フェンネル氏の奇妙な生活

気付いた世界の中の小さな出来事と水彩画と時たま油絵と思いついたことを爺さんが一人語りいたします。

民度

2009-09-06 19:44:43 | Weblog
思い出は、おれを故郷へ運ぶ
白頭の嶺を越え、落葉樹の林をこえ
蘆の根の黒く凍る沼のかなた
赤ちゃけた地肌に黒ずんだ小舎の続くところ
高麗雉子が谷に啼く咸鏡の村よ
雪解けの小径を踏んで
チゲを背負い、枯れ葉を集めに
姉と登った裏山の楢林よ

『間島パルチザンの歌』 槙村 浩
この詩の冒頭が刻まれている公園内の碑にいたずらがされていた。はじめは、鳩の糞公害かと思ってみていたら、黒い大理石に白地で書かれている文字が白いスプレー式のペンキでご丁寧になぞられている。滲んで読めない。誰がこんなことをしたんだ!この県の文化水準が教育レベルが、この地にすむ住民度、が疑われても仕方がない。土佐が生んだ反戦詩人、気骨溢れる若者を知らないのだろうか。戦時中韓国の植民地解放を訴え、日本軍の旧悪を誹謗し上海出兵に反対し、赤狩りで捕まるも転向せず小林多喜二と同じく酷い拷問によって身体を壊され26歳で夭折したプロレタリア作家。地元の子供達は、この天才、本名:吉田 豊道について何も知らないのだろうか。あの時代に、堂々と自分の信念を主張できる気骨は何だったんだろう。まるで、吉田 松蔭の生まれ変わりのように自分は見ていたんだが、そんなのカンケイネェ!とばかりに悪戯する神経、俺には、わからない。時代はいつも頭の良いものに悲惨で苛酷な運命をもたらす。彼らのおかげで今があると少しは、考えないのだろうか?槙村は、韓国では評価が高いと聞いている。そのような偉人を地元が辱めるような振る舞いをするなんて腹が立つより情けない。
コメント
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