夜窓より ☆私の考えなり流儀なり☆

日刊『中・高校教師用ニュースマガジン』に連載中の教育への雑感をまとめておきます。夜間定時制高校の教師の視点です。

理想の学校作りへ 4

2015年02月15日 | 教育
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■「理想の学校作りへ」(4)瀬尾公彦(愛知県)
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【連載】
 

■「理想の学校作りへ」(4)


     瀬尾 公彦
     seo@ksn.biglobe.ne.jp



さて、今回は少し別の角度から書いてみたい。外国人に無償で日本
語を教える行為はボランティアということになる。その事の意味を
少し考えてみたい。私自身これまで積極的に社会のボランティア
活動に参加してはいない。


今回もボランティアをしようという意識で始めたわけでもない。
動機は別のところで始めた行為が社会的にはボランティアという
範疇に入るというのが実感としては正しいような気がする。
多くのボランティアについては、頭の下がる思いのものもあれば、
ややいかがわしさを感じるものもあり、簡単に言えば、さほど興味
はなかった。


世の中には様々な困った問題があり、その人によって問題意識は様
々である。例えば募金について。自分としては募金についてどのよ
うな考えできたかをまず説明しておきたい。冷静に考えれば、何の
為に自分がお金を出すか、そしてもっと重要なことは何の為にはお
金を出さないかと言うことは実は大きな問題であるという意識をず
っと持っていた。


しかし、一つ一つの整合性を自分の中で持つことはかなり困難な
ことである。例えば多くの方々が、東日本大震災で募金をした。
では、他にはどのようなものに対して募金をするのか? 自然災害
であれば、例えば御嶽山噴火についての募金には協力するのかしな
いのか。日本限定なのか。地震限定なのか。


そのように考えたり決めたりすることはなかなか難しい。現実は整
合性を持つべき募金も、実は募金を求められる状況や相手などによ
り、私には気分によるものという気がしていた。


そこで私は自分なりの線の引き方をした。募金は一つにする。そし
てそれ以外の募金については気分次第にする。そう考えて、10年
ほど前から、私はプランジャパンの具体的な子供の支援の為に月に
3000円の募金をし始めたのである。募金のお金が届かないなど
の不明瞭さがなく、私で言えばインドに住む具体的な貧しい少年を
対象にしており、その写真などが手紙などが時折り送られてきたり
した。


私の感覚で言えば、漠然と何に使用されているかわからないものに
対してよりも用途が明瞭なものに募金をしたいという気がしていた。
私自身も東日本大震災の際は、東北に親戚が住んでおり、極めて具
体的な支援をしたのであるが、ある友人は、かつて勤務した仙台に
50万円を持って行き、自分の面識のある、飲み屋のママさんなど
5人に対してとりあえず10万円を置いてきたと話していた。
いろいろと見方はわかれるであろうが、私には偽善性が無く好感が
持てた。


私の感覚では、情けは人の為ならず、ではないが、募金やボランテ
ィアは相手の為にという偽善性を感じてしまうようでは駄目で、
結局自己の価値観の中で自分にとってやるべき物事として認識して
やるべきであるということになる。やや露悪的な表現となるが、
人間は偽善と露悪の中間者であり、すっきりすることがないといっ
たのは漱石であったか。


そして有償であるか無償であるかによって、行為の意味が変わる。
有償と無償の違いと言うよりは、学校と学校でないところという
抑え方をした方がよいかもしれない。例えば専門学校的な日本語
学校の授業で教師が「美しい」という漢字を教える行為と、ボラ
ンティアで全く同じ行為を教える行為の違いは社会的な意味合い
の違いである。


「学校」という組織に於いては先生ー生徒という関係である。
しかし「学校」以外の場所に於ける所謂地域ボランティアに於け
る関係性は先生ー学ぶ人という関係になる。


ティーチャー、ステューデントの関係には社会性が生じてくる。
一方、ティーチャー、ラーナーという関係に於いてはもう少し
限定されたシンプルな関係とも言える。


私は現職の高校教師であるが、社会制度の学校の論理からすれば、
共同幻想的に制度的な学校に於いて学ぶことに価値が生じてくる。
制度の中から見れば、そんな資格も(まさしく制度なのだが)
あやふやな日本語教師が教えていて内容は大丈夫なのかという批
判もある。では制度内の学校の教師の教える内容等がどこまで問
われているかと言えば、実は結構不問に付されていく。


授業という儀式を遂行することに汲々としている現状。形式的な
授業崩壊のみならず、内的な授業崩壊の率は半数近いものになる
であろう。その数字は定かではないが、逆に半数近くが教育的な
学校生活ができていると見ればそれは決して小さい数字ではない
かもしれないが。まだそう多くを見たこともない私の印象では外
国人の為の日本語教師の方が立ち位置がしっかりしており、学ぶ
者の正面に立とうとしているような気もする。


さて、私がこう婉曲的に語ってきたのは、逆に制度的なところを
免れているティーチャー、ラーナーの関係の清々しさのようなも
のについて語りたかったからである。まだ限られた月日の、特定
のベトナム人との関わりでの感想である。


わかりやすく言えば、私は彼らの為に教えるのではなく、自分が
教えたいから教える。もっと言えば私は教えるのでもなく、彼ら
が学ぶのを助けることでしかない。今私の問題意識は、「自己学
習能力」に関わることである。

そしてその「自己学習能力」のための教師という他者の関係性が、
私たちの関係と言うことになる。せっかく学校という組織を離れ
ているのであるから、教育の在り方の原点のような基本的な関係
性について認識を深めたいと考えている。まだここで触れていな
い、「理想の学校作りへ」はそこの部分が基本となる。


よって客観的にはボランティアと呼ばれるかもしれないが、自ら
はそのような観点を持っておらず、私が彼らの前に立つことは、
私の在り方とか生き方としか言いようがないのである。ついでに
書いておくと、年末に長年続けてきたプランジャパンに寄付する
ことをやめる電話をかけた。募金の問題も含めた自分の問題意識
を、とりあえず今日本語を学びたいベトナム人の問題に限定しよ
うと考えたからである。


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===編集日記=== 

  皆様に支えられて「日刊・中高MM」第3317号です。

 瀬尾公彦さんの「理想の学校作りへ」、お届けします。
 
 ・わかりやすく言えば、私は彼らの為に教えるのではなく、
  自分が教えたいから教える。もっと言えば私は教えるの
  でもなく、彼らが学ぶのを助けることでしかない。今私
  の問題意識は、「自己学習能力」に関わることである。

 いよいよタイトル通りの作品展開となるか、または更なる広がりを
 みせることになるのであろうか。


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理想の学校作りへ 3

2015年02月08日 | 教育
『中・高校教師用ニュースマガジン』(中高MM)☆第3308号☆
                   2015年1月26日:月曜日発行
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■「理想の学校作りへ」(3)瀬尾公彦(愛知県)   
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【連載】
 

■「理想の学校作りへ」(3)   


     瀬尾 公彦(愛知県)
     seo@ksn.biglobe.ne.jp


さて、外国人に対する日本語教育は所謂日本人に教える国語教育とは
似て非なるものであると書いた。例えば、あなたが日本人であるなら
ば、あなたは日本語を話している。あなたのように外国人が日本語が
話せるようになれば良いのである。


それならば、あなたが習得したように外国人も習得すれば良いと普通
は考える。第一言語を習得する方法をナチュラルメソッドという。第
一言語と第二言語の習得方法の違い。日本語教師の為の教授法の本な
どを読むと、そんな細かい説明が必要かなと思わせられる。なぜなら
そのような説明を日本人は理解していないから。


例えば、「田舎で暮らす」とも言うし、「田舎に暮らす」とも言う。
私たちは何となく使い分けている。場合によってはどちらでもいいじ
ゃんという印象も受ける。しかし日本語教育では、「で」という助詞
の後には動作、行為性の動詞が来て、「に」という助詞の後には存在
性の動詞が来ると説明される。説明されると確かにそうだなと思うが、
果たして日本人がそれを理解しているかと言えば、恐らくそのような
説明ができる人は少数であろう。


正直そのようなところがもやもやしていた。そこで12月に私が著書
を何冊か読んだ高名な名誉教授の先生の講義が東京の文化教室のよう
なところで開催されているのに参加した際に質問してみた。講義を受
ける方々は、日本語教師を目指している、いかにも日本語教育の勉強
を重ねている方々であった。


その中で、恥を顧みずに、上記の疑問をぶつけてみた。先生の答えは
明快で、「瀬尾さん、日本人は毎日日本語の環境の中で生活していて、
更に小学校だけでも6年間通うのですから、外国人にその環境を用意
するのは無理ですよ。と言う答えであった。言われてみればその通り
で、私たちは文法の説明はできなくとも、そのスキルは何度も何度も
聞いたり話したりすることによって鍛えられていたわけである。


車の運転をする際に、右に曲がる時は、右手をハンドルのここに置き、
などと意識はしない。それでも説明をするとなるとそのようなことに
なる。自分がわかっていることとそれを人に伝えることは又次元の違
う行為である。

よって、日本人であれば日本語教師になれるわけではない。やはり日
本語教師にはその専門性が求められている。そして他の先生方の教え
方やその現状を見たり聞いたりするうちに、大切なところは「教師」
の部分であるような気がしている。日本語の知識については、例えば、
ネットを検索すれば簡単に説明が出てくる時代である。


むしろその伝え方や、所謂教え方のスキルの部分で苦労されている方
が多そうな印象である。それには教育観、学習観、更には人生観にも
関わる、人と人との関係性に裏打ちされる知の習得を中心に置いた関
係性が問題となってくる。実際、私の夜間定時制高校での経験が随分
役に立っているのだろうなと言う実感はある。教師経験のある方はな
い方に比べて、やはり教えるというスキルが優れているのであろうし、
その事は日本語「教師」に於いても共通するところはある。



後に学校作りの話へと移っていくが、私は「夜窓より」でも散々現在
の日本の学校批判を繰り広げてきたが、まず根本的に抑えておかねば
ならないことは、知の習得とは自らが学ぶ、という事が基本であり、
学校という組織が知の習得を中心とするのであれば、その事を真ん中
に置いて構築されなければなるまいという事である。この事は少しだ
け触れて又別の項に譲るが、学校作りを考えた時に、学校という場所
がある。そこに学びたい人がいる。その場所で1人で学ぶ。さて、そ
こで充足されればそれでおしまい。ただし、より知識がある人がそこ
にいて、自学自習をしている人に対して何かができるとすれば、それ
は何か? そのような発想で組み立てようと考えているところである。



話を少し戻す。実際に前述した日記を添削する際も、「が」と「は」
を間違えて書いてあったりする。そしてそれが間違いであるのは日本
人であればわかる。そこで留まっていては相手には伝わらない。その
用法について相手に説明する必要が生じるのである。私は系統だって
説明する必要が有ると感じる時は、では次回に説明するねと言って、
次週に時間をとって「が」と「は」の使い分けについて、というよう
に取り上げて授業を行なっている。


私はたまたま国語の教員であるが、知識としてみれば、日本語教育の
知識は、恐らく数学や物理の先生と比べてもさほど変わらないという
印象がある。「で」と「に」の違いなど全く意識すらしていなかった。
対象は日本語であるが学ぶことは新しいことが少なくない。ついでに
書いておくと、先日、こちらとベトナムにいる生徒達とをスカイプで
つないで授業を行ってみた。その際、後に聞いた話だと、やはりベト
ナムで日本語を学ぶ生徒達にとって、日本の高校の先生さまはすごい
という印象があるようで、確かに教師に対する敬意も日本以上にある
のであろう。興味を持った同僚を一度私の教えているところに連れて
行って生徒達と会話の練習などをやったが、生徒の学習に対する熱意
と生徒からの敬意のようなものに対する快感がその先生にはあったよ
うである。私たちのように夜間定時制高校に長いと、素朴に学習意欲
のある生徒に教えると言うことがなかなか快感であるということであ
ろうか。


まだまだ日本語教育の全体像をつかむほどの勉強をしていない初心者
であるが、先回書いたように、私は私流の自主教材で授業を進めてい
る。彼らは日本語を覚えようとしているわけであるが、私はやはり日
本語だけを教えたくないと考えている。一例だけを挙げてこの稿を閉
じるが、例えば「おいくつでいらっしゃいますか?」という文章は日
本語としては敬語表現も含まれていて正しいわけだが、初対面の女性
にいきなりそう言ったとすれば、それは失礼でそう言うのは間違いで
ある。


自学自習で学べない事は例えば現実の場面に裏打ちされるそのような
文化や風習を含んだ価値観なのであろうと考える。そう言う話を先日
Cさんにしたら「先生、それはベトナムでも失礼で言いませんよ」と
言われてしまった。



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===編集日記=== 

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 瀬尾公彦さんの「理想の学校作りへ」、お届けします。

 ・「で」と「に」の違いなど全く意識すらしていなかった。

 ・自学自習で学べない事は例えば現実の場面に裏打ちされる
  そのような文化や風習を含んだ価値観なのであろうと考え
  る。
  そう言う話を先日Cさんにしたら「先生、それはベトナム
  でも失礼で言いませんよ」と言われてしまった。

 共通項と相違点の視点で日本語を捉えると面白いことになりそうですね。
 ユーモアを内包する瀬尾公彦さんの作品はますます興味深くなってきま
 した。

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理想の学校作りへ 2

2015年02月07日 | 教育

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 『中・高校教師用ニュースマガジン』(中高MM)☆第3296号☆
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■「理想の学校作りへ」(2)瀬尾公彦(愛知県)
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【連載】
 

■「理想の学校作りへ」(2)


     瀬尾 公彦(愛知県)
     seo@ksn.biglobe.ne.jp


9月1日が最初の授業であった。生徒は超初心者のAさんとまあ初心者のB
さん。そこに大学院に通う通訳の女性のCさん。場所は彼らの住むアパート。
当初2時間くらいという話で始めたが、初日から結局2時間半となり、以後
も2時間半を目処に授業が継続されている。2時間半、あっという間。毎回
時間は足りないのである。私の勤務時間外の金曜日の午前中で、彼らもその
時間は日本語勉強が優先であり仕事は免れる。技能実習生は就労時間に制限
があるのでそこは無理のないことであるらしい。

最初の授業まで、本を読むのが武器の私は、日本語関係の本を何冊か買い込
み、いくつかの図書館で本を借りまくり、一夜漬けの感じで、外国人への日
本語教育の内容とはどのようなものであるか次第に感触をつかんでいった。

最初に考えたのは、授業の位置づけである。例えば漢字を覚えるのはこれは
わざわざ授業でやる必要はなく、週に一度の授業ならではの内容を考えなけ
ればと言う事である。そして、まず相手の実力を計ることと、相手にこの勉
強を意味のあることと認識させて、更に楽しいと感じさせること。何よりも
私という人間の認知のようなところ。この辺りは夜間定時制高校のノリでな
んとかなるかなぁという感じであった。

本などのマネではなく、やはりオリジナルな教材で手探りしようと、まず最
初に行ったのは「千と千尋の神隠し」のDVDを見せて、その内容を日本語
であらすじを述べさせるというものであった。そして、その事を私と会話練
習した。今から思えば、私の要求水準は高すぎて、Cさんの力を借りつつ、
力業で何とか成立したという印象である。次に、ドラえもんの漫画の一話の
あらすじを日本語でどういう内容か書かせるということをやった。ドラえも
んは彼らも良く読んでいて、身近なものであり、そのような会話のやりとり
をしたのを覚えている。彼らは興味をもって取り組んだが、単語の意味がわ
からず、辞書を引きながらの理解なので、彼らにとっては私が考えていた以
上の難解さであった。そこで、今後は宿題として一週間に一話漫画を渡して、
あらすじを書かせると言うことをやった。

彼らが自ら勉強しているテキストの、「みんなの日本語 ベトナム語版」の
内容を見つつ、彼らが一週間で学ぶことを理解していった。この日私が宿題
として課したのは、5つある。1.毎日書く日記。2.ドラえもんのあらす
じ3.連絡帳4.漢字ノート5.天声人語の書写 やらせてみて、結果から
言えば、4,5は難しすぎて全く手が出ず、3も1で精一杯でできず。何と
か毎日の日記とドラえもんができたという感じであった。彼らは本当によく
勉強する。時間的にも集中力も日本の受験生を越える印象がある。日記はこ
の9月1日から現在まで一日も欠かさず書いており、授業の際、その1週間
分の添削をする。ドラえもんは慣れるにつれて随分わかるようになった。た
とえば、日本語のわからないところはベトナム語で書いておきなさいと言う
指示を出して、Cさんの力を借りて説明していったりした。

ただ初日から超真面目超緊張の彼らに対して、定時制の無表情な生徒達に対
してもふざけ続けるパワーを持つ私の力が発揮でき、なかなかフレンドリー
な関係ができて、個人的には非常に楽しく初日の授業を終えることができた。
翌週の二回目の授業ではカルタをやったり、私がドアを開けて入ったところ
から、会話を続けていきなり練習させた。Aさんは「おはようごじゃいます」
と「ざ」がうまく発音できず何度も繰り返し練習した。彼らの話ではベトナ
ムの日本語学校の先生がそう発音していたという。ベトナム語との関係で、
この「ざ」と「つ」がうまく発音できない特性があるという。「つ」は「ちゅ」
という感じとなる。Cさんの話では現地での日本語学校の実情はレベルが低
いという話であった。発音について言えば、教師が日本人で普通に発音でき
ることだけでも価値があるのだと言うことがわかった。
 
その後の授業では、例えば「神は細部に宿りたまう」という言葉を説明しな
がら、日本文化の小さいものや些細なことのこだわりなどについて、私の所
有していた螺鈿のからくりの小箱や、江戸時代の矢立てなどを見せて彼らの
興味を引いた。又「泣くなはらちゃん」というドラマの挿入歌の「私の世界」
という歌を聞きながら説明をした。「世界中の人に降参させ戦う意志はない」
というような歌詞を取り上げながら、彼らと平和について話したりした。宿
題として、Cさんがカラオケで歌うと話していた「世界で一つの花」の意味
を調べるように指示した。当初は毎回歌を流しながら授業を進めた。更に広
重や北斎の浮世絵を持っていき一緒に鑑賞した。授業の最後に「ババ抜き」
「神経衰弱」などのトランプをやり、少しトランプのマジックを披露したり
もした。そして毎時間、必ず会話の時間をとった。例えば、ベトナムに来た
日本人に観光の案内をするなどの、設定をして行った。パソコンでその風景
の画像を見ながらの楽しいものとなった。

そのようにして、幸いにも彼らも私も金曜日の午前中が楽しみになっていっ
たのである。



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===編集日記=== 
  皆様に支えられて「日刊・中高MM」第3296号です。

 瀬尾公彦さんの「理想の学校作りへ」、お届けします。

・例えば「神は細部に宿りたまう」という言葉を説明しながら、日本文化の
 小さいものや些細なことのこだわりなどについて、私の所有していた螺鈿の
 からくりの小箱や、江戸時代の矢立てなどを見せて彼らの興味を引いた。

 通常のテキスト入門書のような類書よりも、それぞれの成長段階に応じた
 展開で興味深い。また、その意欲はさらに高まることは間違いないようだ。
 さらに連載が楽しみになっている自分がいる。
 
       皆様のご意見・ご感想お待ちしています。
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       梶原末廣【インターネット編集長】

理想の学校作りへ 1

2015年02月06日 | 教育
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 『中・高校教師用ニュースマガジン』(中高MM)☆第3294号☆
                   2015年1月11日:日曜日発行
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■新連載「理想の学校作りへ」(1)瀬尾公彦(愛知県)
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【新連載】
 

■「理想の学校作りへ」(1)


  瀬尾 公彦
  seo@ksn.biglobe.ne.jp

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(はじめに)

2011年から2年間「夜窓より」という題で、夜間定時制高校にまつわる
内容を連載させていただきました。あれから丁度2年。私にとっても意味の
ある連載であったと感じております。本年よりまた連載させていただくこと
になりました。昨年梶原編集長の拝顔を仰ぐこともできました。今回の内容
は前回以上に手探りの状態ですので、前回にまして皆様の忌憚のないご意見
をいただけますと幸甚でございます。
 +++++++++++++++++++++++++++++++++

 2014年の夏は熱い夏であった。私の指導する定時制高校の野球部が二
年ぶりに地区大会を勝って全国大会に出場した。ここ2年決勝戦で1点差で
敗れて「目指せ神宮!」の夢が後一歩のところで潰えていた。ところが今年
は運の良いことに、全国大会でも勝ち上がり、準優勝をすることができた。
人生には稀にある、天からのご褒美である。
大会参加にあたり、かつて書いたように予算的には赤字になる中で、卒業生
や旧職員など個人的なカンパに支えられての全国大会の出場であった。その
方々へのお礼の文章などを送った、8月の下旬のことであったと思う。

 そういったカンパに協力してくれたもう40代半ばの卒業生から電話がか
かってきた。「先生、今困っているんですけど、**市で外国人に日本語を
教えてくれる先生を知りませんか?」私は**市在住である。そして私は国
語の教師である。「それって、俺にやれって言っているの?」みたいな会話
であったと思う。彼は設計会社の社長で、ベトナムにも会社を持っている。
ベトナム人の日本企業受け入れについては様々な営利目的のトラブルもある
が彼は利益を度外視して良心的に外国人技能実習生を受け入れる努力をして
いる。そして私が引き込まれたのは、次のような話であった。

 ベトナムの先住民で少数民族であり、現在被抑圧的存在であるチャム族が
いる。彼はそこの出身のベトナム人と知り合い、チャム族を援助する為に、
8人を日本に呼んで、現在日本各地の理解のある会社に受け入れてもらって
いるという。彼は私費で、日本に来れない人に対しても、現地の日本語学校
に通わせているという。卒業式の前などに、よく「弱者の視点を忘れるな」
みたいなことを語る私には弱いところである。

 結局9月より名古屋近郊の会社に勤めるチャム族のベトナム人に日本語を
教えることになったのである。お金を支払うという申し出は丁重に固辞させ
ていただいた。さて、いろいろと本を読んでいくうちに、国語の教師の領域
と日本語教師の領域が似て非なるものであることに気づかされていく。しか
し教えるというスキルは共通で、私のように夜間定時制という、ある種弱者
であり、ある種低学力の生徒達を対象として来た者にとっては気持ち的には
スムーズに入ることができた。

 教えた初日、とにかく実に楽しかった印象がある。私の教える対象は、2
4才と30才で、共に大学を出ている。1人は全くの初心者で、五十音を何
とか覚えた程度で来日。もう1人は幾分ましで、12月にN3という日本語
試験をチャレンジした。わかりやすく言えば片言の日本語をゆっくり話す程
度。2人とも5月に来日して、2ヶ月他の外国人達と日本語を勉強したが、
会話はなかなか難しい。そこへラッキーなことに24才の日本の大学院に通
う私の通訳ができるベトナム人の人がサポートについてくれることになった。
今回の物語はここから始まる。


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===編集日記=== 
  皆様に支えられて「日刊・中高MM」第3294号です。

 瀬尾公彦氏の【新連載】「理想の学校作りへ」を本号から掲載致します。

 ・人生には稀にある、天からのご褒美である

 ぐっときますね、やはり同じ仕事をしていると慢性化して思うにまかせない
 こともあるでしょうから「ご褒美」は嬉しいですね。

 ベトナム・日本人・日本語・教育とワードが印象に残ります。
 タイトルは「理想の学校作りへ」ですから、わくわくです。
 次回楽しみです。
 また、瀬尾公彦氏で感想・質問メールなどお願いします。
 「seo@ksn.biglobe.ne.jp」


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