怒りではない。
恨みだ。
怒りは喜びや悲しみ同様、簡単に消える。
確か星新一のショートショートで、怒りのエネルギーを実用化しようとする話があった。
道に迷って空腹な夫婦がたどりついた家で捕らえられて、妻が性的なイタズラを執拗に受ける。
それは、実は怒りのエネルギーを熱に変える実験で、夫のエネルギーでカレーを煮て、妻のエネルギーでごはんを炊いていた。
二人は事情を聞かされて解放され、カレーライスにありつくのだが、カレーはよく煮えてるのに、ごはんの方は火が途中で弱くなったようなゴッチンめしだった…というオチだったと思う。
女性に怒られないように弁護しておけば、イタズラされるのが夫だったらカレーはまったく煮えてないということになるのだが(その場合、妻は怒るどころか呆れるだけで、結局ごはんも炊けてないのでショートショートにならない)、的を得た話ではある。
ええと、何を言いたかったんだっけ…。
そうだ。
大陸では宗教の名の下に血で血を争う戦争の歴史があって、日本人にこの感覚は分からないなんて話をしたけど、結局それも異教徒に蹂躙されたという恨みが民族の中に脈々と受け継がれてるということなんだと思う。
日本では恨みもせいぜい個人レベルなので、たいていは一代で完結していたんだろう。
それでも江戸時代までは仇討ちも認められていたというし、幽霊話も恨みが基本だよね。
こんな話をしたのは、別にオイラが何かで恨みをもってるという訳じゃあない。
『ナウシカ』の原作を読んで、作者が意識したのかどうかは知らないけれど、民族間の対立をうまいこと描いてるなあと感心した次第。
ただそれだけ。
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