みなさんこんにちはtatuakiです(^-^v
盆休みですね、私は明日明後日と仕事があります(その後は日曜まで休みです)
さっきまで浄土真宗のボットキャスティングを聞いていました、そして今日はお坊さんが来てお経をあげる日でもあります(明日も違うお坊さんがきてお経をあげます)
終戦記念日も近いことですし死刑制度について、同じ国家が人を殺すことですので考えを述べたいと思います。これを見ているブロガーさんも是非自分の考えをエントリーしてみてください。
最近、光市母子殺害事件の犯人の死刑が確定しました。
私から見れば、弁護側の弁護があまりにも稚拙でアニメやなどに例えたりなんてなんでこんな変な弁護をしたのかと疑問に思います。
それはもう司法制度と言うものがちゃんとわかっている人から見ればそれは違うとか言われそうですけどね(^-^;
今の日本は宗教不在の時代と言われています。
悪いことをしても、謝らない人が多い時代になりました。もし弁護側が必死に謝ったなら死刑なんてなかったのではないのでしょうか(これまた司法を分かっていない発言かも知れませんが)
そして加害者が誤ったなら被害者は、許す。これもできない人が多い時代です。
結局の所自分の体はその本人しか責任をとれません。
マスコミのウエイトはあまりにも被害者に意識しすぎでしたね、加害者は責任をとれません、加害者が死んで殺された人は生き返りません。
もし司法制度で死刑判決が、弁護士の裁量や裁判委員や裁判官の短期的な思いだけで下されるのであればそれは不公平と言わざる負えません。
さっき書いた自分の体は自分しか責任をとれないというのは当たり前で、もし自分の不注意でなくても事故で足や手をなくしたとしても、加害者から賠償金や罰を与えることはできるでしょうが、それを被害者が受け取ったとして無くした足や手を元に戻すことは今の医療でも不可能です。
被害者は現実を直視して、真正面から現実を見て、加害者を死刑にして気を休める事に全力を注ぐ事をせず、これからどうやって生きていくのか見ていく、または考えていく必要があります。それはあきらめではありません、本当の自分を自分で見て生きていくことです。
ということで、自分で責任が取れない、殺人と言う行為は絶対にしてはいけないという事が分かると思います。
何故日本人は悪いことをしても誤らなくなったのでしょうか?
そして許すことが出来なくなったのでしょうか?
裁判の制度が欧米的に利用されまくっているのではないのでしょうか。
今パテントは本来のパテントとして機能していなくなっていると聞きます。
そう、金儲けの材料化しているのです。
もし、日本が欧米のように訴訟社会になったら、国民保険制度が無くなったら、考えるだけで恐ろしいと思う次第です。
皆さんはどう思われますか?
それでは、明日のサイエンスゼロは再放送なのでエントリーは無しです。仕事もあるしね。
それでは(^-^