古池や蛙とびこむみずの音 この芭蕉の句を「津軽」と言う小説の中で太宰が説明しているが、何気ない具象の中にひそむ心象のとらえかたによって感じ方がいろいろちがうように工夫されていることが良くわかる。若いときは、芭蕉の有名な句、代表作くらいの認識しかなかった。他のもっと身近で分かりやすい句のほうが好きだったけど、この歳になって、つまり、奥の細道をさすらってもいいような歳になって、初めて、この句を意識しました。芭蕉が言いたかったことは何かと。情景は、誰でもすぐ想い浮かべることができるだろう。人によっては、蛙の種類まで指摘することができるかもしれない。でも、その真意は?太陽がまぶしかったから、人を殺したというカミユの不条理の世界にも似た何かがある。いや、芭蕉の方が、当然早かったのだけど、ふと、この句に洋の東西を問わず普遍的な哲学の命題を見たように感じた。蛙は、芭蕉か、個人の人生か。孤独か、発信か。情念の波動か、温故知新か、さまざまなこと考えさせてくれる一句となりました。
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