夜窓より ☆私の考えなり流儀なり☆

日刊『中・高校教師用ニュースマガジン』に連載中の教育への雑感をまとめておきます。夜間定時制高校の教師の視点です。

夜窓より(11)

2011年10月03日 | 教育
font color="blue">「夜窓より」 (11)

                   瀬尾 公彦(愛知県)
                  seo@ksn.biglobe.ne.jp


 震災より半年、新聞にその話題の飾らない日はない。職場でも何人か
はボランティアとして現地に入っている。情報としては、本稿(7)に
も書いたが、弟が仙台に住んでいるので、マスコミだけでなくよりリア
ルな形で入っては来ている。
 しかし、やはり自分でその臨場感を持つべく現地に入りたいと思った。
ボランティアではなく、とにかく自然な形で親戚などに話を聞きつつ、
自分の目で被災地を見て来ようと思ったのである。

 奇しくも台風15号が来ていたので、その辺りから筆をおろしていき
たい。私が計画したのは、9月21日から24日の三泊四日である。連
休があるので、学校は2日休みを取ることにした。名古屋から仙台は、
新幹線で片道2万円弱くらいかかる。飛行機ではもう少し高くなるが、
「出張の達人」のようなサイトで取ると、飛行機往復とホテル一泊付き
で、この日程ならば2万5千円と言うのがあり、そこを利用することに
した。
 さて、その前日。台風はまだ遠くにあったが、朝からすごい雨で、学
校に行く途中、毎日通る庄内川沿いの道路から川を見ると、かなり増水
している。河川敷のショートコースのゴルフ場は完全に水没している。
昼過ぎに学校に入ると、まもなく、この地域に避難勧告が出て、避難者
が体育館に来て、学校は休校という判断が出された。全日制も帰宅させ
るようである。雨は降り続き、川が決壊すると、車がやばいねえなどと
話しながら、クラスの生徒全員にメールやら電話で連絡する。生徒との
パイプはかなり日常的なことなので、これは苦もないことであったが。
ここが被災地的状況なのでわざわざ仙台まで行くこともないなとも思い
つつ、それでも業者と連絡を取っていろいろな状況について聞いてみる。
なかなか好意的な応対をしていただいた。

 私は翌日の夕方の5時発の便を押さえていたのだが、台風の進路図を
見ると、正午に名古屋を通過し、その後に関東、東北に向かう感じであ
った。これはその便は欠航しそうだなと思い、午前便への変更を聞いて
みる。このようなチケットの場合、午前便に変更すると更にお金がかか
るのだが、そうも言ってはいられない。昼頃の全日空への電話では、ま
だ欠航が決まらない場合の変更は困難で、朝の便を確実に取ろうとすれ
ば、更に新たに2万8千円だかがかかることになるという。うーん、往
復で2万5千円というのに。もう少し様子を見ることにした。
 台風が来ていても、欠航が決まるのは前日の場合も、30分前もある
という。それでも午後3時頃に様々な警報が出始めて、業者の方が「一
度変更で、チャレンジしてみます。」と言ってくれて動いて頂き、結局
朝の9時5分発の便に無料で変更することが出来た。「瀬尾さん、明日
絶対に行ってくださいね。」というような励まし?があり、こちらも「
何とか行きたいので最善を尽くします。」「がんばってください」みた
いな感じのやりとりがあった。

 私の家は幸い高台にあるのだが、自宅近くが冠水したり、川が決壊し
てテレビの全国版の画面に登場し始め、仕事としてやるべきこともやっ
てしまったので、年休を取って早帰りすることにした。やはり渋滞して
おり通常の倍くらいの時間をかけて帰宅したのであった。自宅から空港
のセントレアまでは通常車でも電車でも1時間あまりであるが、明日に
かけてより台風が接近するので、交通機関が止まる可能性もあるし、高
速道路も通行止めとなるとややこしいので、セントレアのホテルに前泊
することにした。そのホテルは(東横イン)宿泊すれば10日まで駐車
料金が無料で、部屋は小さいが値段はツイン二人で6千円台と格安で何
度か利用していた。さすがにこういう日なので結構部屋はいっぱいであ
ったが何とか急遽予約が取れた。

 このようなトラブル?があると職業柄か、妙に落ち着いて、自分に出
来る最善のことについて思いを巡らせる。渋滞が解消されるであろう夜
に出発することにして、家内と旅支度をしつつ、台風や名古屋の状況を
ネットで調べていた。まだ仙台行きは欠航になってはいない。テレビで
は名古屋の映像ばかりで、結局名古屋の人口の半数の100万人に避難
勧告が出されていた。まだ台風は海にあり、これからこちらに向かって
くるというのに。。。
 家を出るときは少し小康状態で、昼間に冠水していたところも水が引
きつつはあったが、川などはかなり増水していた。0時頃にホテルに到
着したら、翌日空港に迎えに来てくれる姪から、9時5分発が欠航にな
ったよとメールが入った。ホテルのパソコンで確認すると、その便だけ
が欠航になっていた。仙台行きは6便在ったが、どう考えても台風がお
昼に上陸する訳なので、朝の7時50分に更に変更するしかないと思っ
て寝た。その便はまだ空席がありこんな天気なのでキャンセルもあるか
もしれないとは思ったが、電話予約の始まる6時半前には空港のカウン
ターに行った。そして、変更出来て、台風の強風の中、小さなプロペラ
機に最後まで「こんな中飛ぶかなあ。」と思いつつも何とか離陸したの
であった。

 生徒たちからも電話がかかってきたが、結局名古屋は暴風警報がお約
束の午後3時にまだ発令されており、二日続きの休校となった。授業の
課題など迷惑をかけなくて済んで、少しほっとした。結局名古屋への便
はその後すべて欠航で、業者の方からの電話で昨夜からの奮闘を報告す
ると、「すばらしい」と喜んでくれた。寄り添ってもらうというのは気
持ちの良いものである。
 
 私たちを追いかけて仙台には午後9時くらいに台風が来た。弟夫婦と
姪、甥と食事をしながら、震災の話もいろいろと聞いた。姪も甥も一人
暮らしをしているが、地震直後、姪の所は水道、ガスが大丈夫で、他は
電気、ガス、水道とライフラインがすべて止まってしまった。甥は近く
の公園に水をくみに通ったようである。ガスの代わりのカセットコンロ
があるかないかは快適さの一つのポイントであったらしい。当日はとに
かくすごい揺れで、甥は部屋の中で両手を広げて、動く家具などを支え
ていたという。とても立ってはいられない状況であったという。数少な
くない余震には慣れてきたものの大きなものは本当に怖いと誰もが話し
ていた。
 
 姪は二日ほどは余震の中、家でじっとしていたり、車の中で本を読ん
だり音楽を聴いていたらしいが、携帯の充電が切れて、会社にソーラー
システムがあるのを知っていたので、ガソリンもあまりなかったようで、
自転車で二時間ほどかけて行ってみたという。しばらくは仕事にもなら
なかったが、結構社員は来ていたようである。甥は食べ物を確保する為
に、山形に車で買い出しに行き、米などを確保して来た。仙台では店な
どは閉まっていたのが、山形では普通に店が開いていることに感動した
と言っていた。弟の話によると、仙台近辺は米の産地が多いので、結構
知り合いから米を確保している人が多いようであったという。食べ物が
ない人は本当に不安でそこがあるないでは当然大きな違いであった。
 
 弟はコンビニを何軒か経営しているので、食料などは確保できていた
が、店のある分様々な苦労をしたようだ。地震直後も客の為に店を開け
ていたが、停電しているのでバーコードやレジも使えず、ものの値段も
従業員はわからないので、これは100円、これは300円と安い値段
で売り続けたようである。何が起きるかわからないので、新聞紙を店の
内側から貼り、店に泊まり続けたが、たまたま灯油を備蓄していたので
寒い店内で暖を取ることが出来たようである。やはりガソリン確保には
苦労したようだ。それでも自分の知り合いの農家から野菜などを買い付
けて、安くで販売したりした。
 
 弟の話では、結構復興の会社などは東京など外から来ていて、地元の
業者は、様々な形で被害を受けているので、場合によっては、耐えられ
ないで倒産してしまった所もあったようだ。4月に入って、大きな地震
があった際は、3月11日以上に揺れた感じがして、漸く片付けた部屋
の中がまたぐしゃぐしゃに倒れて、精神的にやられたと言っていた。全
国的なチェーン店であれば、金が流れてきてすぐまた建て直したりして
いるが金のないところはまたいつ地震が起きるかもわからないので、様
子を見ているような感じで、半年たった今でも手が着かないところもあ
る。

 「がんばろう東北!」というスローガンも様々なところで見かけたが、
これは東北以外の人が言っている言葉で、当事者的にはまだうつむいて
いる感じではないかと弟が話していたのは印象的であった。メンタリテ
ィに問題のある生徒には「がんばれ」という言葉は禁句だが、まさしく
メンタリティな被害を受けている被災地の人たちにがんばれと言う無名
性の表現はどうなのだろうと考えてしまった。といって良い意味で「が
んばらない」などと口に出来るシチュエーションでもまたないのであろ
う。「がんばらない」国家の道筋も、これは震災とは関係なく考えられ
ても良い。弱者に寄り添う形についてもっともっと様々な考察が必要な
気がする。「がんばれ」と「がんばらない」の間には何があるのだろう。
地元のこけし工房で購ってきた「起き上がれ東北」と書かれた掌に収ま
るくらいの起き上がりこぼしをころがしながらそんなことを思っていた。

 台風の影響で、避難勧告の出ている石巻あたりには足を伸ばせなかっ
たが、仙台港の近くや空港に向かっての水没した辺りを車でまわった。
歩道の横に船やヨットが放置されている。田んぼの中に車が逆さまにな
っているというような風景を見ると思わず息をのんだ。基礎の部分だけ
残ったり、柱だけが残された家の形跡。捨てられている家。折れ曲がっ
たガードレール。なぎ倒された木々。ここで繰り広げられたであろう惨
劇の痕跡を見るにつけ、被害の大きさを肌で感じた。命を失ったであろ
う人。家族を失ったであろう人。家を失ったであろう人。何かを失った
人。丁度台風で増水している川や田などを見ると、津波の怖さがリアリ
ティを持って迫ってきた。

 確かに天災は日常ではない。何百年何十年に一度のことかもしれない。
しかしそのような非日常を併せ持ったものが我々の人生でもあるのだ。
地震から半年後が過ぎて、そしてまた明日が来る。
 
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 どうでもいい
 面倒くさい
 「将来」「未来」「可能性」
 考えたってどうなるものか
 考えてその通りになるのなら
 いくらでも考えるが
 本当は考えることなんかどうでも良いことじゃないのか
 なるようにしかならないのなら
 なるようにかしかならないのだ
 みんな俺を弱いと言うが
 何者かになれと口をそろえて言うが
 本当は何者かになろうとするやつほど
 弱いのじゃないのか
 俺はまだまだ動く気がしない
 このまま死ぬならそれもいい
 言葉で俺を何とかしようとするな
 おまえらはおまえらの物語を進めていろ
 俺を動かしたいなら
 この世のすべての人を消滅させろ
 
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