夜窓より ☆私の考えなり流儀なり☆

日刊『中・高校教師用ニュースマガジン』に連載中の教育への雑感をまとめておきます。夜間定時制高校の教師の視点です。

「夜窓より」(25)最終稿

2012年12月08日 | 教育
「夜窓より」 (25) 最終稿

瀬尾 公彦(愛知県)
seo@ksn.biglobe.ne.jp

この連載を始めて丁度2年となったが、今号を最終号としたい。編
集長を初めとして、幾人かの方々のメールでのあたたかい反応を有
り難く思いながら書き進めて来られた。書かせていただいた場とし
ても快いものであったことを感謝したい。

 さて、日常では「ストレスないでしょ」とかよく言われる私なの
だが、教育について語るとき、ある種の怒りのようなものを抱えて
いることに気づかされる。

 今「普通」とされている、教育観なり学校制度が前提のように進
んでいくことに対する違和感。例えば100年後200年後の日本が存在
するとして、今と同じような価値観で「教育」なり、「学校」が存
在するとしたら、それはちょっとため息の出るような未来像である。
インターネットや携帯電話が登場しても、教師一人が40人の生徒に
対峙して、聞いていようと聞いていまいと教科書について何ほどか
のことを語ると、取りあえずそれは職業として成立するという儀式
が揺らぐことがないように見えると言うことは、やはり「教育」の
側の問題意識から変革がなされなければ、さすが100年後、と言う
ような未来は訪れまい。ただし技術革新からポンと飛躍することは
あるような気もするが。

 確かに戦前戦中の教育から、戦後教育を経て、個の人権意識など
部分的には社会的な意識の変貌もあり、随分変貌してきたところも
少なくはない。ただ、そのような良い意味での「学校」への信頼感
のようなところが無批判的な「学校」の強権化につながっているこ
とも否めまい。

 宗教と宗教に於ける儀式に乖離があるように、教育と教育に於け
る儀式にも同様の乖離がある。教育に於ける儀式を学校に於ける儀
式と重ね合わせてみると、そこにも乖離があるが、そこには乖離の
ないとする共同幻想が学校の存在基盤となっている。更に言えば、
教育と学校の乖離が現実問題存在するが、それをないものとする偽
善がある。

 漱石の言葉に、人間は偽善的に振る舞うか露悪的に振る舞うかの
どちらかしかない、と言った言葉があったように記憶するが、その
発想で現在の学校を顧みると見えてくるものがある。学校や教師の
存在はまさしく偽善的である。役割的であると言っても良い。しか
し現実的にはその偽善性から少しずつずらしながら存在する教師も
又存在する。建前的な振る舞いの教師は偽善的であり、学校の建前
を横に置いて本音で振る舞う教師は露悪的な構図と言っても良いで
あろう。しかし所詮はそのバランスの中にあり、偽善性からはみ出
す度合いが大きければ、教師として成り立たないというのが現状な
のであろう。人間教育といった場合に、その偽善的な建前で押し通
せるものでもないことには教師であれば誰もが気づいている。
 
 被教育者自身が、偽善であろうと、善を求める心性というものも
ある。それは単に一教育の問題でもない。社会自体が偽善性の上に、
「より良い社会」を目指す価値観が成立しているかのようである。
突き詰めていけば、それは個と共同体との関係性の問題になる。
シートベルトをすれば死亡率は低下する。あなたが死ななくて済む
ことは良いことである。良いことであるのでシートベルトをするこ
とを社会として強制する。そのことで失われる個というものもある。
これは個と個、個と共同体との関係性の価値観をはらんだ問題でも
ある。公共性の論理というものもある。ただ、教育という極めて個
を問題とする営みの中での公共性の問題はそう単純ではあるまい。

 このような共同体の論理と、例えば「自分らしさ」という表現で
確保していこうとする論理とが、偽善的に融合しているように見え
る。その曖昧さこそが救いなのかもしれないが。

 私は、非寛容な社会の流れに逆らって、学校はもっと露悪性を包
含しても良いのではと考える。今の日本や日本の教育に不足してい
るものは人が人に対して寛容であるという精神であると思う。人の
人生に正答がないように、人というものが単一の価値観ではかれな
いように、その存在の曖昧さから来る、寛容さが「教育」の原点で
もあるかのように感じている。「教育」はもう少し放り投げられて
いても良い。寛容性を許容されない教員の社会的立場にも疑義を表
したい。

 教師のバイブルとかつては言われ、現在では恐らく1割の教師さ
え読破していないと思われるルソーの「エミール」の中の言葉を少
し長くひいてこの稿を閉じたいと思う。

「もう一つの誤りは、たえず教師の威厳を見せつけて、完璧な人間
の印象を弟子の心に与えようとすることだ。こういうやり方は間違
っている。かれらは、権威を固めようとしてそれをぶちこわしてい
ること、言うことに耳をかたむかせるには相手の地位に自分をおか
なければならないこと、そして、自分の心に語るすべを知るには人
間にならなければならないこと、こういうことがどうしてわからな
いのか。そう言う完璧な人間はすべて、相手の心を動かしもしなけ
れば、なっとくさせもしない。自分が感じていない情念を非難する
のはまったくやさしいことさ、と相手はいつも心のなかでつぶやい
ている。あなたがたの生徒の弱点をなおしたいと思ったら、あなた
がたの弱点をかれに見せてやるがいい。」

 長らくのご愛読有り難うございました。
ご縁がございましたらまたどこかでつながりましょう。

バックナンバーをまとめておきました。
http://blog.goo.ne.jp/teresu99

感想等、お気楽にお寄せいただけますと幸甚です。

 
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 ハハハハハハハハ
 もうだめだって先生
 今からポートブリッジに行って
 その真ん中から今日こそ飛び降りるわ
 最後くらい美しくねハハハ
 学校もうまくいかんし、仕事もうまくいかん
 俺がんばったけど
 俺みたいなやつは生きとっても
 仕方ないんだわハハハ
 親父はどっかに飲みにいっとるよ
 俺が死んでも何も思わんよあの親父は
 シンナーやっててもやめても
 どうせだめなんだわ
 ハハハハ今もやっとるよ
 海にダイビングしておしまい
 本当 俺つらいんだわ
 先生には世話になったから
 電話したの
 先生ありがとね ハハハハハ
 
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