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ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

事典の編集委員会に東京に行く

2008年02月29日 23時59分59秒 | 日記
6時に起きて、6時半の電車に乗って、京都駅へ。のぞみで東京へ。
10時まえに、市ヶ谷につく。
気持ちを整えるように、喫茶店で、ちょっとメモをつくる。
10時過ぎに、編集員会へ。
茂木先生、土岐先生、矢嶋先生、峰島先生、佐藤先生がおられた。
議論していると、渡部先生、荒川先生が来る。
編集の作業は、保守的なもの。あまり変えない。これで良いのかと思うが…。
書店の積極性もない。
もういいわというかんじ。
うっとうしいのは、社会福祉のところ。変更が多い。

監修の茂木先生は実務的でおもしろくない!

4時に終わって、すぐかえる。のぞみの中で『乱反射するナショナリズム』を読む。
8時前に自宅に着く。

時間が無くいいかげんな仕事をする

2008年02月28日 23時48分28秒 | 日記
11時に大学に行くと、卒業生が子どもをつれてきていた。
12時まで、子どもと遊んだり、話をしたりした。その後、障害児学級へ行き、卒業生の友人と会わせる。

食事をして、研究室に帰ると、研究生志望の子が来ると言う。2時半から4時まで話をする。その後、大学院生の奨学金の免除書類に署名したりする。
スティーブにメールを出す。

事典の編集について、時間が無く、いいかげんな仕事をしてしまう。
どうも、最近の教育内容・方法の議論がフォローできていないのがだめ!

7時から、ホテルフジタで、大学院の修了生との食事会。いろいろもらうが、どうも不全感が残る。やはり、特別支援の院生さんというわけではないからか?
現職の方々が、多いからか…。

特別専攻科の発表会とお別れ会

2008年02月27日 23時56分51秒 | 日記
午前中、実践総合センターの特任の方の面接。
1時から、教職大学院の教員審査についてのWG。ぐだぐだしゃべるだけしゃべって、まとまりもつけようとしない人たちに腹が立つ。結局、まとめを引き受けることになった。
3時に終わって、研究室に戻り、大阪教育大学のT先生に非常勤の件で電話。了解をもらう。やはり、電話をしないといけないですね。
4時にようやく、特別専攻科の発表会にいく。もう終わり頃。
4時半に終わり、その後、研究室でWGの報告を書く。7時過ぎにようやく終わる。
特別専攻科のお別れ会のコンパに行く。結局、10時過ぎまで…。
帰りに、G先生と話しながら電車で帰る。G先生は、人事の凍結の問題で危機感をひとしきり強調していた。だれかが、決断をして、人事がやれるようにしなければならない。

校長さんと話す・授業交流会・イライラ

2008年02月26日 22時55分40秒 | 日記
午前中、10時半からTM中学校の校長さんがこられて、不登校の生徒と今度入学することになる書字障害の子どものことで話をした。
中学校現場は、特に中学校3年生が荒れているとのこと、アスペルガー傾向の子どもの問題行動がめだってきていること、先生達がいっぱいいっぱいで、また、堅くて、色んな工夫ができにくいことを愚痴っていた。あまりフットワークの良い学校ではないようだ。校長先生の困ったような顔が印象的だった。
1時に、事務にいって東京出張の書類を出す。1時半より、FDの授業交流会。I先生とK先生の発表。あまり人は来ていなかった。忙しいのである。

院生の奨学金の書類のことで、いちいち聞いてくるのがかなわん。なんとかならないのか。イライラする。怒鳴りたくなる。K先生の所にいって、お茶をいただく。非常勤の手だてをしないといけない…。

帰りは

前期個別試験

2008年02月25日 23時43分53秒 | 日記
9時から前期の個別入試、10時半まで。
試験の監督は免除されていたものの、一応、研究室で待機しなければならない。
9時前に研究室に行き、待機している。
この間、貝塚養護学校問題で平松大阪市長への意見書を書いて送る。ついでに、ブログにもアップしておいた。
寒いので、学生さんの部屋に行って、『要求で育ち合う子ら』を読む。

1時から採点。3人で行う。
なかなか採点が難しい。試験問題によって、回答が同じようになったり、全く違ったものとなったりして、不思議なものだと思う。4時前に終わる。

研究室に戻って、非常勤の件で、依頼のメールを出す。『要求で育ち合う子ら』読了。この件もブログにアップした。

7時から会議。会費の徴収などをする。帰ってから、遅い夕食。

事典の仕事ができていない…。

田中昌人監修『近江学園の実践記録 要求で育ちあう子ら 発達保障の芽生え』

2008年02月25日 18時54分31秒 | 
これまで、電車の中で継ぎ足し継ぎ足し読んできた『要求で育ちあう子ら』(大月書店、2007年4月)をようやく読み終えた。
初めは違和感があったのだが、読んで行くにつれおもしろくなっていった。子どもの姿がよく記されているとともに、3次元の子どもたちなども登場し、当時の近江学園の様子を伝えていると思った。どのくらい、編集委員会が、今日的な観点も含めて手を入れたのか明らかでないが、障害の重い子どもから論理操作の段階の子までの生活と生産、そして教育の編成、その中での発達の姿、職員の思いなどが伝わってくる。もう一度、吟味しながら読み直す必要があると思った。全体を通して読んでからまた読むとより子どもの姿がはっきりするのだろう。
目次は以下。

序 今こそ当時の教育実践を
第1章 育ちゆく少年期-1968年度生活第三班実践記録
 第1節 目覚める子どもたち
 第2節 新しい友達を迎えて
 第3節 仲間を大切に
 第4節 明日にむかって
 第5節 実践から学んだこと
第2章 みんな集まれ-1969年度生活第一班実践記録
 第1節 かしの部屋でねたい
 第2節 秋以降、小集団から大集団へ
 第3節 みんな集まれ
「1・2章」のまとめと展開
第3章 結び織る子どもたち-1969年生産班結び織り科実践記録
 第1節 くるくるいこう
 第2節 結び織る子どもたち
 第3節 私たちのめざしたもの
第4章 もうだまってはいられない-子どもの権利、おとなの権利
 第1節 職場に組合を
 第2節 みんなの声
 第3節 教育権保障のとりくみ
 第4節 関連して取り上げること
結語
解説(田中昌人)
年表(田中昌人)
関連資料(田中昌人)

解説が観光の趣旨となり完成されなかったことが本当に残念だ。こまかいが、誤記誤植がちょっとめだつのも気になるが…、最後までやり遂げられなかった田中先生の無念さを表しているようにも思う…「残されたものは、しっかりせいよ」という声かもしれない。




大阪市長殿(貝塚養護学校存続についての意見)

2008年02月25日 11時13分44秒 | 生活教育
平松邦夫大阪市長殿

 特別支援教育の充実と寄宿舎のある貝塚養護学校の存在意義について意見

 NHKなどの貝塚養護学校の報道、平松市長が貝塚養護学校の視察の報道に接して、平松市長の子どもたちを大切にしたいという姿勢に触れた思いがいたします。この機会に、安心して生活する基盤となる寄宿舎があり、その上で学習と自立を促していける教育環境を提供している特別支援学校が、困難を抱える子どもたちにとって求められていることを、特別支援教育の研究とその向上を願う立場の者として意見を述べさせていただきたいと思います
 ご承知のように、本年度より特別支援教育が全面的に実施されました。これまでの養護教育の対象を広げ、通常学校における特別なニーズをもつ子どももその対象とすることになりました。このような中で、特別支援学校は、発達において困難で難しい課題をもった子どもたちの受け皿となり、今後の特別支援教育の発展の中で重要な役割をもつものと想定されています。
 今日、子どもの発達をめぐる問題は、子ども自身のコミュニケーションや対人関係の問題、学力不振の問題、子ども集団の中ではいじめや暴力の問題、「キレる子ども」の問題、そして不登校の問題など非常に複雑化してきています。このような中で、子どもたちが発達のゆがみやもつれが複合化・多様化してきていると指摘されています。従来の養護教育の中での病弱教育の中心は、喘息、腎炎、ネフローゼなど慢性疾患でしたが、しかし、小学校3~4年生から中学生頃におこってくる情緒や思春期的な問題を抱えた子ども-特に心身症として扱われる不登校などの問題を持つ児童・生徒が、小児科や精神科・神経科に通院し、治療を受ける事例が全国的に増え、病弱教育の直面する課題となっています。
 なかでも不登校問題は、通常の教育の中でも大きな問題で、すそ野の広い教育問題となっています。不登校児への対応も、担任教師を中心にクラスづくりの工夫、スクールカウンセラーの派遣による相談室での受けとめや養護教諭による保健室への登校、地域での適応指導教室の設置などが展開されていますが、まだまだ十分でありません。通常の学校や学級での対応では、救いきれない子どもたちが、家庭に放置されているという現状もあります。家庭では、子どもへの対応に苦慮し、家庭の崩壊にもつながりかねない事態もないわけではありません。
 また、近年では、学習障害、注意欠陥/多動性障害等によって、周囲との人間関係がうまく構築されない、学習のつまずきが克服できないと言った状況が進み、不登校に至る事例は少なくありません。広汎性発達障害、アスペルガー障害やADHDなどの発達障害があり、感覚の過敏さなどがあって、通常の学校や学級での集団への不適応を起こすもまれではありません。また、いじめられたり、いじめられていると思いこんだりするなどして、二次障害的にこじれてしまうケースもあります。注意欠陥/多動性障害は、アメリカでは健康障害の範疇に入れられており、薬物治療と行動調整などが慎重に行われる必要があります。また、広汎性発達障害は児童精神科での診断と緊密な連携が求められています。しかし、近年、これらの発達障害のある子どもへの診療できる、医療機関が少なく、診察も3ヶ月待ちとか半年待ちという現状がありますし、通院だけで治療が進むわけでもないという現状があります。さらに、小児科病棟や小児病院などの閉鎖や統廃合が進んでおり、入院を伴う治療の条件が十分利用可能であるわけではありません。
 子どもたちの発達上の困難は、学校での学習や生活ばかりではなく、家庭や地域での生活にも影響を及ぼします。逆に、家庭での養育力が乏しいことによって、状態が悪くなる場合もあります。虐待などの報道は後をたちませんが、その背景には広範囲のニグレクトなどの問題も存在しています。特に軽度発達障害や発達にアンバランスのある場合は、虐待に会いやすく、また、虐待など様々な付随的な問題を抱えている子どもは、学校での不適応や大人への不信を増幅して、通常学級では対応できない場合も無いわけではありません。
 このような発達障害、適応障害や心因反応、摂食障害、心身症、不登校など学齢期・思春期の心と身体をめぐる深刻な問題、そしてその背景にある、養育や教育環境の複雑さや困難の問題は、安心して生活できる場の確保と信頼できる大人や仲間との関係の再構築、そして生活と学習の支援を丁寧に行うことによってしか解決していくことは不可能です。入退院を繰り返さざるを得ない医療の現状、学習の場と医療の場と生活の場がそれぞれ違って混乱することが、かえって子どもたちの回復を妨げる場合もあります。
 学齢期の援助のもとに、思春期の難しい時期を乗り越え、そして自分を探し、自分をつくっていくという発達の道行きを歩むのはあくまでも子ども自身ですが、しかし、その基盤を整えること、その自立への援助を行うことが非常に重要です。このような取り組みは、通常の教育的な枠組みの中では対応しきれない場合が多いものです。必要な場合には、生活と学習の枠組み全体をかえた取り組みも必要となります。そのような取り組みの一環となっているのが、病弱教育養護学校の不登校への取り組みだといえます。
 病弱養護学校の不登校への取り組みの歴史の中で、寄宿舎のある大阪市立貝塚養護学校はその先駆けとなってきました。貝塚養護学校の不登校へのアプローチは、不登校の子どもたちの生活の枠組みを整え、学部での学習と寄宿舎での生活によって、紆余曲折や葛藤はありながらも、仲間の中で、仲間とともに困難を乗り越えていくという点で貴重な実践をつくっています。
 さらに、医療との連携も、大阪市立総合医療センターで検診などで病虚弱としてのチェックを行うと共に、寄宿舎生活を送ることに健康面での支障はないということのチェックも行われていると聞いております。個々の児童生徒に即していえば、貝塚養護学校・寄宿舎への転入以前に様々な医療機関にかかった経験を持っていると聞いています。その主治医からも、医療では見切れない生活の基盤を整えることの重要性を指摘するものも多いと思われます。さらに、貝塚養護学校・寄宿舎に転入以降も、個々の子どもたちにとって必要な医療との連携は十分にとっているとのことです。医療とも連携を採りながら、しかし相対的に独立して安定した生活を過ごし、心の傷を癒しつつ、様々な生活経験と学習をとぎれさせないという教育の場がある意義は重要です。さらに、このような選択肢があることによって、通常の学校での取り組みの下支えにもなり、また、その経験から学ぶことによって、通常の学校がより充実した対応を行う可能性を高めるものとなるともいえます。
 寄宿舎をもった貝塚養護学校は、困難をもった子どもたちに向き合い、不登校、そして行動障害のある子どもたちへの特色あるアプローチを展開してきました。このような教育実践が、今後本格的に実施される特別支援教育の深みを創るものと思われます。このような歴史と教育実践の蓄積をもち、今後の特別支援教育の中でも重要な役割を担う可能性のある学校を、大阪市の財産として、広く国民に開くとともに、より発展させていただきたいと切に望むものです。


2008年2月25日

口丹波障害児・者のすみよいまちづくりをすすめる会

2008年02月24日 23時50分24秒 | 日記
口丹波障害児・者のすみよいまちづくりをすすめる会主催の第17回まちづくりの集いにいって講演-「もっと豊かに、元気に、住みよいまちづくり-「障害のある人の権利に関する条約」から学ぶ」というもの。

雪が降っていたので、早めに出た。会の事務局にいっていた電車の1本前のものにのった。念のため。結局早く八木駅に着いてしまったので、歩いて、均等者福祉会館に行く。
ところが、雪がすごい。特に、橋を渡るところで、風と共に吹き付けてくる。雪だるまのようになって、会場についた。
1時間前で、食事をとらせてもらって、会長さんと副会長サンと話をしていた。パワーポイントを調整しようと思って、持って行くと、コンピューターには移るのだが、プロジェクターからは映像が出ない。調整してもらっている間、話を始める。どうも、調子が出てこないが、事務局の方々は、一生懸命調整してくれているので、申し訳ない。しかし、結局、パワーポイントの画像は、プロジェクターからは出なかった。どうなるかと思っていたが、レジュメだけで、話を進めた。

後半は、いろんな立場からの発言があった。障害者自立支援法で、療育から入所施設、作業所、そして家族の方々が大打撃を受けていると言うことが強調された。まとめで、障害の自己責任論を克服し社会的解決を、ライフサイクルを通しての支援を、そして、まちづくりの中で政策としてまとめ上げることを話をした。質疑と言うことでは、聴覚障害の関係者から、署名と批准の関係について質問があったので、「コミュニケーション」の政府訳が「意思疎通」となっていることについても補足した。聴覚障害はもちろん、この問題は知的障害や発達障害、特に自閉症などについても問題になる。また、療育関係者から、どの程度で批准されるのかという質問があったので、それにこたえつつ、自立支援法に苦しめられる療育関係者の声を国連へと言う運動を紹介しつつ、子どもの権利条約と障害者権利条約の両方で、この問題点を国際的にも明らかにし、政府を動かすことの意義についても指摘させてもらった。

帰りに、T養護学校の寄宿舎のNサンにおくってもらって、お茶をしながら話をする。政策分析と実践記録の間の橋渡しがうまく行かないと言うことだった。それは誰でもあることで、社会科学と人文科学を結びつけるようなものだということだ。運動と実践、労働組合運動とサークル・研究会の対立などもこの問題と関係する。寄宿舎研はこの統一が課題だが、根深い問題がある。

『新聞記者』を注文する

2008年02月24日 22時09分57秒 | 

新聞の書評で、柴田鉄治・外岡秀峻『新聞記者-疋田桂一郎とその仕事』(朝日新聞社)のことを知った。
「ある事件記事の間違い」という長編レポートについて記されている。同レポートは、75年に東京にある大手銀行支店長が重い心身障害のあるわが子を「餓死させた」として逮捕され、有罪判決を受けた後自殺した事件の報道をめぐる検証。警察調書のウソとその発表をもとに記事を報道した新聞の問題を指摘しているらしい。
さっそく注文した。

カレーをつくる

2008年02月23日 23時02分04秒 | 日記
一日、家で休む。
昼はゴロゴロ寝てしまう。昼から、風が出てきて、少し雪が舞っていた。寒い。

夕食は、カレーを作る。スープカレーをイメージしてつくったのだが、そうは行かなかった。スープのだしが、十分でないのか、コクがない。ジャガイモ、タマネギは煮込んで無くなってゆくし…。結局、カレールーも入れたり、ハチミツを入れたり、塩を入れたりして、なんとかした。ご飯にかけるとイマイチだが、スープとして飲むと、意外といけるものとなった。

ディーセント・ワーク(decent work)

2008年02月23日 10時48分18秒 | 研究会
ディーセント・ワークの日本語訳「働きがいのある人間らしい仕事」
ILO(国際労働機関)東京駐日事務局の公式訳ということだ。

障害のある人に関する仕事は、それに値したものとなっているか?
私たちの仕事は「人間らしい仕事」になっているかを考え直したい。とってもそうとは言えないものとなっているのではないか。

きょうもいっぱいいっぱい

2008年02月22日 23時53分53秒 | 日記
米沢富美子『人物で語る物理入門(上)』岩波新書を読む。

1時40分くらいから、中学生とその母親が来る。
中学生を、学生さんにお願いして、公開セミナーの発送の封筒詰めをやっってもらう。その間、親御さんと教育相談。3時過ぎに終わり、中学生とオセロをして、2度負ける。
3時半前に、教育相談を終え、事務に発送の封筒を持って行く(170部)。
外国人の免税手続きの申請書を、Kさんに送る。K大学の非常勤の書類を事務に出す。
B大学のM先生から非常勤のお断りのメール有り、S大学のK先生からは承諾のメール。今度来る外国人への返信メールを書く。
大学院生の奨学金の書類について色々指導。うっとおしい!自分でやれよ、そんなこと!

米沢富美子『人物で語る物理入門(上)』岩波新書

2008年02月22日 12時39分33秒 | 
以前、「下」を読んでいた米沢富美子の『人物で語る物理入門』の上を電車の中で読んだ。
目次は以下。
第1章 人類と科学とで出会い-アリストテレス、アルキメデス、プトレマイオス
第2章 近代科学の夜明け-コペルニクス、ガリレイ、ケプラー
第3章 月とりんごを統一する法則-アイザック・ニュートン
第4章 光の本質を求めて-クリスティアン・ホイヘンス
第5章 電気と磁気の謎を追う-ジュエームズ・C・マクスウェル
第6章 エネルギーとエントロピー-ルートヴィヒ・ボルツマン
第7章 「時空」への旅-特殊相対性理論-アルバート・アインシュタイン

流し読みなので、物理の理論はわからないが、哲学や心理学などの歴史と重ねるとおもしろいと思う。ニュートンなどが、自分でレンズを作り、それで光学理論を実証したり、宇宙論を展開したりしたこと、光の実験など、それを知覚する心理学の実験に直結する。草創期の実験心理学はそのような物理学などの発達に伴って引っ張り上げられてきたのだろう。また、ルートヴィヒ・ボルツマンの論敵は、哲学者のマッハで、マッハは実証主義的経験批判論を主張し、経験的に検証されない言明は無意味として、原子論を退け、ボルツマンを激しく攻撃した。このマッハ主義は、エンゲルスの自然の弁証法などでも取り上げられていたのでは…(反デューリング論だったか?)
ついでに、『タイム』誌が20世紀のキーワードとして「民主主義」「市民権」「科学・技術」をあげて総括したとの記述があり、考えさせられるものがあった。

英文で悩む

2008年02月21日 22時34分49秒 | 日記
昨日、長時間の会議でしんどかったので、今日は遅く起きた。
やはり、ぐっすり寝ないと疲れがたまって、退行するようだ。
大学について、生協で食事。
その後、研究室に帰り、メール。滋賀大学のK先生と佛教大学のM先生のところに非常勤のお願い。
2時から、大阪外国語大学の人が来て(昨年の10月から大阪大学になったらしい)、研究生のことで話をする。4時過ぎまで話をする。いろいろあったが、結論は、研究生をして、来年、大学院に来るということになった。イタリア語学科の人だったので、1992年のイタリア障害者法の翻訳をお願いする。フィリピンのファイルをかす。
その後、landmark collegeの方達にメールを書く。英文で呻吟したが、最後にはあきらめて出す。
K先生の所によって、印刷をしてもらって、明日の仕事の準備をする。不登校の子どもと一緒に封筒詰めをしようか…。

帰ると、ステーブンさんからメールとパワーポイントが来ていた。また、返事を書かなければいけない…。

一日会議

2008年02月20日 23時48分55秒 | 日記
一日会議。
京都教育大学のM先生がセンターに来ていたので、顔を出し、セミナーのチラシを渡す。
11時から、人事の特別委員会。
12時から、教室会議。非常勤の件、買い物の件、今後の人事のことなど。
2時から、教授会。6時まで。
6時20分から、教育研究評議会。8時すぎまで。
その後、エルトピアにお金を払いに行く。
昼食を取らなかったので、ラーメンを食べてから帰る。
帰ってから、NHKの貝塚の報道、障害者の権利に関するテレビの録画を見る。
頭が疲れすぎ。
退行している。