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■「遠景のモノ語り」(9)瀬尾公彦(愛知県)
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【連載】
■「遠景のモノ語り」(9)
瀬尾 公彦(愛知県)
seo@ksn.biglobe.ne.jp
◆「感謝」の額
荒れていた時代の話である。
入学して教室には入れない生徒が毎年いた。
それが複数の場合、どこかでたむろして話していたりする。
中学校でも毎日登校はするが別室が用意されて、時には灰皿さえ
用意されていたという話もしばしば聞いたことがある。そう言う
時代である。
授業中に廊下を見回っていると、二人の女生徒が座って話している。
入学時点でシンナーの匂いさえした。何を話したかは既に記憶は
ないが、顔を見る度に何度か話した気がする。
教室には入れない生徒は次第に学校から足が遠ざかるようになって
いく。当然学校も続かなくなる。それが入学してしばらくの夜間定
時制高校の日常であった。
その二人も夏休みを過ぎる頃には姿を消していた。
今、手元にひとつの新聞記事がある。
「少女は、無免許でオートバイを運転して赤信号交差点に進入し、
青信号側の車両通行を妨害した疑い」とあり、オートバイ40台、乗
用車20台の集団暴走で、ひき逃げもあり、ひき逃げした容疑少年も
自殺という痛ましい事件であった。その二人がその事件で逮捕されて
いた。退学後のことである。
私は通常1年生を担任すると4年間卒業するまで継続して担任をして
いた。
上の廊下の年から4年後、その二人がもう一度学校に来たいという。
かつての友人で卒業できた子も何人かおり、話を聞いて自分たちも又
学校に行きたいという。そして話をして、受験して合格して私が担任
をすることにした。複数クラスあったので、4年前は担任ではなかっ
た。
最初はルーズさも残っていたが、20歳近くになっていた彼女たちは
随分落ち着いてもきていた。勉強をすると成績も次第によくなって行
き、姉貴分としてクラスメイトの面倒もよく見ていた。時にやめたい
と言うこともあったが、何とか励ましたり叱ったりもしたことを覚え
ている。その後、真面目にがんばって、当時の大検を受験して単位を
を取り、二人とも三年卒業をしていった
私が退職したときにかつての生徒達が大勢集まってくれたが、代表で
花束を渡してくれたのがこの二人であった。歳月は流れ、「子供に自
分の若い頃のことは絶対に言えない」と言いつつ、現在ではPTAの
役員さえ務めているという。
未成年の間に矯正施設に行った生徒も当時は少なくなかった。毎年の
ように少年鑑別所に足を運んだ時代である。
その彼女たちが、記念品としてプロに書いてもらったという額が今私
の部屋に飾ってある。
そこには大きく「感謝」とあり、「幸せな人生を歩めているのは、あ
の時見放さない瀬尾ちゃんがいたから。ありがとう」と言葉が添えら
れている。私の宝物である。
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===編集日記===
================
皆様に支えられて「日刊・中高MM」第4950号です。
瀬尾公彦さんの「遠景のモノ語り」、お届けします。
・「感謝」の額
「モノ」を通して人を語り、真実を問う。そんな気がしてきました。
経済的なことだけではないでしょう。裕福に育てられても道を誤るこ
とだってある。だから、人間は難しいのである。こうすればこうやれ
ばうまくいくとか、成功する子育てなんて書物もある。書かれている
とおりに育てば誰も苦労はしないのである。厄介ではあるが。やり甲
斐はある。瀬尾公彦先生はそれを長く続けてこられたからこそ今があ
る。教師冥利に尽きるという表現を使われたこともありましたね。
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■「遠景のモノ語り」(9)瀬尾公彦(愛知県)
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【連載】
■「遠景のモノ語り」(9)
瀬尾 公彦(愛知県)
seo@ksn.biglobe.ne.jp
◆「感謝」の額
荒れていた時代の話である。
入学して教室には入れない生徒が毎年いた。
それが複数の場合、どこかでたむろして話していたりする。
中学校でも毎日登校はするが別室が用意されて、時には灰皿さえ
用意されていたという話もしばしば聞いたことがある。そう言う
時代である。
授業中に廊下を見回っていると、二人の女生徒が座って話している。
入学時点でシンナーの匂いさえした。何を話したかは既に記憶は
ないが、顔を見る度に何度か話した気がする。
教室には入れない生徒は次第に学校から足が遠ざかるようになって
いく。当然学校も続かなくなる。それが入学してしばらくの夜間定
時制高校の日常であった。
その二人も夏休みを過ぎる頃には姿を消していた。
今、手元にひとつの新聞記事がある。
「少女は、無免許でオートバイを運転して赤信号交差点に進入し、
青信号側の車両通行を妨害した疑い」とあり、オートバイ40台、乗
用車20台の集団暴走で、ひき逃げもあり、ひき逃げした容疑少年も
自殺という痛ましい事件であった。その二人がその事件で逮捕されて
いた。退学後のことである。
私は通常1年生を担任すると4年間卒業するまで継続して担任をして
いた。
上の廊下の年から4年後、その二人がもう一度学校に来たいという。
かつての友人で卒業できた子も何人かおり、話を聞いて自分たちも又
学校に行きたいという。そして話をして、受験して合格して私が担任
をすることにした。複数クラスあったので、4年前は担任ではなかっ
た。
最初はルーズさも残っていたが、20歳近くになっていた彼女たちは
随分落ち着いてもきていた。勉強をすると成績も次第によくなって行
き、姉貴分としてクラスメイトの面倒もよく見ていた。時にやめたい
と言うこともあったが、何とか励ましたり叱ったりもしたことを覚え
ている。その後、真面目にがんばって、当時の大検を受験して単位を
を取り、二人とも三年卒業をしていった
私が退職したときにかつての生徒達が大勢集まってくれたが、代表で
花束を渡してくれたのがこの二人であった。歳月は流れ、「子供に自
分の若い頃のことは絶対に言えない」と言いつつ、現在ではPTAの
役員さえ務めているという。
未成年の間に矯正施設に行った生徒も当時は少なくなかった。毎年の
ように少年鑑別所に足を運んだ時代である。
その彼女たちが、記念品としてプロに書いてもらったという額が今私
の部屋に飾ってある。
そこには大きく「感謝」とあり、「幸せな人生を歩めているのは、あ
の時見放さない瀬尾ちゃんがいたから。ありがとう」と言葉が添えら
れている。私の宝物である。
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===編集日記===
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皆様に支えられて「日刊・中高MM」第4950号です。
瀬尾公彦さんの「遠景のモノ語り」、お届けします。
・「感謝」の額
「モノ」を通して人を語り、真実を問う。そんな気がしてきました。
経済的なことだけではないでしょう。裕福に育てられても道を誤るこ
とだってある。だから、人間は難しいのである。こうすればこうやれ
ばうまくいくとか、成功する子育てなんて書物もある。書かれている
とおりに育てば誰も苦労はしないのである。厄介ではあるが。やり甲
斐はある。瀬尾公彦先生はそれを長く続けてこられたからこそ今があ
る。教師冥利に尽きるという表現を使われたこともありましたね。
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