夜窓より ☆私の考えなり流儀なり☆

日刊『中・高校教師用ニュースマガジン』に連載中の教育への雑感をまとめておきます。夜間定時制高校の教師の視点です。

「遠景のモノ語り」(3)

2022年05月05日 | 教育

【連載】

■「遠景のモノ語り」(3)

  瀬尾公彦(愛知県) 
  seo@ksn.biglobe.ne.jp


*セロテープのついた朱肉*

 この朱肉はまだ今も職員室の私の机上にある。

正直に言って、後悔でも自戒でもなく、それはやや胸に残る

思い出としてそこにある。どんよりとした翳りある思い出で

はあるが。

  

 生徒指導問題行動案件で、職員会議で、一人の生徒を退学

させることと決まった。他府県では少数の事例が歴史的に存

在するようであるが、愛知県では「退学処分」の例はないと

聞く。自主退学の形を取るので、公的には「退学勧告」であ

る。「勧告」であれば、常識的には、本人が拒否すれば「退

学」とはならないわけである。



 むやみに退学させることは勿論問題であるが、夜間定時制

の場合は、他の生徒達の学校生活を守るという観点からも、

「退学」が必要となる。(と私は考えている)

 具体的に例を挙げた方がわかりやすいと思う。例えば、暴

力やいじめをする生徒がいて、その生徒が「退学」しなけれ

ば、他の真面目な生徒が多く学校を去るというような状況が

よくあった。当時は、教師に暴力を振るう生徒も少なくなく、

教師がおびえてしまう事例もいくつか見てきた。シンナーを

吸うのみならず、他の生徒に売る生徒もいた。



 さて、その生徒の親がかなり酒気を帯びて、本人とともに

学校にやってきた。廊下から大声で怒鳴りまくっていた。退

学届を書きに担任が呼んだのである。

 若い担任と生徒指導主事と、頼まれて私も同席した。私が

50才を過ぎた頃の話である。何かあれば今後のことなどア

ドバイスしようという軽い気持ちで同席したのだが。



 生徒指導主事が、その生徒がやったことなどの説明をして

いる内に、酔っている父親は激高して、ついには「おまえは

出て行け!」と叫び、指導主事はあっさり退出してしまった。

担任は全日制から転勤してきたばかりなので、ただ萎縮して

いる。



 細かいことは覚えていないが、父親は怒鳴り続け、聞きな

がら、話を続けた。その父親も定時制を退学していて、その

ときの話などを根気強く聞いていた気がする。その父親が高校

生の時に私は既に定時制の教員であったので、当時の話など

をしながら少しずつ会話になっていったように思える。



 激高したりおさまったりの波の中で、退学届のためにおいて

あった朱肉(なぜか私の)を父親が机にたたきつけた。朱肉の

蓋は二つに割れて飛んだ。それでも最後は説得して、その朱肉

を使って、退学届は書かれた。長時間かかったが、最後は円満

に帰ってもらった覚えがある。その朱肉にセロテープを貼り、

現在まで使い続けている。



 学校がその生徒一人であれば、いくらでも向かい合えるのだ

と思う。ただ他の生徒のことを、学ぶ権利を考えたときに、私

は「退学」は必要であると今も考える。



 そして、それは「退学勧告」を現場の教師の力で、「退学」

に持って行くのではなく、きちんと「退学処分」をするのが

筋である。それが傷になるので回避するという趣旨であれば、

指導要録等に記載しないシステムを作れば良い。学校は社会と

異なり、「罰」ではなく「教育」や「矯正」であるとしても、

わかりやすく言えば「加害者」の学ぶ権利や人権が取り沙汰さ

れるが、一方その生徒以外の、「被害者」の人権について、

集団教育の「学校」としては目配せする必要が当然ある。



 私は入学式の時に必ず生徒と保護者に話すことにしている。

「他人に対する暴力行為、いじめ行為、薬物やシンナー、その

ような生徒は申し訳ないが、この「学校」の範疇を超えている

ので、その場合には身を引いてもらうようにしています。」



 暴走族なども激減して、荒れた定時制は今は昔となっている

のかもしれないが、「退学」の問題は変わらずにある。

ただ当時も、そう簡単には「退学」にはしない努力を懸命に職

員集団がしていたように思う。「ラストチャンスを与える」こ

とが実際には少なくなかった。



 そして夜間定時制は希望すればまた受験して入学することが

定員割れの場合できてしまう。再入学後は真面目に卒業してい

った生徒も何人かいる。退学の際に「又落ち着いたら、20才

でも30才になっても良いから戻って来いよ」と送り出せるの

は夜間定時制の有り難いところでもあった。


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===編集日記=== 
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  皆様に支えられて「日刊・中高MM」第4847号です。

 瀬尾公彦さんの「遠景のモノ語り」、お届けします。

 *セロテープのついた朱肉*

 瀬尾さんの「遠景の」「モノ語り」ということを、再認識しました。
 「モノ」が雄弁に語るのが、なんであるのか。浪漫的なことは、余り
 感じられない。教育・学校、とりわけ定時制高校の置かれた状況は、
 何十年も前から瀬尾さんの作品で伝えられています。時が経ち、遠く
 になってしまった昔のモノ・ひと・コトは色あせることなく脈々と続く。
 人がモノを介在して大事なことをつないでいく。

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