青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

近未来鉄道TX

2016年11月05日 22時02分16秒 | つくばEX・関東鉄道

(アトリウム@首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス秋葉原駅)

さて、わざわざ御茶ノ水から歩いて来たのは首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス(TX)の秋葉原駅。途中の富士そばでメシ食って親子ともども準備は万端である。今回のスタンプラリーでは、このつくばエクスプレスのチェックポイント、1つ目の三郷中央はいいとして2つ目がみらい平だって…神奈川県民からしたらTXなんてただでさえ遠いのに茨城県かよ…まあこんな事でもなければ基本的にTXなんか乗る機会ないから行きますけどね…実際乗るの去年のこの企画以来だし…それにしても秋葉原からチェックポイントのみらい平まで運賃表見たら片道930円だって!高けえ!高けえぞ藤井一子!(夏・体験物語)。


秋葉原の地下ホームで出発を待つTX-2000型。保安装置に自動運転(ATO)とホームドア対応の定位置停止装置(TASC)システムを採用し、全線ワンマンにもかかわらず最高130km/hの速度を保持するのがつくばエクスプレス。嘴のように尖ったフロントマスクは精悍な印象で、いかにも高速で獲物を駆る猛禽類のようでもある。車両一つ見ても、このテクノロジーの塊のような近未来感がTXの魅力だと思いますね。


八潮駅に進入するTX2000系の区間快速つくば行。茨城県に鉄道を通す場合、必ず問題になって来るのが石岡市(旧八郷町)の「柿岡地磁気観測所」への対策です。電車を走らせるための強い直流の電圧が、観測している地球の磁場=地磁気の観測データに影響を与えるという理由から、法律により半径35km以内には直流電化の鉄道を作る事は出来ません。よってTXも秋葉原から守谷を直流電化、守谷から先のつくばまでを交流電化とし、交流/直流に対応したデュアルモードの車両を投入しています。


このTX-2000系は秋葉原~つくばまでの全線をカバーするTXの主力車両。関東にいると新幹線以外ではなかなか交流電化を走る車両などを見る事もなくなってしまったんだけど、屋根上の複雑な配線と碍子の多さがいかにも交直車らしいですよね。この車両は日立製作所の製造ですが、TXは茨城県が多くを出資する三セク鉄道。茨城県が創業地のお膝元企業である日立製作所への発注は自然の流れだったのでしょう。


こちらは三郷中央駅で撮影した直流区間専用のTX-1000系。秋葉原~守谷間の限定運用で、日立製作所が設計をしたものを川崎重工が製造した形を取っています。まあ車両全部を日立が受注しちゃうと談合だなんだと言われる可能性もない事はないだろうからねえ…TXも全部が交直車であるのがベストなんでしょうが、守谷を境にしたつくば方面への輸送力と、車両の製造やメンテのコストを考えるとこのくらいがバランスのいいところなのかな。常磐線とか、高額な交直流車両が増備出来なかったのか、国鉄末期までEF80(交直流機関車)が牽引する旧型客車列車が上野から走ってましたからね。午後に我孫子の駅で成田線を待っていると来るの。平行きだったかな。


それにしてもTXは速い。北千住を出たと思ったらあっという間に江戸川を渡り、三郷~流山~柏市の北部を疾風の如く走り抜けると、利根川沿いの広大な田園地帯を飛び越えて茨城県に向かって行く。この辺りたぶん布施弁天の裏あたりから見える景色と同じ場所だと思われますが、布施弁天とか言ってもローカルすぎて何のこっちゃいなって感じか。以前我孫子に祖父母が住んでいた頃、布施弁天の隣にあったあけぼの山公園にはよく遊びに来ていたんだよね。今でもあるのかな、あの公園のアスレチック。


TX最後のスタンプチェックポイント・みらい平駅は掘割構造の下にあるホーム。コンクリートスラブの軌道に整然と並ぶPC枕木と、これまた整然と並ぶホームドア。頭上にはシンメトリーに配された架線が吊架され、寸分の隙もないシステマティックな美が作られています。さすがに守谷より向こうの駅はあんまり人もいないやね。みらい平駅の所在地である茨城県つくばみらい市は筑波郡にあった谷和原村と伊奈町の合併によって誕生した市ですけど、当初は近接する水海道市を含め「旧郡名の【つくば】+(【み】つかいどう・やわ【ら】・【い】な)=つくばみらい市」として発足するはずだったと聞きます。結局は合併の主導権を取れなかった水海道が話を蹴っ飛ばして降りてしまったらしいが。


みらい平の掘割区間を進むTX-2000系。駅の周りは住宅街っぽかったけど、秋葉原まで区間快速で40分なら堂々の通勤圏内か。国鉄時代、東京を中心とした首都圏五方面の中でも混雑の解消がなかなか図れなかった常磐線のバイパスルートとして、当初の計画では「常磐新線」と言われていたのを覚えている。常磐新線の建設計画は、「EXPO’85」ことつくばの科学万博を機に一気に加速した感じがありましたね。万博以降の筑波研究学園都市構想とセットになっていたんではなかったか。

「つくば博」と言うのは我々世代においては団塊の世代の方における大阪万博(EXPO’70)くらいのエポックメイキングな出来事だったように思いますね。子供の読む雑誌やテレビ番組で散々取り上げられ、万博の開催期間では週末になるとほうぼうの子供会で「つくば博に行く」バスツアーみたいなのが組まれていたのを思い出す。盆踊りでは「科学万博音頭」が鳴り響き、夏休み明けは男子が口を揃えて「C&Cパビリオン館」の話をし、女子はお土産の「コスモ星丸」のカチューシャを付けて楽しそうに9月の学校に通って来たあの頃、つくば博から見た21世紀の姿と言うのはどういう姿をしていたのだろうか。
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