ご利用者さんの訪問サービスへ入ったときに、私の職場の先輩の女性職員2名の話になりました。
先輩といっても、1人は私と同い年で、もう1人は一回り以上も年下です。
でも、どちらもすごく仕事が早くて丁寧で、ご利用者や周りの職員の動きをよく見ていて、気が利いていて
だから、指示も完璧。
「本当に、凄いんですよ
」
と、私は言いました。
あんな風になりたいとは、恐れ多くて言えないので、だから。
私は、こう続けました。
「見習いたいところが沢山あります
そう思える先輩がいて下さるのは、有り難いことだなと思いますよ」
すると、ご利用者さんが言いました。
「あなただって、てきぱきしているし、仕事ができるじゃない」
「まさか!」
「そうかしら」
「そうですよ」
腕のやり取り、まるで私が謙遜をしているように見えますが
違います。
本当に、冗談でも要領が良いとは言えないし、遅いし、焦ると周りが見えないし、忘れっぽい。
ところが、理由は全く分かりませんが、何故か「できる人」と思われてしまうことが多いので
「できると思われている自分」と、「実はできない自分」との差を縮めようと、必死になっているのです。
「できる人」と思われている自分に見合うことをしなければならないのかな、そう思ってしまうのです。
その必死を、辛いとか大変だとかは思いませんが
どうして、そんな風に思われてしまうのか、そこが分からないが、本人はあまり喜んではいないのです。
普段は「できない人」と思われているのに、ところが「やればできる人」くらいが、丁度良い気がするのです。
何故「できる人」と思われてしまうんだろう。
何故なんだー。
先輩といっても、1人は私と同い年で、もう1人は一回り以上も年下です。
でも、どちらもすごく仕事が早くて丁寧で、ご利用者や周りの職員の動きをよく見ていて、気が利いていて
だから、指示も完璧。
「本当に、凄いんですよ
」
と、私は言いました。
あんな風になりたいとは、恐れ多くて言えないので、だから。
私は、こう続けました。
「見習いたいところが沢山あります
そう思える先輩がいて下さるのは、有り難いことだなと思いますよ」
すると、ご利用者さんが言いました。
「あなただって、てきぱきしているし、仕事ができるじゃない」
「まさか!」
「そうかしら」
「そうですよ」
腕のやり取り、まるで私が謙遜をしているように見えますが
違います。
本当に、冗談でも要領が良いとは言えないし、遅いし、焦ると周りが見えないし、忘れっぽい。
ところが、理由は全く分かりませんが、何故か「できる人」と思われてしまうことが多いので
「できると思われている自分」と、「実はできない自分」との差を縮めようと、必死になっているのです。
「できる人」と思われている自分に見合うことをしなければならないのかな、そう思ってしまうのです。
その必死を、辛いとか大変だとかは思いませんが
どうして、そんな風に思われてしまうのか、そこが分からないが、本人はあまり喜んではいないのです。
普段は「できない人」と思われているのに、ところが「やればできる人」くらいが、丁度良い気がするのです。
何故「できる人」と思われてしまうんだろう。
何故なんだー。