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ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

作業所研修

2011年01月31日 19時01分38秒 | 生活教育
午前中、事務で予算の件で協議。その後、企画や総括などについて、話をする。
11時40分に解放。
卒業生と食事を取りながら、ケアホームの話を聞く。
「やるぞ!」とのりきみが取れることが大事とのこと。生活の流れなのだから…。
そうやな…とおもう。生活なのだから…。

大学から宇治東福祉会の職員研修にいく。場所と時間に悩む。
黄檗の駅の手前を山にあがると、事業所が…。昔の宇治作業所と比べると格段の違い。
障害者権利条約の話を3時から5時までする。

宇治東福祉会ではいろいろな事業をやっているという。児童ディもやっているし、ショートステイなどもやっている。すこしみせてもらった。
昔の知り合いもいっているとのこと…。

黄檗ホームという、市営住宅の中に設けられたケアホームにもいかせていただいた。
そこで、「てっちゃん糞戦記」の主人公T君がいて(と思って)、びっくり。ビデオのリモコンなどを沢山操作して、楽しんでいた。もしかして、「向日が丘のY先生知っている」ときくと、足をピットあげて、「はい」という。昨日、寄宿舎のプロジェクトでY先生にはお世話になったところ。奇遇やなぁ…と思う。「うんこがでにくいんやな」というと、また、足をピットあげて反応。メールして元気にしてるよといっとくよというと、喜んでいた。
そのほか、向日が丘の卒業生で、地域生活を切り開いたという人の部屋にもいった。

こういった、ホームやレスパイトも意外とと小回りがきいていいのかもと思ったりしました。地域生活の内容をもう少し、障害のある人の生活を豊かにしていく方向でいろいろ考えてみたい。

家に帰って、さっそくY先生にメールを書いた。返事が来た。「そのてっちゃんとはちがいます」とのこと…。はやとちりやな…。

そのほか、かぜがはやっている。すこし寒気がしているのも気にかかる。明日は「人間ドッグ」…。

生活教育メモ

2011年01月30日 22時42分56秒 | 生活教育
 寄宿舎教育研究会のプロジェクト会議(11時半からであるが、おくれて参集、4時頃まで)。この中で、京都教育センター編『風雨強けれど光り輝く-検証!京都の民主教育1978-2010』(つむぎ出版、2010年)が紹介された。第7章が障害児教育となっていて、桃山養護学校まで寄宿舎のある学校となっているなど、ご都合主義の記述があって、それだけでもこの本の価値が落ちてしまうと感じる。そうならないようにしたい。
 その後、Oさんとの待ち合わせが6時半だったので、5時頃まで皆さんにお付き合い願う。
 Oさんとあって、うえだくん・べっきくんの場合の未編集版をわたされる。2月、しばらく、あざみ・もみじ寮へいくとのこと。音声から声、そして言葉へという発達と直立二足歩行の発達連関をどう捉えるかなど、いろいろ考える。

※プロジェクトでの寄宿舎教育入門の構想を持ち寄り検討-「生活教育として捉える意味」の章のためのメモ。この中の教育学の部分は書くことはないだろう。
もういちど、「障害児の生活教育」にもどって、このことばを確かめないといけない。

生活教育をめぐって(メモ)
Ⅰ.「生活教育」の諸相
 1.生活と教育-ペスタロッチ・デューイから
 2.戦前における「生活教育論争-生活綴り方と生産教育(留岡清男)
 3.戦後における「生活教育」の展開の相克
  ・戦後民主教育の試みの中で
   社会科、綴り方、生活指導などなど
  ・カリキュラム論としての発展(日本生活教育連盟)
  ・生活指導と教科指導の2領域論
   →生活指導論として理論化(集団づくり、自治と自立)
  ・文部行政における「生活指導」の否定と能力主義的教育の徹底
   -管理主義的生徒指導論やカウンセリング(非行対策、不登校対策などなど)
   -「生活科」
   -「生きる力」
 4.障害児教育における「生活教育」
  ・施設教育の中での生活即教育の思想(糸賀一雄など)
  ・適応主義的教育論の中で
   →「生活単元学習」「作業学習」から「生活中心教育」へ(小出進など)
  ・権利の総合保障の一環として「障害・発達・生活実態を考慮して…」
   →「発達保障」論-田中昌人の発達論と「生活の教育的組織化」
  ・「生活の質」(QOL)

Ⅱ.子ども・生活・学校
 結局この問題の複雑さは…
 1.生活
 ・「生活」をどうつかむか?「生活」というだけで茫漠としてしまうこと、「生活」の急激な変容、「生活科学」の未成熟-社会科学の問題
 ・「家庭」「家族」、生命の再生産の場としての「地域」の衰退-岡田知弘「地域づくりの経済学入門」(おもしろくないが…)
 2.生活と学習、生活と労働
 ・教育学における「生活と教育の結合」論
 ・子ども論-子どもをどう捉え、そしてどう受けとめ、支えていくのか、そして生活 主体者として力をつけていくか
 ・学校教育という文脈で言うと「教授学校」か「生活学校」かという学校論の構築に関わる問題
 ・教育における今日的な生活の問題-貧困の問題など(あらためて「生活と教育の結合」の提起を

 3.障害のある子どもの生活の質-障害のある子ども達の「あたりまえの生活」を支える
 ・「あたりまえの生活」
 ・障害児教育の中での固有の課題(障害、生きづらさなどなど)
 ・障害児学校論の貧困

Ⅲ.寄宿舎としてこの問題をどのように引き取るか
 1.歴史的な展開
 2.寄宿舎教育における「生活教育」「生活実践」
  ・寄宿舎教育
  ・生活指導
  ・生活教育-子ども達の生活史と生活の質と価値を問う立場(か?)
 3.生活実践と生活教育-実践の展開とその価値
  研究の方法論:
   ケース研究/エピソードを大切にすること/質的研究としての実践研究
 4.実践の内への深まりと外への展開-実践論の構築を→現状分析と運動論へとつなぐ

Ⅳ.現状分析と政策-障害児の未来をひらく運動論

感じることと、考えること…

2011年01月29日 21時13分04秒 | その他
 12時から、京都教育大学へ
 京都教育大学の附属特別支援教育臨床研究センターのシンポジューム「特別支援教育と教科教育の融合」での、国語教育の授業づくりの場合のシンポに指定討論者として参加。
何を喋ったらよいのか、その場で判断しないといけないので疲れ果てる。
4時まで。うまく喋れなかったので、後悔…。

 6時過ぎから、テレビで、盲ろう二重障害の人たちのことが取り上げられていた。指文字で、コミュニケーションをする先天性の盲ろうの青年の大学進学試験へのチャレンジも取り上げられていた。
 このような聴覚・視覚の感覚の障害のある場合、接触などによって、周囲の状況を伝えていく必要があるが、その場合の言葉というのはどう構築されるのだろうか。しかし、いったん、概念が形成された場合、それを駆使していけるように、それに刺激をあたえていくような外部からのインプットの支援の内容は、本質的な事柄や援助される人の概念が発展していけるような内容を示していかないといけない。それには、支援者の言葉の力がとてももとめられる。すべてを言葉で表せるような力が。
 昨日まで、大野さんの世界を音で表す試みを考えていたので、言葉ではない音の感覚の広がりで、世界を感じることを考えていた…と言うより、感じていたのだから、全くその逆ということになる。今日の「国語教育」のことも含めて、どう考えて良いのか、音、音声言語、視覚言語、話し言葉と書き言葉、日本語・国語…。そして、わたしたちのコミュニケーション、表現と人格ということ…。

 1週間の疲れも重なって、感じることにも、考えることにも本当に疲れた。休みたい。

授業の破綻…

2011年01月28日 21時40分02秒 | その他
避難訓練での対応に悩む…。

10時半から、知的障害教育方法論の講義。「アトムの足音が聞こえる」を見せる。知的障害との関係では、無理矢理、あざみ・もみじ寮の取り組みということになるが、それよりも、音の世界で表現するものについて興味深い。

大野松雄さんのこれまでと現在-音響による表現から知的障害・発達の世界に

ぼくの頭はぐるぐる回るのだが-学生さんには無関係なのかもしれない…、その意味では大学の講義としていいのかとの問いもある(学生さんからは「ノープラン」との評価もあり)。

1時から、HPの件で、相談。情報館に行って、いすに座るとイスがこわれてショック。「だいじょうぶですか?イス」といわれて、またショック。

2時30分から3回生のゼミ。今日の講義の意図を話すが…。学生さんに「疲れた顔」とのこと。
4時半から実践センター長との相談。
5時から、今度4回生になる人たちとの卒論の相談。テーマはまだ決まっていないが、いろいろ試行錯誤をしてほしい。絵本、ナラティブアプローチ、聴覚障害などなどが課題や方法となるようだが…。いろいろ話をする。7時まで。
7時から研究室に帰ると、事業所へはいった卒業生が…。

たんなるいい人

2011年01月27日 23時33分31秒 | その他
11時にようやく帰ってきた。
朝、幼稚園の子どもの所にいく。だいぶ間合いをとって、子どものまねをしてみる。そうすると、ちょっとだけみて、視線をさけるけれど、足をあげてみると、その子も足をすこしだけあげる。そのうち、エビぞりのようなこともやっている。みていてくれるんやなと思ったり…。「ここにいるよ」とメッセージを受けとめてくれているかなぁ。

1時過ぎに、事業所のなかまが来て、ブタのあみものをくれる。それと引き替えなのか、チョコレートをいっぱい注文させられた。
1時半から、奈良市の会議。5時まで。
5時に、印刷物があがってくるので、受け取る。
教室会議。運営委員会。

その後、夜間の大学院の授業。
「アトムの足音が聞こえる」をみて、すこし解説。
田中先生といっしょにしごとをした人の人生が描かれている。この人も「突き抜けている人」
「研究者は突き抜けた人」という評価基準があるので、自分はなんといわれても「研究者ではない」という。「たんなるいい人」として開き直りたい。

意外と単純なことが

2011年01月26日 22時29分25秒 | その他
午前中、教職大学院の講義
ヴィゴツキーの「危機的年齢」をどうとらえるか?「希望の14歳」という言葉を思い起こしながら…。
午後から、附属小学校の公開授業にいく。授業検討会にはでられず、会議に、でたりはいったり。7時すぎにようやくおわる。4つの別々の会議や仕事。さすがにつかれるが、宿題もある。

授業を見ながら、子どものおもいがひろえているかどうか、子どもがかわいいと思えるかどうか…。
子どものことが好きになれないと言っていた卒業生のことが思い浮かぶ。

忙しい一日を振り返って、いがいと単純なことが、心のささえになるのかもしれないとおもう。


「不立文字」

2011年01月24日 21時31分50秒 | その他
 朝、昨日つくった子ども用シートをもって出た(はず)。幼稚園に行ってみると、それがない。年中さんの所に行き、それから年長さんの所に行ったが、年長さんはお兄さんらしくなってきた。年中さんもなれてきた…。
 4時半から、3回生のゼミをする。一人で喋ってしまう。3回生と来年度の日程を検討すると、忙しいことを改めて再確認した。絵本の整理などをしようということに…。
 ちょっとぼやき…「『教えてくえださい』といわないでほしい」-そのまえにすることがあるだろう。「やりたいことをやりたい」
 10時から、プロフェッショナルで院内学級のことが放映されるのでビデオにとる。

松本宏「権利と差別について-京都府作成映画「人」の合評会を契機として(1968年5月)」『不立文字』(私家版所収)をPDFでアップする。

柴田昭二・山田温子・豊嶋咲子『子どものすがたとねがいをみんなで-排除しない学校づくり』(湯浅恭正・越野和之・大阪教育文化センター編、クリエイツかもがわ、2011年、全150頁)をよむ。山田さんと豊嶋さんは、新採の教師であり、心の揺れがすなおにかかれていて、とてもよかった。「排除しない」という副題はとってつけたような気がする。あきら君-そういう子どもと出会ったことも…。6年間の成長がわかるが、その一方、それまでのあきら君はどんな育ちや様子だったのかが気になる。

第1章 「困った子」ではなく、「困っている子」として受けとめる(障害児学級担任)
第2章 子どもの居場所9-保健室から見えたこと(養護教諭)
第3章 「先生、ボクの思いを受けとめて-一人の児童を通して見えてきた全体の輪」(学級担任)
第4章 「子ども理解」の多数派をめざして(特別支援教育コーディネーター)
第5章 排除しない学校と共同の輪(実践を読み解く)

どこからどこまでが仕事というのだろうか?

2011年01月22日 22時59分50秒 | その他
朝、集中講義の先生と挨拶。プロジェクターなどの準備。大阪教育大学のT先生を紹介してから、別の用事。12時半に終わり、その後、食事を取って、近鉄奈良駅へ。車は、奈良女子大学にいてみた。南門の所に、附属小学校跡が示されていた。
奈良駅で、卒業生とあう。20年前に卒業した、台湾からの留学。大阪に来ていて、少しあって話をする。兄さんが、視覚障害があり、台湾の盲学校を卒業後、大阪府立盲学校に進学、1984年の頃である。寄宿舎に入りながら、日本語の習得も課題となり、ライトハウスにもお世話になったようだ。兄が日本に来たことによって、妹の彼女も高等教育への道が開ける(彼女の両親は「女は大学に行かなくても…」という考え方の持ち主だったとのこと)。彼女も、兄のそばにいながら日本語学校に行き、大学に進学することになったのである。その後、兄さんは、筑波大学の附属に入学したかったがかなわず、その後、いろいろあったようである。今回は、その兄さんが、ライトハウスでお世話になった方にあいに、大阪に(奈良の老人ホームに入所しているとのことで、奈良に)。また、大阪府立盲学校の寄宿舎の寮母さんにもあったとのこと…。日本と台湾の盲教育の交流史などの一こまが見えてくる。兄さんの聞き取りをして、その体験を聞かせてもらいたいとお願いする。

車で、大久保まで、そこから電車で光華女子大へ。
臨床発達心理士会の地方支部の打ち合わせ。4時から6時過ぎまで。
終わってから、京都駅で、Oさんとあう。
夜明け前の子どもたちのナベちゃんの未編集記録の作業があがった。Oさん自身の映画「アトムの足音」のDVDもいただく。そのごの課題を確認して、お願いしてくる。来年度の資金計画を考えないといけない。

かえったら、8時過ぎ。食事をとって、風呂に入って、いろいろしていると12時過ぎ。ごろごろしているとリビングで寝てしまう。

なんどもなんども子ども理解を深めるということ

2011年01月21日 21時48分28秒 | 大学
幼稚園に行って、子どもと遊ぶ。子どもは手をかければかけるほど、気持ちが通じ合ってくる…。
知的障害教育方法論の講義-これまでの振り帰りをしつつ、発達の理解に向かう。夜明け前の子ども達の未使用フィルム(びわこ学園療育記録)のうち、ナベちゃんのところをみる。田中先生の説明は、生後第2の発達の階層から、発達の新しい原動力の生成、そして自我の誕生と拡大にもつなげるということだった。発達の基盤の所からみることによって、できることを浮かびあがらせていくという特徴を持っていると思った。ぼくなら、1次元可逆操作の説明で終わるところだが、そうならないところが興味深い。
なんども、なんども見直して、小さな表情や手の使い方の変化、行動の変化を捉えているところはすごいと思う。

昼に、与謝の海養護学校の紀要のデジタル化ができたので、それをDVDをつくる。卒論・修論などを事務から持ってくる。DVDディスクを買ったりする。事務の人が、書類作成のための資料を持ってきて、それに対応。修論検討のゼミの手配などなど…。

2時半から、3回生のゼミ。盲学校の実践を見に行くこととの関係で、NHKでやっていた「障害者と戦争」をみる。京都盲学校のK先生も出演していた。「差別的平等」の中で、虐げられたからこそ、戦争に強く荷担していく。

4時過ぎから、通級研。8時過ぎまで。緘黙の件の交流、動物病院のM先生からの報告、LD関係の論文の報告(奈良の調査を含む)、その後、実践の話や通級指導教室の対象児をどう考えるかなどを討議。

卒論・修論の提出日

2011年01月20日 23時29分52秒 | 大学
卒論・修論の提出日。
学生さんの都合に合わせるような形での、仕事の仕方はもうできない。アンガーコントロールができにくいのは、ピンチの証拠。
1時から、講義。場面緘黙の幼児の発達的な理解についてみなで検討。精神分析の立場ではないが、しかし、心理的なつまずきは思ったよりも大きいこともある。
4歳から5歳にかけて、本格的な集団との出会いの場。そこに入って行きづらい。家では喋るのに、園ではしゃべらない。それは、4歳頃の自制心のところでのつまずきなのか?2~3歳頃の自我の発揮の様相の弱さなのか?そこへの対応は?
そういえば、幼少時代、しゃべらない子だった田中先生のエピソードも思い起こすところである。
4時半から、会議。終了が7時。それからまた会議、8時半頃にようやく解放。事務に捕まって、月曜日までに書類を出せと不意打ちをくう。

論文指導で悩む

2011年01月20日 11時28分23秒 | 大学
昨日は、入試の後、会議が3つあった。ちょっとした非常事態もありで…。研究室に帰ってから、関係の方々にメールをして、急いで、卒論の検討に向かう(8時半から)。
いろんなことがありすぎて、どうもうまくまわらない。
論文指導は、もっと本格的にしないといけないと思う。この頃の学生さんたちは、読んだり、調べたりする機会が乏しく、自然とおぼえていくといった考えはもう過去のものだと考えないといけない。とはいえ、自分のやり方でこれまで、論文をつくってきたので、どう指導してよいか悩む。

大泉先生の『生活支援のレポートづくり-実践研究の方法としての実践記録』を再度読んでみたい。全体として、実践研究、質的研究の方法論を考えないといけないが、それをするのは、やはり、自分なりに実践研究論をかくのがよいのだろうとおもったりする。

労働安全衛生の観点から自己診断をすると「やばい」状態。対人援助職や「感情労働」のことも考えたい(そういえば、糸賀一雄も僕の年で過労死だった)。

グループホーム・ケアホーム

2011年01月18日 21時37分11秒 | 生活教育
 学生さんの卒論をみせてもらったり、印刷やテレシネの関係で会計に行ったりした。
 その後、事業所へ。グループホーム・ケアホームの世話人の研修会の講師を、やむを得ずすることになった。そのうち合わせだった。なかなか、グループホーム・ケアホームが広がらないということだった。「すまい」「くらし」の場の確保は、本当に大事だが、それをつくっていくためにも「世話人」の確保と障害の理解の向上が大切だとのこと。
 寄宿舎教育との関係で、常々、「世話及び生活指導」の「世話」の部分を改めて考えてみる必要があると考えている。暮らしを下支えすること(衣食住)、生活の介助や支援、楽しい活動の組織化、そしておしゃべりで「世間の話」をしたり、世間との交流を創っていったりと…。それにしては、寄宿舎、寮、グループホーム、ケアホームなどでのその役割を果たす人たちの置かれた地位は、とてもそんな状況ではないようだ。
 事業所の理事長に、そこの運営するグループホームにつれていってもらった。一つは、男性が5人で住んでいる民家、もう一つはもと短大の寮だったところで、女性が7人で住んでいるところ。夕方だったので、夕食をつくってくれているパートさんがいて、世話人さんも1名いた。男性のグループホームでは、一人が発作をおこしたといっていたが、一人ひとり個室でテレビを見たり、ゲームをしたりしていた。お風呂に入っている人もいた。昔の姿を知っている女の子もいたりした。

そういえば思い出したのが、日本経済新聞(1月16日付)の共同住宅の記事。
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共同住宅 自ら築く
市民やNPO、望みの形で

障害者もいる家族のマンション
近所付き合いが盛ん

健常者が、障害者や、高齢者と一緒に住むマンションを作り、近所付き合いの延長で助け合うという3事例を紹介。

1.ぱれっとの家 いこっと
これは恵比寿駅近くにある、外見は普通の民家。
ここに、公募で集まった、知的障害がある4名、健常者3名が暮らす。
NPO法人が中心になり、計画、運営。家賃は7万円程度。
NPOだけでなく、理解のある会社や、助成金、寄付金などで建設した

2.みんなの家
横浜市都筑区のマンション。
これは障害者を家族に持つ主婦の将来の不安が、きっかけとなり、
同じような思いを持つ家族の輪ができ、ボランティアなども参加、
「みんなの家をつくる会」が発足したという。
NPO法人を作り、資金調達をして建設したという。

3.シャロームつきみ野
高齢者向け賃貸タイプ

自立した高齢者の入居者同士の支えあいを重視した賃貸。
運営は、NPO法人シニアネットワークさがみ。
同法人の理事長の思案から、始まった計画らしい。
しかしこれも資金調達が難しく、結局、入居を希望していた家族と
付き合いのあった、農協からの融資で実現にこぎつけた。


大学入試センター試験をふり返る

2011年01月17日 23時22分11秒 | その他
フォーラムの呼びかけ人会議、障がい者制度改革推進会議資料の整理、センター紀要の手直しなどなどがあり、寒く疲れた。

寒い土日の大学入試センター試験のことを少し記しておきたい。

1日目の現代社会には、「ミレニアム開発目標」が登場、国語の読解は「高齢者のグループホーム」に関する文章。