夜窓より ☆私の考えなり流儀なり☆

日刊『中・高校教師用ニュースマガジン』に連載中の教育への雑感をまとめておきます。夜間定時制高校の教師の視点です。

■「遠景のモノ語り」(12)

2022年12月05日 | 教育
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■「遠景のモノ語り」(12)瀬尾公彦(愛知県)(最終話)
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【連載】


■「遠景のモノ語り」(12)

    瀬尾公彦(愛知県)
    seo@ksn.biglobe.ne.jp

 ◆遠景のモノ語り(12)(最終話)◆


 *紙の靴の箱に放り込まれた言葉の数々*


定年の時に、100通を超える生徒や保護者からの手紙は一通り目を通して処分
した。そのときに処分できなかったのが、この箱の中身である。


これはほんとにちょっとしたメモであったり、ノートを小さく折り畳んだもの
であったり、恐らく何かの品物に添えられたりしたものたちである。


記名のあるものもあればないものもある。古くは教育実習の頃から、最近では
転勤していった先生たちからの「先生には大変お世話になりました」みたいな
メモまである。


ちょっとした、心のこもったそう言うメモはやはり捨てられず、いつしか靴の
箱に放り込んでいくようになった集積である。「ありがとう」と言う言葉にも
リアルではなかなか向き合えずに来ているが、ここにある感謝の言葉にはしっ
かりと今、向きあえもする。


なぜ捨てられなかったかと言えば、その一つ一つに思い出があり又、なかなか
面白いのである。


「先生、わざわざ相談に来たのに、なに学校さぼってんの」と机上に置かれた
メモや、新任の頃に「お弁当作ってきたから食べて」など、一つ一つが既に忘
却の彼方のできごとが多い。古いものは誰が書いたのかさえもわからない。



私は腰痛のせいもあり、当時10万円くらい奮発して、イームズのアーロンチェ
アという座り心地の良い椅子を自分で職員室に持ち込んで現在も使用している。
もう20年以上使っていることになる。大きいので他の先生には迷惑だったりも
する。学校の職員室にもよるが、生徒が割と職員室に来る学校では、私がいな
いと、その椅子に座って、そう言うメモとか絵なんかを書いて置いていくこと
も結構あった。

定時制ならではのアットホームな雰囲気がかつてはあり、そういうものが今次
第に損なわれている気がしている。職員室がある生徒たちにとってディズニー
ランドであったって、教育的に考えれば困ることはない。


若い先生たちからの言葉も結構残っている。職場の仲間との海外旅行もトータ
ル10回は超える。特に若い頃はよく遊んだ。ほぼ毎日の麻雀やスキー、テニス、
ゴルフなど、よく職場での仲間たち遊んだ。来年閉じようと思っているゴルフ
コンペは30年を超えて、テニスも細々30年以上継続している。まあ今も結構遊
んではいるのだけれど。


しんどい状況があるほど、主義主張を超えて、協力して目の前の問題に対処せ
ざるを得ない。職員会議では仲の良い人とも、熱く意見を闘わせてきた。私は
常にそうありたいと思い、そう相手してくれた仲間たちには感謝している。


このメモの集積に私のかつての生き様があると言っても良いだろう。言葉を読
み返すと、うれしさを感じると共に、正直、時の移り変わりのさびしさも感じ
てしまう。言葉には新鮮な力があり続ける。


この年齢になり、いつか自分が葬られるときにこの言葉たちと一緒に葬っていた
だくと考えることはなかなか幸せなことである。


              (完)


ご笑覧いただきましてありがとうございました。また梶原編集長にも編集日記の
みならず、添えられてくるお言葉や個人的にメールなどをいただき、励みにもな
り、おかげさまで何とか12回書き通すことができました。

この場をお借りして深謝申し上げます。また、まだ一つの通過点ではあると思い
ますが5000号発行という偉業を達成された梶原さんに心から深く敬意を表したい
と思います。

===編集日記===
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  皆様に支えられて「日刊・中高MM」第5004号です。

 瀬尾公彦さんの「遠景のモノ語り」、お届けします。

 *紙の靴の箱に放り込まれた言葉の数々*

 瀬尾公彦さんの最終話です。「瀬尾さんらしい」と言えば、それまでですが、
 不思議な時代を生きています。昔ならば、往復書簡のような形が電子媒体で
 成立しているのです。紙と電子媒体の二刀流を駆使しながらやっているので
 す。これまでの人間の倍速で生きているのかもしれません。生身の人間は、
 きっと肉体が滅びてしまえば、それまでですが、ふっと他のものに移りゆく
 魂こそが不滅なものとしてあるのだと信じています。瀬尾公彦さんとは実際
 にお目にかかっていますのでなおさらです。又いつの日か、瀬尾公彦さんの
 作品がこの中高MMに連載される日があることを願っています。ありがとう
 ございました。

 
 2022年もあとひとつきとなりました。この師走をゆっくりと振り返りな
 がら暮らしたい。


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「遠景のモノ語り」(11)

2022年11月06日 | 教育
「遠景のモノ語り」(11)瀬尾公彦(愛知県)
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【連載】

■「遠景のモノ語り」(11)

   瀬尾 公彦(愛知県)
   seo@ksn.biglobe.ne.jp


*生徒たちからのサイン色紙やサインボール*

この連載もモノとからませて書いてきたが、最初から12回と決めていた。
あと2回。この2回は特定の生徒の思い出ではなく、不特定多数の生徒た
ちを思いつつ、自分の思いを書いていきたいと思う。

基本担任をすることが好きで、主任等を引き受ける時も担任と兼務ならば
という条件を必ずつけていた。

数えてみると定年まで33回、再任用で2回担任を受け持ったことになる。

定時制の場合、1年生が3クラスで始まり、4年生で1クラスということ
もある。そのような中、数えてみると1年から4年生までも継続して担任
したことが6回ある。これだけで24年。

1年生から4年間、基本15歳から19歳までのなかなか微妙な年代を共
にする。少人数でもあり、当然関係は密になっていく。

定時制の卒業式は常に感動的であり、その折り、記念に寄せ書きや、わざ
わざ自分たちでお金を出し合って、ボールペンなどの記念品をいただくこ
とがあった。40年程前にいただいた、ラルフローレンのポロシャツは、
いまだに時折り袖を通す。

私が希望して初めて定時制に言った頃は、まだ東北や九州から名古屋に集
団就職してきている生徒が少しではあるが残っていた。会社のバスで学校
まで送迎されていた。「保護者会」ではなく、「保護者、雇用主懇談会」
と言う名称であった。

卒業式の夜は、生徒たちがお金を出してくれて、先生たちと一緒に謝恩会
を設けてくれた。今は昔であるが、「あいつらは4年間迷惑かけっぱなし
だったけど、今日だけはよくしてくれる」という先輩教師の言葉が今も耳
に残っている。


セクハラ防止と称して生徒との関係を希薄にするような上からの指導?の
現在、やはり私もやめ時だとしみじみ思ってしまう。


教職が知的で理性的な職業であるとすると、99%は関係のない、おまえ
セクハラするだろう、的な、教育委員会のアリバイ施策的な対応は、一方
で矜持を要求される教職に就いている人々に対して大変失礼な振る舞いと
言わざるを得ない。

「教員」としては生徒と個人的な連絡を取ってはいけないご時世なのかも
しれないが、私はもう何十年このスタイルであるので、かつてと変わらず
電話もLINEもオープンにして、深夜に相談に乗ったりしている「不良教員」
である。

良い「教員」である前に、一「教育者」であれたらと思う。「学校運営」
を考える前に「教育」を考えたいと思う。と言うことを言っているようでは、
やはり去り時であり、実際来春には完全に教壇を降りる予定である。

話が逸れたが、ダイソーの100円のサイン色紙は生徒たちの寄せ書きが書
かれたときにプライスレスな貴重な宝物となる。それは言葉の重みであり、
関わった月日とその関わりの重みなのである。


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===編集日記=== 
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  皆様に支えられて「日刊・中高MM」第4979号です。

 瀬尾公彦さんの「遠景のモノ語り」、お届けします。

 ・生徒たちからのサイン色紙やサインボール

 ・100円のサイン色紙は生徒たちの寄せ書きが書かれたときに
  プライスレスな貴重な宝物となる。それは言葉の重みであり、
  関わった月日とその関わりの重みなのである。

 いい話です。それに終わらないのが、教育・学校・定時制の持つ
 意味だと考えます。気持ちに応ずるのが、基本の仕事です。

 11月に入っています。今年も二ヶ月余となりました。コロナ禍、ロシアの
 ウクライナ戦略、韓国ソウルの事故、枚挙に暇がない災いが続いています。
 生きているのが不思議なくらいに生きている。このまま何処へいくのか、
 皆目見当が付かないといってもおかしくないぐらい。日々を今日という1日を
 大事に大事に暮らしたい。

「遠景のモノ語り」(10)

2022年10月05日 | 教育
■「遠景のモノ語り」(10)

  瀬尾 公彦(愛知県)
(seo@ksn.biglobe.ne.jp)


*黄色い歪んだメガホン*

 

その高校の職員室の横にはソファーを配した部屋があり、そこは

職員の休憩室でもあり、放課には例えば成人の生徒が喫煙しに来

る場所であったりした。会議や生徒との相談もそこでよく行った。




入学直後から、学校には来るが職員室にはなかなか入れない女生

徒がいた。中学は行っておらず、フリースクールのようなところ

に時々通っていたようであった。1ヶ月くらいその部屋で相手を

したりして、少しずつ教室に出るようになった。



その生徒が野球部のマネージャーとなった。私は野球の試合中メ

ガホンを持って、常に声を出していた。ヒットを打てばわざわざ

褒めるし、力を抜いて走る生徒はその場で叱った。そのマネージ

ャーに、スコアの付け方を教えたり仕事を教えた。私は無理して

でもマネージャーの仕事をたくさん作るのだが彼女もよく動いて

くれた。おとなしいかと思えば、意外に大きな声で声援できるの

で、そのうち彼女用にメガフォンを渡した。



二年生の時に全国大会にも出場できたが、球場で最も鳴り響いて

いたのは彼女の声であった。友人も増えていき、教室の中でも元

気が出てきた。



当時生徒はいろいろな名前で私を呼んだ。勿論「せんせー」が多

いのであるが 「セオさん」「セオちゃん」親しみを込めて様々で

あったが、彼女ひとりだけ「オッティ」と呼び続けた。もともと

は「セオティーチャー」→「セオッテイー」→「オッティ」とな

ったように記憶するが、友人との会話も、一人「オッティ」を使

用し続け、私に対しても「オッティ、お疲れ」のように使ってい

た。そういうところも個性的ではあったが、しっかりした自分を

持っていた。部員からの信頼も厚かった。



彼女を二年間教えて、私は転勤となったが、転勤先が男子校であ

ったので、試合の日はスコアをつけに来てくれた。その代わり、

彼女の進学の相談に乗ったり、願書をファミレスで一緒に書くの

を手伝ったりもした。そして4年制の大学に進学して、無事卒業

して就職していった。



手元に残されたメガホンには、「先生用のメガホン 全国行くぞ。

瀬尾てんてい かんとく がんばあ」とボールのイラストとともに

彼女の字で記されている。



世界中で私たちだけに価値のある思い出の品である。



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===編集日記=== 
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  皆様に支えられて「日刊・中高MM」第4966号です。

 瀬尾公彦さんの「遠景のモノ語り」、お届けします。

 ・黄色い歪んだメガホン

 ・世界中で私たちだけに価値のある思い出の品である。

 素敵な遠景のモノですね。モノを頼りに思いでや暮らしや人生を語る。
 出来る人になろうって思うのですが、なかなかです。だからこそ瀬尾
 公彦さんの筆がさえるように感じるのです。文章の書き方の教材とし
 てこの「モノ語り」を使えそうですね。


■「遠景のモノ語り」(9)

2022年09月05日 | 教育
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■「遠景のモノ語り」(9)瀬尾公彦(愛知県)
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【連載】


■「遠景のモノ語り」(9)  

    瀬尾 公彦(愛知県)
    seo@ksn.biglobe.ne.jp


◆「感謝」の額


荒れていた時代の話である。

入学して教室には入れない生徒が毎年いた。

それが複数の場合、どこかでたむろして話していたりする。

中学校でも毎日登校はするが別室が用意されて、時には灰皿さえ

用意されていたという話もしばしば聞いたことがある。そう言う

時代である。



授業中に廊下を見回っていると、二人の女生徒が座って話している。

入学時点でシンナーの匂いさえした。何を話したかは既に記憶は

ないが、顔を見る度に何度か話した気がする。



教室には入れない生徒は次第に学校から足が遠ざかるようになって

いく。当然学校も続かなくなる。それが入学してしばらくの夜間定

時制高校の日常であった。



その二人も夏休みを過ぎる頃には姿を消していた。



今、手元にひとつの新聞記事がある。

「少女は、無免許でオートバイを運転して赤信号交差点に進入し、

青信号側の車両通行を妨害した疑い」とあり、オートバイ40台、乗

用車20台の集団暴走で、ひき逃げもあり、ひき逃げした容疑少年も

自殺という痛ましい事件であった。その二人がその事件で逮捕されて

いた。退学後のことである。



私は通常1年生を担任すると4年間卒業するまで継続して担任をして

いた。



上の廊下の年から4年後、その二人がもう一度学校に来たいという。

かつての友人で卒業できた子も何人かおり、話を聞いて自分たちも又

学校に行きたいという。そして話をして、受験して合格して私が担任

をすることにした。複数クラスあったので、4年前は担任ではなかっ

た。



最初はルーズさも残っていたが、20歳近くになっていた彼女たちは

随分落ち着いてもきていた。勉強をすると成績も次第によくなって行

き、姉貴分としてクラスメイトの面倒もよく見ていた。時にやめたい

と言うこともあったが、何とか励ましたり叱ったりもしたことを覚え

ている。その後、真面目にがんばって、当時の大検を受験して単位を

を取り、二人とも三年卒業をしていった



私が退職したときにかつての生徒達が大勢集まってくれたが、代表で

花束を渡してくれたのがこの二人であった。歳月は流れ、「子供に自

分の若い頃のことは絶対に言えない」と言いつつ、現在ではPTAの

役員さえ務めているという。



未成年の間に矯正施設に行った生徒も当時は少なくなかった。毎年の

ように少年鑑別所に足を運んだ時代である。



その彼女たちが、記念品としてプロに書いてもらったという額が今私

の部屋に飾ってある。



そこには大きく「感謝」とあり、「幸せな人生を歩めているのは、あ

の時見放さない瀬尾ちゃんがいたから。ありがとう」と言葉が添えら

れている。私の宝物である。


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===編集日記=== 
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  皆様に支えられて「日刊・中高MM」第4950号です。

 瀬尾公彦さんの「遠景のモノ語り」、お届けします。

 ・「感謝」の額

 「モノ」を通して人を語り、真実を問う。そんな気がしてきました。
 経済的なことだけではないでしょう。裕福に育てられても道を誤るこ
 とだってある。だから、人間は難しいのである。こうすればこうやれ
 ばうまくいくとか、成功する子育てなんて書物もある。書かれている
 とおりに育てば誰も苦労はしないのである。厄介ではあるが。やり甲
 斐はある。瀬尾公彦先生はそれを長く続けてこられたからこそ今があ
 る。教師冥利に尽きるという表現を使われたこともありましたね。

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■「遠景のモノ語り」(8)

2022年08月04日 | 教育
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■「遠景のモノ語り」(8)瀬尾公彦(愛知県)  
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【連載】

■「遠景のモノ語り」(8)

     瀬尾 公彦(愛知県)
     (seo@ksn.biglobe.ne.jp)



◆ Kimihiko Seoのミサンガ



7,8年前にベトナムに学び舎を作るNPOに関わった。そのことの拙文を

こちらにも連載させていただいた。



学びのシステム自体、既に教員であれば、日本の学校であればこういうも

のだという感じで過ぎていく。しかし、いざ一から学校を作るとあれば、

自らどのような学びの形がより理想的なのか日々突きつけられていた。



先生の在り方、ティーチャーの部分とファシリテーターの部分。

例えば、日本的な集団相手の先生による「授業」の前と後に20分くらい自

習の時間を設定して、そこに先生もいて、わからないところなどを聞ける

形を考えてみたりした。個々の習得の確認にも配慮した。



スカイプを使ったり、先生候補を日本に呼んだりして、教育について単に

知識の伝達だけではなく、パウロフレイレやイリッチなどの、学びの考え

方などを紹介して、具体的な授業を展開してもらったりしていた。



教える内容は日本語教育に特化されていたので、そこは悩まずにすんだが、

やはり一から考えれば、日本の学校の現行の教科の分け方で良いとも思わ

れない。健康医学という科目があっても良いし、社会で生きていく確定申

告や生活保護の申請制度などの実生活に特化した科目があっても良い。



高校くらいまでの教える知識を考えると、採用が教科採用であることも当

然のようで当然では無い。ただどういう人間が教職にふさわしいかの判断

が難しいので、教職者と言う観点が二義的になってしまっているのであろ

う。手間はかかり人が判断する難しさはあるとしても現在の非正規の常勤

や非常勤の勤務の現状を見ると、一年間の現場経験を見ての採用なども考

えられてもいい。



話は逸れたが、ベトナムに行ったときに、先生候補の1人から「お母さん

が作りました」と渡されたのが、私の名前入りのミサンガで、大変嬉しく、

現在も通勤に使用しているバッグに結んである。世界で一つの手作りのミ

サンガは時を経ても丈夫で、私だけに意味のあるものとして存在し続けて

いる。



様々な事情で、このNPOからは手を引いて久しいが、ここで関わった何人

かとのやりとりは続いている。個人的にはなかなか楽しく現在も意味深い

数年であったと感じている。

===編集日記=== 
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  皆様に支えられて「日刊・中高MM」第4927号です。

 瀬尾公彦さんの「遠景のモノ語り」、お届けします。

 ・Kimihiko Seoのミサンガ

 瀬尾さんの連載8回目ですが、この「モノ語り」は毎回なるほどと
 頷きながら拝読しています。そろそろ自分も「モノ語り」を準備す
 る時期に来ているのかななどと頭を過(よ)ぎる。

 第22回霧島プロジェクトの時間メニューも準備しました。
 どうぞ各リンクから閲覧いただき、ご一緒できれば嬉しい
 です。


「遠景のモノ語り」(7)

2022年07月15日 | 教育
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■「遠景のモノ語り」(7)瀬尾公彦(愛知県) 
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【連載】

■「遠景のモノ語り」(7)

     瀬尾公彦(愛知県)
     seo@ksn.biglobe.ne.jp


*さるぼぼのストラップ*

 

5月に入り、近県の旅行の割引きの「県割」が始まり、週三日

勤務、毎週ゴールデンウイーク状態の私は旅三昧の日々である。

簡単に書けば、1万円が実質3千円で泊まれてしまうわけである。



さて、久々に岐阜県の下呂温泉に泊った。基本的には早めに宿に

入り本や漫画を持ち込み、温泉入りながら美味しいもの食べなが

らのんびりするという作戦である。



投宿してふと下呂で働いている卒業生を思い出した。

「久しぶり?元気?思い出したので連絡してみました」と今も使わ

れているかわからない連絡先にメールすると、すぐに返信が来て会

うことにした。



会って数えてみるともう24,5年ぶりとなるらしい。本当に何年か

に一度、近況を伝えてくれていたりしていて、最後にやりとりし

てからも10年以上たっている。



思い出してみると、彼の一年担任をして私は転勤となった。

彼は二年生で退学する。そのあとも相談に乗りつつ、数年して復

学し、高校卒業をする。



奥さんが下呂の出身で、30歳くらいからこちらで生活して農協で

働いていたが途中で、私も知っている有名企業に転職する。もう

15年余りとなるらしい。娘の小学校のPTA会長をしていると照れな

がら話してくれる。



会うとすっと話が弾み、淀みなくあっという間に1時間余りが過ぎ

た。夜美味しい店に、と言う有り難いお誘いを、私は下戸でもあり、

奥さんもいるし飛騨牛も待っているのでと固辞すると、では何かお

土産物でもと店に入ろうとするのを少し止めて道で話をした。



実は親を亡くして5月から一人暮らしを始めた生徒がいる。

私も役所に同行して、生活保護の手続きや担任の先生と、「あしなが

奨学金」の手続きをしたところである。しかし先週、生徒と話をし

ていると、引っ越しでお金がなくなり、今、本当にお金がない、と。

「でも大丈夫、学校の給食と、あと米は買ってあってふりかけで食

べている」と。その生徒は借金は絶対にしたくないと言っており、

5月からバイトを始めて、そのあと学校に来ている。しかし、バイ

ト代は来月まで入らず、奨学金が認められるのももっと先である。



朝は自分でおにぎりを作ってるという。奨学金が来たらそこからひ

くからと説得して、一週間いくらで持つ?と聞くと「2000円」と答

えるので、とりあえず、お金を渡してきた。



で、良ければその生徒にご飯のおかずになるようなものをお土産と

して買ってあげて欲しい、と話すと、お店にある「飛騨牛しぐれ」

などいくつかのお土産を買ってくれた。そして又別に店に入り、

「その子は今絶対についていないから」と言って、飛騨の名産のさ

るぼぼを厄除けにと買ってくれた。悪いことが去る(猿)というこ

とらしい。



そしてその卒業生と別れて(ホテルまで話しながら送ってくれた)

温泉に入って出ると、彼からメールが来ていて、今ホテルに向かって

いるので、と言う。ホテルの前で会うと、箱いっぱいの食材を持って

きてくれて、「がんばれ」と言うメッセージとともに5千円の現金の

封筒を渡された。そして「又大きくなって困っている人がいたら、そ

の人に何かしてあげて」と言ってくれた。一緒に来ていた小学生の娘

さんはバレー部のキャプテンであるという。それを説明する父の顔は、

本当に幸せそうに見えた。



生徒にそれを渡しつつ、メッセージを伝えると、大変喜んで、「ペイ

ファワードだね」と私の授業で感想文を書かせた映画の題名を口にし

た。



自分が親切にされたら、3人の人に親切を伝える。授業の「世界を変

えるには」と言う課題に、中一の少年が考えた答。未見の方は是非お

薦めです。



「絶対に将来困っている人がいたら、その人につなげるから。」

いい笑顔でした。



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===編集日記=== 
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  皆様に支えられて「日刊・中高MM」第4911号です。

 瀬尾公彦さんの「遠景のモノ語り」、お届けします。

 ・さるぼぼのストラップ
 ・「ペイファワードだね」

 遠景のモノ語りの真骨頂、人間の特性ですね。羨望の思いもするが、
 読者の皆様にきっとありますね。この「遠景のモノ語り」で作品を
 エッセイを書く授業も出来そうですね。ほのぼのとした良い気持ち
 で読み終えました。瀬尾さん感謝します。


「遠景のモノ語り」(6)

2022年06月05日 | 教育
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「遠景のモノ語り」(6)瀬尾公彦(愛知県)
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【連載】

■「遠景のモノ語り」(6)


  瀬尾 公彦(愛知県)
  seo@ksn.biglobe.ne.jp


◆*クロスのボールペン*(2)



 現在、夜間定時制ではどちらかというとおとなしい生徒が

少なくない。街にも「不良」の姿を見かけることが少なくな

っている。



 さて、荒れた時代の、おとなしい1人の少女のお話の続き。

彼女は成績も良く、県立大学を受験することとなった。しかし

残念ながら不合格となってしまう。

 そのあとの希望を聞いて驚かされた。中国の大学に留学した

いという。



 確かに入学当時に比べれば、随分自信もつき、積極性も又勇

気も出すことができるようになっていた。初めての一人暮らし。

海外。2000年頃の上海。



 これは他の不登校の生徒から聞いた話であるが、しばらく部

屋から出ることができない彼が少しずつ外に出る。部屋の外は、

近所でも、沖縄でも海外でも同じであると。



 夏休みになり、帰国して学校に顔を出してくれたときに、

お金を渡して彼女が選んで買ってきてくれたのがクロスの

ボールペンであった。



 当時既に、5年日記を使って、私は毎日の出来事を書き留め

ていた。それは担任を辞める最近までずっと続けられて、その

クロスのボールペンも20年ほど使用したことになる。インクも

10本以上変えたと思う。



 彼女は留学先の中国で、韓国人の留学生と恋に落ちる。

そして結婚。韓国に住む。韓国での嫁の扱いなどについて聞く

度大丈夫かと心配していたが、彼女はめげずに、明るい便りを

送ってくれた。そして、韓国の大学院を卒業もする。



 やがて一家で日本に住むようになり、現在は二児の母として

がんばっている。子供が不登校と話していたが、彼女ならば、

その子供たちにとって、最も良き理解者であってくれるのであ

ろう。



 卒業の時に彼女が書いてくれた手元に文章がある。

「@@運命的に先生と出会ったのは@@入学式でした。こんな

に長い年月を、これだけ早く感じ、楽しく過ごすことができて、

なんか私は幸せ者です。@@ありがとうございました。では足

りないなあ。言葉で言い表すのは難しいので心の中にそおっと

しまっておきます。」



 年に1,2度、ランチのお誘いがある。私としても至福の時

間である。



 拙稿を見せたら、「大事にとっておこうと思います」と返信

をいただいたので2回にわたり掲載させていただくことにした。



最近、古い映画の「学校」のモデルとなった松崎運之助氏の「

幸せになるための学校」というフレーズに再会した。映画の中

に「幸福とは何か」を知ることのために勉強をする、と言う言

葉もあったように思う。

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===編集日記=== 
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  皆様に支えられて「日刊・中高MM」第4891号です。

 瀬尾公彦さんの「遠景のモノ語り」、お届けします。

 クロスのボールペンの2回目、教師冥利に尽きるお話ですね。
 映画「学校」は4部作ですが、1作品目の舞台は夜間中学校
 山田洋次監督で西田敏行さんが先生役で生徒役の一人が、故
 田中邦衛さん、秀逸でした。「学校」の最初のカットが好き
 です。「**夜間中学、だれでも学べます」だったかな?
 もうジーンときます。「幸福とは何か」……DVDもサント
 ラ盤CDも持っているので視てみるかな、聴いてみるかな?

遠景のモノ語り」(5)

2022年05月05日 | 教育
連載】

■「遠景のモノ語り」(5)

  瀬尾 公彦(愛知県)
  seo@ksn.biglobe.ne.jp


*クロスのボールペン*(1)


 20世紀の終わり頃の話である。

 

 初めての夜間定時制高校(工業)を12年勤め、転勤して

すぐに1年生の担任を希望して持った。より都心に近く、

より「荒れた」学校であった。



 よく言われる「荒れた時代」であった。女子のスカート

は短くなり、ルーズソックスも現われた時期である。入学

前にシンナーを吸っている生徒も結構いて、授業後に公園

で集団でシンナーを吸っていますと学校に苦情の電話が入

ったりしていたのを覚えている。暴走族のトラブルもよく

あった時期である。



 入学後にすぐ教室で暴力事件があったりもしてゴールデ

ンウイークが終わると、学校に定着せずに学校に来れなく

なる生徒も出始めていた。夜、授業後に街に遊びに出て帰

宅しない生徒の保護者の相談にのっていた。



 そういう荒れた生徒達の中に、小学校や中学校から不登

校の全日制以上におとなしい生徒達もいた。当時は、横着

系での全日制退学者、不登校、メンタル的な問題の生徒、

学力の低い生徒などが複合して存在していた。



 当時の私が考えていたことは、生活のリズムが崩れて自

ら学校から足が遠のく生徒達はなかなかいかんともしがた

いとしても真面目に学校を続けようとしている生徒達が、

安心して学校を続けられないような、教室の雰囲気は作っ

てはいけないということであった。そう言う安心できる場

ができてくると、横着な生徒も含めて、学校への定着率は

上がってきたものである。



 一人の真面目でおとなしい女生徒がクラスにいた。不登

校で第一印象はおどおどしていて、いかにも自信なさげで

あった。その学校では、始業前にクラス長が職員室の担任

のところに来て、担任の代わりに連絡事項等を教室に伝え

る、と言うシステムがあった。私は前任校で始業前のST

で日刊のクラス通信を配るルーティーンがあり、私も職員

室にいるのではなく教室に行きたいと思った。



 どういう言葉をかけたかは忘れたが、その生徒にクラス

長に立候補することを勧めて、彼女は勇気を出してクラス

長となった。学校に来ると毎日職員室に来て、私と一緒に

教室に行く。そのうちに次第に心を開いてくれて、笑顔が

増えていった。



 文化祭では宮沢賢治をテーマとして、詩を手話で表現し

たり、映画を撮ったり、紙芝居を作ったりした。彼女が

「どんぐりと山猫」の絵を描いたのを覚えている。


 入学当時は女子の友達関係のトラブルにも関わったが、

めげることなく、仲の良い友人もできて、4年間、学校に

前向きに取り組んだ。学校祭も力を入れて三日開催してい

たが、映画の編集など休みの日にも積極的に参加してくれ

た。バドミントン部にも入り毎日練習に参加した。沖縄の

修学旅行も楽しそうであったのを覚えている。夏はクラス

キャンプと称して、海や山に行った。今ならいろいろと言

われるであろうが、九州への卒業旅行にも生徒達と一緒に

行った。この学年ではないが、修学旅行をグアムにしたこ

ともあり、海外の「卒業旅行」にも二度行ったものである。



彼女は学校生活を満喫して、随分成長して卒業していった。


                    (つづく) 

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===編集日記=== 
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  皆様に支えられて「日刊・中高MM」第4880号です。

 瀬尾公彦さんの「遠景のモノ語り」、お届けします。

 ・クロスのボールペン

 文字化すればその表現を受け取り咀嚼して具体的な像を結ぶ。
 像は結び得ても感情や気持ちはなかなか汲み取れない。その
 難しさが個々により異なるので事情や努力は水泡に帰すこと
 もある。どう書いても通じそうにない。が、その苦労ほどは
 分かる気がします。人が過去を振り返るのは、郷愁だけでな
 く今が自分の今が危うくなければ、現在地を確認し未来へと
 歩んでいける気がするのです。どこまでもどこまでも。

「遠景のモノ語り」(4)

2022年05月05日 | 教育
【連載】

「遠景のモノ語り」(4)

  瀬尾公彦(愛知県)
  (seo@ksn.biglobe.ne.jp)


*スタバのチーズケーキ*
 

三月一日。卒業式。夜間定時制高校の生徒にとってその意味

は大きい。今回は遠景を思いつつも閑話休題的に近景で。


かつて夜間定時制では退学する生徒は入学して約半数というの

が相場であった。私は基本、1年生で担任を持つと4年生まで

継続することが多かった。言い方を変えれば、4年後の三月一

日のために、4年間、生徒も教師のドラマが繰り広げられてい

ると表現しても良いであろう。



今は昔であるが、卒業式のあとに生徒達がお金を出し合って謝

恩会を開いてくれた。先輩の教師が相好を崩して「この日だけ

は生徒達がよくやってくれる」と話していたのを思い出す。



この一日は何十年たっても変わらない。簡単に言えば、「あり

がとう」感謝の言葉に包まれる。夜間定時制教員冥利に尽きる

と言っても良い。



この春もらったスターバックスのチーズケーキに添えられた

手紙から。



「私は障害を持っていたりとか多分大変な生徒だったと思いま

す。でも瀬尾先生はいやな顔せずに接してくれました。本当に

うれしかったです。瀬尾先生はどんな生徒も同じように接して

いてとても良い先生だと思っています。今までの先生より一番

だと思っています。笑。本当に4年間楽しく過ごせました。あ

りがとうございました。今度ご飯でも行こうね」(あまり手紙

書かないから言葉変なところもあるけどゆるしてね、と封筒に)



メールで感謝を伝えてくれた生徒が多い中、手紙を書いてくれ

たこともうれしい。授業の中で梶原先生の生徒達と手紙のやり

とりをさせていただいた成果の一つかもしれない。



思えば、4年前、この生徒は閑散とした感じの体育館の前の方で

少人数で繰り広げられる入学式に入ることができずに、遙か後ろ

の壁にずっと立っていた。その生徒の「楽しく過ごせました」の

重み。4年間の成長。



4年生最後の授業では、自伝を全員が原稿用紙10枚以上書き上げ

た。入学時には1時間横について、数行しか書けなかった生徒た

ちが、自身でそのことに触れながら誇らしげに出していった。



その成長。そして一つのことを成し遂げた自信。そのことが

夜間定時制における卒業の大きな意味であると思う。



教育とは生徒の人間的な成長に関わる企図である。



教員が単なる学校運営に堕することなく、教育に対する矜持を

持ち続けて行って欲しいと思う。



私も現在64才となり、4月からラストイヤーを迎える。



 *全く関係ありませんが、

「オードリータン母の手記「成長戦争」自分、そして世界との和解」

(近藤弥生子 KADOKAWA)



久しぶりに良い教育書に出会いました。 私が教員になった頃イリ

ッチやフレイレにはまり、サマーヒルなどの本を読み、日本の将

来はこのようなオータネーティブな学校となっていくのかなと感

じたものですが、遅々として進まず、台湾でこのような柔軟な教

育システムを構築していることは個人的にはちょっとした喜びで

もありました。




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===編集日記=== 
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  皆様に支えられて「日刊・中高MM」第4863号です。

 瀬尾公彦さんの「遠景のモノ語り」、お届けします。

 ・スタバのチーズケーキ

 ・瀬尾先生はどんな生徒も同じように接していてとても
  良い先生だと思っています。


手紙の効用、なにやら嬉しい作品です。

「遠景のモノ語り」(3)

2022年05月05日 | 教育

【連載】

■「遠景のモノ語り」(3)

  瀬尾公彦(愛知県) 
  seo@ksn.biglobe.ne.jp


*セロテープのついた朱肉*

 この朱肉はまだ今も職員室の私の机上にある。

正直に言って、後悔でも自戒でもなく、それはやや胸に残る

思い出としてそこにある。どんよりとした翳りある思い出で

はあるが。

  

 生徒指導問題行動案件で、職員会議で、一人の生徒を退学

させることと決まった。他府県では少数の事例が歴史的に存

在するようであるが、愛知県では「退学処分」の例はないと

聞く。自主退学の形を取るので、公的には「退学勧告」であ

る。「勧告」であれば、常識的には、本人が拒否すれば「退

学」とはならないわけである。



 むやみに退学させることは勿論問題であるが、夜間定時制

の場合は、他の生徒達の学校生活を守るという観点からも、

「退学」が必要となる。(と私は考えている)

 具体的に例を挙げた方がわかりやすいと思う。例えば、暴

力やいじめをする生徒がいて、その生徒が「退学」しなけれ

ば、他の真面目な生徒が多く学校を去るというような状況が

よくあった。当時は、教師に暴力を振るう生徒も少なくなく、

教師がおびえてしまう事例もいくつか見てきた。シンナーを

吸うのみならず、他の生徒に売る生徒もいた。



 さて、その生徒の親がかなり酒気を帯びて、本人とともに

学校にやってきた。廊下から大声で怒鳴りまくっていた。退

学届を書きに担任が呼んだのである。

 若い担任と生徒指導主事と、頼まれて私も同席した。私が

50才を過ぎた頃の話である。何かあれば今後のことなどア

ドバイスしようという軽い気持ちで同席したのだが。



 生徒指導主事が、その生徒がやったことなどの説明をして

いる内に、酔っている父親は激高して、ついには「おまえは

出て行け!」と叫び、指導主事はあっさり退出してしまった。

担任は全日制から転勤してきたばかりなので、ただ萎縮して

いる。



 細かいことは覚えていないが、父親は怒鳴り続け、聞きな

がら、話を続けた。その父親も定時制を退学していて、その

ときの話などを根気強く聞いていた気がする。その父親が高校

生の時に私は既に定時制の教員であったので、当時の話など

をしながら少しずつ会話になっていったように思える。



 激高したりおさまったりの波の中で、退学届のためにおいて

あった朱肉(なぜか私の)を父親が机にたたきつけた。朱肉の

蓋は二つに割れて飛んだ。それでも最後は説得して、その朱肉

を使って、退学届は書かれた。長時間かかったが、最後は円満

に帰ってもらった覚えがある。その朱肉にセロテープを貼り、

現在まで使い続けている。



 学校がその生徒一人であれば、いくらでも向かい合えるのだ

と思う。ただ他の生徒のことを、学ぶ権利を考えたときに、私

は「退学」は必要であると今も考える。



 そして、それは「退学勧告」を現場の教師の力で、「退学」

に持って行くのではなく、きちんと「退学処分」をするのが

筋である。それが傷になるので回避するという趣旨であれば、

指導要録等に記載しないシステムを作れば良い。学校は社会と

異なり、「罰」ではなく「教育」や「矯正」であるとしても、

わかりやすく言えば「加害者」の学ぶ権利や人権が取り沙汰さ

れるが、一方その生徒以外の、「被害者」の人権について、

集団教育の「学校」としては目配せする必要が当然ある。



 私は入学式の時に必ず生徒と保護者に話すことにしている。

「他人に対する暴力行為、いじめ行為、薬物やシンナー、その

ような生徒は申し訳ないが、この「学校」の範疇を超えている

ので、その場合には身を引いてもらうようにしています。」



 暴走族なども激減して、荒れた定時制は今は昔となっている

のかもしれないが、「退学」の問題は変わらずにある。

ただ当時も、そう簡単には「退学」にはしない努力を懸命に職

員集団がしていたように思う。「ラストチャンスを与える」こ

とが実際には少なくなかった。



 そして夜間定時制は希望すればまた受験して入学することが

定員割れの場合できてしまう。再入学後は真面目に卒業してい

った生徒も何人かいる。退学の際に「又落ち着いたら、20才

でも30才になっても良いから戻って来いよ」と送り出せるの

は夜間定時制の有り難いところでもあった。


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===編集日記=== 
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  皆様に支えられて「日刊・中高MM」第4847号です。

 瀬尾公彦さんの「遠景のモノ語り」、お届けします。

 *セロテープのついた朱肉*

 瀬尾さんの「遠景の」「モノ語り」ということを、再認識しました。
 「モノ」が雄弁に語るのが、なんであるのか。浪漫的なことは、余り
 感じられない。教育・学校、とりわけ定時制高校の置かれた状況は、
 何十年も前から瀬尾さんの作品で伝えられています。時が経ち、遠く
 になってしまった昔のモノ・ひと・コトは色あせることなく脈々と続く。
 人がモノを介在して大事なことをつないでいく。

「遠景のモノ語り」(2)

2022年02月02日 | 教育
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■「遠景のモノ語り」(2)瀬尾公彦(愛知県)    
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【連載】

■「遠景のモノ語り」(2)


   瀬尾 公彦(愛知県)
   seo@ksn.biglobe.ne.jp

 

*エルメスの青いタオル*


 家に帰ることのできない生徒がいた。

その生徒は義務教育が終了するまでは児童養護施設にいた。

幼い頃に父に虐待を受けたのが原因であったが、なぜかそ

の父と高校進学後は同居する形になっていた。結局ほとん

ど家に戻ることはなかった。



 新入生の表情が浮かび上がってくるのは4月の中旬であろ

うか。若い担任から相談を受けた。そのとき私は生徒指導

主事の立場であったと思う。私自身担任もずっと継続して

おり、夜間定時制の経験も20年を超えていた。



 中学を出たばかりのまだ少年の面影の残るその生徒が、

どうも自宅に帰っておらず、夜は雨露をしのげるマンシ

ョンで起き続け、昼に図書館で寝ているという話であった。



 すぐに児童相談所の担当者と連絡を取って話をした。詳

しいやりとりは覚えていないが、すぐこの状況を解消する

ことはできないという。



 私たちは教員であり、関わる角度が違うことを思い知ら

された覚えがある。ただ、教員の範疇で対応するのみでは、

彼の「問題」は解消されないのも現実であった。



 社会的常識と学校に於ける教育的な角度とは微妙に異

なる。職域から判断していくと取り残される現実はある。

教育的から人道的見地と更に拡大すると、またその角度

が拡がる。



 その高校の卒業生に、「命のビザ」の杉原千畝がいた。

現在では校内に記念館もできている。彼の人道的行為は

称えられているが、外務省では晩年冷遇されたという。

その角度である。



 彼は風呂も入らないので、次第に温かくなってくると

匂いも出てくる。登校すると、用務員室のシャワーを利

用させた。着替えなども先生達が持ち寄って用意した。

 定時制には給食があるので、そこでたくさん食べて、

調理員さんの配慮で余ったものを持たせたりもした。

 他にもいろいろと彼のために配慮できることをしたが、

これも杓子定規に考えれば職質を逸脱している。

 

 そこを理解しつつ支えていける職員集団の意識はあっ

たが、それはそれでいろいろな意味でなかなか大変なこ

とであった。



 何とか現状を変えようと、住み込みの新聞配達の職を

探して就職したが、確か半月持たずにやめてしまった。

児童相談所とは常に連絡を取り合っていたがなかなか

処遇は改善されなかった。



 それでも学校には来て勉強して行事にも参加した。



 この年この1年生のクラスは退学者がゼロであった。

夜間定時制において、これはすごいことであり、私自身

長い夜定生活の中で2度しか経験していない。

 入学者から卒業生の数の相場が約半数で、この頃の

荒れた時代に於いては、一年間で半数以下になることも

珍しくはなかった。



 しかし結局彼は卒業できなかった。



 そのときの担任の結婚式でスピーチをしたが、その

折り、職員生徒で作った、生徒からのメッセージのビ

デオを流した。新郎は泣き崩れていた。確かその中に

彼はまだいた気がする。生徒思いの人情味ある先生で、

全日制に転勤後、又定時制を希望されて現在は昼間定

時制で活躍されている。



 蛇足であるが、彼の祖父のスピーチで、戦争中飛行

機に乗りソロモン諸島まで飛んでいたと言うお話を伺

ったことをきっかけに、書面でやりとりさせていただ

き、「永遠の0」とともにそのお手紙も教材化したこと

を覚えている。



 その式の引き出物でいただいた、エルメスの厚い青い

タオルが車の肘掛けの上に置かれて久しくなる。車種を

超えて現在に至るまで私に同道してくれている。


その生徒の消息は当然ながら聞こえてこない。

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===編集日記=== 
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  皆様に支えられて「日刊・中高MM」第4827号です。

 瀬尾公彦さんの「遠景のモノ語り」、お届けします。

 ・エルメスの青いタオル

 瀬尾先生の遠景と近似値のものを思い出そうとすると、繋がらなくて
 時間を要するようです。ひょっとして現代はその問題とするものが。
 見えなくなっているのかもしれない。
 行き着くところ「教育」につくようです。どんな過酷な問題も必ず誰
 かが手をさしのべる(支援)しなければ、ならないのです。
 果たして今の子どもたちは幸せなのだろうか。

■「遠景のモノ語り」(1)

2022年01月16日 | 教育
■【新連載】「遠景のモノ語り」(1)瀬尾公彦氏(愛知県)   
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【連載】

■「遠景のモノ語り」(1)

  瀬尾公彦(愛知県)   
  seo@ksn.biglobe.ne.jp


*「おーいぽぽんた」*  

夜間定高校時制教師として長く働いてきた。今、私の手元にあるいくつかの
モノを思い出語りしていこうという趣向である。


現在もかろうじて再任用で国語の教師として夜間定時制で働いているが、プ
ライバシーのこともありできるだけ遠景としてのかつての生徒達のモノ語り
をしていけたらと考えている。

もう10年ほど前にこちらで「夜窓より」という題で定時制にまつわる話を
連載させていただいたので、そこでの話と重なることもあるかもしれないが
時効ということでご容赦いただけたらと思う。

「おーいぽぽんた」 一冊の本である。編者は茨木のり子、川崎洋、谷川俊
太郎などの五人で内容は詩や短歌、俳句などのアンソロジーである。
(福音館書店)

私の場合、しばしば書店で教材を選ぶ。ここだけの話、基本教科書は使用しな
いし、教科書に載っている教材であってもプリントにして、全く関係のない、
エヴァンゲリオンやちびまるこなどのイラストを添える。今年は鬼滅の刃のイ
ラストのみならず、竈門炭治?と言う漢字を覚えさせたりもした。

ちなみに竈や薔薇などは一つで配点を五点にすると、必ず、低学力の生徒さえ
も覚えてくるのである。簡単な漢字を書けないと恥をかくが、難しい漢字の
「憂鬱」などをさらさらと書けると印象が変わるというのが現実的な「漢字」
の社会認識であると考えている。教員志望の先生達にも「毅然」などのワード
を覚えさせておいて小論文の印象をあげるようにアドバイスしている。

さて授業と同じでいきなり脱線してしまった。

学校で全く話さない生徒がいた。家では普通に話すことができる。しかし学校
では本読みにも応じないで、先生達もそれを許容していた。親しい友人もいな
いが、周りも好意的にその生徒を尊重している。

3年生で私は担任となり、一学期に数回ではあったが、一対一で話す機会を持
った。何か簡単なことを尋ねてもなかなか声が出なかった。最初は1分2分待
つこともあったが、地道に繰り返す内に私の前では少しではあるが、言葉が出
るようになってきた。

成績が伴わないと学期末に「不振者指導」という補習をする。国語の「不振者
指導」の際に、この生徒だけ一対一でやることにして、この生徒の為に見繕っ
た「おーいぽぽんた」を読んでもらった。最初は小さな声であったのが、次第
に普通に大きな声で読んでいた。声出せるじゃん! その本が今、手元にある。

二学期の話である。修学旅行をグアムに計画した。現地に着いて、生徒を案内
して自分の部屋で荷物を置いていると、数名の生徒達が走り込んできて、「先
生、@@ちゃんが声出して普通に話しているよ」という。すぐ夕食のバーベキ
ューであったが、会場に行くと、その生徒が「先生ここ空いてますよ」とにこ
やかに私に話しかけてくれた。

修学旅行から帰宅した翌日、その生徒の母親から「先生、今うちの子が、ビデ
オ屋さんの店員と話しています」と電話をいただいた。

前日まで緑の中にあった一つの花が突然きれいな色を見せることがある。青年
期には、突然、それまで見ていた景色が変貌する瞬間があるようである。

海外での開放感などと理由はあるのだろうが、私は一つの「奇跡」だと思って
いる。

定時制ではしばしば「奇跡」が起こる。

===編集日記=== 
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  皆様に支えられて「日刊・中高MM」第4815号です。

 瀬尾公彦さんの久々の新連載「遠景のモノ語り」、お届けします。

 *「おーいぽぽんた」*

 学校は実は多様ですね。平板で変哲も無く同じ事が同じように行われているように
 思われるが、実はそうではない。さまざまな断層があるように教育の世界、勉強や
 学問の世界は実は多様なんですね。学校も先生が多様で自由でなければならないと
 考えます。遠景と近景の往還。時に近景となり、時に遠景となる。その往還こそが
 実景をみごとに描き出すのではないでしょうか。これからの連載が愉しみです。


       

■「そして明日へ」(7)

2019年05月02日 | 教育
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【連載】

■「そして明日へ」(7)


  瀬尾公彦(愛知県)
  seo@ksn.biglobe.ne.jp



 何年後かわからない旅の計画は、少しとらえどころもなく

それでいてじわじわと楽しい。とりあえず、今なら飛行機は

この時間、ホテルはこの値段。計画自体が不確かなものでは

ある。



 前に書いたように,私はワンワールドの、アジア、ヨーロ

ッパ、北米の三大陸の世界一周旅行券を利用するつもりである。



 フライトの向きは一定にしなくてはならず、途中で戻ること

は出来ないルールがある。



 一年間チケットは有効であるが、私はずっと行くのではなく、

途中で、何度か日本に戻って、又行こうと考えている。

 世界一周のチケットは、そのままにして、自分で日本への往

復チケットを購入することで帰国することが可能になる。



 まずそれを考えた。飛行機のチケットを考えると、やはり日本

へのフライトが多い都市を選んだ方が便数も値段も良いはずであ

る。



 16フライトは多いようで計画して行くと、かなりタイトである。

ヨーロッパ4都市、アメリカ6都市という制約もある。



 アジアは結構今まで行っており、又行きやすいので、これはス

ルーしてどこにも寄らないことにした。



 そして二回帰国するのは、ニューヨークとロサンゼルスとした。

ヨーロッパをまわり、ニューヨークに行き、一度帰国。そしてニ

ューヨークに戻り、アメリカを旅して、ロスから帰国。



 プランはじわじわ進んでいる。ほんとにじわじわ。



 本業の方は、再任用のフルタイムで2年目。担任も持ち上がり

だが、フルタイムはあと一年で、残念ながら、卒業まで担任をす

ることは出来ない。ちょっと寂しさも感じる再任用である。




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===編集日記=== 

  皆様に支えられて「日刊・中高MM」第4427号です。

 瀬尾公彦さんの「そして明日へ」、お届けします。
 
 あれこれと計画や考えを巡らすのは愉しい。
 仕事と絡めるとそうも行かないのかも知れない。
 「仕事は趣味のように、趣味は仕事のように」という言葉を
 聴いたことがあるようなないような感じですが、いずれにし
 ても愉しくやれるにこしたことはない。

 令和の初日の今日は近くの児玉美術館に行った。普段は彼岸花の
 頃に行くのだが、今日は美術館の絵画作品と陶芸作品を鑑賞する
 ために伺った。午後に伺ったのだが、まだ小雨そぼ降る中に竹林
 が目に染みた。係の方に声をかけられてお茶とお菓子をいただい
 た。ほっとする時間であり、ほろほろとしたひとときでもあった。


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■「そして明日へ」(6)

2019年05月02日 | 教育
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 『中・高校教師用ニュースマガジン』(中高MM)☆第4410号☆
                  2019年3月21日:木曜日発行
   編集・発行 梶原末廣      sukaji@po.synapse.ne.jp
  http://www.synapse.ne.jp/~kanoyu/sukaji/index.html
http://www.synapse.ne.jp/~kanoyu/kyoushi/index.html
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■「そして明日へ」(6)瀬尾公彦(愛知県)
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【連載】

■「そして明日へ」(6)

  瀬尾公彦(愛知県)
  seo@ksn.biglobe.ne.jp



さて、カードのコンシェルジェサービス。

12月くらいから、当初は週一回くらい電話して、いろいろと順番に

プランを立てていった。まだ日本までたどり着いてはいない。



基本は現地での観光の選択とホテル。食事はとりあえずパスして

全体のプランをまず立てて、その予算とも相談しつつ修正していこ

うと思っている。



コンシェルジェは、通常は電話してその都度という感じであるが

私の場合、長期にわたっての相談になるために、専属で一人の担当

者を希望したら、受け入れていただけた。対応も非常によい。



まずこちらがプランを立てて、そこからわからないところをいろ

いろと聞いて調べていただくという形で進めている。

何せ何年後かもわからないので、今年の7月ならば、ということで、

あくまで目安と言うことで、料金等も調べていただいている。



概ね、ホテルは海外の場合、一室いくらという感じなので、二人

で一万円くらいが基本かと思っている。場所によっては、二人で

2千円くらいでもあるが、治安、盗難や清潔さ,その他を考えると、

まあ一万円くらいの部屋を基本としたほうが良さそうだと判断して

いる。都市によって上下はするわけだが。



カードサービスの特典付きのホテルはやはり高額で、時にはそう

いう贅沢も織り交ぜていこうとは思っているが、ヒルトングループ

などはまだ使えそうなホテルもあるが、シャングリラグループなど

は、基本一泊10万円く?らいで、私には無関係となる。



そういう一つ一つの常識、例えば治安の悪い地域であるとか、

口コミを読んで感触をつかむとか、そういうことはきりがなく、

それでもそのような時間を楽しんでいるとも言える。



また全く考えてもいなかったクルーズなども、現地で頼むと

意外と安いのもあり、宿泊費と食費などを考えると、かえってお

値打ちだったりもすることもわかった。一日で割ると、安いのは

窓のない部屋ならば、五千円から一万円くらいのもある。



そういう時も、「クルーズ意外と安いですね」「そうです。

考える余地あると思います」みたいなやりとりで安心できる。



「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ

                       (俵万智)



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===編集日記=== 

  皆様に支えられて「日刊・中高MM」第4410号です。

 瀬尾公彦さんの「そして明日へ」、お届けします。

 クルーズ船ツアーも退職後の候補の一つですね。
 それぞれに何かの区切りをつけてということですね。
 
 「イチロー選手引退」、大きな節目ですね。
 
  こんなにいるの!?びっくりするわ、
 が、記者会見の第一声。
 
 始まりがあれば、終わりがあると知ってはいても、それぞれに
 別れの回数はこなしても、つらいものがありますね。

 さあ、イチローはどんな言葉を遺すか、発信するか。


■「そして明日へ」(5)

2019年02月16日 | 教育
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 『中・高校教師用ニュースマガジン』(中高MM)☆第4386号☆
                  2019年2月13日:水曜日発行
   編集・発行 梶原末廣      sukaji@po.synapse1ne.jp
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http://www.synapse.ne.jp/~kanoyu/kyoushi/index.html
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■「そして明日へ」(5)瀬尾公彦(愛知県)  
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【連載】

■「そして明日へ」(5)


  瀬尾公彦(愛知県) 
  seo@ksn.biglobe.ne.jp


さて、この世界一周旅行、今飼っている猫が15才で、この猫がいるうち

は行けそうにない。そんな話をしていると、「先生、猫は20才まで生き

ると猫又になって、人間の言葉を話すんだよ」と聞いて、是非話してみ

たいと思っている。



そんな状態なので、旅行もいつの事やら、という感じで、例えば飛行機

機の時間やホテルの値段調べるのでも、今年はこれくらいで、と言う目

処でしかない。言わば、不過触の予定という感じである。予算にしても

今より円高になるのか円安になるのかで結構違ってくるのであろう。



まず考えたのは、どのように計画を進めるか。図書館には週何度か行く

ので、そこで順番に「地球の歩き方」などのガイドブックを借りてくる。

妻にも行きたいところなどを見ておいてもらう。



ホテルや移動などは私が組みたてていく。そのようなことを始めた際に、

海外の保険など調べていくうちに、所謂カードの特典をまず調べた方が

いいかなと気づいた。



これまでも、友人のすすめで、JALのゴールドカードで、そこに支払いを

集中させて、マイレージで何度か海外にも行った。JALが、私の住む名古

屋から国内便を撤退させたのに伴い、特典が使いづらくなったので、ここ

二年は、アメックスのゴールドにして、そのポイントで昨年行った、台湾

の航空券代(往復2万いくらの格安だが)は支払えた。



そういう意味では結構カードにはこだわっては来た。そしてカードを調べて

いるうちに、コンシェルジュサービス、と言うものがあることを知った。簡

単に言えば、電話で旅行に関するサービスを、秘書のように丁寧に対応して

くれるというのである。旅行の計画から、現地でトラブルにあったら、電話

をすれば、すぐ対応していただけるのである。場合によっては、言葉による

問題もホットラインで対応してくれるのである。



ただし、これはゴールドのもうワンランク上のサービスとなる。結論から書

くと、私は年会費の最も高いアメックスのプラチナカードを選択した。年会

費約14万円近く。これで元が取れるのか。その特典を吟味して、取れると、

判断した。前に書いたコンシェルジェサービスも委託ではなく、最も信頼の

高いものであった。



*空港の、食事も食べ放題のラウンジ無料利用

*最大限の旅行障害保険や遅延保険

*レストラン一人分の料金で二人食べられる特典

*ヒルトングループなど、いくつかの普通は20泊以上した人がなれるゴール

ド会員に自動的になれて、値段のディスカウントや、必ず部屋のアップグレ

ード、朝食などの特典



他にも、例えば先日「名古屋駅で和食で2千円くらいで4人で良い店紹介して」

と電話したら、高級感あるお店をその値段で個室まで付けてくれるなどなか

なかつかえるサービスがある。



 と言うことで、早速コンシェルジェサービスを使っている。



そうそう、プラチナ会員は、私の場合はゴールドの実績で、インビテーショ

ンという案内が来ていて、そんな高いのは問題外とそのときは捨てていたの

だが、もう一度送っていただいた。あと、会員からの紹介、というのもあっ

て、HPに紹介しますと言うのもあったが、それは最近本当の知り合いでない

と禁止となった模様で、その二つの入り方である。



まあ会費が高いのでなかなかいないとは思いますが、ここをお読みの方なら

ばいつでも紹介はさせていただきます。


コンシェルジェサービスの利用の感じについては次回と言うことで。


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===編集日記=== 

  皆様に支えられて「日刊・中高MM」第4386号です。

 瀬尾公彦さんの「そして明日へ」、お届けします。

 今回のようにより具体的な情報が有り難いですね。
 働く、働き続けることの大切さもある。個々の事情によるもので
 あるが、誰もが一回限りの生なので、予行演習はない。不明な点
 もあるが徐々にこれからはっきりするものであろう。楽しみにで
 ありたいものですね。

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       梶原末廣【インターネット編集長】
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