“来年の干支にちなみ、戦前に出された寅年の年賀状を紹介する企画展が、江南市北野町の市歴史民俗資料館で開かれている。体のしま模様を年数に見立てるなど、今に通じる工夫が随所に。提供した同市布袋町の石黒三郎さん(七二)は「年賀状作りの参考に」と来場を呼び掛けている。
一九〇二(明治三十五)年から三八(昭和十三)年の二百五十一枚を展示。七福神や暦、歌会始のお題のほか、エンボス加工で目立たせたトラなど、印刷技術も進む中で内容も多彩になる。軍艦や、幻となった東京五輪の図柄など、時代を映す年賀状も多い。
石黒さんは二十代のころ、消印の付いた切手を集めるうちに、はがきにも興味を持つようになった。骨董市や古書店、最近はネットオークションで探したり、収集家同士で交換したりし、コレクションは寅年の年賀状だけで千枚を超える。(後略)”(12月25日付け中日新聞)
記事からです。一宮友歩会の下見に行った時、この企画展を見てきました。本当に見事なものでした。いずれも見たことがないような絵柄である。係員の人に聞けば、素晴らしい年賀状を競っていた人もあったと言われる。今の時代ならどんなものもできる気がするが、戦前である。かなり知恵を絞り、技術を駆使されたのであろう。大きな楽しみでやられた気がする。
石黒さんは趣味で年賀状の収集を始められた。では一般にはもらった年賀状をどうされているのだろうか。一度見て、お年玉番号を見てポイなのか、数年は保存されているのか、またずっと保存さているのか、どう扱われているか知りたいものである。ボクはどうなっているか、久しぶり開いてみた。結婚した年の翌年からの年賀状が取ってあった。最初は自分でファイルを作り、これはといったものを貼っていた。最初の年は自分のものを入れて14枚あった。年賀状のフォルダーを売っているのを見つけてからはそちらを使うようになった。多い年は4、50枚残していたと思う。昨年は15枚であった。凝った年賀状の人は毎年のように残されている。家族写真や工夫を凝らしたものも残っている。一度ゆっくり見るのもいい。
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