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ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

火災報知器

2011年06月30日 22時33分39秒 | 日記
幼稚園に行く。大久保先生が、ネグレクトのケースで話(境界性か)。
「こじか」を見ながら、手紙の下書きをする。おばちゃんと話をする。
10時半から、卒論ゼミ。その前に、鶴海さんの紹介状をかく(めんどくさい)、古川さんの修論指導をどうするか?考えないと行けない。
ゼミでは、しょりとなっちゃんの発表。

昼は、ならやま会のパン。
1時頃から、手紙の下書き。
2時40分から、大学院のゼミ。その間、頭に来て噴火を予知したのか、火災報知器が鳴る。自分を取り戻すために、ウロウロする。佐竹の問いと答えの間の狭さは、SR理論の人だ!指導はできない。

牧野ディレクターに電話。携帯で通じるが、打ち合わせ中のよう。
板谷君への手紙を書いて、出す。

7時から、全障研の運営委員会。
疲れる。

胃の調子が悪い。

経営協議会など

2011年06月29日 22時06分51秒 | 日記
経営協議会で、30人学級の説明をして、審議していただく。
実験的試み、20人と30人で比較をといったような話も出た。
終わってから、障害児保育の授業。前回のふり返り、日本手話での教育(龍の子→明星学園)を見せる。
12時から、教室会議。
食事を取ってから、会費を届けに事務所に行く。
疲れたので帰ったら、NHKのディレクターからメールが来ていた。

『不破哲三時代の証言』を昨日から読んでいる。なかなか、政治史は面白い。50年代から60年代はまだまだ、70年代の躍進(このときに、障害者運動も高揚する)、80年代の孤立化と政治的貧困の振興、90年代のバブル崩壊と失われた10年、21世紀…。

暑い…。

PTA協議会

2011年06月28日 23時52分30秒 | 日記
朝、附属のPTA協議会。
学長、副学長も参加。平賀さんと坂下さんは、小学校で子どもが行方不明ということで遅くなる。谷口さんは授業を終わってからくる。遊戯室でするが、7月になっていないのでクーラーを入れられない。風が通るのでまあいいか。
終わってから、中学校問題で少しうちあわせ。
帰ってから、研究室で涼む。生協で食事。
佐瀬さんから電話有り。2時半から基礎ゼミ。教育の発表。つまらんかった。
1回生をつれて、発表の準備。
その後、教育研究評議会。そこで、30人学級の話をさせられる。
明日は、経営協議会でその話をするようにとのこと。しんどい。
平賀先生と、小学校と大学の連携のことで話をする。
メモをつくって、メールで小学校の連中に送る。
あついし、しんどいので、早く帰る。

胃か十二指腸かの調子が悪い。ちょっとピンチかも。

しんどいので…

2011年06月27日 22時04分59秒 | 日記
朝、気持ちが沈んでいるし、しんどいので、ゆっくりいく。
12時過ぎに、近鉄奈良駅で昼食。
1時頃に大学へ。
いろいろ書類を出す。
杉本さんの本ができる。
近藤と話をする。貝塚の話。

電車の中で、小林堤樹の本を読む。その他、近鉄奈良の本屋で、倉橋惣三の伝記を買う。

小沢浩『愛することからはじめよう-小林堤樹と島田療育園の歩み』大月書店、2011年

2011年06月27日 21時44分42秒 | 
小沢浩『愛することからはじめよう-小林堤樹と島田療育園の歩み』(大月書店、2011年)は、島田療育センター(島田療育園)の創立50周年記念出版である。
1961年5月1日に島田療育園が開園した。この開園にから、、退任に至るまでの園長の小林堤樹の歩みを記したものである。小林は後に、開園のときのことを次のように述べている。
「島田療育園という、わが国で初めての、生きる屍のような重症心身障害児だけを収容し、治療する施設ができたのである。これからが私の本当の苦闘が始まるのである。」

刊行によせて
はじめに
一章 芽生え
1.信仰
2.はじまり
3.戦争
二章 蕾
1.日赤産院
2.戦い
3.道程
三章 結実
1.協力
2.光と影
3.そして
あとがき
参考文献

信仰のこと、島田伊三郎と息子良夫のこと、伊藤貞子のこと、「心身障害児」の言葉の誕生、エンゼルベイビー(このことは、西村京太郎『天使の傷痕』のモチーフとなったものではないか)、皇室との関係のことなどいろいろ思う。

社会福祉法人日本心身障害児協会島田療育センター『愛はすべてをおおう-小林堤樹と島田療育園の誕生』(中央法規、2003年)を元にして成立している。著者は、小児科医。

放課後指導員講習会

2011年06月26日 21時11分59秒 | 日記
8時過ぎにいって、資料を印刷。
ビデオを探し、ユニバーサルデザイン社会の双六のプリントアウトなどをする。
9時から講義。
はじめに自己紹介、その後、ガンバクラブのビデオ、身体障害の基礎知識で前半終わる。
後半、脳性マヒを示し、「がんばりよ健太」をみせて、話を展開する。
研究室で、書類を書いて、協会の方に渡す。
N先生にメール

家に帰って、ゆっくりする。少し休めたかな。

暑いのでしんどい(臨床発達心理士会)

2011年06月25日 23時30分50秒 | 日記
朝から、臨床発達心理士会京都・滋賀・奈良支部の役員会。
竹下さんと話をする。
吉田さんが具合が悪いようだ。梅田さんも調子がわるいよう。八木さんは、田中先生がBコースの指導をしなかったからだといっているとのこと。
米田さんの件もあったしな・・・。
総会をやって、その後、国家資格化問題で話をきく。
臨床心理士会との確執などおもしろかった。
かえったらとてもつかれる。

夕食後、明日の講座のための資料をつくる。
死にそうである。

文部科学省法人支援課での説明(概算要求関連)

2011年06月24日 23時02分32秒 | 日記
6時過ぎに、電車にのって、東京へ。
品川で下りて、新橋までいって、そこから地下鉄で虎ノ門へ。
10時15分に、ロビーで待ち合わせ。
松川先生、小柳先生、筒井課長、仲井副課長で、法人支援課へ。
はじめにプログラムの二件(Tモデル、ICT)で、12時まで。12時から30分間、附属幼稚園と小学校の30人学級について説明。
「いいにくいことですが、ということで、120人で108名としてやっていたのですね」、それはどういう経過だったのですかなど聞かれる。「周知の事実です」といってやった。しかし、小学校の学級定数の問題については、経過をさかのぼって明らかにする必要がある。研究として…。30人学級の件はGOサインがでた!!

終わってから、かえる。小柳さんと少しはナシをするが、あまり話は発展せず…。ひとりでかえる、5時前にいえにつく。
のぞみのなかで、小林堤樹と島田療育園の本を読む。伊藤良子さんがでてきて、伊藤博文の孫とのはなしが思い浮かぶ。

疲れ果てている、家でゴロゴロする。なんだか、胃のあたりに違和感が…、肝臓かな?

附属学校部運営委員会

2011年06月23日 22時53分00秒 | 日記
幼稚園に行って、「こじか」をとりだす。
大久保先生と中学校の教師の件で話をする。子育て相談もしてもらうことになっているようだ。

研究室にもどって、仕事をしていると越野先生が、事前指導だと言ってくる。
19クラスの小嶋先生のことばの授業をみせていただく。ビデオも撮影。

昼、パンを食べながら、O先生への手紙の原案をつくる。
清書のために、文房具屋に行き、米田コーヒーで手紙をかいて、出す。
2時半頃、根來先生と話をする。
大学院のゼミ。黒崎の発表。
藤井先生がきて、奈良の障害者福祉の動向について話をきく。
6時から、附属学校部運営委員会。7時半に終わる。

先生への手紙

2011年06月23日 13時08分38秒 | 日記
拝啓
 ご無沙汰しています。大学も、法人化の第二期中期計画の中で、多様な問題に直面しており、忙しさにかまけて、連絡を怠っていたこと申し訳なく思っています。
 今回は、高度な判断で○○を受けていただき、先生の思いは心の中でいかばかりかと推しはかっています。私どもも、受けていただきたいとお願い申し上げてきた経過があります。その方針の下、学長先生とも相談させていただき、功労調書などをまとめさせていただきました。先生の信念やお考えと大学への思いや配慮に関して多くの葛藤や忸怩たる思いがわかるだけに、今回の○○を受けていただいたこと、本当に申し訳ないと思っております。
 実は、一昨日、丸山美和子先生の葬儀に出席してきました。先生とも親しかったと思いますが河添邦俊の娘さんで、東大阪教育研究所で教育と研究を続けてこられ、仏教大学に移られて、保育や障害児教育の今後についても実践的なご活躍を期待していたところでした。私たちの大学の公開講座にも来ていただいたことがありましたし、個人的にもお電話いただいたこともありましたので、葬儀にいかせていただいたのでした。丸山先生のことを思いながらも、本当に失礼でしたが、香典に「御仏前」「御霊前」などなんと書いたらよいのだろうかと迷っており、おそらく私たちの立場と考えれば、なにも書かないことがいいことかなどいろいろ考えてしまいました。葬儀・告別式の場にいって、仏教大学でお教えになっておられたことに思い至らなかった世間知らずな自分自身のことについて気づかされました。ご家族やご子息のみなさんも、宗教についてはいろいろな思いはあるのだろうと思いますが、しかし、ある意味、それを飲み込んで、私たちは生きて行かざるを得ないのだろうと思います。
 先生のお考えやお申し出を重ねながらも、また、そのことについての自分自身の思いもありますが、しかし、今回の先生の申し出は、わたくしどもとしては受け入れることはできないと言わせていただきたいと思います。先生が今回○○を受けることについても、このこと自体が私たちの大学を守り発展させるという立場からの決定であり、逆に先生に無理をさせたことをお詫びさせていただきたいと思います。今回の、お申し出はお返しさせていただき、元学長として九条の会をはじめとしていろんなところでご活躍を願っています。
 生意気なことを申しまして大変な失礼をいっていること承知していますが、これからもいろいろご助言がいただけることを期待しております。乱筆乱文お許しください。
                                   敬具

文部科学省事前説明資料を作る

2011年06月22日 22時35分19秒 | 日記
久しぶりにライムでモーニングを食べる。
研究室で、30人学級に関するパワーポイントをつくる。
10時40分から、障害児保育の講義。「ちはるとちえ」を見せる。大阪の双子。ちえは、はしかで聴覚障害となる。聾学校幼稚部から、通常の学校へ。補聴器へのこだわりなどなど…。ちはるのまなざしも…。いろいろ考えるところはあるが、何年前のものだったろう?
昼も資料づくり。
1時半から、教授会。2時半前までいる。その後、紀要の書き直しをもって、図書館へ。
2時半過ぎから、幼稚園の職員会議。
終わってから、また、明日の附属学校部運営委員会のレジュメと資料をつくる。
8時過ぎに、メールで出しおわる。

佐竹の研究課題の件で、指導教員をかわることについて検討。
福井の件について、仲裁にうごくか?ちょっと根來さんに進捗状況を聞いてみる。


丸山先生の葬儀・告別式に行く

2011年06月21日 22時26分11秒 | 日記
まよったが、朝、丸山先生の葬儀・告別式にいく。
伏見の葬儀社に車で行く。脇田さんの奥さんが、受付にいた。立命の峰島さん、津止さん、大阪教育大学の○○さん、板井さんなど大阪の先生たちがいた。
丸山君が、お辞儀をしていた。帰りに、京都教育大学の相澤先生と一緒になったので、臨床発達心理士会の講師の件を話しておく。

帰ってから、着替えて、研究室にいく。
研究室では、事務局長との話をするための資料をつくる。パワーポイントでいろいろ図をつくる。
2時頃に、ABSさんがきて、印刷した杉本さんのものを持って行っていただいた。これで、一件落着。
2時半から、1回生のゼミ。どうも、はしゃぎすぎ、子どもみたい。岩坂先生に怒られる。
4時半から、学部改組委員会。
終わった後、平賀さん、坂下さんと事務局長のところに行って、話をする。
学長にあったので、大久保先生のこと、福井君のことで意見交換。
かえってから、福井君のところにいって話を聞く。福田さんがいたが、福井君と1対1で話をきく。
なんとかなろうとおもうが、正式の委員会で議論がすすんでいるので、それが大変、子どものけんか以上に、たちがわるい。
9時前に、越野さんから、大久保先生の手紙をもらった、家に帰る。
疲れ果てている。

月曜日

2011年06月21日 08時20分54秒 | 日記
幼稚園が休園なので、ゆっくり、モーニングを食べていると、越野さんから電話。
山本文さんがきているとのこと、ダッシュで、越野さんの研究室にいく。
韓国にいくので、ハジャセンター・延世大学、障害児施設などのアレンジを頼む。博士論文について尋ねると、神学部の教育学科だとのこと、もともと寺の娘なのに、いまはキリスト教の教誨士の資格をもっているとのこと、関信三や留岡幸介の話をする。しかし、総合試験の合格後に書くことができるとのこと…。
11時過ぎには、杉本さん、ABSが来るので、印刷の手配。杉本さんのダンナさんも来る。
相澤先生からメールがあり、岩坂先生に、臨床発達心理士会の講習をお願いする。
保護者にはがきをかいて出す。
1時には、イマジカの玉川さんがくる。京都府立資料館のデータ化の件を相談。ハイビジョンでやっているので、3割り増しになっていくるようだ。お金の出所が…。
オープンリールのビデオをもっていって調べてもらうことに…。あとは、テープレコーダーをも見てもらう。
2時半から、学長室で、日曜日の保護者対応の報告。
4時にもどり、三本さんとあって、少年刑務所にいっている軽度知的障害の青年のことについて相談する。保護司をしているとのこと、矯正計画を立てないと行けないとのことである。出所後も大変そう、保護者の生活力の問題もありそう…。
丸山先生の葬儀のことで、越野さんのところにいくと、大久保先生の件で相談があった。
6時半まで、30人学級の資料をつくるが(パワーポイント)、うまくいかない。
6時半から、修論のゼミ。星さんの報告・検討。実践研究はやはり難しい。
参加は、星、杉本、角光、寺田、阪東
9時過ぎまで。

帰りに、ラーメンを食べながら、大久保先生のことについてメールをすると、すぐに電話がかかってきたが、聞き取れなかったので、どうでもいいことにした。

丸山美和子さん逝去

2011年06月20日 08時19分35秒 | その他
19日、仏教大学の丸山美和子先生がお亡くなりになられた。
58歳だった。あまりに若い…。

 保育と障害児教育・療育に関する実践、発達相談、そして研究に携わり、障害や困難を持つ保育や教育の実践を支えてきた方だった。
 東大阪市教育研究所時代は(大阪の障害児教育史上、この研究所は重要な位置と役割を持っていると思う)、多くの発達相談をおこない、障害児学級の先生方とも実践研究をすすめた。東大阪教育研究所では、丸山さんに何度か呼ばれて話をしたし、東大阪の障害児教育の白書作りなどでもいっしょにアドバイスをした。大阪のこども関係の講座でもご一緒することもあった。仏教大学に移られてから、個人的に電話をいただいたことを記憶している。
 また、うちの大学の公開講座でも登壇していただき(ちょうど、幼稚園の遊戯室で開催された)、附属幼稚園の前副園長から「こんな話をききたかったんや」という声をいただいた。

仏教大学のホームページを見ると、ふっくらとしたお顔があり、研究分野として「発達保障論」と書いている。転載させていただき、丸山先生を偲びたい。

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私の研究テーマは、すべての子どもたちの発達保障のため、その道すじを明らかにすること、そして育児や保育の方法及び相談のあり方を明らかにすることです。

 研究分野:教育・社会系心理学、発達保障論

 研究課題:LD及びその周辺乳幼児の理解と保育実践の課題、保育における「発達診断・相談」の今日的意義と今後の課題

 主な著書・論文:「家庭・子育て支援と指導員の専門性~発達研究の立場から~」
 (かもがわ出版, 学童保育専門性研究会『学童保育研究』第4号, 2003年11月)
『子どもの発達と子育て・子育て支援』(かもがわ出版, 2003年1月)
『LD・ADHD、気になる子どもの理解と援助』(かもがわ出版, 2002年10月)
『発達のみちすじと保育の課題』(子ども総合研究所(IUP)発行、萌文社発売, 2001年9月)
「最近の子どもに見られる発達上の歪みに関する一考察-問題分析と克服を考える視点について-」(保育研究所, 『保育の研究』, 17号, 2000年6月)
「障害児の「特別なニーズ」に対するケアと統合保育-統合保育の成果と障害児保育の今後の課題-」(佛教大学社会学部, 『社会学部論集』, 33号, 2000年3月)