青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

近くて遠い白鷺城

2016年05月12日 19時00分00秒 | 山陽電鉄

(線路は続く@別府鉄道廃線跡)

土山駅から郷土資料館までは「であいのみち」として整備されている別府鉄道土山線の廃線跡。ここから先、旧別府港駅までの区間は普通に市道に転換されておりその遺構を偲ぶものはあまりありません。資料館から続くこの市道を本当であれば歩いて別府駅に向かうべきなんでしょうが、手元のスマホで調べると、歩くと30分以上かかるらしい…平らな道みたいだけど、ちょっと歩くのはしんどいので、贅沢してタクシーを呼んでしまいました(笑)。ちなみに呼んだタクシーはこちら。廃線となった別府鉄道は、現在でも親会社の多木化学の関連企業としてタクシー部門で地域の交通を支えています。


迎えに来た関西弁のおっちゃんのタクシーに乗り、廃線跡を別府鉄道(のタクシー)でなぞりながら約10分で山陽電鉄の別府駅へ。屋根上のぼんぼりに輝くは多木化学の象徴である神代鍬のエンブレム。多木化学は自らを「肥料王」と名乗った多木久米次郎がここ別府の地に興した肥料会社です。多木の化学肥料は全国の農家の生産性改善に大きく貢献、現在はバイオを含め播磨臨海工業地帯を代表する化学メーカーとしてこの別府地区を中心に大きな影響力を持つ上場企業となりました。

  

山陽電鉄の別府駅は、別府鉄道の土山線と野口線を跨ぎ越すためだけに、山陽姫路以外では線内で唯一高架上に作られた駅でもあります。高架上で山陽の直通特急同士がすれ違い。駅のホームの一部分に架道橋として残るのは、下を別府鉄道の野口線が通っていた名残。路盤の跡はこちらもきれいに整備されていますね。山陽と別府鉄道は直接の接続はしておりませんでしたが、別府駅の北側100m程度の場所に別府鉄道の別府口(べふぐち)駅があって、歩いて乗り換える事は可能だったらしい。本数も少なく不便なダイヤだった別府鉄道の野口線ですが、別府の街から加古川の市役所がある野口へ繋がっていたんで、廃線まで細々とですが需要はあったそうです。

  

別府駅から普通電車に乗り、お次は高砂駅で途中下車。駅は2面4線で緩急接続がありまして、直特を行かせた普通電車がゆっくりと駅を出て行きます。ここも別府の街と同様、播磨臨海工業地帯の一角を占める高砂市の中心駅。駅の地下道にあった田中音楽堂の看板、これどう見てもノムさんにしか見えないんだが(笑)。

 

神戸の街から姫路に向かって走る山陽電車は何本かの大きい川を渡りますが、高砂駅の手前には線内最長の橋長を持つ加古川橋梁(414m)があります。架橋された大正12年当時のままの姿を残すプレートガーター橋で、作業員の退避場所が間隔を空けて付けられているのが特徴。そのため足元はスッキリ抜けそうでいて撮るのには若干気を遣う橋でもありますね。ここで今一度新車の6000系を…別に狙ってる訳でもないんだけど、ついつい手の出る被写体です(笑)。


以前はこのアングル(橋の南側)に山陽電鉄と並行して国鉄高砂線の橋が架かっていたそうです。高砂市の臨海部にあった工場への貨物取扱と国鉄高砂工場への車両の搬出入を中心とした路線でしたが、昭和59年の廃止後完全に撤去され今は影も形もありません。山陽本線が内陸部を通っているせいで、この辺りには播磨臨海工業地帯へ向かういくつかの鉄道路線がありましたが、前述の別府鉄道、この国鉄高砂線、そして姫路から飾磨港へ向かっていた国鉄播但線の末端区間といずれも同時期に廃止となっています。昭和59年の国鉄貨物の一斉合理化が原因かと思われますが。

 

高砂から再び直通特急に乗り込み、一路終点の山陽姫路へ。途中の飾磨で分岐する網干線がありますが、とりあえず本線の完乗を優先します。乗車したのは5030系の山側1列・海側2列の変則転換クロス車。姫路の手前でちらりと車窓に見えたコンクリートの構造物は、ひょっとしたら手柄山に向かっていた姫路市営モノレールの遺構だったり??

   

到着した山陽姫路駅。ちょっとホームが細くてせせっこましいかな、と言う感じはしますけども、大屋根の下の4面4線の櫛形のホームは関西の私鉄電車のターミナルの雰囲気たっぷり。関西の私鉄はどこも創業当時から国鉄とは独立した独自のターミナルを持って真っ向勝負を挑んでいるのが特徴的ですね。駅の上には系列デパートの山陽百貨店、ゴールデンウィークと言う事もあり、兵庫県内第二の都市である姫路の街もなかなかの賑わいです。駅前をひっきりなしに通る神姫バスが、ここが播州の中心都市である事を感じさせてくれます。


山陽姫路駅前の横断歩道から見る姫路城。そう言えば姫路に来たのは大学時代にみんなと旅打ちで姫路競馬場に行って以来になりますなあ…(笑)。約20年ぶりか。あの時はまだディーゼルだった播但線に乗って野里の駅から競馬場まで歩いて行ったんだっけね。当時から姫路競馬って開催数少なかったんで日程合わせるの大変だったんだけど、3年前から開催すらなくなったらしいね。自分が行ったときはアラブの補助馬の重賞をやってた記憶がある。フクパーク記念だっけ?

その時も姫路城は競馬場帰りのバスの車窓から見るだけだった記憶があるのだが、約20年ぶりの姫路もお城は山陽姫路駅前からチラリと見ただけに終わる(笑)。日本の名城・白鷺城をないがしろにして非常に申し訳ない(笑)。また20年後くらいに来れたらそん時は城まで行ってみようと思うw
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