“四月の家族旅行の帰り、東京駅の新幹線ホームで切符がないことに気付きました。子どもの手を引いて改札を通り上着のポケットに切符を入れたところまでは覚えています。この道中を戻りながら切符が落ちていないかを捜しました。改札で駅員に事情を説明したら「降車駅で再度料金を支払ってください」と。自分の不注意で招いた事態とはいえ情けなくなりました。
名古屋駅に着き、駅員に東京駅でのことを伝えたら 東京駅に切符が届けられていたことが分かりました。指定席だったため家族の座席番号から私の切符との確認が取れ、無事改札を出られました。私の切符を拾ってくれたのはどなたか存じませんが、その節はありがとうございました。”(5月6日付け中日新聞)
名古屋市の主婦・梅本さん(41)の投稿文です。新幹線の切符である。高価である。でも踏んでも何の抵抗もない小さなものである。急いでいる人は振り向きもしない。でもなくせば大変である。梅本さんは買った東京駅で気付かれたらまだよかったが、降りる駅で気づかれたらどうなるであろう。乗った駅を証明しなければならない。人を納得させることはなかなか難しいと思う。
ところが落とした切符が届けられていたのである。そして、その切符が自分のものと納得してもらうこともできた。これはなかなか希有なことである。それが分かる梅本さんだから感激し、こうして投稿もされたのである。水臭い日本になってきたなと嘆きたくなるが、まだまだこうした話はあるのである。こうした話を少しでも多く紹介し、心温かくなって貰い、また自分も心がけようとされる人が多くなることを願って、この「話・話」を少しでも長く続けようと思うのである。