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ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

「国語」「日本語」への疑問-井上ひさし『國語元年』

2010年07月20日 18時29分33秒 | 研究会
 井上ひさしが亡くなって、3ヶ月余たった。井上ひさしの作品を愛読していたし、自ら「遅筆堂」と称し、原稿遅延常習者と批判されつつも、その言葉を紡ぐすさまじい努力には深く感じるところがあった。
 井上の「日本語」をテーマにした「吉里吉里人」「東京セブンローズ」などの一連の作品は興味深い。戯曲としてつくられたのが、「國語元年」である。明治初期、「全国統一話し言葉」を作るため奮闘した男の話。主人公・南郷清之輔(文部省学務局)は、まず各地の方言から平等に語彙を集めようとしたが、イメージの悪い語彙を多数採用された方言の地元の人が激怒。結局、東京山の手のことばをもとに、「全国統一話し言葉」を作成していった。南郷は、寝食を忘れてこの作業に取り組んだものの、上司の文部少輔田中不二麿に激しく叱責され、志半ばで罷免されてしまい、このことがもとで精神を病んでしまうというものだ。
 この作品は「国語」とはなにかを考えさせてくれる。そもそも「国語」を定めた法律はない。日本の国語は日本語であるとか、公用語は日本語であるなどと定める条文はないのである。参議院の法政執務コラム集に「法律と日本語・国語」というものがあって、「通訳人の関与に関する規定」について、刑事訴訟法では「国語に通じない者」とあり、民事訴訟法では「日本語に通じないとき」となっているということが記されている。刑事訴訟法と民事訴訟法とでは用語が統一されていないのである。そもそも、1947年の裁判所法では、「裁判所では、日本語を用いる」(第74条)という規定があるが、その日本語の定義もあるのかないのか…。
 常識的に「国語=日本語」としても、少数言語の話し手や複数の公用語が使用されている国の人から見れば違和感が生ずる。たとえば、ニュージーランドでは、英語・マオリ語・ニュージーランド手話が公用語となっている。障害者権利条約は、言語の定義を示し、手話をその中に含み込ませている。「国語」「日本語」が、障害のある人たちをどのように処してきたのかを振り返る必要を感じている。その際、井上が座右の銘にしていた次の言葉を指針にして、現代における言葉の可能性も考えてみたい。
「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、ゆかいなことをいっそうゆかいに」
(たちあがる)

内務官僚

2010年07月06日 20時01分43秒 | 
旧内務省には、いろんな意味で問題意識をもっている。
内務官僚の姿はどのようなものか…。その典型として後藤田正晴について知りたい…。
そんな関係で、佐々淳行『後藤田正晴と12人の総理たち』(文春文庫)を読んだ。
これは後藤田について書かれたものというより、危機管理を中心とした佐々の話のような印象を受けた。

序章 後藤田さん逝く
第1章 台湾騒擾と天安門事件
第2章 湾岸戦争とソ連邦崩壊
第3章 PKO文民警察官殉職事件
第4章 対話ODA「ポチョムキン村」騒動
第5章 阪神・淡路大震災とオウム真理教地下鉄サリン事件
第6章 ペルー青木大使公邸占拠事件
第7章 テポドン、ハイジャック、不審船、沖縄サミット
第8章 えひめ丸衝突沈没事故
第9章 9・11同時多発テロ、拉致、不審船、イラク人質事件
第10章 等身大の後藤田正晴
終章 最後の内務官僚