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ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

大晦日

2007年12月31日 13時49分23秒 | 日記
大晦日だというのに…
大学に、資料をとりにきている。
持ち帰って、年越しで仕事となる予定。

今日は、寒波が来ているということらしい。年々季節感が無くなるが、しかし、今日ばかりは「ヒュー」とすきま風が心を抜けていく。

年賀状を書く

2007年12月30日 23時49分07秒 | 日記
昨日、ようやく年賀状のイラストをつくり、スキャナーで画像をとって
その後、ワープロをつかって、仕上げた。
その後、今日、住所を書き、一筆そえる。
ようやく、出した。
来年は、早い内に住所録のデータを作っておこうと思う。

もう、30日。明日は、大晦日。大晦日にあった、レコード大賞は、30日の今日行われていた。

明日、大学に行って、仕事の書類をもってこようと思う。大晦日からお正月は仕事となる。
年々、正月は薄れていく。
休みがない。


卒論指導3日目

2007年12月28日 23時59分18秒 | 日記
卒論指導の3日目。
自治体の特別支援教育施策の検討、自立支援法下における余暇保障、補助具等の給付システムについての3つ。
3時には終わったので、M先生のところに行ってお茶を飲みながらだべる。

6時過ぎから、作業所で豆腐をかって、学生さん達と鍋をする。4回生、特別専攻科の方々、研究室にいた大学院生などもよってきて、みんなで楽しむ。「忘年会」というわけではない-忘れてはならないこともたくさんある。といっていたら学生にからまれる。

10時には帰る。

苅部直『丸山眞男-リベラリストの肖像』(岩波新書)を読みおわる。戦前、戦後史のとして読むとよいが、丸山の思想・思索をとおして、戦前・戦後の日本という国について把握するということは十分でないように思う。ぎゅっと引きつけられるところがないのか、それとも頭が固くなったのか、どうも頭の中に入ってこないもどかしさがある。
岩波新書の丸山眞男・加藤周一『翻訳と日本の近代』、『日本語の歴史(?)』を読みたい。

卒論検討第2日目

2007年12月27日 23時28分53秒 | 日記
朝、ビデオを予約して大学へ。とはいえ、夜、点検してみると別の番組がとられている。予約を間違えた…。

大学では、卒論検討の第2日目。外国研究1件、教育実践研究2件、そして歴史研究が1件だ。
教育実践研究の方法論を本格的に検討していかないといけない。観察は何のために行うのか、何を観察するのか、それをどのように記録し、そしてどうまとめ上げるのか等々。
記録が膨大になるが、それをまとめ切れていない。教育実践や子ども発達をどのように構造的に見るかが問題である。

その合間に、M先生の研究室でだべる。ちょっと学生さんにぎゃふんといわされてしまった。

帰ってから、コンピューターのセッティング。だいぶ時間がかかる。コンピューターが古いのか、遅くていらいらする。

あしたは、卒論検討最終日である。

卒論検討第1日目

2007年12月26日 23時55分08秒 | 日記
車で大学にいって、研究室にいったんいってから入金にいってくる。

卒論の検討の1日目で、卒論を読む。長い。資料がばらまかれている。いろいろ読んで、赤を入れてみるが、全体の構造を再度、頭に入れないとわからなくなる。
大切な観察の記録なのだが、それをまとめきれていない。
1時間ほど、学生さんと話をする。
その後、また、明日の分の卒論を読む。これまた難物。長い!
結局、読み切れなかった。

家に帰ると『日本の科学者』がきていた。特集は、「競争的環境は大学に何をもたらしたか」
和田肇「大学への競争的環境はどのようにして持ち込まれたか」
牧野篤「競争的環境で大学生はどうなっているのか」
宮田和保「競争的環境下の北海道教育大学における再編-「差異化」の虚構」
それぞれおもしろかった。大学生の生態は、身にしみてわかるが、それが競争的環境でそうなっていると言うことではないように思える。「解離」体験が25%あるとはビックリ(病理レベルは10%)。北海道教育大学の実態は、同じ教育大学で仕事をするものとしてひしひしとわかる。
高等教育全体の政策が悪いのであって、大学が悪いわけではないのだが、しかし、文科省に追随せざるをえない、あるいは積極的にそうしていく大学人の姿もある。悩みは深い。

コンピューターの設定がようやく分かった。時間がだいぶかかったので、明日の卒論の検討ができていない。

学校関係の会議

2007年12月25日 23時52分14秒 | 日記
朝、病院に行く。頭の半分がしびれるような、ちょっとズキズキしているが、血圧は良好。

大学に行き、ホームページで公開している子ども版権利条約の訂正をした。2時に来るはずの中学生は、バスに乗り遅れたと言うことで、母親からキャンセルの電話が入る。
卒論を見る。文章になっていない(怒)。

あっと言う間に、夕方になり、6時から学校関係の協議会。これまた、終わったのが、8時過ぎ。帰ると、9時半を過ぎていた。

帰ってからコンピューターのセッテイングなどをしたが、どれもこれもうまくいかない。サンタから、ウィルスの贈り物でもあったのか?

1日ゆっくりする

2007年12月24日 22時04分15秒 | 日記
朝、子ども版障害者権利条約の校正をして、ファックスでおくる。

その後、卒論を読み始めるが、なかなか集中できず。どうも、文章がこなれていないので、何度か書き直させないといけないと思う。それと、枚数も多いので、ぎゅっと凝縮させる必要もあるが、あたまはそれをすることを拒否している。

昼には、ゴロゴロと寝る。耳鳴りと、頭がおさえられるような感覚がある。昨日、遅くまで、『脳男II』を読んでいたからか、目も疲れている、肩も凝っているので、調子が悪い。

明日は、病院に行くつもりである。



東京に行く

2007年12月23日 23時53分42秒 | 日記
朝の9時に家を出て、東京に。
1時から5時まで研究会-「国連・障害者権利条約について」
この独自の翻訳を出すというような話だったが、その電話で説得した人は別の研究会にでて、来ていない始末。課題は、この間の情勢で変わったということで、教育条項の政府訳の検討と対案の作成ということになっていた。とはいえ、社会保障法の先生が来ておられたので、大きな流れと条約の構成を法理としてどう読むかという専門的な意見が勉強になった。ぼくらは、そのような素養なしで、条約について論文をかいたり、意見を言ったりしているから…。

とはいえ、この研究会、以前は、日弁連の差別禁止法の検討をやるといってお願いの電話があったにもかかわらず、全然、具体的な集まりもなかったり、独自の条約の翻訳を出すと言っては、そのままにしたり…。よくないよね。

行きと帰りは、のぞみの中で爆睡。

公開講座

2007年12月22日 21時34分20秒 | 日記
公開講座で大学に行く。
「自閉症研究の最前線」ということで、「発達障害の基礎的理解と実践的適用」(岩坂先生)と「広汎性発達障害」についての最前線の知見(十一先生)の構成だった。
十一先生の講演は、中身がびっしりとつまったものだった。


今年の授業はおしまい

2007年12月21日 22時07分17秒 | 日記
10時過ぎに大学に行き、授業の準備。事務に行って、来年の夜間の講義を後期にかえてもらう。

10時40分から、知的障害教育方法★障害児教育課程論。今日は、高等学校における特別支援教育。
N短期大学附属高等学校の発達支援クラスの紹介。説明によると、特殊学級ということではなく、少人数クラスということで、不思議なクラス。私立だからこのような設置の仕方ができるのではないかと思う。もう一つが、奈良県の高等学校の状況についての報告。もっと深めればおもしろいものだが、報告が二つで、いっぱいいっぱい。

1時から、教室会議。非常勤についていろいろ検討。
2時40分から、3回生の方法学のゼミ。「方法論的検討」のよみあわせ(重度知的障害児の2次元形成の所)。障害児学級への聞き取りの件で、紹介状を書いて、学生に渡す。ついでに電話もする。
学生さんには、明日の公開講座の準備をお願いする。

早く帰る。買い物をして、食事の支度をする。

高浜介二先生が亡くなった。訃報が、新聞に掲載されていた。

夜間の授業も…

2007年12月20日 23時56分39秒 | 日記
昼、教室会議。
昼食のならやま会のパンは1つしか買えなかった。学生にもたかられた。
教室会議の話をうけて、学長に話しにいく。
1時半過ぎから3時前まで、K先生、I先生といっしょに、学長と懇談。
いつも思うのだが、どうも学長にだまされているように感じる。
帰ってから、大学院の講義。今日は時間が遅れたので、少ししか進まず…。この授業、今年はおわり。ご苦労様でした。
夜間があるので、6時まで、いろいろする。
ホームページに、卒論・修論の進行に関する項目を書き加える。
夕食を、コンビニにいって買って食べる(弁当とカップヌードル)。
夜間の講義。6時からということなのだが、最初の学生さんが来たのが6時半過ぎ。
「最近の若い幼稚園の先生は…」というぼやきからはじまった。その後、また、1人学生さんが来て、いろいろしゃべりながら講義を始めることに…。
講義は、ホームページを見せながら、この間やってきたことを紹介。
その後、WebCTについて紹介しながら、「発達障害」の概念について検討する。就学指導の実務をやっている学生さんもいて、いろんなこんなんを交流しながら話を進めることができた。
終わったのが、8時過ぎ。
学生さんたちを乗せて駅まで行くことになる。結局、なんやかんやして、9時にようやく大学を出る。
今日も一日ご苦労さん。

来年の干支茶碗

2007年12月19日 12時00分01秒 | 日記
2~3日前、陶芸家の豊住さんがきて、来年の干支茶碗をおいていってくれた。
豊住さんとは、いつも、この時期だけのおつきあい。
年に一回のお楽しみが干支茶碗だ。
来年の干支は、ネズミ。茶碗は、これまでのものとイメージを一新している。
なかなかよい。
これで、お茶を飲むのが楽しみだ。

追記
今日一日の出来事を綴っておきたい。
12時20分から教室会議。3回生の指導教員決め。一端決まったかと思ったが、いろいろな問題が…。ややこしいです。子どもがくるのでその準備をして、2時半から教授会。途中で、メールがあり、子どもの所へ。4時過ぎだった。将棋をする。危うく負けるかと思ったが、偶然にも勝てた。面目を保つ。また、教授会に戻り、終了後、短時間だったが、会議が2つ。その間、学長さんに時間を取ってもらうようお願いをする。帰って、特別専攻科のTさんと修了論文のことで話す。4回生の所もまわって、時間が遅くなったので帰る。

家で、首藤瓜於『差し手の顔(上)脳男II』(講談社)を読み終わる。精神障害と犯罪をメインにおいての話しだが…、この推理小説、登場人物がどこにもないような名前で、違和感がある。現実味がなく、なかなか話のなかにはいっていけない。

子どもと…

2007年12月18日 19時31分45秒 | 日記
小学校に参観に行くと、テスト中。だから、今日は、UNOはなしだった。
かけっこをしてかえるが、子どもが途中で靴が脱げて、リタイヤ。今日の勝負はナシにしてやる。

帰ると、1回生がまっていて、特別支援教育研究センターの作業療法士の方に紹介する。うまくつながったのでよかった。ついでに、訓練用の遊具のカタログを貸してあげる。

食事に行こうと、幼稚園長のM先生のところによると、「食っていけ」「コーヒーのんでいけ」ということになって研究室でダベル。
2時過ぎに、中学生が来る。週の日程を聞いてから、冬休みの社会のプリントをやる。戦国大名から織田信長の時期、宗教改革の際に登場するイエズス会からの宣教師がはいってくる時期でなかなかおもしろい。終わった後、オセロをして負ける。
4時過ぎに終わる。

幼稚園の先生方と研究会の件で懇談する。

研究室の片付けをする

2007年12月17日 23時18分20秒 | 日記
昼、1回生が来て、「おもちゃ」の話をせよという。
楽しいことを楽しいようにやるということでいいじゃないかということで、あまり理屈をつけたくなかった。だから、困った。明日、作業療法の方を紹介するということにして、切り上げる。

書類が届いたので、作業ができるように、研究室の片付けをする。
ところが、もう、どうにもならない状態。何とかしたいと思う。

7時から会議。いろいろ意見交流。
帰って、10時過ぎ。遅い晩ご飯でまたブタになる。

阿部謹也『自分のなかに歴史をよむ』

2007年12月17日 15時16分07秒 | 
阿部謹也『自分のなかに歴史をよむ』(ちくま文庫)を読む。
ヨーロッパ中世の社会史の開拓者である著者の思考の軌跡を記したもの。
指導教官は上原専禄。卒業論文に何を書くかについて、上原専禄が阿部にいった言葉-「それをやらなければ生きてゆけないというテーマを探すのですね」。
そこから、本書のに示された「自分のなかに歴史をよむ」ことがはじまり、「歴史のなかに自分につながる人々を探す」旅が始まる。
もうひとつ、阿部が強調するのは、「解る」ということ。だから、「ヨーロッパが解るということはどういうことか」を執拗に問題にする。キリスト教がヨーロッパの人間関係を根底から変えたのだが、しかし、ヨーロッパ社会の根底にはそれとはちがう異教徒的、ゲルマン的人生観や世界観もなお存在した。異教世界とキリスト教世界の境界に存在する「ハーメルンの笛吹き男」を発見し、それを通じて二つの世界の意味、現代にまで貫徹するその歴史的意味を検討したのである。
古文書を読むということ、小宇宙と大宇宙、差別される人たち(被差別民)、キリスト教化の波、メルヘンの世界などなど興味深いことが多い。

障害児教育史との関係で、キリスト教化の波として、巨大寺院と都市のことについてだけ摘記しておきたい(ベルギーのリューベンやブリュッセルにいった時感じたこともあってのことだが…)
キリスト教の浸透の中で、生と死についての考え方が変わっていく。それまでは、小宇宙から大宇宙への移行に過ぎなかったものが、大宇宙と小宇宙の区別が原理的に否定された。キリスト教では、死は生の延長にあるのではなく、生前に行った善行と悪行が計られ、前任は天国に入り、悪人は地獄に落とされる。そこで問題となるのが「善行」ということだ。マタイ伝の第25章では6つの善行があげられている。カトリック教は基本的に貧者に対する喜捨を善行の筆頭にあげている。善行とは、いわば古代的な互酬関係の回路が、彼岸での救いを媒介として変更されるために手続きということになる。イエスはルカ伝第14章12~14節で、次のようにいっている。
「午餐または晩餐の席を設けるばあいには、友人、兄弟、親族、金持ちの隣人は呼ばぬがよい。おそらく彼らもあなたを招きかえし、それであなたは返礼をうけることになるから。むしろ宴会を催すばあいには、貧乏人、不具者、足なえ、盲人などを招くがよい。そうすれば彼らは返礼ができないから、あなたはさいわいになるであろう」
お返しはこの世ではなく、天国で受けとるという形に回路を変更したものとみることができる。こうした善行を、教会への財産の寄進という形になり、教会はその一部を貧民の救済や慈善活動にあて、大部分を教会の建設に使うということになる。こうして、強大な大寺院が建立され、中世教会文化の中心に立つことになる。この根源的なエネルギーは、生と死の考え方の変化にあった。