“ちり取り、ほうき、スコップのような形状の十能を手に早朝の街に出掛けます。溝の落ち葉やマスク、弁当の食べかすなどを拾っています。車にはねられて死んでいた猫を見つけ、花を手向けて手を合わせたこともありました。
ごみ拾いを始めたのは思えば、近所の内科医に「大変でしょうから、お掃除を手伝わせてください」と申し出たことがきっかけでした。あれから四十年。ずっと私を見てくださった先生は数年前に逝ってしまわれ、今も空から私を見守っておられることでしょう。街を奇麗にしようと、私みたいに落ちたごみを片付けている人もいるのです。皆さん、ごみは絶対捨てないでください。”(4月27日付け中日新聞)
名古屋市の主婦・村瀬さん(80)の投稿文です。ごみ拾いの話もよく取り上げている。身近にできるいいことである。村瀬さんは、近所の医院のしているごみ拾いを見て、手助けを申し出られたのである。医院やお店が自分の家の周りを綺麗にするのは、ある意味当然である。綺麗にしてお客を迎えたい。汚かったら客も来ないだろうし、感じも悪かろう。当然するべき人の手助けを申し出るのはまた違う。人が苦労をしている、少し手助けをしよう。そうして続けている間に、活動範囲は広まった。そうしてもう40年である。こうなるともう表彰ものである。少し見方を変えると、そして続けると、とんでもない成果となる、そんな見本の気がする。
村瀬さんはもう80歳である。こうした文も投稿される。心身共に元気なのだろう。この元気さはこのごみ拾いがもたらした気もする。善因善果と言う言葉もある。