Teddy+tのソルトスプリング島便り

バンクーバーからソルトスプリング島に引っ越しました。
島の風景を主にUPしていきます。

2日目(サンファン大聖堂)

2006年06月25日 | Weblog
1521年に造られた大聖堂。
祭壇がいくつもあり
その各所にちゃんとベンチもあって
お祈りの人達が集っていた。
まだちいさいころのキリスト様とマリア様が
祭られている祭壇には
周りにぬいぐるみや御人形おもちゃなどがあって
その前でロザリオを手にした老人が
祈りを捧げていた。



2日目(エルモロ要塞)

2006年06月25日 | Weblog
サン クリストバルから
砦に沿って海沿いの歩道をエルモロ要塞へと
歩いて行く。
なんせ50人くらいのツアーなので
ぞろぞろぞろと長い列になって歩く。
日射しは強く風がないので
みんな汗だらだら。
もう誰もガイドの話など聞いちゃいない。

ボトルの水を飲みのみ行く。
途中で 毛むくじゃらの犬が広場で遊んでいたので
ちょっと眺める。
飼い主を見かけなかったので
犬チャンは
勝手に散歩に来て勝手に帰るんだろうか?
ウンチしてたけど。。。。
あの毛むくじゃらはこの土地には不似合いのような。。。

皆は先に行ってしまってあわてて追い掛ける。

しばらく行くとエルモロ要塞に着くが
私達はそこには寄らずに
町の中へ。


2日目

2006年06月25日 | Weblog
またまた、早起きする。
朝食後、オールドサンファンヒストリカルツアーへ。
バンクーバー組の配偶者達私を入れて3人
一緒に申し込んでいたので
かしまし娘風に楽しんだ。
ガイドさんは南部訛りのあるおじさんで
毎日お酒飲んでますねという顔色をしていた。

バスはココナッツファームの中をくぐり抜け
波の穏やかな公共の海水浴場に着く。
自然に出来た岩の防波堤によって
小さい子供達が泳げるようになっていた。

そのまま海沿いの道を走り
途中さとうきび畑を眺め
これがラムの原料か~と思っていると
オールドサンファンへ着く。
まずは、サン クリストバル要塞へ。
サン クリストバルは
オールドサンファンの玄関口であり
その要塞はオールドサンファンの町全体を
取り囲むようにして作られている。
サン クリストバルから
要塞に沿って西の方へ歩いて行くと
エルモロ要塞に着く。
こちらの方が有名らしい。

サンクリストバル要塞の中を
見て廻り、
敵が攻めて来た時(海賊が多かったらしい)
に実際使っていた大砲などの
展示を眺める。
洞窟の中にはその当時描かれた船の絵などが
残っており戦士たちが戦った足跡が
はっきり刻まれていた。


ステキ!

2006年06月24日 | Weblog
コスチューム軍団が去った後
サルサのバンドが再び始って
セクシーな恰好をしたダンサーのお姉さんたちが
サルサを踊り始めた。
ボーカルの人が
皆~踊ってくれよ~とかいってるが
踊ってるのは 少数。
ノリが悪いセールスレプ達。

基本のステップは知っていたのでGを誘い踊ってみる。
G、ステップめちゃくちゃ。
そのうち何を踊っているのか分らなくなる。
それは、一体何?という
ステップはコサックダンスかと思った。
でも、すごい汗をかいて良い運動になった。

1曲踊っただけなのにもう疲れているG。
建物の中に入って休みたいというので
付いて行くと
さっきのコスチュームの人達が
建物の中で踊っていた。
Gが飲みものを取りに行ってる間に
ウルトラマンに出て来る怪獣のようなお面を被ってる人に
ナンパされ、一緒に踊ってしまう。
そして、写真を撮る私。
怪獣さんにお礼を言って席に戻る。
怪獣にナンパされたことなど今までにないと
Gに報告したら大笑いされる。

明日からはG達はずっとセールスミ-テイングが入っていて
お疲れになると困るので
早々に部屋に引き上げる。

*怪獣の中の男の子は
後から写真を良く見たらかっこよかったっす。





喧嘩をうっているのではありません。

2006年06月24日 | Weblog
ひとひとひとで
凄い中をニコニコしながら挨拶していたら
なんだかわからないコスチュームを付けた人達が
楽隊と一緒に
会場を廻り始めた。
きっとこのコスチュームにも
意味があるのだろうけど
聞かなかった。
カーニバルではこんな風に
町の中を歩くのかな~とか思いながら
写真を撮った。

1日目(レセプション)

2006年06月24日 | Weblog
昨夜は酔っぱらって3時近くに寝て
今朝は6時に目が覚めたせいで
二人ともお昼寝は爆睡した。
ロマンテイックな海辺の午後3時なんてもんはなく
冷房がききすぎていたせいで
二人ともシーツと布団に包まってみの虫のようだった。

アイランドカジュアルというドレスコードにしたがって
(といってもただのカジュアルだが)
軽装で出かける。
レセプションのある会場は
中庭を突っ切った別棟のある前広場。
物凄く広い。
この棟は明日からG達がミ-テイングに使う
カンファレンスルームがあるのだ。

パーテイーが始って
会長の挨拶があるわけでもなく
広場ではサルサを生バンドが演奏しており
各人会場に点在している食べ物や飲み物のブースに行って
勝手にとってその辺のテーブルに座って食べていた。
といっても
1000人くらい人がいるわけで
それは凄い熱気で
ちょっと油断していると
食べ物とGを見失う。
しかし、Gか食べ物かといわれたら
今は食べ物が大事なので自分の取り分はしっかり確保する。

小鰺くらいはあるんじゃなかろうかと
思われるシュリンプがプリプリしてて
おいしかったのは覚えているが
他は大味なウェスタンフードだった。

そんな中でGは顔見知りのセールスレプを見つけては
挨拶をして廻っているので(さすがセールスマン)
すごい。
ものすごい人の数を紹介されても
名前が覚えられない。
何度か会ってる人以外は。
皆名札を下げてるので取りあえずそれを盗み見るが
次の日には忘れている。
あ~おさるのボブボブとか、トニ-とマツとか(古!)(ほんとはトミ-ね)
心の中でくり返していたが全然役にたってなかったのが情けない。



1日目

2006年06月24日 | Weblog
翌朝は、南国タイムで目が覚める。
なぜに南国は人を早朝に目覚めさせるのか?

まだ、あまり人が泊まってないガランとした
ホテルのロビーを抜けて、レストランへ。
バフェ方式のコンチネンタルブレックファーストを食べる。
さすが、カリビアン
果物の種類が半端じゃなかった。
あと、ベーカリーが充実していた。
スモークサーモンが山のように盛ってあって
そこだけカナダかと思った。
食事の後はまだ誰も居ない中庭に出てみる。
朝からすごい熱気と湿気だが
時折海から吹いて来る風が気持良かった。

今日はぞくぞくと北米各地からセールスレプが集まって来る。
Gも、今日はなにもない日なのでゆっくり出来る。
どこかに行こうか?と言っていたが
結局ホテルに留まり
ビーチを散歩したり、プールで泳いだり
お昼寝したりして
夜のウェルカムレセプションに備える。

プエルト リコ旅行記(初日)

2006年06月23日 | Weblog
出発前日に大急ぎでパッキングと掃除などをすませ
夕食後に犬達をいつもお世話になってる友達の所へ連れて行く。
犬達は、寂しそうだったけれど
すぐにおもちゃなどに釣られて遊んでいた。
食べ物にもすぐ釣られる。飼い主に似ている。

出発当日は朝4時半に起きて支度し空港へ。
ここからヒューストンで乗り換えてプエルト リコへ。
待ち時間など入れると、10時間ちょっとの旅だった。
私がいつも苦手なのは
アメリカの税関。
こちらが笑顔でいるのに、
いつもむすっとした係員が事務的に質問してきて
顔写真とフィンガープリントを撮られる。
(ちなみに顔写真とフィンガープリントは、入国毎に毎回撮られる)

この日はチェックインの係りが間違えて
違うビザの紙を渡したために
ビザを書き直さなければならないと言う
2度手間になってしまった。(私も迂闊だったんだけど)
Gはカナダ国籍なので割と簡単にスルーできるから
私のパスポートの関係で
こういう風にちょっと手間どると、イライラするらしい。
時々そういうことで喧嘩になったりするが
結局最後は
国籍の違うもの夫婦なんだからそんなこともあるよ
で納得する。(いつもはあんまり考えて生活してないから
自分達が国際結婚だったというのが
こういうときに目に見えてはっきりする。)

飛行機の中から見たヒューストンの空は
灰色に煙っていて汚かった。
Gにこれってポリューションだよねと聞いたら
さあ~?とか間抜けな返事が返ってきてがっくし。

プエルト リコ行きの搭乗口が変更になっていて
空港の端から端までを一緒のフライトだった
他のセールスレプの人達と
ぞろぞろぞろぞろと歩いて行った。

到着はプエルト リコタイムの午後11時くらい。
ホテル行きのシャトルにのって1時間のドライブ。
高速にすぐ乗ったので
外は真っ暗で何も見えなかったけど
所々、ファーストフードの看板があちこちに点在していて
お~とか思う。
月がきれいだった。

長いフライトでちゃんとした御飯も食べてないのに
カナデイアン組の元気のよいこと。
荷物を部屋に置いて下のバーでウェルカムドリンクを
飲む。
モヒートというラムベースのカクテルを
もらったら 口当たりが良くて3杯ほど飲んでしまい
妙に明るくなって笑い上戸になってしまい
なぜか饒舌になっていた。
お酒というのは 普段開いてない脳の中のトビラをぱこっと開けるみたいで
普段使ってない英語の単語とかもぽろぽろ出て来て吃驚した。
お~英語マトモに喋ってるよ自分とか思った。
(いかに普段マトモな英語しゃべってないか分ると言うもの)

カナデイアン組みの他に
ツアーをオーガナイズしてくれるアメリカ人達も先に来ていて
彼等も一緒に飲んでいたんだけど
その中にGの会社のセキュリテイーを長年やってるじいさんがいた。
じいさんは 私に話し掛けてきて
日本人ですか?とかなんとか最初友好的だったのだが
だんだん第二次世界大戦の話に突入していき
日本と戦った話を出して来た。
あ~、こらいかん方向へ話が広がってるわ~と思っていたら
”俺がエアフォースで働いていた頃、俺の親友は日本人に殺されたんだ”といってきた。
一瞬、へっ?と思って目が点になった。
彼は私が固まってるのをよそに
訛りのある英語で”その話は長くなるから今は話さないが、詳しいことが知りたいなら
いつでも声をかけてくれたら話してやるよ”と言った。
じいさんは、あきらかに物凄い酔っぱらいだったんだけど
あの憎しみの隠った目は酔っぱらってなかった。
彼のこころの奥深くに渦巻いてる物は
ここで、誰がなにを反論しようが意見を言おうが
微動だにせず 聞く耳をもたないと察したし
考えたら なんでプエルトリコまで来て着いた日そうそう
そんな話を聞かされないといかんのだと思ったら
ばからしくなり
今まですごいポライトに接していたが(といっても
途中からだんだん崩れて来てはいたが)
もう、わたくしに話し掛けても
わたくし貝になってますからなにも聞こえません
状態に突入した。
Gは私がそんな間、他の人達とくっちゃべっていて
全然何を話してるか知らなかったらしく
後で話したら、彼は相当飲んでいたし普段からクレイジーな人物だから
今度なにか言われたらすぐ教えなさいと言っていた。

ベッドに入ってからも
疲れているのに寝つけず
ずっとあのじいさんの言ったことを考えていた。
じいさんの根はこれからもずっと
深く心の中に這って引き剥がされることなんかないんだろうな。
うちのじいさんも
戦争でアメリカのフォースから銃弾を受けて亡くなったことなんか
彼は一生知らないで終わるだろう。
でも、私はアメリカ人のことを憎んではいない。
戦争は人を狂わせる。あの時は皆狂っていた。
憎むべき対象は 戦争であって
その戦争で犠牲になった人達ではないと思う。
戦争を実際に体験してなくても
今それはだれもが知ってることだと思う。

憎しみからは何も生まれないけど
人によっては憎しみを持つことで生きている人がいるのを
否定出来ない。
それが良いのか悪いのか
その人が亡くなる時に答えが分るんじゃないかな。
でも、もしかしたら答えなんかないかも知れないけど。

私は、これからの人生
なにかあったとしても出来れば憎しみなんか
持ったまま 死にたくはないと思う。



*あのじいさんはその後
デイナーで1回ちらっと見かけただけでした。
なんせ、次の日から1000人あまりの人がホテルに泊まっていたから
もうなにがなんだか分らない状態でした。