ジャズフェステイバルが、始りました。
そして、初日の夜
行って来ました、ダイアナクロールのコンサート。
歌は前から好きでしたが
彼女のコンサートは初めて行くのでドキドキでした。
コンサート会場は、Orheum Theatreという
こじんまりした所で
私達は1階後方席だったので
ちゃんと見えるか心配だったのですが
ミュージシャンの楽器を演奏する指の動きも
ばっちり見えて満足でした。
でも、双眼鏡があればもっと良かったかも。
前座のミュージシャン達の演奏後
10分の休憩があり、その間にトイレ行ったり
パンフレット買ったりして過ごしました。
ロビーは凄い人だった。
そして、待ちに待ったダイアナの出番(って友達か?)
鮮やかなブルーのドレスに身を包んだ彼女は
とってもきれいでした。
彼女の流れるようなピアノの演奏がはじまり
そこにドラム、ギター、バスが重なって
素晴らしい音楽が作られて行きます。
ピアノはなんというか指がピアノに吸い付いて
スイングしてるみたいで
ジャズは私の一生と物語ってました。
あ~やっぱり生は違うわねと
ビールのCMのようなことを呟いてしまった私。
お持ち帰りできないかしら?などとも思ってしまった私。
テレビで見る彼女のライブは
ほとんど喋ってる場面がなく割とシリアスに演奏してるところしか
知らなかったのですが
彼女割としゃべるんです。
ダイアナは
オスカーピーターソン(多分昔の有名なジャズシンガー)が
たった舞台に私もいるなんて
凄く緊張しててうまくしゃべれないわ。。。などと
いってたのですが
割とべらべらしゃべってました。
バンクーバーは彼女のホームタウン(詳しくはバンクーバーアイランドのナナイモなので
すが。)なのでローカルなジョークも飛び出してました。
今年のクリスマスに出るCDのレコーデイングを今していて
その中の1曲を披露してくれたんですが
まだ今練習中なんだけど
といいながら 途中で間違えてエレガントな顔で
”くそ!!”とかいってました。
ダイアナ男らしいぞ。(ってまたもや友達か?)
ダイアナクロールは父親の影響で小さい時から音楽に親しみ
4歳の時からピアノを習っていて
15歳の時すでに地元のレストラン、バーで
ライブをやっていたそうです。
それからスカラーシップでボストンの音楽学校に学び
LA,NY,トロントを経て、93年にファーストアルバムを出してます。
その後、出すアルバムがヒットしてグラミーや
たくさんの賞を貰っています。
大きな波に乗って、成功している彼女ですが
2002年に最愛の母を白血病で亡くし
しばらくは暗闇の中で
悲しみにくれていたそうです。
そんな中彼女の夫であるミュージシャン
エルビスコステロと
自分の愛する人々、愛するホームタウンの思い出
を語り明かし、イメージして
そしてそれを2人で曲と詞にしたものが
ニューCDに入っている
Departure Bayという歌。
とても切ない歌です。
彼女が人生で大切にしていること
Love,Family and coming home。
それがたくさんつまってる歌でもあります。
去年彼女は
夫とエルトンジョンと一緒に
チャリーテイーコンサートをここバンクーバーで行いました。
エルトンジョンのチャリテイーオークションも
助けになり約8万ドルの寄付が集まり
UBCホスピタルとバンクーバージェナラルホスピタルの
骨髄移植プログラムに送られました。
このお金は白血病患者さんのため
治療やリサーチ研究のために使われるそうです。
G曰く ”僕も寄付したんだよ。2500ドル”
私 ”えっ?すごいじゃん。でもどこにそんなお金が。。。”
G ”会社からだから。でもしっかりサンキューレターは
僕の名前になってたね。”
ってう~ん。いいのか?
さて、コンサートは最後スタンデイングオべーションで
Departure bayで締めくくられて終わりました。
ダイアナ”私は今、バンクーバーに住んでるのよ。
この近くのホンビーストリートに家があるの”
今日はそこから来たとも言ってました。
しかし、あれだけ有名なのに高級住宅街ではなく
庶民的なホンビーストリートというのが
なんだかいいわ~と思ってしまった。
そしたら、Gが
他にもいろんな所に家があるにちがいないと
言ってて
そりゃそうかもな~と納得してしまった。
ダイアナクロール、クールなお方でした。
そして、初日の夜
行って来ました、ダイアナクロールのコンサート。
歌は前から好きでしたが
彼女のコンサートは初めて行くのでドキドキでした。
コンサート会場は、Orheum Theatreという
こじんまりした所で
私達は1階後方席だったので
ちゃんと見えるか心配だったのですが
ミュージシャンの楽器を演奏する指の動きも
ばっちり見えて満足でした。
でも、双眼鏡があればもっと良かったかも。
前座のミュージシャン達の演奏後
10分の休憩があり、その間にトイレ行ったり
パンフレット買ったりして過ごしました。
ロビーは凄い人だった。
そして、待ちに待ったダイアナの出番(って友達か?)
鮮やかなブルーのドレスに身を包んだ彼女は
とってもきれいでした。
彼女の流れるようなピアノの演奏がはじまり
そこにドラム、ギター、バスが重なって
素晴らしい音楽が作られて行きます。
ピアノはなんというか指がピアノに吸い付いて
スイングしてるみたいで
ジャズは私の一生と物語ってました。
あ~やっぱり生は違うわねと
ビールのCMのようなことを呟いてしまった私。
お持ち帰りできないかしら?などとも思ってしまった私。
テレビで見る彼女のライブは
ほとんど喋ってる場面がなく割とシリアスに演奏してるところしか
知らなかったのですが
彼女割としゃべるんです。
ダイアナは
オスカーピーターソン(多分昔の有名なジャズシンガー)が
たった舞台に私もいるなんて
凄く緊張しててうまくしゃべれないわ。。。などと
いってたのですが
割とべらべらしゃべってました。
バンクーバーは彼女のホームタウン(詳しくはバンクーバーアイランドのナナイモなので
すが。)なのでローカルなジョークも飛び出してました。
今年のクリスマスに出るCDのレコーデイングを今していて
その中の1曲を披露してくれたんですが
まだ今練習中なんだけど
といいながら 途中で間違えてエレガントな顔で
”くそ!!”とかいってました。
ダイアナ男らしいぞ。(ってまたもや友達か?)
ダイアナクロールは父親の影響で小さい時から音楽に親しみ
4歳の時からピアノを習っていて
15歳の時すでに地元のレストラン、バーで
ライブをやっていたそうです。
それからスカラーシップでボストンの音楽学校に学び
LA,NY,トロントを経て、93年にファーストアルバムを出してます。
その後、出すアルバムがヒットしてグラミーや
たくさんの賞を貰っています。
大きな波に乗って、成功している彼女ですが
2002年に最愛の母を白血病で亡くし
しばらくは暗闇の中で
悲しみにくれていたそうです。
そんな中彼女の夫であるミュージシャン
エルビスコステロと
自分の愛する人々、愛するホームタウンの思い出
を語り明かし、イメージして
そしてそれを2人で曲と詞にしたものが
ニューCDに入っている
Departure Bayという歌。
とても切ない歌です。
彼女が人生で大切にしていること
Love,Family and coming home。
それがたくさんつまってる歌でもあります。
去年彼女は
夫とエルトンジョンと一緒に
チャリーテイーコンサートをここバンクーバーで行いました。
エルトンジョンのチャリテイーオークションも
助けになり約8万ドルの寄付が集まり
UBCホスピタルとバンクーバージェナラルホスピタルの
骨髄移植プログラムに送られました。
このお金は白血病患者さんのため
治療やリサーチ研究のために使われるそうです。
G曰く ”僕も寄付したんだよ。2500ドル”
私 ”えっ?すごいじゃん。でもどこにそんなお金が。。。”
G ”会社からだから。でもしっかりサンキューレターは
僕の名前になってたね。”
ってう~ん。いいのか?
さて、コンサートは最後スタンデイングオべーションで
Departure bayで締めくくられて終わりました。
ダイアナ”私は今、バンクーバーに住んでるのよ。
この近くのホンビーストリートに家があるの”
今日はそこから来たとも言ってました。
しかし、あれだけ有名なのに高級住宅街ではなく
庶民的なホンビーストリートというのが
なんだかいいわ~と思ってしまった。
そしたら、Gが
他にもいろんな所に家があるにちがいないと
言ってて
そりゃそうかもな~と納得してしまった。
ダイアナクロール、クールなお方でした。