っていたようであった。1ヶ月くらいその部屋で相手を
したりして、少しずつ教室に出るようになった。
その生徒が野球部のマネージャーとなった。私は野球の試合中メ
ガホンを持って、常に声を出していた。ヒットを打てばわざわざ
褒めるし、力を抜いて走る生徒はその場で叱った。そのマネージ
ャーに、スコアの付け方を教えたり仕事を教えた。私は無理して
でもマネージャーの仕事をたくさん作るのだが彼女もよく動いて
くれた。おとなしいかと思えば、意外に大きな声で声援できるの
で、そのうち彼女用にメガフォンを渡した。
二年生の時に全国大会にも出場できたが、球場で最も鳴り響いて
いたのは彼女の声であった。友人も増えていき、教室の中でも元
気が出てきた。
当時生徒はいろいろな名前で私を呼んだ。勿論「せんせー」が多
いのであるが 「セオさん」「セオちゃん」親しみを込めて様々で
あったが、彼女ひとりだけ「オッティ」と呼び続けた。もともと
は「セオティーチャー」→「セオッテイー」→「オッティ」とな
ったように記憶するが、友人との会話も、一人「オッティ」を使
用し続け、私に対しても「オッティ、お疲れ」のように使ってい
た。そういうところも個性的ではあったが、しっかりした自分を
持っていた。部員からの信頼も厚かった。
彼女を二年間教えて、私は転勤となったが、転勤先が男子校であ
ったので、試合の日はスコアをつけに来てくれた。その代わり、
彼女の進学の相談に乗ったり、願書をファミレスで一緒に書くの
を手伝ったりもした。そして4年制の大学に進学して、無事卒業
して就職していった。
手元に残されたメガホンには、「先生用のメガホン 全国行くぞ。
瀬尾てんてい かんとく がんばあ」とボールのイラストとともに
彼女の字で記されている。
世界中で私たちだけに価値のある思い出の品である。
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================
===編集日記===
================
皆様に支えられて「日刊・中高MM」第4966号です。
瀬尾公彦さんの「遠景のモノ語り」、お届けします。
・黄色い歪んだメガホン
・世界中で私たちだけに価値のある思い出の品である。
素敵な遠景のモノですね。モノを頼りに思いでや暮らしや人生を語る。
出来る人になろうって思うのですが、なかなかです。だからこそ瀬尾
公彦さんの筆がさえるように感じるのです。文章の書き方の教材とし
てこの「モノ語り」を使えそうですね。
瀬尾 公彦(愛知県)
(seo@ksn.biglobe.ne.jp)
*黄色い歪んだメガホン*
その高校の職員室の横にはソファーを配した部屋があり、そこは
職員の休憩室でもあり、放課には例えば成人の生徒が喫煙しに来
る場所であったりした。会議や生徒との相談もそこでよく行った。
入学直後から、学校には来るが職員室にはなかなか入れない女生
徒がいた。中学は行っておらず、フリースクールのようなところ
に時々通っていたようであった。1ヶ月くらいその部屋で相手を
したりして、少しずつ教室に出るようになった。
その生徒が野球部のマネージャーとなった。私は野球の試合中メ
ガホンを持って、常に声を出していた。ヒットを打てばわざわざ
褒めるし、力を抜いて走る生徒はその場で叱った。そのマネージ
ャーに、スコアの付け方を教えたり仕事を教えた。私は無理して
でもマネージャーの仕事をたくさん作るのだが彼女もよく動いて
くれた。おとなしいかと思えば、意外に大きな声で声援できるの
で、そのうち彼女用にメガフォンを渡した。
二年生の時に全国大会にも出場できたが、球場で最も鳴り響いて
いたのは彼女の声であった。友人も増えていき、教室の中でも元
気が出てきた。
当時生徒はいろいろな名前で私を呼んだ。勿論「せんせー」が多
いのであるが 「セオさん」「セオちゃん」親しみを込めて様々で
あったが、彼女ひとりだけ「オッティ」と呼び続けた。もともと
は「セオティーチャー」→「セオッテイー」→「オッティ」とな
ったように記憶するが、友人との会話も、一人「オッティ」を使
用し続け、私に対しても「オッティ、お疲れ」のように使ってい
た。そういうところも個性的ではあったが、しっかりした自分を
持っていた。部員からの信頼も厚かった。
彼女を二年間教えて、私は転勤となったが、転勤先が男子校であ
ったので、試合の日はスコアをつけに来てくれた。その代わり、
彼女の進学の相談に乗ったり、願書をファミレスで一緒に書くの
を手伝ったりもした。そして4年制の大学に進学して、無事卒業
して就職していった。
手元に残されたメガホンには、「先生用のメガホン 全国行くぞ。
瀬尾てんてい かんとく がんばあ」とボールのイラストとともに
彼女の字で記されている。
世界中で私たちだけに価値のある思い出の品である。
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===編集日記===
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皆様に支えられて「日刊・中高MM」第4966号です。
瀬尾公彦さんの「遠景のモノ語り」、お届けします。
・黄色い歪んだメガホン
・世界中で私たちだけに価値のある思い出の品である。
素敵な遠景のモノですね。モノを頼りに思いでや暮らしや人生を語る。
出来る人になろうって思うのですが、なかなかです。だからこそ瀬尾
公彦さんの筆がさえるように感じるのです。文章の書き方の教材とし
てこの「モノ語り」を使えそうですね。