いま発売中の、『TVブロス』という雑誌の中に
漫画家の美内すずえと、ミュージシャンの志磨遼平の対談が載っていて
美内すずえと言えば、あの『ガラスの仮面』の作者で
志磨遼平は、彼の音楽自体には全く惹かれるものがないというのに
何故か私の視覚や聴覚に引っ掛かる部分があって、気になる人だったので
これは面白いぞと、即購入しました。
『ガラスの仮面』は、私が小学校の頃に連載が始まったマンガで
ざっくりと説明すると、あるひとりの目立たない少女が、演技に目覚め
すったもんだのドタバタを、色々経験しながら
師匠の月影先生の元、どんどん女優として開花してゆくというものです。
ざっくり過ぎる様な気もしますが
記事によると、連載開始から、なんと36年も経っているそうで
細かいことを詳しく語り出すとキリがないので、ご勘弁を。
対談は、なかなか面白くて、3Pくらいではとても満足できず
今更、中西学で3Pの特集記事を組むくらいなら
こっちの対談にもう1P使ってよと思うほどだったのですが
まあ、それはそれで、仕方がないとして。
その、志磨遼平が、『TVブロス』の中で、連載コーナーを持っているのですが
今回は、美内すずえの『ガラスの仮面』について書かれていて
ヒロインの北島マヤと、その師匠である月影先生の演技に対する情念が
「狂気」の域であると言っています。
そして、狂気について語った彼は
かまやつひろしの、ある曲の一節を引用します。
それは、数十年前に大ヒットした、『我が良き友よ』というレコードのB面の
『ゴロワーズという煙草を吸ったことがあるかい』という曲で
子供の頃、私が大好きだった曲です。
※昔は、レコードという音楽を再生する丸い板がありまして
プレイヤーの針を、レコードに刻まれた溝に落とすと
しゃりしゃりという、小さいくせに、やけに人をワクワクさせる雑音の後に
音楽を再生してくれるという、素敵なことが起きたわけです。
レコードには、表側を意味するA面と、裏側を意味するB面があって
A面は、大ヒット、中ヒット、そこそこヒット、記念の1曲的なものが入っていて
B面は、ヒットするほどじゃないけれど、そこそこな感じの曲が入っていて
B面を聴くには、プレイヤーにセットしたレコードを一旦外し
裏返して、またプレイヤーにセットしなければならないのですが
レコード好きな人は、その面倒臭い作業さえも、好きだったはず。
(分かる人にしか分からない余談でした)
さて、志磨遼平が引用した部分は、以下の通り。
君は たとえそれがすごく小さなことでも
何かにこったり狂ったりしたことがあるかい
<中略>
そうさ なにかにこらなくてはダメだ
狂ったように こればこるほど
君はひとりの人間として
しあわせな道を 歩いているだろう
どうです、この歌詞。
私が、もう何十年も聴いていないこの曲を、今でも口ずさめることも不思議ですが
もっと不思議なのは、まだ30代前半である志磨遼平が
何故こんな古い曲を、しかも、B面扱いのこの曲を知っているのかと
私は、物凄くぶっくりしました。
そして、その時点で、やっと理解したのです。
志磨遼平が、何故私の視覚や聴覚に引っ掛かるのかを。
かまやつひろし
彼の風貌や声、歌っている時の雰囲気が
どことなく、かまやつひろしと似ているのです。
「この人、誰かと似ている様な気がするけど、誰だっけ?」
それが気になっていたのでしょう。
ああそうか、なるほど。
でも、それが分かったからといって
やっぱり、志磨遼平の曲を、まともに聴いてみようという気にはならず。
むしろ、分かったから、どうでもよくなってしまった部分もあったり。
そうそう、かまやつひろしと言えば
『ゴロワーズを吸ったことがあるかい』の他にも
『はじめ人間ギャートルズ』というアニメのエンディングの
『やつらの足音のバラード』という曲も、歌っていますが
この曲も、なかなかの名曲だ。と、私は思っています。
(歌詞は、アニメの原作者の園山俊二氏のものなんですけどね)
『はじめ人間ギャートルズ』も、私が小学生の頃のアニメで
原始時代の人たちの生活を描いた、ドタバタアニメなのですが
多分、今は、ネット以外では見ることが出来ないんだろうなぁ。
ちなみに、断っておきますが
私は、かまやつひろしのファンという訳ではないです。
漫画家の美内すずえと、ミュージシャンの志磨遼平の対談が載っていて
美内すずえと言えば、あの『ガラスの仮面』の作者で
志磨遼平は、彼の音楽自体には全く惹かれるものがないというのに
何故か私の視覚や聴覚に引っ掛かる部分があって、気になる人だったので
これは面白いぞと、即購入しました。
『ガラスの仮面』は、私が小学校の頃に連載が始まったマンガで
ざっくりと説明すると、あるひとりの目立たない少女が、演技に目覚め
すったもんだのドタバタを、色々経験しながら
師匠の月影先生の元、どんどん女優として開花してゆくというものです。
ざっくり過ぎる様な気もしますが
記事によると、連載開始から、なんと36年も経っているそうで
細かいことを詳しく語り出すとキリがないので、ご勘弁を。
対談は、なかなか面白くて、3Pくらいではとても満足できず
今更、中西学で3Pの特集記事を組むくらいなら
こっちの対談にもう1P使ってよと思うほどだったのですが
まあ、それはそれで、仕方がないとして。
その、志磨遼平が、『TVブロス』の中で、連載コーナーを持っているのですが
今回は、美内すずえの『ガラスの仮面』について書かれていて
ヒロインの北島マヤと、その師匠である月影先生の演技に対する情念が
「狂気」の域であると言っています。
そして、狂気について語った彼は
かまやつひろしの、ある曲の一節を引用します。
それは、数十年前に大ヒットした、『我が良き友よ』というレコードのB面の
『ゴロワーズという煙草を吸ったことがあるかい』という曲で
子供の頃、私が大好きだった曲です。
※昔は、レコードという音楽を再生する丸い板がありまして
プレイヤーの針を、レコードに刻まれた溝に落とすと
しゃりしゃりという、小さいくせに、やけに人をワクワクさせる雑音の後に
音楽を再生してくれるという、素敵なことが起きたわけです。
レコードには、表側を意味するA面と、裏側を意味するB面があって
A面は、大ヒット、中ヒット、そこそこヒット、記念の1曲的なものが入っていて
B面は、ヒットするほどじゃないけれど、そこそこな感じの曲が入っていて
B面を聴くには、プレイヤーにセットしたレコードを一旦外し
裏返して、またプレイヤーにセットしなければならないのですが
レコード好きな人は、その面倒臭い作業さえも、好きだったはず。
(分かる人にしか分からない余談でした)
さて、志磨遼平が引用した部分は、以下の通り。
君は たとえそれがすごく小さなことでも
何かにこったり狂ったりしたことがあるかい
<中略>
そうさ なにかにこらなくてはダメだ
狂ったように こればこるほど
君はひとりの人間として
しあわせな道を 歩いているだろう
どうです、この歌詞。
私が、もう何十年も聴いていないこの曲を、今でも口ずさめることも不思議ですが
もっと不思議なのは、まだ30代前半である志磨遼平が
何故こんな古い曲を、しかも、B面扱いのこの曲を知っているのかと
私は、物凄くぶっくりしました。
そして、その時点で、やっと理解したのです。
志磨遼平が、何故私の視覚や聴覚に引っ掛かるのかを。
かまやつひろし
彼の風貌や声、歌っている時の雰囲気が
どことなく、かまやつひろしと似ているのです。
「この人、誰かと似ている様な気がするけど、誰だっけ?」
それが気になっていたのでしょう。
ああそうか、なるほど。
でも、それが分かったからといって
やっぱり、志磨遼平の曲を、まともに聴いてみようという気にはならず。
むしろ、分かったから、どうでもよくなってしまった部分もあったり。
そうそう、かまやつひろしと言えば
『ゴロワーズを吸ったことがあるかい』の他にも
『はじめ人間ギャートルズ』というアニメのエンディングの
『やつらの足音のバラード』という曲も、歌っていますが
この曲も、なかなかの名曲だ。と、私は思っています。
(歌詞は、アニメの原作者の園山俊二氏のものなんですけどね)
『はじめ人間ギャートルズ』も、私が小学生の頃のアニメで
原始時代の人たちの生活を描いた、ドタバタアニメなのですが
多分、今は、ネット以外では見ることが出来ないんだろうなぁ。
ちなみに、断っておきますが
私は、かまやつひろしのファンという訳ではないです。