柏てん『京都伏見のあやかし甘味帖 月にむら雲,れんげに嵐』を読んだ。このシリーズ3作目。京都の和菓子の探訪の位置づけであるが・・・。第一作,第二作,第三作とす住めてくると,和菓子の話しは消えて,要するに「あやかし」妖怪ものの馬鹿話になっていく。今回も,天狗の話し,牛若丸と弁慶の話しがつづいて,鞍馬の山に入っていくのは良いが。和菓子の話しは横に置いておくという感じ。
信じられん頼間違いも多いので,蘊蓄にも何もならないかもしれない。たとえば,近鉄と京阪がまちがっていたりとか・・。とにかく,和菓子が出てくるところを摘記しておきたい。
1886年創業の「仙太郎」(これは仏光寺近くに店があった!) 5月の和菓子ということで,三種類の「柏餅」と「粽(ちまき)」p.45
端午の節句のもととなったのが,中国の端午節。春秋時代の政治家が入水自殺をしたのが,5月5日,その死を悼んだ人々がお供え物として竹筒に米を入れたものを投げ込むようになった。供物を川にすむ龍に食べられないようにせんだんの葉で包み,五色の糸で巻いてほしいとの願いがあり,それが「粽」になったという。日本につたえられた端午節は,藤森神社に端を発する菖蒲の節句と結びつき男子の成長を祝う行事となった。江戸時代以降に盛んになったが,そこで誕生したのが「柏餅」。関東の方がポピュラー。小倉餡がなくなると,味噌餡を入れていたという。
「子育て飴」p.81 「みなとや 幽霊子育飴本舗」 幽霊が飴を買いに来たという話し(六道の辻)
昔,京の都の東限は鴨川までだった。それを越えると鳥辺野とよばれる京都の三大風葬地のひとつにつながる。平安の頃は墓を建てることもなく,庶民の遺体は鳥に食わせたり朽ちさせたりするのが常だった。「六道の辻」はそこへ到る野辺の送りの道。いつしかあの世へとつながるといわれるよいうになった。
手作り琥珀糖p.109 有名なものは御菓子丸の「鉱物の実」(紫竹にある店舗) 鉱物にみたてられたシャンパン色の琥珀糖。
義経にまつわる和菓子。p.156 義経一行が奥州に逃げる際,負傷した弁慶が療養した民家に,銅鑼(どら)を置き忘れたという。その銅鑼で生地を焼いたのがどら焼きのはじまりだとか(あくまで,一説)
「亀屋良長」の「醒ヶ井」p.159 井戸をモチーフにしたお菓子。季節に応じた羊羹を牛皮で海苔巻き状に巻いたお菓子。その断面は見事な渦巻き模様。