私の夢 「集いの場」(コミュニティ・カフェ)をどのように作るか?  ~「みなの(皆野)長瀞広場」編~

地域の中で「集いの場」作りに向けて、モチベーションの維持と日々の記録として、このブログを立ち上げました。

新潟の「うちの実家」解散へ

2013-03-16 | 日記
新潟の河田珪子さんの作った「うちの実家」は、40坪の空き家を活用した街角の茶の間。
誰もが気軽にお茶飲みしたり、会話したり、ときには泊まることもできる地域に開かれた憩いの場だ。
「コミュニティ・カフェ」の先駆けともいえる「うちの実家」が、この3月末をもって終了となるという。

その前身は、住民参加型の在宅介護の助け合い活動「まごころヘルプ」、そして自治会館等で定期的に
開催される「地域の茶の間」で、「うちの実家」は平成15年に河田珪子さん(「うちの実家」代表)に
より開設された。

平成2年、両親の介護のため新潟に帰った河田さんは、住民参加型在宅福祉サービス「まごころヘルプ」を立ち上げた。
その後、河田さんは、「お年寄りは、一人暮らしはもちろん、家族と住んでいても、誰かとお茶を飲みたい、おしゃべりがしたいと居場所を求めている」ということを痛感。
平成9年、自宅近くの自治会館を借り、月1回、誰もが気軽に参加できる「地域の茶の間」を開設する。
その後次第に評判が広がり、県内約1000箇所で開かれるようになる。
平成15年、「このまま帰らないで泊まりたいね」という会話を耳にする。
「それなら気兼ねなく泊まれる実家を作りましょう」と、空き家を利用した「うちの実家」を開設したのだ。


河田さんは以下のように述べている。

まず誰かに手伝ってくださいとか皆が手伝うから一緒にやりましょうとか言わなくても、自然に協力者ができていったのです。人が切望するもの、本当に必要なもので、いろんな人が共感するものであれば、皆が協力してくれると思うんです。協力というより、皆で一緒に楽しくやってるって感じですね。


現在、地域で一番足りなくなっているのは、隣近所同士の絆だと思うんです。今、公的な制度や「まごころヘルプ」のようなインフォーマルな仕組みと組み合わせてもまだ足りなくて、隣近所同士で何かあったときに「ちょっと助けに来て」って言えるような関係性を再構築していく時期に入っているので、「うちの実家」もそれをやり始めているんです。

何かを始めるときっていうのは、人を放っておけないとか、これは見過ごせないってところに自分の生きがいや存在などを重ね合わせて動き始めるはずですが、活動している間に「こんなにしてあげてるのに何で分かってくれないの」とか、「これはそもそも行政がやるべきだ」って気持ちになることがあると思うんですね。駄目になってしまう活動というのは、自分は一生懸命やってるつもりだけど、いつのまにか最初の原点を忘れてしまっているのではないかなって気がします。

活動が20年間継続しているのは、私自身が一番嬉しいと思うところにいつも軸足を置いてるからかもしれませんね。いろんな人たちと知り合えて仲間もできて、「良いことしたかな」なんて気分にさせてもらえることが一番嬉しいんです。そういうことを忘れないようにしていけば、活動は継続すると思います。
みんなと一緒に作っていくという視点、そして常に中心軸を充足に置いていたことが成功の秘訣なのです。

全国の「コミュニティ・カフェ」のモデルともなった「うちの実家」も早10年。
「4年目ころから後継者について聞かれることが多くなりましたが、10年を区切りにしようと思っていました。うちの実家だけでなく、自分の足で歩いていける範囲に『地域の茶の間』がたくさん出来ればよいと頑張ってきましたが、市内各地や県内に茶の間が広がり、うちの実家を訪れる人の受け皿が整ったことから、やめることにしました」とのこと。

この2年間、実際に訪れることを目標の一つにしていたので、残念だ。
解散の会は、今日知ったのだが、明日行なわれるらしい。


日時:2013年3月17日(日)
 第1部 「うちの実家」の映画と写真を鑑賞
 第2部 懇親会
 会場 新潟東急イン 3F 明石の間(新潟市中央区1-2-4(JR新潟駅前)
 会費 4000円



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