人骨

オートバイと自転車とか洋楽ロックとか

あるおじさんの生涯

2005年03月10日 | ただの雑談
よい出会いがあった。ぼくの今の職場は年に30回くらい仕事で飲み会がある。相手は取引先のおじさんたちばかりで、何を話しても面白くもなんともない。知らないおじさんたちに混じってつまらん話を聞かされペーペーのぼくなどは酒をついで回らなければならない。最初は嫌いだったが、アル中になるにつれ楽しみに変わっていった(ぼくがアル中になったのはこの仕事のせいだと思っている)。ぼくはとにかく一人で飲みつづける。偉いおじさんへ酒を注いでやるのも最初だけだ。宴もたけなわになれば、彼らと何ら話題を共有できないことをつまらないと思う通常の思考がストップしてしまい、どんな話題でも盛り上がれるようになってしまうから不思議だ。
さて昨日もそんな飲み会だったわけだ。ぼくの隣に座したおじさんのことをぼくは全く知らなかった。最初は形ばかりの挨拶を交わして、あとはあまり会話を交わすことも無くぼくはずっと前を見て淡々と飲んでいた。さてこのおじさんはお歳の割には何か役職に付いているわけでもなく所謂出世コースを外れているお方だ。額は禿げ上がり腰は低く話し振りは非常に飄々としているが口数自体は少ない。おそらく大方の人間がそう思っている通り、地味という印象を受けざるを得ない。とりあえず隣でひとりで酒を進めていって、まあようやくこのおじさんの話し相手にでもなろうかなという気分になった。
最初はおじさんが喜ぶ話題ということで、お子さんの話題から振ってみた。一番下の息子が大学生だという。ところが息子は大学まで進学しながらテレビ局のアシスタントという仕事に興味を持っているのだそうだ。次いで一応数年前は大学生だったぼくの経験話をしてみた。腐った夢の話を。おじさんは、私だってン十年前は大学生でしたから、そんな気持ちは今でもよく分かるという。そうこう話すうちにこの方が非常な博識であることが明らかになっていった。周囲はヤレ経済が云々というつまらん話題で盛り上がっていたが、ぼくとおじさんが話したのはおよそ仕事とは関係の無い人文系芸術系の話題ばかりだ。何故あなたはそんなにお詳しいのですかと伺ったのだが、やはり好きだからだという。ある画家と詩人の話題になったのだが(と云ってもぼくは絵にも詩にもほとんど興味はない、ほんのさわり程度の話だった)、彼はここで「あなたこそそういう方面への興味があるのは素敵なことだと思います、私はさっそく明日その詩人について調べてみたいと思います」という。自分の父親ぐらいのリーマンのおじさんが、こんな文学部の学生みたいな感覚であり続けたことに感銘を覚えた。そこでぼくが自分自身で抱えている今一番の疑問というか矛盾について、彼の考えをきいてみた。
つまり今ぼくは社会人として経済界に居るわけなのだが、どうしてもこの経済というのに興味がもてない。およそ世の中で最も興味がないジャンルなのではないかと思っている。にも関わらず、この社会で真面目に過ごすことを決めてしまった。これをどう思いますかと。彼は、何かに興味を持って好奇心を抱きつづけられるなら、それが仕事でもそうでもなくても構わないのではないか、みたいなことを云った。結構胸に残る言葉だった。最後に名刺を交わそうとしたのだが、彼は自分の名刺すら所持していなかった。社会人としてはどうなのか分からないか、人としての魅力というのはそれだけでない。ぼくもせめてかくありたいと思ったのだった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする