夜窓より ☆私の考えなり流儀なり☆

日刊『中・高校教師用ニュースマガジン』に連載中の教育への雑感をまとめておきます。夜間定時制高校の教師の視点です。

「夜窓より」(10)

2011年09月03日 | 教育

「夜窓より」 (10)

                   瀬尾 公彦(愛知県)
                  seo@ksn.biglobe.ne.jp

本校野球部の話である。
7月の愛知岐阜三重のブロック大会決定戦にて、何とか勝つことが出来て、
全国大会に出場することとなった。私は2年前に本校に、13年ぶりに出
戻ったわけであるが、18年前に出場して学校としては2度目となる。個
人的には、前任校で2度出場しているので4度目となる。
 
 さて、部室にあるヘルメットには20年前くらいに私が教えた生徒の
名前が書いてあり、少しずつは新しいのも補充したが、この際というこ
とで、キャッチャー用具など新調した。
 こういう全国大会のような予定されていない出費を集めるのは定時制
に於いて大変なことである。新幹線よりバスの小さなのを借り切った方
が安いので、バスで行くことにした。名古屋からは5時間ほどであるが
ちょうどお盆のラッシュに微妙にかかり、7時間の旅となった。宿舎も
大会本部が用意してくれた「日本青年館」を断って、気持ち安い宿舎を
取ることにした。「日本青年館」に宿泊すると、大会の球場まで無料送
迎があるのだが、本校はバスを借り切っているので、その心配はないの
でそう判断した。メリットは、定時制の大会なので横着な生徒が混ざっ
ているので、他校と同宿で無駄なトラブルを避けるのと、「日本青年館
」は引率教員も含めて大部屋で一室という環境なので、各部屋シャワー
も浴びられる和室洋室様々なこちらのホテルを選択した。

 結局試合は4-5で1回戦で敗れたが、最後まで勝敗のわからない好
ゲームをすることができた。生徒たちにとっても我々教員にとっても、
生涯忘れられない二泊三日となった。

この三日間であったこと

*@@が例によって遅刻してきたこと
*お盆で高速道路が渋滞していたこと
*原宿でAKBのショップの入店が予約制だったこと
*竹下通りで、@@と@@が、外国人に拉致されて買わされそうになり
逃げてきたこと
*@@と@@が喫茶店でコーヒー頼んだら850円で、ショックを受けた
こと
*@@たちが秋葉原に行ってプリクラを撮ったこと
*監督主将会議に行く途中、何かの撮影で、思いっきり大きなおなかを
した妊婦が路上に倒れていて、主将がびびったこと
*その帰りのタクシーの運転手が若者の新人で、道もわからず、かなり
おどおどしていて、同情してしまったこと
*宿舎の食事がおいしかったこと
*部屋でのトランプが盛り上がったこと
*6時起床なのに、早寝した主将が5時過ぎに先生のふりをして、電話で
起こしまくったこと
*神宮球場でパネル用の写真を撮ったこと
*開会式のプラカードを持つ小学生に主将がポケットにあった200円あ
げようとして断られたこと
*その主将が行進中に手を振ったりしてパフォーマンスをしたのをみん
なが恥ずかしく思ったこと
*@@がソックスを忘れて監督が脱いで貸したこと
*開会式で選手宣誓の選手が途中で言葉を忘れたこと
*銀座で焼き肉食べ放題にみんなで行ったこと
*@@がフリードリンクで並んでいると、前の中国人がいろいろなジュ
ースを少しずつ試飲し始めたこと
*@@がバカみたいに大量の枝豆を食べたこと
*1時間の練習で、分刻みのきびきびした練習が出来たこと
*記念に作ったそろいのTシャツで練習したこと
*神宮でヤクルト対横浜戦を観戦しに行ったが、到着したら一回表で既
に8-0であったが、途中まで見て、帰ってニュースを見たら、10-
10で引き分けになっていたこと
*@@が横浜の応援席に行って応援していたら、選手全員の応援の言葉
の紙を渡されたこと
*自由な時間に、チームメイトのために、何人かが進んでコインランド
リーに行き、洗濯したこと
*9時からのミーティングの際、既に問題児2人は熟睡しており、朝まで
寝続けたこと
*他の生徒たちも12時前には寝てしまったこと
*ミーティングの@@先生のデータが試合では通じなかったこと
*試合当日、東京都内は最高37度を超える今年一番の暑さであったこと
*駒沢球場がバスを入れてくれず、荷物を運んで歩いたこと
*先生や先輩たち、父兄などが駆けつけてくれて、励まされたこと
*次にあたる4連覇中の天理高校の試合を見て、ひょっとして勝てると思
ったこと
*場所的にアップが出来ないので、誰もいないところで、「怒られるま
でキャッチボール」と言ったら、すぐ係員が飛んできたこと
*それでも通路にかからないところではキャッチボールを許されたこと
*控え室にクーラーが効いていて快適だったこと
*前の試合の7回の裏が終わったら、バッテリーがブルペンに入れると
ころを、監督の知らないところで、7回始まって入っていき、監督が呼
ばれて注意されたこと。
*外に出て軽くノックをしていたら、同じ人に注意されて、ばつが悪か
ったこと
*後攻を取ろうとして、じゃんけんに負けたが後攻がとれたこと
*初球を投じたところで、塁審が投手の所に来て、二段モーションの注
意を受けたこと
*みんなが緊張して浮き足だっていたこと
*1回裏に、4番が3塁打を打ち、5番がセンター前ヒットを打ち、3-1
で逆転して、勝てると思ったこと
*結構よく打たれて逆転されても、勝てる気でいたこと
*全員で声をよく出したこと
*ツーアウト満塁で、主将のレフトオーバーの大きな当たりを相手が好
捕して、点数が入らなかったこと
*バントなどはしっかり決めて何度か3塁までは進めるが、後一本が出
なかったこと
*残念ながらこういう接戦で全員ではなかったが、控えの1年生も代打
に出たり守ったこと
*相手の選手も外見はヤンキーぽかった人もいたが、盗塁でけがしたと
きなども、優しい言葉をかけてくれて、大変いい人たちであったこと
*東京はこの夏一番の暑さで、試合中、ポカリスエットを40リットル
飲んだこと
*9回裏、2点ビハインドでも打順が1番からで逆転出来ると信じ
ていたこと
*その1番が出塁して、暑さと疲れと焦りの中で、ノーサインで走って
盗塁失敗したこと
*それでも1点取り返して、同点のランナーが3塁にいて、ヒットを打
っている5番打者がツーアウトツースリーから、見逃し三振をして、天
を仰いだこと
*そして、4-5で敗戦したこと
*控え室で、しばらく言葉を失って、タオルに顔を埋めて、多くの者が
泣いたこと
*そして、監督の言葉を聞きつつも、泣き続けたこと
*負けて、悔しかったこと
*しかし、着替える頃にはいつもの問題児に戻り、一人はTシャツを長
くのばして、パンツ一枚でバスまで歩き、引率の養護教諭に「さっき
まで、あれだけすばらしく感動させてくれていたのに、幻滅させない
で」とため息をつかれたこと
*予算の関係で球場から直行し、学校に着いたのが夜の11時過ぎであ
ったこと
*途中で気分が悪くなり、吐いた生徒がいたこと
*翌日、その相手が結局優勝した天理高校と5-3と善戦して、嬉し
くも悔しくも感じたこと
*野球部にとって、長く暑い今年の夏が終わったこと

***************************

 他の人たちは気にならないのだろうか
 学校には悪臭がある
 何十年と使い込んだ机
 多くの人の汗や垢やよだれさえも
 染みこんでいるはずだ
 高校ともなると机を拭いたりはしない
 不思議といえば不思議だ
 変色した天井、腐り果てた窓枠
 埃にまみれた朽ちかけた校舎
 そして毎日の人のにおい
 僕はそのにおいを我慢して学校にいる
 時折り吹き来る風さえも
 汚れ果ててしまっているように感じる
 もう何日もおかれてある牛乳瓶たち
 年増の先生の濃い化粧のにおい
 体育の後の汗の充満
 そして
 何か不当なものに対して
 沈黙し続ける自分自身の汚れのにおい
 
 ***************************

「夜窓より」(9)

2011年09月03日 | 教育
「夜窓より」 (9)

                   瀬尾 公彦(愛知県)
                  seo@ksn.biglobe.ne.jp

 これから私の書こうとしていることは、正しくないことであろうと思う。は
っきり言えば間違っている。それを不特定の対象である読者の皆さんに何かし
ら伝えたいと思って書くことは無謀なことであるのかもしれない。私自身でさ
えいくつか反論できる自信さえある。正しくないことに共感を求めると言うわ
けでもないが、それでも書いておきたいと言う気持ちが私の中にある。

 夜間定時制では、時折り、廊下などで大声が聞こえることがある。十年以上
いた前任校の時はとりあえず、その生徒なり先生の所へ行き、「どうしたの?
」と声をかけるポジションであったが、転勤3年目の現任校では、微妙な距離
の傍観という感じで、対応する先生が困っていなければ、出しゃばらないよう
にしている。
 で、今回のトラブルは、簡単にまとめてしまえば、Aという大声を出して怒
っている生徒がB先生にある注意を受けた。謹慎ほどの内容ではなく、特に注
意以外の指導があるわけでもなくルール違反という感じであった。ところがA
が言うには、前日に同じルール違反をした生徒のCに対して、D先生が注意を
しなかったのは不公平である、との事。そう、不公平である。私はその生徒
を教えたことも関わったこともなく、この話も担任や他の先生からちらりと
聞いた程度のことであるのでその生徒については詳しくはない。

 今回はこの出来事から学校や教育の在り方について触れていきたいと思う。
私はこの話を聞いて、なるほどAの主張は正しいが、その主張そのものにつ
いて違和感を持った。実はこれは昨夜のことなので、学校や教師がどのよう
に対応したかは不明であるが、却ってその方が一般論として進めやすい気も
する。

 現場の感じはこんな様子ではないか。その生徒への関わり具合はおくとし
て、多くの教師は、生徒が大声を出していることで、トラブルモードになる。
そして内容を聞けば、平等理念を持つ学校が、異なる対応の形というのはま
ずいなと思う。そしてAを注意したB先生の対応が正しくて、Cを注意しなか
ったD先生の対応が正しくないと認識する。D先生の年齢や学校のポジション、
自分との関係性などにより、同僚をかばう心理も働くであろうが、場合によ
ってはD先生の人柄によれば、D先生がある種の言い訳をしつつ非を認めると
いう収まり方も蓋然性はある。

 しかし私はそのような正義たる学校が気に入らないのである。かつて生徒
指導主任をしていた時に同じ主任をしている人たちから、「先生たちが一枚
岩になってくれないから困る。」という話をよく聞いたが、その事にも違和
感を持っている。組織論として見ればその事は正しいのであろう。「学校」
が合目的的に正義を求めることは正しいが、そもそも「学校」がそして「教
育」が追い求める対象である人間の生が正しさのみに立脚しているわけでは
ない。正しさでなく、たとえば、人としてのあたたかさを優先されることも
ある。だが「学校」幻想の中で、例えばよく言い意味で使われようとする「
いい加減」などは通用しない。

 定時制が教育の原点と呼ばれる一つの要素に生徒数の少なさがあるが、も
う一つの特質は併せて教員の少なさにもある。そして人数が少なければ「一
枚岩」になれるかと言えば、むしろ逆で、少ない分一人一人の重みが増して
個性が浮き上がる形となる事が多い。
 建前的に言えば、教師は皆同じ仕事をすべきである。定時制では、出張や
休暇などが重なると、授業中は職員室がからになり用務員さんにいてもらう
というようなことも起きる。さて、自分しかいない時に「暴走族がオートバ
イに乗って校門にたまっているからすぐ来てください。」と全日制から連絡
が入ったりする。私などは経験も少なくないので複数対応の原則を頭に浮か
べながらも面倒くさいので一人でも現場に行ってしまうが、その状況にむし
ろとまどう人の方が普通である。しかし授業を中断させてまで他の教師を呼
びに行くこともなかなか抵抗感のあることで、ダブルバインドとなる。定時
制では生徒の抱える問題の重さに応じて、求められることも怏々としてシビ
アになる。そのシビアな状況の中で対応は個々の教員の力に依るところが少
なくない。突然「先生、死にたいんだけど。」と言われる言葉に対して、か
ける言葉やリアクションが様々なように。建前は同じ仕事ではあるが、生徒
という人間を相手にする、教師も人間である以上、同じと言うことはあり得
ない。現場ではマニュアルで対応出来るレベルと出来ないレベルが存在する。
いくら制度化されている幻想の「学校」という組織の中でも突き詰められた
「教育」という部分は教師の人間力に負う部分が少なくない。

 そう考えると、「学校」という組織がルールを決めて一枚岩的に生徒に対
するベクトルと、生徒を受容するベクトルは場合によっては相容れないもの
となる。現在は管理職などは特にであるが、前者が優先されているようにも
感じられる。職業としての教育システムである日本の「学校」を考えるとき、
それはシステム上やむを得ない事なのかもしれないが、「教育」という営み
を考えるとき、そのベクトルのウェイトを将来的に是正していく必要がある。
前者のみの価値観で開き直るのではなく、後者の部分を補完していくシステ
ムとしての組織論を価値観として持つことがより進化した組織論となる。そ
の事は現実的にはかなり中途半端な様相を呈するとは思うが、基本的には「
学校」という組織の一員である前に、生徒一人の問題に寄り添う事の意味を
優先させる発想が、より多様化していくであろう子供たちの事を考えると、
求められてくると考えざるを得ない。私などはその任にはないが、未来の日
本の教育の在り方を思うとき、多くの心ある教育関係者の理性を信じたいと
思う。

 「正しさ」についても触れておきたい。最近話題のマイケルサンデル教授
の「正義」の論議にもあるように「正しさ」は普遍的なものではあり得ない。
平和な社会の中で「殺人」しないことは正義であるが、戦争中の前線の兵士
として「殺人」しないことは不正義である。その行為の「正しさ」に立脚し
て「正しさ」を疑わないことは傲慢なことである。個人的な感想であるが、
最近のモンスターペアレントなどの、個人主義に則った、部分的な「正しさ
」の主張の在り方には品位が感じられないことが多い。例えばその予備軍で
あるAに対して、そのような人としての品位や潔さ、殊更に自己を正当化し
たり自己の得を主張することの格好悪さを伝えられたら、と思う。そしてA
のみならず、生徒全般に対して、教育活動を通じて、些かなりともそのよう
なことを伝えられたらと思う。

 最後に、私の前任校の卒業生に杉原千畝さんがいる。シンドラーのように
戦時中に、外務省でユダヤ人の為に「命のビザ」を発給した方である。彼の
職責からすれば、その行為は「正しく」はないし、その後も組織の論理から
冷遇されたと聞く。しかし人道上、彼の功績は称えられることとなる。人道
上とは何であろう。そしてこの「人道上」という言葉に「教育上」という言
葉を重ねてみたい。

 D先生が誰でどのような意図でCを注意しなかったのかはわからない。ただ
の怠慢であったのかもしれない。しかしもしCを気遣っての配慮があったと
すれば、それは正しいことではないにしろ、良いのではないかと私には思え
る。Aよ、B先生は正しいし、あなたはその注意されたことを思えば良い。あ
なたの主張するように学校が違う対応をするのは間違ってはいる。しかしD
先生に配慮があったとすれば、それはそれであたたかい先生だなと思える度
量を持って欲しいと思う。

 今回の私の意見は最初に書いたように多くの人にとっては無茶苦茶である。
しかし私はそういう正しくない主張を敢えてしてみたくなるのである。


***************************
 
 投げられた警棒が車輪に挟まり
 バイクは転倒し
 俺はアスファルトに投げ出され
 その同じ警棒でめった打ちにされた
 警官が本気で殴ってくることが
 俺の存在の証なのか
 俺は警官を憎むほどガキではないし
 彼らには彼らの立場のあることも
 わかっているつもりではある
 しかし俺は
 強い力によって自分が
 押さえつけられて
 はいつくばらされている事実に
 無性に腹が立っていた
 両手を後ろ手にされ
 冷たい道路に押さえつけられたまま
 ここを俺の出発点にしようと思った
 もうガキではなく
 大人として生きていこうと
 夜更けの街の底で思った。
 
 ***************************

「夜窓より」(8)

2011年09月03日 | 教育
「夜窓より」 (8)

                   瀬尾 公彦(愛知県)
                  seo@ksn.biglobe.ne.jp

今回は我が愛すべき野球部について書いてみたい。今年特筆す
べき事は、野球を専門とする若い体育の先生が赴任してきてくれ
たことである。今や全日制でも野球部の顧問のなり手が減ってい
ると聞く。休日返上で、家族も顧みず、という面もある。体育の
先生の採用がどのようになされているのか詳しくもないが、私の
個人的な印象では、専門とするスポーツに偏りがあるように思う。
私の周りではバスケットを専門とする先生に多く出会ってきたよ
うな気がする。例えば発想を変えれば、学生時代にバスケットを
やっているような人が教員を志望するということはあるのかもし
れないと思ったりもする。
 本当に野球が好きで生徒も好きな先生なので、共に指導してい
くのがなかなか楽しい。それに新任二年目の高校時代に野球部の
マネージャーをやっていた養護教諭と3人で顧問をしている。生
徒には「先生の体制は完璧なので後はおまえらだけね。」とか言
いつつ、今年こそは神宮だとみんなが思っている。

 さて、その生徒であるが、卒業生が2人と少なかった為に、主
将の予定の生徒が退学するなどのトラブルもあったものの4月時
点で8名の部員が残った。新入生も増えたり減ったりしつつ4月
末現在、野球部員は何とか15名となっている。昨年続かなくて
再入部の生徒ががんばっていたりするのも嬉しい。前にも書いた
ように、毎日練習するので、それについて行けなくてやめたり、
経験者のうまい新入生がすぐ来なくなったり、他の部活動へ変わ
ったり、交通事故で入院したり、めまぐるしい形で四月が過ぎて
いった。

 ゴールデンウィーク中、他校の先生が、場所を取ったので4校
で練習試合をしませんかと声をかけてくださった。少し時間を短
くしてリーグ戦で戦った。今年の県大会は2週間後の5月14日
、21日に予定されている。その為に、そこはバイトなどもあけ
ておくように指示していたので、練習試合までは難しい生徒もい
て、4番打者も含めて4人が仕事で参加できず、1人が午前中に
バイトを終えて駆けつけることとなった。1人寝過ごして、自宅
まで行き、ドアを叩いても出て来ないので、諦めて行こうとした
ら電話があり走ってきた。そして1人が「原付が故障して動かな
いので、送ってもらうけど、遅れる」と言う。結局試合開始時間
に間に合ったのはぎりぎりの9人。たたき起こしに行って良かっ
たとほっと一息。おかげで1年生もすべて出場することが出来て
良い機会となった。

 前年度優勝校の本校としてはなかなか手応えのある3試合が出
来た。4月以来、授業後に毎週一回練習試合をこなしてきた成果
が出てきたようだが、教えることは野球のことよりも、しつけの
ような部分も少なくない。「ユニフォームをだらしなく着るな」
とか「円陣の時は帽子を取る」とか「人が話しているときは話を
聞く」とか、教えると言うよりは、鳥が何度も羽ばたいて覚える
という字義である「習う」ことが多い。

 (さて、ここまで書いて稿の手を休めていたが、県大会が終わ
ったので、また書き続けることにする。)

 大会が5月中旬とは早いような感じでもあるが、野球は雨の順
延がある為に、8月の全国大会に至るまで余裕を持って大会を設
定する必要がある。先回触れたように、定通の大会は県一校の代
表ではなく、その後ブロック大会がある。東海ブロックについて
言えば、愛知、岐阜、三重が6月中には大会を終えていなければ
ならない。一度だけブロック大会の前週に漸く県大会が終わった
と言う経験もある。
 それでも5月の県大会で敗れてしまえば、「今年の夏は終わっ
た。。。」状態になってしまうわけである。大会が終われば、野
球で何とか学校に来ている生徒たちが、意欲を失い、留年や退学
にも結びついていくので、こちらも何とか次の大会へと駒を進め
たいのである。

 今年の愛知県は8校の参加であった。昨年までは学校の運動場
で大会であったが、その学校の全日制から、練習したいので変更
してもらえないかとここ数年強く意見が出されて、その意見自体
は全日制も定時制も同じ重さと見れば、こちらは県の公式戦とい
う事なので非常に不当なことではあるが、生徒たち相手に人間性
を鍛えられている定時制の先生たちはなかなか優しい心あたたか
な人たちであるので、前向きに他の施設を検討したのであった。
 公共施設の優先登録もしたのだが、毎年この時期のグランドは
結構公的な大会が入っており、後発の定通大会は漏れてしまった
のであった。そして結局は生徒や先生たちに頼んで名古屋市の施
設を個人登録して、その個人登録を元に団体登録して、抽選で半
分の場所を押さえることが出来て、後半分を少し不便ではあるが、
県の施設を押さえられて、何とか大会の場所が決まったのであっ
た。

 場所を決定する際に、顧問会議で、会場から遠い学校から「*
*球場だと本校は生徒を引率できない」みたいな意見も出て、最
後までなかなか混乱したのであった。たてまえ論で言えば、県の
大会なので県下ならばどこでも行くべきなのだが、前述したよう
に、生徒ぎりぎりで、朝も最後の一人の顔を見るまでは安心でき
ない定通の大会ではたてまえを貫けば、参加校は減少してしまう
わけである。そこがビジネスライクに行かない定時制の難しさで
もあり、見方によれば、あたたかさでもある。生徒の意識もそれ
ほど高くはないので、自分で交通費出してまで行きたくないと言
う学校もあり、教員が負担して何とか成立というケースもあると
聞く。

 結局顧問全員の知恵を出し合って、それなりの配慮もしつつ、
不公平感も少なくしての一応全員一致を見ての組み合わせとする
ことができた。

 さて、試合の方は、結果から言えば、本校は県大会で優勝する
ことが出来た。すべてコールドゲームで危なげない勝ち方ではあ
ったが、それは終わってから言うとそうなるが、試合前は様々な
負ける形を想定しつつ頭を悩ませていた。その中のドラマは様々
あるが、何せ現役の生徒たちのことであるし、この稿を目にする
ことはなかろうが、ここでは書くのを控えておくことにする。

 生徒たちは勿論喜び、自信を得て、7月2日に予定されている
ブロック大会へ向けてまた練習をしていく。幸い本校の夏はまだ
終わらずに、目指せ神宮の思いも継続していくことになる。私も
この通信の9月号あたりで全国大会出場の事が書けたらと強く願
っている。

***************************
 
  自分でも信じられなかった
  外角高めの球を
  思いっきり振ったら
  ボールに当たり
  そのボールはセカンドの後ろに
  ポトリと落ちた
  ホームベースを踏む仲間の姿を見て
  僕は一塁のベースの上で
  ガッツポーズをした
  その前は2回三振だった
  僕は運動は苦手だけど
  野球は好きだ
  練習に毎日出て
  最初、みんながボールを打っているときも
  僕だけ素振りをしていることが多かった
  ユニフォームを着ているだけで
  僕は幸福だったのに
  先輩や同級生の大きな歓声を浴びて
  もう一度、右のこぶしを
  力強く、空に突き上げた
  
  
 ***************************

「夜窓より」(7)

2011年09月03日 | 教育
「夜窓より」 (7)

                   瀬尾 公彦(愛知県)
                  seo@ksn.biglobe.ne.jp

震災の被害ということで見れば、一人一人被災の状況は異なる
し、PTSDなどの事を考えれば本当に個々の人生に対する多様な影
響が出てくるのであろう。それを一括りにするような言説には違
和感も覚えるが、被災者一人一人の事を考えれば、正直私などに
言葉もない。

 私の弟は仙台市で被災した。身体的な被害や家屋の倒壊は免れ
た。直後の停電や、断水などの不安な生活の様子や、例えば朝の
5時からガソリンスタンドに並んで、昼頃に10リットル買えた
り買えなかったりという話をリアルに聞いてきた。商売をやって
いるので、経済的な打撃も少なくはない。例えば、この弟の状況
も、相対的な言い方をすれば、もっと被害の大きな方に比べれば
「幸いにも」と言えるであろうし、名古屋で生活している私に比
べれば「不幸にも」とも言える。しかし幸福とは相対的なもので
のみ計られるものでもない。

 一般化して言えば、人生にはトラブルはつきもので、運不運も
ある。そして人間はいつか死んでしまう存在でもある。その僅か
な生の間に、幸福であるとか不幸であるとか感じつつ生きている。
トラブル自体は不幸であるとしても、トラブルのある人生が不幸
であるとは限らない。状況が不幸であったとしても、そこであが
いて生きるのも人生である。

 昨日随分前の卒業生から電話をもらった。父が病気で余命が限
られているという話であった。その卒業生は統合失調症で、はじ
めてその診断を受けた際に、両親が、「今後はこの子の病気につ
きあって、私たちも生きていきます。」とおっしゃられた事が深
く印象に残っている。その後「親の会」などにも積極的に参加さ
れて、その言葉通りに生活されてこられた。ちなみにこの生徒は
診断を受けてすぐ退学して、治療に専念して4年後に復学して、
丁度一回りしてきた私が担任をして、卒業することが出来たが、
進学先でまた調子が悪くなってしまった。

 その生徒にも被災した弟にも私は語るべき多くの言葉を持ち合
わせてはいない。ただそっと寄り添い、話を聞きつつ、数少ない
出来ることをするのみである。私の心境では「立ち上がれ日本」
的な言葉を口に出来ない気がしている。現実には弟をはじめとす
る、たくましく立ち上がりつつある人々の姿を見て、賞賛する気
持ちは大きい。そのことにこちらも励まされる。しかし、まだ立
ち上がれない人の前では「立ち上がれ」とは決して言えず、長い
時間をかけて、精々「そろそろ立ち上がってみようか」くらいの
言葉を口にできるのが関の山である。

新学期になり、授業で震災を取り上げることにした。福島原発
での仕事で、一日40万円の報酬という記事を見せると、侃々諤
々なかなか面白かった。これはもうその人生観そのものである
が、それも放射能に対する知識が少ないと、その物事の判断が
当然異なってくる。そうなるとやはり情報のつかみ方、見分け
方が重要である。現実から学ぶという視点は、現在の学校教育
で忘れられている視点のような気もする。実際いくつかの教育
的な視点が、評価であるとかテストであるとか序列であるとか
がアプレオリにあり、その事で霞んでしまうというようなこと
が起きている気がする。

 震災直後の日本人のマナーの良さという海外の報道について
少し触れておきたいと思う。困っている時程、自己の利益を優
先させたいのが常ではあるが、そこを理性で押さえられている
という所が、国によっては自省的にしかも好意的に取り上げら
れているという。国民性という点ではアジア的な儒教思想下の
流れや島国である閉鎖性や単一民族共同幻想なども掲げられよ
うが、ここでは個人の心性の側から見てみたい。
 誰もがのどが渇いているとき、早く水を手にしたいと思うが
、この集団の中で、自分が自分がという行動が倫理的に許容さ
れず、まして多くの人にそのような理性が働いていると見ると
き、やはりその価値観の傘下に入ることになる。もしも非倫理
的、非道徳的な行動を取れば、当然自己の「信用」は失われる。
ただしこの事を理解していても自己の欲求に勝てない者は勝て
ない。現に今回も様々な犯罪が起きている。
 
 ただ本能的にけんかなど個人で無茶苦茶やっていた若者が、
暴走族に入ると、やはりその仲間を意識するようになる。そし
て少しずつその仲間の中での「信用」を意識し始めるというこ
とはある。その事で「無茶苦茶」は影を潜めてくる。個と集団
の論理としてみるとわかりやすいが、社会性を意識すると言う
ことであろうか。別に暴走族を是認するわけではないが、この
ステップには意味がある。仲間でなくとも、彼女であっても良
い。日本のような幾分理性的な社会に於いては、自己の「信用
」が良ければ良いほど、実は「得」をする。自己肯定感にもつ
ながりやすい。そして「教育」とはその事と密接な関係を持つ。

 やや自信なさげな「ニホンくん」は、今回友人に褒められて
「マナー?それって普通じゃん。」と少し嬉しかった。自分で
はそうはっきりとは意識していなかったからである。他者に褒
められて、自己の良さに気づいた「ニホンくん」は自信を幾分
取り戻したかもしれない。ただ夜定の同じクラスには、「オレ
って最低」とか「バイトの店長に言われたとおり、私ってだめ
人間」とか思っている友人もいる。
 完全でも何でもない教師の一言で生徒の表情が変わる。褒め
るべき時に褒めて、叱るべき時に叱る。ただそれだけのことが
難しい。

 功利的といわれる風潮の中で、他者を意識して生きるという
こと。今回の震災は自己と他者との関係性を見直す一つの端緒
となるかもしれない。この状況の中での教育の役割は軽視でき
まい。原発の問題も含めて、今学習指導要領を書き換えるくら
いの意識の転換があっても良いのではと私は思う。最近の若者
はたるんでいるから韓国のように徴兵制を復活させたほうが良
いという意見が共感を生みつつあると聞くが、むしろ教育的な
視点からたとえ僅かであっても、「学校」に於いても、現地の
ボランティアを活動を含めた被災者を支援する形でのプログラ
ムを考えてみても良いと私は考える。

***************************
  
 鉛筆を返せ
 確かに僕はおとなしい
 筆箱は毎日持ってきているし
 鉛筆を時々貸すのもいい
 でも鉛筆を返せ
 使ったままの机の上や机の中に
 放ってある鉛筆を
 僕は言葉に表せない感情を持って
 筆箱に戻すのだ
 いばっているやつらは
 僕たちに気持ちが存在しないかのように
 振る舞っている
 本当にバカだ
 僕は僕が深い人間である為に
 明日も鉛筆を貸そう
 そして戻って来た鉛筆を
 優しい気持ちで
 一本一本削ってあげよう
 
  ***************************

「夜窓より」(6)

2011年09月03日 | 教育
「夜窓より」 (6)

                   瀬尾 公彦(愛知県)
                  seo@ksn.biglobe.ne.jp

 ここのところ、新年の最初の授業は、「新春歌会」をする。と言っても黒
板にそう書いて、主に川柳を作らせるだけのことである。短歌でも良いが、
夜定の生徒たちには17文字が31文字になるだけで、難易度が上がる。授
業は全日制に比べて5分短く、45分授業。現在いる学校は工業高校の為、
実習など工業科目に連続授業が多いので、普通科目も得てして二時間連続授
業となる。本校では四時間授業で、二時間連続で、放課もなく、間に給食の
時間を挟む。90分をいかにメリハリをきかせてやるかという工夫がいる。
この年頭の授業では一時間、「新春歌会」をして、もう一時間は「百人一首
」をする。
 例えば今年の事を書けば、こんな感じで授業が始まる。「おめでとう。今
日は最初だからいきなり授業には入らないから、遊びね。」大体、「さすが
」とか「いいね。」とか声が上がる。「昔の人は何して遊んでたと思う?」
「好きな人口説くのにどうしてた?」とか言いつつ、黒板に「新春歌会」と
書く。そして俵万智の作品などをさらりと紹介して、一人5つね、言うと、
ここからは不満の嵐。そこを、「何について書くかを考えれば、それで5文
字出来ちゃうから、あと、7,5つければ完成、簡単簡単」とか言いつつ、
昨年の生徒が作ったのをまとめたプリントを見せると、結構真剣に読んでい
る。上級生ならば、「あ、これオレ作ったのだ」とか声が上がる。毎年、書
かせた後は、出来る限りたくさんの作品をを一枚にまとめて配ることにして
いる。

 では、今年の生徒たちの作品を少し読んでいただくことにする。夜定の生
活感なり学校の感じが随所に現れていることと思う。

 *教室の空席どんどん増えていく  (夜定の実感です)
 *進級を今年はするぞ絶対に    (今年は、ということは)    
 *帰宅したらいつも両親寝ているな (部活動などやれば11時をまわる) 
 *すねかじり親がいないとのたれじに(自虐的?)
 *携帯代親父の分まで払ってる (えらい!)
 *学校とバイトの両立大変だ(まだ16歳です。授業料も負担する生徒も)
 *絶対に今年の夏は神宮に (がんばりたいね)
 *間に合うか実習模型大丈夫? (遅い生徒は居残りがあります)
 *バイトの日先輩笑顔で怒ってる (リアルですね)
 *車屋の洗車はつらいアルバイト (冬は寒いね)
 *暴発だおならがすごくよくでるな(ノーコメント) 
 *冬のそと夕日がきれいいやされる(意外にロマンチスト)
 *なぜだろうわからないまま泣いている (なぜだろう?)
 *学校の窓側席で外を見る (誰にも経験があるはずです)
 *今すぐに君のもとへと走りたい (走れ!)
 *ラスボスを倒した瞬間電池切れ (人生にはトラブルがつきもの)

 そして百人一首は、昨年三学期の数時間をかけて作らせたお手製のもの。
ボール紙を切って、千代紙を貼って、絵の描ける生徒に絵を描かせて、描け
ない生徒は字を書いていく。「先生、字が汚くて見にくい」とか言うのを「
先輩が作ったのだから文句言うな。」とか言って、こちらが読んでいくと、
結構熱中していく。初体験の生徒も。

 さて、今回は実際の私の授業について書くことにする。先回書いたように
私は国語の教員で、教材は自分で作る。漢字のプリントも、自分で文章を書
いてそれを問題としている。早くできてしまう生徒用に漢字の様々なパズル
を必ず載せておく。プリントを配り「テストではないから、今わからない事
はいいので、自分で調べて覚える事」と言って、携帯電話も使用可で、辞書
も用意していく。こちらは、一人一人見ていく。基本的な漢字の学習に一学
期程度は使う。中学卒業程度の漢字であるが、実力ではざっと半分行かない
程度である。その中に「薔薇」とかも入れて、他は一問1点だけど、これは
5点でテスト出すからね、というとほぼ全員が覚える。最初に、ガソリンス
タンドでバイトしていた生徒が、ベンツの怖いおじさんに「領収書書いてく
れ」と言われて、名前が書けずに「おまえこんな字も書けんのか」と言われ
て怖かったという実話などを話したりする。

 基本的には、書くことの力をつけさせたいと思っている。4年生を担当す
ると必ず、卒業前に「自伝」を書いてもらう。年によって、枚数は異なるが
大体原稿用紙7,8枚くらいにはなる。中にはかつてしっかり書きたいと言
うことで、100枚近く書いてきた生徒もいた。
 入学当時は作文を全く書けない生徒もいる。能力と言うよりは、書くと言
うことに心理的な抵抗の多い生徒も少なくない。そこで、授業の30分を、
映画を見せて、簡単ではあるが、題、登場人物、あらすじ、感想、を毎時間
書かせて、提出させている。そして、テストまでに大体一つの作品を見て、
感想文を書かせる。それをテスト30点分にして、定期テストは70点満点
にしている。映画はこちらの気分で選んでいるが、次のような作品を見せて
きた。「学校」「北の国から初恋」「パッチアダムス」「ライフイズビュー
ティフル」「マイライフ」「ペイフォワード」「ショーシャンクの空に」
 この三学期は「猟奇的な彼女」を見せたが、生徒たちは食い入るように見
ていた。映画自体見ない生徒が多いので、良い機会であると思っている。字
幕は漢字が苦手で夜定では難しい。

 書くことで言えば、書くモチベーションなりきっかけが大切で、仮に映画
でなくても、60分遊んで、その事が30分書くことの動機となれば、その
60分は捨てても意味があることのように思っている。何やかんや、一年に
原稿用紙10枚程度は書くことになる。そして4年生では、1年生の時には
原稿用紙1枚書けなかった生徒が何とか「自伝」を書いて卒業していく。

 好きで本屋とか図書館には入り浸っているが、そこが私の教材選びの場所
でもある。この三学期は、たとえば、詩の授業で毎時間20分程度音読をさ
せた。作品は茨木のり子の長詩「りゅうりぇんれんの物語」。長いので説明
はせずに原詩の力に任せた感じで音読するに留まった。詩も自分でチョイス
できるのが自主教材の良いところである。他に「日本国憲法 前文」を自分
たちで書かせても見た。これは「「私」であるための憲法前文」(角川書店
)という本を参考にした。いただき、という感じである。工藤順一氏の実践
より、四コマ漫画を作文にするというのもいただいたことがある。

 意識しているのは一時間の中を1テーマではやらないということである。
定時制の生徒たちは特に集中力がない傾向にあるので、目先をどんどん変え
る。例えば一学期に1年生でやるプリントでは、まず、菜根譚の人生論みた
いな文章を写す。と言っても5,6分で移せる程度。これで大体教室は静か
になる。それが終わったら、「名古屋弁講座」という本の文章を順番に音読
させていく。「えりゃーさんがどえりゃーえらがっとらせったに」という平
仮名がうまく読めなかったりする。「貴社の記者汽車で帰社」などに展開さ
せていく面白い内容である。そして最後の5分くらい一日一問「あるないク
イズ」をやる。クラスによっては大変楽しみにしている。こういうのを添え
て「国語の授業は面白い」とだますのである。
 
 ある     ない
 
 豆      種 

 蛾      蝶
 
 星      月

 イカ     タコ
 
 空      海

 やる     やらない

(   )   キリン


 わかった人は言わずに挙手させる。少しずつヒントも出しつつ、例えばこ
の問題で言えば、「絶対にオレは無理」とか言っている生徒に、「では今か
ら@@にヒントを出してもらいます。」と言って、ある の方を読ませてい
く。「では、指さしていったら読んでみて」と言って読ませる。で、どんど
ん早く読ませていくと、「豆が ほしいか そら やる」「象だ!」となる
。しかし今年この問題をやっていると、「オレこの歌知らん。」と言った生
徒がいて、少し驚かされた。
 これで45分である。

 教材を選ぶときに、全部が全部でないが、「弱者の視点」を持ちうる作品
を意識している。夜定にいること自体が既に弱者であるとも言えるが、人は
しばしばその関係性の中で、強者であったり弱者であったりすることを免れ
ない。何が強者であるかは別の問題である。英国王は強者であるが、吃音で
あることは弱者となる。弱者の気持ちにシンクロすると言うことは相手を思
いやると言うことに通じる。

 よく生徒に大人になれ、と言う。そして私の大人であることの定義は、他
人の事を考えられるかどうかと言うことである。誰もが自分がかわいいし、
自分の損、とか得の価値観に準じて行動しがちである。私の相手をしている
生徒たちの中には、いろいろと不器用ではあるが、本当に心根が優しい生徒
たちもいる。そういう生徒の行動を取り上げてよく話をする。「50歳過ぎ
てもガキはいる。ガキは自分のことしか考えられない。しかし大人になると
いうことは、自分、自分、というところから、余裕を持って人のことを考え
て行くと言うことである。」みたいな話をする。ガキは格好悪い。人として
の信用の大切さ。そういうところを彼らに意識してもらいたいと願う。ただ
夜定の生徒の中には今時の若者とは言えないくらいピュアな生徒がおり、こ
ちらが教えられることも少なくない。

 少し本題から離れてしまうが、かつてこういう生徒と出会った。中学校の
時は暴走族とかかわり、家出ばかりしていて家に寄りつかなかった女生徒で
ある。自分の中でこういう事をしていてはだめだと夜定に入った。学校に入
学すると、自分から選んで特養の老人ホームでアルバイトを始めた。そして
その給料の中から毎月3千円、途上国のチャイルドの支援をし続けている。
「先生、今日なんかうんこの後始末ばかりだったって」夜定では生徒からパ
ワーをもらう場面もしばしばある。

 世の中には様々な弱者がいて、様々な不当なこともある。そして世の中に
はそのような事に対して、自分の人生を捧げた人も数少なくない。そういう
意味では教材とすべき作品もまだまだあるはずである。

  
***************************
 
 授業料が払えない
 私はくたくたの体でいつも目を覚ます
 重い身体を引きずって
 ファミレスの仕事に入る
 私は少しぼーっとしているので
 店長にいつも怒られる
 四時になると着替えて高校に向かう
 授業料が払えない
 お給料の袋はそのままお母さんに渡す
 定期代とおこずかいの5千円をもらう
 「おかあさん、授業料の分・・」
 「ごめんね、もう少し待ってもらって。」
 お父さんの病気の借金がうちにはたくさんある
 おかあさんは二つの仕事をがんばっている
 うちはお金が少ないけれども
 病院のお父さんと中学生の妹と小学生の弟と
 本当に仲の良い5人家族だ
 私はずっとこのままいつまでも5人で暮らしていきたい
 
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「夜窓より」(5)

2011年09月03日 | 教育
「夜窓より」 (5)

                   瀬尾 公彦(愛知県)
                  seo@ksn.biglobe.ne.jp


 夜定も学習指導要領を免れるわけではないので、建前的には教科書を使用
しなければならない。しかしそれが生徒たちに見合っているかと言えば、見
合っているはずもない。教科書は一つの象徴であるが、例えば、教師の講義
形式という授業形態も自明のものであるとも限らない。
 
 教師が板書しつつ、生徒がノートに写す。これを「勉強」と呼ぶ。「学校」
という集団主義教育の効率性のこの形態も様々な試みで揺さぶられてはいる
とはいうものの王道である。しかしどのような形式によるものであっても、
知の獲得というのは基本的に個人的な営為である。平均点とかクラス順位と
かそういう文化の中でその基本的なことが見過ごされ、いわゆる落ちこぼれ
ていく生徒たちが数少なくいる事も事実である。

 本校に来る生徒たちは概して義務教育で学ぶとされている基本的な知識が
欠如している。新高等学校学習指導要領の解説、「総則編」には、「学習の
遅れがちな生徒の指導における配慮事項」という項があり、「義務教育段階
の学習内容の確実な定着をはかる為の指導」というところにも目配せをして
いるところを見ると、これは単に定時制のみの問題でもないのであろう。

 ただ冷静に考えれば、夜定の様々な遅れ方を伴う多数集団を相手に、「学
校」の集団的営みである授業を通じて、個々に遅れた生徒たちに対して、「
学習内容の確実な定着を図る」ということが求められており、実際は教科書
どころではない、というのが私の個人的な感想である。そこで、各教科様々
な定時制なりの授業を模索するわけであるが、そこは一人自分のみでの戦い
となる。ちなみに私は国語の教員であるが、専任は私一人である。なんやか
や教材を作っては捨て、作っては捨て、というのが実感である。

 近年、学習到達度調査(PISA)などの調査を根拠として、日本の学力の低下
ということが取り沙汰されている。その「学力」について個人的な感想を書
いてみたい。実際その調査の中身については詳しくもなく、場合によっては
そのことに尽力されている先生方々は気分を害されるかもしれないが、その
場合は、私の考え違いを率直にご指摘いただければ、と思う。

 割と熱心な親たちを相手にこういう話をしたことがある。「今、レベルの
低いと言われている定時制の4年生の期末テストで勝負して、お子さんに勝
てると思いますか?」人は忘れる生きものである。そして忘れられた学力が
問題とされる場合も現実の場面ではかなり限られている。
 確かに一度数学的思考を脳で経ることや、一度知識として脳を通過させる
ことは意味のあることのようにも思う。一部の職種に就く人たちにとっては、
学生時代に「学力」を身につけることが、生きていく上で大きなスキルにな
ることも否定はしない。しかし「学力」は万能でもなく、「学力不足」がそ
う致命的なことでもないであろう事を多くの人は感じている。現実的には、
「学力」自体よりも、それを武器とした、より難関の大学入学という学力取
得の意味が大きいのであろう。「学力」を受験と少し切り離して考える際に
、受験科目以外の「学力」について考えてみるとわかりやすい。例えば、音
楽や家庭科や保健の「学力」不足が人にとってどのような問題をはらんでい
るのかを考えてみると良い。

 大学進学をしない生徒たちにとっての「学力」。「学校」とはその学力を
身につける為の使命を持つ。定時制に於いても同様である。しかし「学力」
という発想は学力そのものの問題よりも劣等感を与えるという側面もある。
(当然より少数の人にとっては優越感も。)視点を変えれば、「学力」その
ものは、人に劣等感を与えるほどのものかという気がしている。本音で言え
ば、社会で生きている人の多くは「学力」不足である。しかし生きていく上
で必要な知識はかなり限定されている。15歳だけでなく、例えば42歳に
も「学力」調査をしてみれば見えてくるものがあるのではないか。あるいは
青年期においてのみ「学力」獲得は意味があるという認識なのであろうか?
人にとって、「学力」そのものよりも、「学力」獲得に向けての自信である
とか劣等感であるとかの問題の方が大きいように私には感じられる。

 100年後も「学校」はそのような「学力」やテスト中心のところから逃れ
られていないとすれば、あるべき未来として、少し暗澹たる思いになる。中
国の科挙のように、人は学ぶこと自体よりもそのシステムから自由にはなり
得ないのであろうか。

 よく考えてみると、「学校」で学ぶ内容にはいくつかの段差がある。

 *絶対に知っておくべき事。知らないと現実に困ったり、恥をかいたりす
  る類のこと。
 *知っておいた方が良いこと。
 *知っておくとひょっとして良いかもしれないこと
 *たぶん知らなくても良いこと
 絶対に知らなくて良いことがあるのかどうかは人生観にもよるので言えな
 い。

 言葉にすればこんな感じであるが、そこはきっぱり分かれているわけでも
なく人によって対象も変わる。教育には識字教育のレベルから様々なレベル
が存在する。知として常に記憶されていることが学校教育の中では求められ
るが、実際は「ベーチェット病」について知らなくとも、それを調べる手段
を認識していれば良いわけである。最小公倍数の「学力」はそれはそれとし
てあっても良いが夜定で考えさせられるのはむしろ最大公約数の「学力」で
ある。

 学力は必要であるという時、「読み書きそろばん」という言葉が出るが、
もう少し拡大して「絶対に知っておくべきものごと」を特定しておいたら
という気持ちがある。たとえば、漢字一つで言えば、夜間中学の実践に「生
活基本漢字」というものがあるが、そのような発想での漢字の特定はできな
いものか。漢字一字一字の難しさではなくて、たとえば私がよく授業で取り
上げるのは、県名であるが、愛知に住む人にとって隣の「岐阜」と言う漢字
は、必要な漢字と言って良いであろう。
 現実は「絶対に知っておくべき事」が「知っておいた方が良いこと」など
の流れの中に埋没して、本校の生徒たちのように、九九が言えない生徒の存
在となってくる。

 一冊の教科書を毎年通り一遍次々なぞっていく「勉強」を少し疑っても良
いのではないか。例えば小学校5年生はすべて復習に充てて、生きていく上
での必要な「基礎学力」の定着を図るという発想があっても良かろうと思う
。平等主義に浸るのみでなく、生徒の実情にあった複線系のきめ細かな現実
的対応が必要な気がする。

 二学期のことである。自作の基本的な漢字のプリント学習をしていると、
「先生。こいつカタカナ書けんよ。」という声が上がる。確か前の授業で板
書できなかったことで、それがわかったようである。「そうか。わからんか
ら学校来てるわけだから、学校来てる間は、わからんことは恥ずかしい事じ
ゃないからな。」みたいな押さえ方をして、「よし、おまえはプリントやる
前に、カタカナやろうか。」ということで、その日から何時間かかけて、結
局すべて覚えることが出来た。最後は前に出て、他の生徒の言う言葉を板書
していき、「このクラスで一番賢くなってるなあ。」とか話していると、恥
ずかしいような嬉しいようなそれでもやや誇らしげな表情も浮かべていた。
不登校でもLDでもない彼の過ごしてきた時間が少し思いやられた。

 昨年度、いわゆる基礎学力不足の生徒たちで、バイトがなく時間の都合の
つく生徒たちを始業前に集めて、基本的なことを教える事にした。たとえば
、九九などは忘れていても割と覚えることは出来るようになる。数学(算数
?)でまず大きなヤマは、三桁の割り算であった。それでも一対一で教えて
いると少しずつ理解するようではあった。得てして簡単なことを教えるのは
難しい。たとえば、てにをは などの表記。優秀な高校ならば、これは品詞
で言えば、名詞だから「わたし」助詞だから「は」と言えば終わりだが、名
詞という言葉さえ知らない生徒に、伝える為には、こちらが名詞なる概念、
助詞なる概念を彼らに伝わりやすそうな例を出しつつ、様々な角度から説明
していかなくてはならない。前にある生徒に伝わった形の説明の仕方が次の
生徒に伝わるとも限らず、そのようにしてこちら側も彼らのわからなさを理
解する力が養われていく。そして毎年「はたしわ」とか書いてあるのを見る
と、来た来たという感じで身構えるのである。
 様々な授業を試行錯誤的に続けているが、本当にまだまだ道遠し、という
状態である。それでも個々に教えているとき、どのような低学力やLDの生徒
たちも、その知獲得と言うこと自体の行為は、決して嫌いではないという印
象がある。「勉強」は大嫌いな生徒たちも、知ること自体は必ずしも嫌いで
はない。クイズ形式のテレビ番組のいかに多いことか。
 全日制に勤務しているときにかつて思ったことだが、同じ言葉を相手に伝
えるとして、一対一で伝えることと、「学校」のたとえば3時間目の国語の
授業で教師が一人多くの生徒たちと対峙する教室で伝えることと比較してみ
ると当然その伝わり方が違ってくる。後者はある意味、最も相手に伝わりに
くいシチュエーションであるといっても良い。言語のリアリティは、その人
間の関係性と言葉に対する責任性に由来すると言っても良い。かつての「学
校」ではまだ教師の言葉にリアリティのある時代もあったようではあるし、
現在完全に失われてもいないのではあろうが、概して低下している傾向にあ
るようである。教師という役割から発せられる言語は「学校」という劇場で
演じられている台詞とも言える。教育基本法などで目指されている「教育」
について見るとき、それはまた別のシステムのようにさえ感じさせられる。
 言葉のリアリティは、言葉の発信者への信頼となる。そういうことの積み
重ねが定時制では特に重要となって来るのである。
  
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 みんなからはどう見られているかわからないけど
 私はこの時間が結構好きだ
 最後の授業が終わると
 みんな「おやすみ」と声をかけあって
 急ぎ足で廊下の向こうに消えてゆく
 つい先ほどまで赤く焼けていた隣の校舎も
 今はもう真っ暗な闇である
 夜に飲み込まれた風景を遮るように
 私は窓を閉め、机の周りに投げ捨てられたプリントを片付けていく
 そうしているうちに
 ミキちゃんが黒板をきれいに消して、机をそろえ始める
 二人で軽くほうきで掃いて
 全日制の人たちの朝の為に教室をきれいにする
 先生が来て灯りを消して
 暗い校舎の中を笑いながらお話しして帰る
 そのようにして私の一日は終わる
 外に出るときは
 来るときよりも決まって心が軽くなっている。
 
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「夜窓より」(4)

2011年09月03日 | 教育
「夜窓より」 (4)

                   瀬尾 公彦(愛知県)
                  seo@ksn.biglobe.ne.jp

 三月は別れの時であれ、あたたかな感じがする。四月は出会いの月である
だけにある種の緊張感を伴う。三月は言い方を換えれば実りのときである。
進級、卒業というゴールがここにある。形だけ俯瞰して言えば、入学して、
生徒も担任の教師も、四年後の卒業式一日の為に突き進んでゆく。クラス数
も少ない為に夜定の場合、同じ担任が四年生まで持ち上がることもしばしば
ある。新卒で入学したとして、十五歳から十八歳までの四年間。十八年間の
中の四年間。決して短い時間でもつきあいでもない。
 卒業。定時制の卒業式はなかなか感動的である。内容は置くとしても、そ
の一つのことを成し遂げたこと自体に大きな意味がある。まだ公然と式後に
「謝恩会」が開かれていた時代に、或る先輩教師が「この日だけは本当に生
徒たちがよくしてくれる。」と嬉しそうに語っていた表情が忘れられない。
毎年繰り返される生徒たちの成長した姿やねぎらいの言葉は、教師名利に尽
きると言って良いであろう。困難があればあるほど卒業の意味は重くなる。
そのようにして一つの「仕事」が終わり、彼らは巣立ってゆく。

 現実に戻って、担任にとってほっと出来る日は、自分のクラスのあと一時
間休むと単位不認定科目となる授業がすべて終わった日である。担任によっ
ては夕方になると、そのような科目のある日は生徒に必ず電話を入れる先生
も存在する。このような仕事であるようなないような物事も多々ある。それ
でも電話に出たあとについ眠ってしまって留年が決まったという話もあった。
 今年の二月の出来事である。欠課ぎりぎりまで来ている生徒を呼んで話を
する。「簡単に言うと、もう木曜日以外は一日でも休んだら留年。わかった
?」「はい。」そして次の木曜日、欠席して電話をする。「だって、木曜日
以外は休んだら留年でしょう?他の日ガンバっとるでしょう、オレ。」「お
まえ、そのスタイル変えないと絶対どこかで人生失敗するぞ。」そのような
緊迫感のある年度末である。

 こういうこともあった。「先生A子まだ来とらんよ。今日三時間目休むと留
年でしょう?」仲の良いB子が担任の私のところに来た。卒業を目の前に控え
た時期のことである。偶然姉と二人で住むA子の家は学校の近くにあり、偶然
私も空き時間であったのでB子を伴って車で向かった。「電話しても出ないか
ら、絶対に寝とるよ。」自宅に着くと鍵がかかっていて何度ブザーを鳴らし
ても出ない。しかし室内は明るく、いかにも中にいる気配である。アパート
の一階で、私は不在の隣の部屋の庭を不法侵入的に通過させてもらい、A子の
庭側からサッシをどんどんと叩くとA子が起きてきた。「先生ダメダメ化粧、
化粧。」と言うのを「時間ない。」と言って連れ出し、何とか教室に放り込
んだ。そして、スッピンの顔をさらし笑われる代わりに無事に卒業していっ
た。その生徒ももう母となり立派に暮らしている。

 一度だけ、一年生で退学者ゼロという年があった。この年とて中身は同じ
で、特に他県から宮大工を目指して名古屋に出てきて一人暮らしをしている
生徒が欠課ぎりぎりとなった。結束の強いクラスで、何人かと一緒に、靴を
脱いでからたくさんの部屋のある昔ながらの彼のアパートへ行った。丁度建
築科のクラスで、大工の見習いみたいな生徒が多かった。部屋の中から鍵が
かかっており、どれだけノックしても寝ているようで出て来ない。すると彼
らはいろいろな「武器」を持ってきて、時間をかけて外側から中の蝶番を外
してしまった。中に入るとやはり寝ていた、と言うこともあった。私も生徒
たちも、教育熱心とか友情と言うよりは、何か面白そうというノリで、楽し
んでいたようにも思う。

 と言ってもこのようなことばかりしているわけでもなく、長い中にこうい
うこともあったということに過ぎない。生徒一人一人が常時欠課との戦いを
繰り広げているわけであるが、逆に小中学校時代に長期の不登校の生徒たち
が、夜定に来ると全く休まずに、皆勤に近い形で登校するということも毎年
何例かはある。恐らく「学校」の景色を変わって受け取ることが出来たので
あろうと思う。

 やはり人はイメージで生きている。印象。或る人にとっては大好物のもの
がまた或る人にとっては大苦手のものとなる。頭では理解していても、人は
自己の価値観を中心としつつ、より多数の者の持つイメージを優先させがち
である。教師には学校幻想があり、得てしてそのイメージを押しつけてしま
う。教師が語るほど人生の意味は単純ではない。私の周りにいる生徒たちは
何かしら不器用であり、殊に学校に関わることのイメージは決して良いもの
ではない。教師に対して根強い反発と不信感を持って入学してくるものも少
なくはない。
 全日制から転勤してくる教師たちは当初軽いカルチャーショックを受ける。
生徒たちのこのような言葉で洗礼を浴びる。「上から目線で物言うな。全日
っぽい。」「先生、もっと力抜かんともたんよ。」「語るね。」「先生もそ
のうち慣れるわ。」そして半年もするといろいろなぶつかり合いを演じなが
ら教師もまた変わっていく事が多い。
 良きにつけ悪しきにつけ、教育制度の合間にある定時制には定時制の文化
がある。流れる水はそれぞれ個性的な水であり、しかももとの水にはあらね
ど、河は河として細々と流れ続けている。消えるうたかたを見るのは寂しい
ことではあるが、それもまたこの河の宿命といって良いであろう。


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 車椅子の上の龍の姿や声は小学生であるが
 龍は十七歳である
 移動教室の時、
 椅子ごと階段を友人三人くらいに運ばれてゆく
 すると、龍は決まって
 「ありがとうございます。」と言う
 龍には鉛筆を握りしめるだけの力はないが
 なんとか手の上で支えて
 うすく文字を書くことは出来る
 龍も怒ることはある
 悲しむ表情もある
 しかし龍の武器は
 実にさわやかな笑顔である
 龍は電動の車椅子でひとり登校する
 龍はそのさわやかな笑顔を湛えて
 誰にでも声をかけ挨拶していく
 そして授業が始まると
 テープレコーダーをまわしてもらう
 家に帰ってから
 もう一度ゆっくり勉強するのだ
 
 龍には龍の生きる流儀というものがある
 
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「夜窓より」(3)

2011年09月03日 | 教育
「夜窓より」 (3)

                   瀬尾 公彦(愛知県)
                  seo@ksn.biglobe.ne.jp


 地域にもよるであろうが、私の経験した夜間定時制高校では、入学
から卒業までに約半数の生徒たちが退学してゆく。理由は様々である
が、結果として見れば、教科の出席時数不足による退学が多くなる。
 中学校や全日制高校であれば、基本的には毎日学校に行くのが「当
然」であり、欠席する場合には理由が必要とされる。日本の学校のア
イデンティティと言っても良いと思う。

 学習指導要領では一単位35時間の授業数を標準とするとなってい
る。これに対して単位修得には約3分の2の24時間の出席が必要と
されている学校が多いようである。出席時数(欠課時数)は各学校の
内規等に定められている。わかりやすく欠課時数で話を進めていくが
、一単位について11時間までは休めることになる。本校も12時間
になると不認定が確定する。私の前任校では9時間まで、厳しい学校
では6時間までという学校もある。学校によってこのようなずれのあ
ることも不公平な感じもするが、余り問題となったという話も聞かな
いので、学校の校長裁量権の範囲と言うことで許容されているという
ことなのであろうか。勿論、補充授業の実施など様々な工夫はなされ
るのであるが。
 このように、システムの問題で言えば、高校は毎日通わなくとも進
級、卒業できる。しかし「学校」という共同幻想の中では、学校は毎
日通うところで、教師はそのような心性で生徒に立ち向かう。そして
概して真面目にそのことを疑わずに高校に通った階層の高校生が教職
に就き、価値観が再生産されて行っているのが現実である。このよう
な価値観を「当然」とするのであれば、そこにはそのための論理と、
実際の前述した学習指導要領とのすりあわせは必要である。現状の最
大1年に11週間欠席しても進級できるシステムを積極的には知らせ
ずに、「学校は毎日来るべきところ」という意識で成り立っていると
も言って良いであろう。定時制に於いても入学当初はそのような意識
で指導する。そして実際に欠席が重なってくる秋頃から、後何時間休
むと留年です、みたいな話を本人や保護者に対して行なってゆくこと
になる。
 
 実際の教室ではそのような共同幻想が失われた後の問題が様々と出
てくる。1年生の後半にでもなれば、周りを見て、これくらいは休め
るということがわかってくる。「先生の科目、後何時間休める?」み
たいな質問も出てくる。それでも、休むことの出来る自由さの中での
自分を律する力というものが大切であると私は感じている。それは他
者より強制されて意味もわからずに従順に登校することに比べても意
味がある。まさしく「生きる力」である。実際その自由さの中で失敗
して退学することが起こるのだが、そのようなことを学ぶと言うこと
も必要である。退学して終わりではなく、その後も人生は続いてゆく
。夜間定時制であるので、留年や退学経験者も少なくないが、そのよ
うな彼らの卒業は、一度失敗した経験を乗り越える形のもので、やは
り通常以上の意味と価値がある。

 現代、人々はより個人的、功利的な価値観で動いているように窺え
る。そのような社会にあって「学校」のみが、そうではない価値観を
呈すべく孤軍奮闘している観さえある。一職業としての教員自体もそ
こは免れてはいない。一例を挙げれば、教育的に少々まずいことがあ
ろうと、教員が年休を取って休む権利はある。労働者としての視点か
ら見れば正当である。では生徒が未成年なりの休む権利という視点は
どうであろうか。これは結構ぼやかされており、例えば、発達障害に
よる不登校という意味づけがなされて初めて、休む権利というスイッ
チが入る。職業としての教員と被教育者としての生徒は違うという考
え方は教育本来の在り方から見ればそう簡単に断言できるものでもな
い。当然現在の「学校」の在り方と関わってくる問題で、「教育」の
中身にも抵触してくる問題でもある。

 さて、現実に戻って捉え直すと、「先生、東野圭吾の新刊今日買っ
たから明日学校休んで読むからね。」とあなたの生徒が申し出てきた
ら、あなたはどのような言葉を紡いでみるであろうか?学校によって
はこういう言葉が「非常識」と自主規制して出ない学校も少なくない
であろうが、定時制ではそのようなことがよく起こり、自分の教育観
、価値観なり人生観なりが問われる場面にしばしば遭遇することにな
る。私ならば、「いいねえ、どうせなら音楽でも流して、コーヒーで
も片手に読んで見たら?人生の幸せな贅沢な時間だね。俺も今度休ん
でやってみようかな。」くらいは言いかねない。こまごまと先生の役
割的言辞を弄して常に自分の言うことを聞かせるよりも、本当に大切
な時に、こちらの言葉が染みこむような人間関係を築けるようなスタ
ンスを優先させることが多い。まあ「おまえには休む権利もあるし、
退学する権利もあるからな。あまり癖にするなよ」くらいは付け加え
ると思うが。

 欠席に限らず、私は定時制の教育の中で、自分を律するという視点
が重要であると考える。ただ、現実的な言い方をすれば、まず自らを
律する自己の意識というものがなければ、その段階に行かない。律す
るにはまず自己を自由に扱えるという状況が必要で、ある種の強制さ
れたり抑圧されたりする中では自己が心理的にも埋没しがちである。
その対象は親であったり、学校であったり、社会であったり、世間で
あったり、現代、自信を失わせる多くのものが若者の周りには存在す
る。人生に対して受け身になる状況はたくさんある。しかし少し自信
がついたりすると人生の景色もまた変わり始める。定時制に於いては
入学式は皆不安げで、どちらかといえばうつむき加減で門をくぐる。
そして4年後、結構多くの者が胸を張って顔をあげて卒業してゆく。
 
 私の願い的に言えば、まずいろいろなものから自由になること。そ
してその自由さを律すること。言葉で言ってしまえばこういうことな
のだろう。まず自由になること。「うるせえババア、だまっとれ。俺
はもう自分の思い通りに、バイトも学校もやるから、何も言うな」そ
してその自由さを律すること。「しっかり卒業も出来たし、あの頃は
若かったからいろいろと親不孝したから、これからは親孝行するでね
。」すべてがこのようなサクセスストーリー?ではないが、こういう
パターンにも結構遭遇することが出来たのも事実である。例えば親に
甘えてしまい、いつまでも自由たり得ぬ者もいる。しかしそこからふ
っと一歩を踏み出す者もいる。自由になることの戦いは、自立という
言葉で置き換えても良いのだろう。

 さらに難しいのは自己を律することである。私などもまだまだであ
るが、そのことの戦いは生涯続くのかもしれない。例えば、虐待を受
けた子が親になるとまた虐待をついしてしまうと言う。「先生、だめ
だってわかっているんだよ。」最大の敵は自分であり、自分に負けた
ときが一番応える。しかし負けても負けても、そこで投げ出さずに次
の自分に期待する形で立ち向かうことが大切である。自己嫌悪の中で
肯定できる自己という光明を探すこと。そのとき私の出来ることは寄
り添う形で彼を気にすることくらいである。私のことは置いて、悩め
る若者たちの近くに良識ある大人の存在があるということは大きいし、
そういう存在に巡り会えている者は幸いであると私はよく感じている。
この辺りの自律性についてのことはうまく表現できているか心許ない
限りであるし、また異論があっても良いと思う。

 ただ私はこういうことを時折り語りたくなるのである。実際どうで
あるかは問題でなく、特に若者に対して、例えば人間の存在は生物学
的に偶然なのでそれをもって人生に意味はないと断言することは教師
としては控えたいし、輝かしい未来はないとしても、何かしら人生の
肯定的なイメージ、あるいは意味をほのめかす形で、彼らの肩をそっ
と叩いてみたくなるのである。私自身は無宗教であるがこの辺りのこ
とは、教育を通じて、例えば西洋の神の文化が羨ましく感ずることが
ある。

冷静に考えれば、教員というのは教科の専門職として採用される。
その教員が生徒という名の人間を人として教育するというシステムで
ある。まあ他を見渡しても所詮人の専門家などという者も居るとも思
えないが、たとえばパウロフレイレの「対話的教育」的なあたりに良
質な教育の存在をおぼろげに感じてはいる。教育が専門家によってな
されることに対してもいささか懐疑の念を感じてしまう。教科教育の
専門家ならばわかるが、イコール人間教育の専門家という認識なり要
請が内外にあるのも事実である。部分的に例えば少々発達障害などの
知識を得たとしてもそれは単にそういうことで、部分部分の専門家は
また他にいるはずである。そんな聖職者みたいな像はそもそも期待す
る方がおこがましいわけで、江戸時代の、少々物知りのご隠居さんく
らいの存在として、あたたかな眼差しを投げかけてくれるような社会
こそが逆にメンタル的に成熟した社会と言えるのではあるまいか。
現代、教師を取り巻く要請自体にも健全でないものを感じてしまうの
は私だけであろうか。
 

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 昨日、リストカットしちゃった。
 学校の帰り道、舞梨は私にそうささやいた。
 私はびっくりして言葉が出ずに
 顔さえも上げられずに
 足元を見たまま歩き続けた。
 リストカット。
 マリンブルーやフルーツパフェみたいに
 そんなに軽く言っていいの?
 舞梨も黙っていたから
 「生きるのがいやになっちゃったんだ」
 と言ってみた。
 私こんなこと言ってていいのかなと思っていると
 舞梨が「うん」と言ってくれたので
 ちょっとほっとして
 「つらかったんだ」
 と言ってみたが、今度は返事がなかった。
 こんなときに言う言葉の見つからない私は
 本当にバカだと思ってさみしくなった。
 
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「夜窓より」(2)

2011年09月03日 | 教育
「夜窓より」 (2)

瀬尾 公彦(愛知県)
seo@ksn.biglobe.ne.jp


 言葉が現れて来るということが時折りある。私が目にしたの
は、近所の寺の、道路に面した石に刻まれた言葉である。
 <一隅を照らす> 最澄の言葉であるらしい。
世の中にはガンジーであるとかイチロー選手のように(例えが
変?)広く世間の多くの人の心を照らす人もいる。

 授業が終わり、多くの生徒が帰路に就き始めると、照明のスイ
ッチを押す。すると真っ暗な運動場がうっすらと浮かび上がって
くる。野球部の練習のスタートである。
 夜間定時制高校の部活動は小中学校や全日制高校の部活動と似
て非なるものである。教員のまず第一の仕事は部員を確保すると
ころから始まる。百人余りの在籍数から九人をキープすることは
なかなか大変なことでもある。そこまでして、部活動をやるべき
かという考え方もあるが、教育機会として殊に入学者の半数がド
ロップアウトしていく夜間定時制高校ならでは一層有効であると
私は考えている。当然部活動が続けば、学校も続くのである。
 経験者もさほど多くはない。塁間の距離を投げられないような
生徒もおだててほめてキャッチボールから教えたりもする。そう
いう生徒が四年生となり、全国大会出場を決めるような場面で、
逆転タイムリーヒットを打つなどという素敵な思い出もある。

 指導に際して、私にはいくつかのこだわりがある。その一つは
練習は四月から十月は毎日必ずやり、いくらうまくても練習に来
ない生徒はやめさせる。その結果試合に出られなくとも、それは
それで仕方がないという考えでやってきているが、幸いもう二十
五年以上参加し続けることが出来ている。
 このことは当たり前のようで当たり前でもなく、私はこの対し
方のみが正しいとも思ってはいない。グランドの関係で、練習は
週何回と余儀なく決まっている学校もあるし、グランドのない通
信制高校では、近隣の小学校の狭いグランドを借りて苦労してい
るところもある。とにかく真面目に練習する生徒数人の活躍の場
を奪わない為に試合前に助っ人を頼む学校も少なくはない。

 かなり昔は鈞ちゃんが来てテレビ放映された記憶のある方もお
見えになるかもしれない。定通の全国大会は正式には「全国高等
学校定時制通信制軟式野球大会」と言い、「めざせ、神宮」であ
る。「めざせ甲子園」と異なり、定通の大会は予算の都合で複数
会場で試合を行う為に、開会式こそ神宮球場の土を踏むことが出
来るが、組み合わせによっては神宮球場で試合が出来ずに負けて
しまう高校も少なくないのが現状である。

 全国大会は東京の役員を中心として、本当に献身的な尽力によ
って成立していると言っても過言ではなかろうと思う。そしてま
た県大会なども役員の先生たちの思いによって運営される。この
ような思いがなくなると、県に於ける大会自体が消滅するという
事態も起こる。各部の部活動もまた先生たちの思いで成立してお
り、顧問が転勤した為に廃部になるということも日常茶飯である。
これは野球だけでなく、定通の競技すべてにおおかた当てはまる
と言っても良いだろう。

 私自身も愛知で長く運営に携わっているが、単に仕事を超えて
尽力される先生方と数多く関わってきた。例えば、試合前日に雨
が降って当日晴れるとする。仕事的に言えば、規約通り一週間順
延すれば良い。しかし順延すれば、アルバイトやスクーリングの
為に参加できなくなる生徒もいる。場合によっては、そのことで
参加できなくなるチームも出てくる。そこで、「がんばってみま
すか。」と、先生生徒たちが、雑巾でバケツに水を汲み上げ、何
時間もかけてグランド整備をして、時間をずらして一試合でも多
く試合をする。
愛知の場合、土曜日に試合を組んでいるが、組み合わせ会はそ
の週の火曜日としている。いくつかの学校でぎりぎりまで九人目
の選手を巡っての攻防がなされている可能性があるからである。
そういう実情なので、一人寝坊して当日不戦敗ということも時に
は起きたりもする。顧問にとっては試合の前に、朝九人の顔を見
られるかという戦いがある。こういう戦いに耐えられない顧問は
部活動を支えられなくなってゆくのが現実である。

 また野球の場合、県大会で優勝しても全国大会に出場できるわ
けではない。不況の下、何年も前から全国大会の試合数を減らす
為にブロック代表制をとっている。東海ブロックでは、愛知岐阜
三重で大会を行い、一校だけが全国大会に出場できるのである。
教育現場もお金に左右される。全国大会でもう一試合勝つとお金
が足りなくなるので辞退して地元に帰らなければならないという
話もかつて聞いたことがある。全国大会出場は学校にとって嬉し
いことであるが、昨今予め予算化できない類のもので、結構予算
の捻出に頭を悩まされたりもする。
 定時制においてはその存在自体が採算が合わないという理由で
全国的にも募集停止に追い込まれるケースが少なくないと聞く。
校内の予算も在校生が少ないので、例えば生徒会費も少なくなり、
その中から支出される部活動費も少ない。本校の野球部も、夜の
為にボールも探しにくく、マウンドもバックネットもない運動場
の為に校外にファールボールが飛んでゆく。そのボール代だけで
部活動費が消えて、公務員パッシングの一環でこの冬のボーナス
も十年前に比べて二十五万円も減らされている私の懐を追撃して
くる。生徒が熱心に練習すればするほどお金もかかるのだが、個
人的にはまあこんな幸せな時間を持てているので仕方がないかと
無理矢理納得させている。

 今年こんなこともあった。「ナイスバッティング」四番が練習
で打った打球が運動場のネットを超えてゆく。「すげえ」が「や
ばい」に変わって私はダッシュで塀を乗り越え、ボールの入った
民家のインターフォンを鳴らす。時間はもう午後十時をまわって
いる。私が謝ると、そこの家の方が「定時制でしょう。昼働いて
夜勉強して部活動がんばっているんでしょう。うちは気にしなく
て良いからどんどんやりなさい。」と言ってくれて私も生徒たち
も心から「ありがとうございます。」とお礼をして嬉しくなった。
 かと思えば、苦情も来る。時折り卒業生や草野球のチームを呼
んで練習試合をする。土日はアルバイトの生徒もいるので授業後
となる。試合なので「しっかり声出せ」と指導していると翌日「
うるさい」と電話が入ったりもする。

 野球というスポーツは面白いスポーツで、自分の喜びが人の喜
びとなり、人の喜びが自分の喜びとなる。自分がヒットを打てば
仲間が飛び上がって喜んでくれたりする。ベース上でのガッツポ
ーズの瞬間は至福の時間であると言って良い。逆もまたある。そ
こに元暴走族も引きこもりもない。
 毎年神宮を目指して、気持ちを込めて試合に立ち向かう。そし
て多くは敗戦して、ぼろぼろと涙を流したりする。いくつかの思
い出が積み重なっていく。
 野球はドラマと言われるが、定通の野球はへたくそな分、さら
にドラマチックである。私は幸い今までに三度全国大会に出場さ
せてもらっているが、一度は最終回に五点差を追いつき、そして
一度は最終回ツーアウト一塁から四点差を逆転負けした。負けた
瞬間、生徒たちの何人かはその守備位置で泣き崩れて、友人が寄
り添って整列して、試合後も体を震わせて号泣して悔しがった。
今思っても悔しい試合だが、私はこの悔しさを彼らと一生共有で
きることの幸せも今感じている。勝ち負けよりも、彼らが涙が出
るほどの思いで野球に関わっていることが大切なのであろうと思
う。

 冬場の練習は「寒いで無理」という生徒たちは放置しておいて
、やる気がある者だけで自主練習をする。一人でもいれば相手は
すると言っているが、毎年少人数となる。今年は三,四人で練習
しているが、これもなかなか良い時間であると感じている。全員
で出来れば良いのだが、どうしても集中力が続かない生徒が多い
ので、ここは無理強いしないことにしている。その代わり、毎年
冬場に練習した者は、やはり春になるとそれなりにうまくなって
いてそれを見るのも嬉しいことである。

 夜間定時制の教員の仕事は、本校のグランドのように照度が低
いもののような気がする。それでも近くで見ると、一人一人の表
情は眩しいほど輝いて見えることもある。きっぱりと仕事をする
力よりも、或る種の中途半端さを耐えていく力の方が求められて
いるようによく感じている。まあ闇であることを免れているほど
の光で、一隅を照らすことが出来ればと思っている。

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 テレビのヒーローは悪者を殴って
 かっこよく立ち去っていくが
 実際に人を殴ると痛い。
 勇介が生意気な口をたたいたので
 思いっきり顔面を殴ってやったら
 その日の夜、手が痛くて眠れなかった
 人というのは表面はぼよぼよだが、
 骨は堅く
 それはどんな軟弱なやつでも
 非常に堅い
 こちらも基本的には骨で殴っているので
 殴るというのは骨と骨の勝負で
 それは何か面倒くさく思えてくる
 逆に殴られても
 こちらの骨ががんばって
 痛いは痛いけれども
 何か自分の大切なものを
 守ってくれているような感じがする
 そう考えると
 骨は大切にしないといけないので
 今日も給食の牛乳は飲もうと思った
 
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「夜窓より」(1)

2011年09月03日 | 教育
【新連載】


■「夜窓より」(1)


      瀬尾 公彦(愛知県)
      seo@ksn.biglobe.ne.jp



 街の喧噪が静まる頃、闇に包まれてゆく校舎の一角の教室には灯り
がついて浮かび上がっている。時折り外から見るその光景はやや寂し
げなものではあるが、この夜間定時制高校での生活を私は気に入って
いる。

 趣味は「定時制の教師」と答えるようになって久しいが、「人生暇
つぶし」のモットーの私が、今年の年賀状に書いた「ぴょんと跳ねて
一歩前に!」の心意気で、新たなる素敵な暇つぶしとして連載させて
いただくことになった。
よろしくおつきあいのほどを。


 ご存じのように「定時制」は普通ではない。たとえば私のクラスに
は六十代の方がお二方お見えになる。入学式に、生徒たちや保護者に
向かって、この「普通」の話からすることにしている。日本で一番普
通の人は誰ですか?この中で一番普通の人は誰か答えられますか?
 普通に生きるとはどういう生き方でしょうか? 普通の人生の価値
はどういうものでしょう? 「でも先生、親としては普通に朝制服を
着て家を出てもらいたいと……」と言うような親も、夜間定時制に通
う子供の親として乗り越えなければならない何かがある。

 昨今では親のそういう気持ちから昼間定時制に人気があるという。
夜間定時制での四年間で生徒たちも保護者たちも何かが変わる。何か
を獲得して行くというように私には見える。
 

 仮に普通が良いことであったとして、自分が普通でないことや普通
にできないことの個人的な戦いは誰にもある。私にもあるし、多分あ
なたにも。そしてそれは自己と「普通」という名の他者との関係性と
その事への程度問題とも言い換えることができる。微妙な言い方にな
るが、「先生、あの子が暴走族やめて、普通に真面目に仕事に行くよ
うになりました。」と言われれば、本心から「本当に良かったですね。
お母さんもつらかったね。」くらいのことは言う。しかしそれはその
生徒にとっての道筋であって、普通になることへのベクトルのみが戦
いの道筋ではない。

 一生普通にはなり得ない生徒(という名の人間)もまた存在する。
今私の周りには様々な生徒がいる。LDを含めた低学力の生徒、全日制
を退学してきた生徒、小中からの不登校など心にこだわりを持ったり
客観的に病と診断される生徒、家裁の世話になったり非行傾向のある
生徒、外国人の生徒、高齢で向学心に富む生徒、経済的な事情を抱え
ている生徒、家庭での被虐待傾向のある生徒などなど。そしてしばし
ば複合している。こう書くと何かすごい集まりのようだが、私には、
人間にはいろいろな人がいるよね、の範疇で、少数であるか多数であ
るかは問題ではなくて、こういう彼らも存在する世界がまさしく世界
なのである。

 暑かった今年の夏の一コマより。「先生、窓閉めて! 網戸の隙間
から虫が入っとるよ。無理無理無理、ギャー」学校の近くに川のある
所為か、闇の中の光を求めて虫たちも学校に通ってくる。すると一分
もしないうちに「暑い暑い。死ぬ死ぬ死ぬ。」快適であることを求め
るのは現代人の常であるが、そのことが幸福であるとは限らない。楽
をすることや功利的なものを良しとする価値観の風潮の中、素朴な彼
らと教師として対峙していくことはなかなか楽しいことである。彼ら
はしばしば「隙間のある網戸」であり、そのことで虫のようなドラマ
が展開する。クーラーの完備された教室にはないまさしく人間模様で
ある。

 さて、書き始めて一つ悩ましい問題に気づくことになった。この文
章は規定に従って作者の私は実名で書いていった方が良いという判断
をしつつ、個人情報の問題で私の出会ってきた生徒たちの表情もぼか
さざるを得ない。と言って嘘を書くのもなあと考えて、詩の形式で、
一回に一つフィクションとして載せていくことにする。そこから少し
でも彼らの表情を読み取っていただけたらと思う。

 全くの手探りですので、この通信について様々なご教示、ご意見を
いただけると幸いです。今後ともよろしくお願いします。

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  違和感というものがある
  少女は小犬を引っ張って
  教室に向かう階段を駆け上がる   
  誰もが違和感を覚えながら
  少女を受け入れてしまうのは
  日常の少女の
  おおらかな純真さというか
  けなげさというか
  信頼感というか
  少女の素朴な笑顔に飲み込まれてしまう一人一人もまた
  あたたかい人たちである
  集団の論理があるとしても
  あたたかければ
  溶けてしまえばよい
  人は誰も 
  すべて正しくは生きることはできない
  あなたも
  今日だけは
  少女の笑顔に免じてくれますまいか

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