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ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

1週間ぶりで研究室へ

2007年09月11日 22時09分49秒 | 日記
1週間以上、研究室を離れていたが、久しぶりに研究室に行った。
ずいぶん郵便もたまっていた。事務に提出するものもあった。

研究室で、特殊教育学会でのシンポジュームの資料をつくる。障害者権利条約に関する資料で、これまで書いてきたものの内容を要約してレジュメと資料にまとめる。3時過ぎには終わって、メールで、関係の方々に送る。

その後、「コミュニケーションの自由と社会政策」というテーマで、権利条約と関連させながら論述するというものに取り組む。アイルランドに行く前に頼まれていたものだが、結構安易に考えて、引き受けたものだった。しかし、「コミュニケーション」とは、「コミュニケーションの自由」の権利論的位置づけはなどと考えると、ますます分からなくなる。混迷を極めるも、なかなか進まず。一応、メモをつくってみる。

「コミュニケーション」を、「交流」と訳すだけでなく、「交通」と訳すと、「交通バリアフリー」の問題として、移動の自由とそれを実現するための社会政策の課題がパラレルで考えられると思うが、うまく繋がらないので、困っている。

その間、ルーベン大学の特別ニーズ教育センターのホームページをみてみたりした。

夕方には雨となる。帰ってから、「コミュニケーション」のロシア語、中国語訳などを見る。ロシア語で「общение」-この用語は、「交流」ないし「交通」とも訳される。中国語は「交流」とされていた。人間の社会的、歴史的諸関係において捉えられる、人間の社会性、共同性を内包するものであり、人間の発達を起案がl上で重要な概念ではないか。新しい概念ということとして考えれば、第3世代の人権としての「Right to Development(発達と連帯の権利)」にも位置づけられるのかもしれない。しかし、思想・信条の自由、学問の自由、表現の自由に関連して、「知る権利」などと同様にそれらの前提となる基本的人権とも位置づけられるのかもしれない。

家でも、「コミュニケーション」問題を考える。
荒木美知子「『交流』の研究ノート-「交流」(общение)の語源的検討」は、マルクスがこの用語をどのように使用し、ロシア語に移されたかを明らかにしたもの。なお、この用語は、ドイツ語のVerkehr(交通・通行、交際・文通)に相当するということらしい。なお。「communication]」も、英日辞書では、伝達・連絡・情報・文書・通信などとともに、「交通・交通機関」などの意味もある。

明日は、学生さんを高等養護学校へ引率がある。朝早くおきて、電車で行かなければならない。ちょっと、おきられるか不安。