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ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

アップ・アップ

2006年11月30日 19時33分46秒 | 大学
今日も

4回生の卒論指導で、10時半に演習室に行くと誰もいない。研究室に戻って、仕事をしていると4回生が呼びに来て、11時より卒論指導。進行状況の点検など。昼には、ならやま福祉会の仲間がパンを売りに来るので、それをパクツキながら明日発表する特別専攻科の人のパワーポイントの調整-リンクの仕方がようやくわかった。続いて、3回生のゼミ。教育基本法について。その間、T小学校の特別支援教育公開授業のビデオをダビング。ゼミが終わると、大学院の特論で、仔鹿園の見学の手配とビデオの解説。4時半にようやく終わる。今日までの原稿を書こうとするも、どうも気持ちがのらず、公開講座関係の事務処理。
原稿の提出、導入科目群のパワーポイントの作成、公開講座の準備などなど、仕事が終わらない。

NHKのクローズアップ現代で、成果主義の導入や長時間労働などで「うつ病」が蔓延していることを特集していた。深刻である。

アップ・アップ

バーナード・リムランド

2006年11月30日 07時42分33秒 | 映画
自閉症に取り組んだアメリカの心理学者バーナード・リムランドが21日死去したという新聞報道があった。
リムランドは、大学で心理学を学んだ後、医師となる。息子が自閉症だったことをきっかけに自閉症の研究を進める。当時、自閉症の原因として母親の愛情欠如がいわれていたが、脳の機能障害によるとする研究を発表し注目を集めた。
ダスティン・ホフマンが自閉症の男性を演じた映画「レインマン」(88年)の撮影のアドバイザーを努めたことで知られる。

レインマンは、確か大学に赴任した年に当時の学生さんたちと見にいった映画。ダスティン・ホフマンとトム・クルーズが共演した映画だ。上映から、すでに18年が経過しており、今の学生さんたちは知っている人はほとんどいない

校内研修会

2006年11月29日 23時01分31秒 | 大学
今日は

午前、1回生が基礎ゼミの発表のことで相談に…。自分たちで手分けして、「特別な支援の必要な子どもへの手だて」について恩師に聞き取りをしようということになった。いろいろ、自分たちでやってみるという姿勢が積極的でいいと思った。

2時に、M小学校へ。校内研修で、アセスメントについての話と事例検討をする。いろんなタイプの特別な支援を必要とする子どもへの手だてについて、話し合った。なかには、知的障害の子もいるようだったが、6年生の衝動性の強い子どもに対する対応が進路との関係で大きな課題であった。子どもについての話だけでは、アドバイスすることはとてもとても困難(占い師ではない!)。でも、いわなければならない…

研修会の後、5時半まで6年生のことで中学校の先生方も含めて話がつきない。

いそいで、大学に帰って、M1院生の修論中間報告会へ。5時から始まっていたので、途中から参加。終わったのが9時。それから、研究室にもどると、学部の3回生を中心に「教育実習おかえりなさいコンパ」をしている。鍋に入れたうどんをたべて帰った。

新聞報道では、あした「防衛省」法案が衆議院を通過するという(「庁」から「省」への昇格)。そして、文科省は「愛国心」を心と態度一体で指導するという。軍事と国家主義が肥大化する一方で、子どもの生活は貧しいものとなっている。「食育白書」では、朝食をとらない子どもは小学校5年で19.4%、中学2年生で25.1%(2000年調査)、朝食を1人でとる「弧食」は小学生で20.1%、中学生で41.5%(05年度調査)で、朝食をとらない子ども、家族そろって食事をとらない家庭が増えているという。
ちなみに自分の仕事は進まず。「ちゃ~すが」…といいたい。

締め切りをすぎないと原稿を書かないという悪い癖

2006年11月28日 23時34分07秒 | 大学
今日の天気は

でも、締め切りすぎの原稿をなんとかしなければ…
午前中から、パソコンに向かう。
午後には、別室登校をしている子もきて、学生さんに相手をしてもらう。ずっと家にいた小学校時代から、中学校で別室登校となり、今は、自分で学校や家庭だけではなく別のところまで来て、息抜きや勉強などをすることができるようになり、行動範囲を拡大してきている。まずは、ゆっくりと対応していきたいものだと思いながら…でも、原稿を書く時間がなくなってしまう焦りもあったりで…

4コマ目は1回生の基礎ゼミ。今日は、教育学と幼年教育の発表。発表風景の写真をとって記録とする。

もどってから、いろんな人が出たり、入ったりして、なかなか原稿が進まず。家に持ち帰り、ようやく11時過ぎに「障害者権利条約における教育条項と日本の特別支援教育-「インクルーシブ教育」をめぐって」を脱稿。予定枚数は、400字で15枚のところ、注も入れて24枚も書いてしまい-反省。さっそくメールで送信

1時間での移動はやはり難しい

2006年11月27日 20時24分51秒 | 大学
少し雨。

2コマ目は「障害児の発達と学習」の講義、その後、K教育大学の「発達障害教育学概論」等の講義。「発達と学習」と「概論」の講義は、同じパワーポイントを使おうと思っていた。
しかし、移動に手間取ってしまって、K教育大についたのが1時10分。本来なら、12時50分が講義開始だから、20分遅れてしまったことになる。コンピューターをつなげる手間を考え、パワーポイントを使うのはやめた。話し続けることは結構大変で、次の大学院+特別専攻科の講義はやはり、疲れが出てしまう。申し訳ない次第である。

K大学の帰りに、病院によって薬をもらう。講義の余韻か、はたまたカゼか、顔がほてっていた。血圧は、下が高いが安定しているようだ。診療で結構手間取ってしまう。

今月は月曜日が一番しんどい。でも、「発達と学習」はあと2回

日曜日の夕方はなぜか焦る

2006年11月26日 21時00分25秒 | その他
昨日の公開講座の後、特別専攻科の同窓会で飲んだのが後をひいて、朝早く目が覚めたのはよかったが、二度寝をして、午前中はほとんど寝て終わってしまった

午後から雨

何もやる気が出てこないのは、この1週間いろいろあったことが響いているからだろう。

それでも、明日の3つの講義を何とかしなければとおもい、パワーポイントに手をいれた。月曜日の講義の資料の印刷は、金曜日に一応すんでいるのだが…。

日曜日の夕方頃になると、もう休みは終わってしまったのかとため息が出るとともに、なぜか焦っている。日曜日のサザエさんを見ながら憂鬱になったり、焦ったりする、世に言う「さざえさん」現象というやつだ。


公開講座(ライフサイクルに応じた特別支援教育)

2006年11月25日 23時48分41秒 | 大学
大学の公開講座で「ライフサイクルに応じた特別支援教育」をやっている。
その準備で、11時前に大学へ

10月21日に総論として北海道大学の田中康雄先生に講演をしていただいたときから、おおよそ1ヶ月たっているので、集まってくれるのか心配だったが、おおよそ200名の参加で盛会だった。

内容は、「乳幼児期における発達障害をもつ子どもと親への支援」をテーマにして、郷間英世先生の講演と、仔鹿園園長・奈良県発達障害支援センター所長の岡本とも子先生の実態をもとにした報告である。内容は、盛りだくさんだった。

しかし、準備と司会の役としては、ミスがいっぱい。一番大変だったのは、始めようとした時に、パワーポイントの映像がプロジェクターから出てこなかったこと。
今まさに、開始の時間というときにそうなったのでだった。
その他、ビデオの録画をメモリステックにしていたり、ICレコーダーが切れていたり…。
大講義室の中も寒かったが、外はもっと寒く、受付の方々はたいへんだったようだ。
気の利かない準備役、かつ、粗忽な司会でみなさんにご迷惑をかけた

この公開講座の時にあわせて、一昨年の特別専攻科の方々は、教材研と称してパンを焼いて、食していた。棒に巻き付けて、たき火で焼くというもの。なかなかおいしかった。
また、昨年の特別専攻科の方々は、公開講座が終わった後、同窓会で飲み会をするというので、ちょっとおくれたが顔を出した。久しぶりだけれど、まだ、卒業してから1年もたっていないのは、ちょっと自分の時間の感覚とは違った。

子どもたちにとってどうしても必要なところ(貝塚養護学校)

2006年11月24日 16時33分19秒 | 生活教育
昨日、貝塚養護学校の方から電話をいただいた。大阪市が学校指定の停止を発表したことに対して、保護者が中心となって守る会ができつつあること、その集まりが12月3日(日)にあることなどを知らせていただいた。

これまで、貝塚養護学校の教育実践に接する機会があり、軽度発達障害や困難をもった子どもたちにとってどうしても必要な寄宿舎をもつ学校だと強く感じているので、以下のような意見を書いた。大阪市の教育委員と議会に送っていただくようお願いした。

貝塚のみなさん頑張りましょう

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寄宿舎のある貝塚養護学校の教育実践の意義を再確認し、学校指定停止の撤回を求めます。

来年度より全面的に実施される特別支援教育が、その対象を広げようとしているなかで、大阪市立貝塚養護学校の学校指定の停止が発表されたことは、いかにも拙速であり、性急なものといわざるを得ないと考えます。なぜなら、特別支援学校が困難で難しい課題をもった子どもたちの受け皿となり、今後の特別支援教育の全面実施の中で重要な役割をもつものと想定されているからです。
 子どもの発達をめぐる問題は、いじめや暴力、対人関係の問題などいっそう複雑化してきており、発達のゆがみやもつれが複合化・多様化してきています。病弱教育の中心は、かつて喘息、腎炎、ネフローゼなど慢性疾患でしたが、しかし、小学校3~4年生から中学生頃におこってくる情緒や思春期的な問題を抱えた子ども-特に心身症として扱われる不登校などの問題を持つ児童・生徒が、小児科や精神神経科に通院や入院をし、治療・教育を受ける事例が全国的に増え、病弱教育の直面する課題となっています。
 なかでも不登校問題は、通常の教育の中でも大きな問題で、すそ野の広い教育問題となっています。不登校児への対応も、担任教師を中心にクラスづくりの工夫、スクールカウンセラーの派遣による相談室での受けとめや養護教諭による保健室への登校、地域での適応指導教室の設置などが展開されていますが、まだまだ十分でありません。また、近年では、学習障害、注意欠陥/多動性障害等によって、周囲との人間関係がうまく構築されない、学習のつまずきが克服できないと言った状況が進み、不登校に至る事例は少なくないとの指摘もあります。広汎性発達障害、アスペルガー障害やADHDなど軽度発達障害で、集団への不適応を起こしたり、いじめられたり、いじめられていると思いこんだりするなどして、二次障害的にこじれてしまうケースもあります。学校での不適応ばかりではなく、家庭や地域での生活にも影響を及ぼします。逆に、家庭での養育力が乏しいことによって、状態が悪くなる場合もあります。不登校問題の背景には、養育や教育環境の複雑さや困難があります。自分を探し、自分をつくっていく主体はあくまでも子ども自身ですが、しかし、その基盤を整えることへの援助は重要です。特に軽度発達障害や発達にアンバランスのある場合、また、虐待など様々な付随的な問題を抱えている子どもと家庭にとって、とりわけ重要です。通常の教育的な枠組みの中では対応しきれない場合が多いからです。必要な場合には、生活と学習の枠組み全体をかえた取り組みも必要となります。そのような取り組みの一環となっているのが、病弱教育養護学校の不登校への取り組みです。
 病弱養護学校の不登校への取り組みの歴史の中で、寄宿舎のある大阪市立貝塚養護学校はその先駆けとなってきました。貝塚養護学校の不登校へのアプローチは、不登校の子どもたちの生活の枠組みを整え、学部での学習と寄宿舎での生活によって、紆余曲折や葛藤はありながらも、仲間の中で、仲間とともに困難を乗り越えていくという点で貴重な実践をつくっています。寄宿舎をもった貝塚養護学校は、困難をもった子どもたちに向き合い、不登校、そして行動障害のある子どもたちへの特色あるアプローチを展開してきたことはよく知られています。このような教育実践が、今後本格的に実施される特別支援教育の深みを創るものと思われます。貝塚養護学校のこのような重要な役割を大阪市教育委員会が認識し得なかったことは残念でなりませんし、撤回も含めた再考を求めたいと思います。

田中先生を偲ぶ会

2006年11月23日 21時49分55秒 | その他
勤労感謝の日
午後から、「田中昌人先生を偲ぶ教え子のつどい」に出席。
とても多くのともに学んだ人たち、お世話になった人たちとお会いすることができた。
自分自身、不勉強だったので、「教え子」を冠する集いに出席する資格があるのかは問わないこととしよう。

帰ってから『土割の刻-田中昌人先生を偲ぶ教え子のつどい記念誌』を読む。

記念誌の「結びのことば」には、「先生は、(このような名称のつどいの)集まりは、承諾されなかったでしょう」と指摘されている。しかし、続けて、「せめて一度くらい『反抗』する機会をもつことを了承下さい」とある。一種の「反抗」なのである。

夜中まで、『あの頃の若き旅立ち』(クリエイツかもがわ)を読んでしまう。今年亡くなられた稲葉先生の原稿がないのが寂しい。田中昌人先生の遺稿となった文章は後になるほど「発達論」の今後の展望となっていっている。「若き旅立ち」の事ではないが、逝くものとの自覚のもとで、最後に書いておかなければならないと思ったのだろう。中内敏夫先生の文章には、田中先生や稲葉先生との若かりし頃の交流が綴られていて興味深いものだった。


全障研奈良支部「たちあがる」の一文を書き改め、ここに掲げさせていただき、ご冥福をお祈りいたします。 

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 全国障害者問題研究会は、今年第40回全国大会を開催し、2007年には結成40周年迎えます。
 40周年というのは、半世紀でもなく、中途半端なようにみえます。しかし、この40年というのは全障研の歴史を担ってきたそれぞれの人たちに即してみるとなかなかの重みがあると思われます。とりわけ、全障研の結成を直接担い、初期の発展を支えてきた人たちは、例えば、20代から30代だった方達は60代から70代になっています。
 その中の一人だった、全障研の初代委員長田中昌人先生が、昨年11月にお亡くなりになりました。いろいろお教えいただきたかったと心底残念に思っています。実は、昨年10月末に田中先生とお会いする機会がありました。その時は、少し声が出にくいといっておられましたが、ご自宅から一人で京都駅まで出てこられ、外見からはお元気そうに見えました。話の中で、全障研の全国大会が奈良で開催されることをお伝えしたところ、おもむろに2006年の手帳を取り出し、大会の日程を書くようにとおっしゃられました。まだ何も書かれていない、7月28日から30日までのところに線を引き全障研奈良大会と記しました。「2006年に全障研の奈良大会が終わると、2007年には全障研結成40周年になります。おそらく、2007年には国連で障害者権利条約が採択されることとなると思います」というと、手帳のその部分をじっと見つめておられました。じっと見ていたその視線の中にはどのような思いがあったのでしょうか?
 田中先生の視線の先にあった全障研40周年。全障研の歴史を担ってこられた方達の願い、そして、この時代のなかですべての障害のある人たちと関係者の願いに思いをはせながら、全国障害者問題研究会40周年の重みを受け止めていきたいと思います。


一日目が回る

2006年11月22日 22時15分59秒 | 大学
朝、T小学校の公開授業へ。特別支援学級と特別支援教室の合同の生活単元授業-SSTの視点が入っている。500人規模の学校で、総勢30名弱が集まっての集団授業は活気がある(教師は3人+アシスタント+学生サポーター計5人)。極少人数障害児学級で実践を展開してきた奈良の学校の中では異色である。その後、低学年のSSTと高学年のSSTの授業(話の間に入る)。
帰ってから、教授会。その間に、子どもがきて話をする。Kさんに指導をお願いして、終了の時、将棋をして、勝利!。夜からは、夜間の大学院生の指導。教育実践研究の困難性を実感。

へろへろになって帰る

トイレでキノコを育てる学生さん・その後

2006年11月21日 18時01分25秒 | 大学
ついに、やってしまいました
今日の1回生の基礎ゼミナールの発表の時に、トイレでキノコを育てている学生さんが、「閑話休題」でその趣味のことを発表してしまいました。それも、パワーポイントを使って…
その中の1枚のスライドの中に入れられていた写真をありがたくいただいてきました。トイレの上につくられた棚にのっているのが、菌打ちした木(愛称「元気君」)とそこから生えているキノコたち。その横には、霧吹きまでおいてある!。
今日の教室は暖房が入っていたこともあってか、ゼミ中はキノコ香りがしてやけになまあたたかかった。みんな大爆笑でしたが、ちょっと引いていました

今日は朝から、砂糖と間違えて塩をいれたコーヒーをたっぷり飲んでしまったことから始まりました。昼にセンターの打ち合わせ、資料の作成とちょっとつかれる大変な一日でしたが、その中で「きのこ」の話題は貴重なひとときでした。

奈良から京都まで1時間で

2006年11月20日 21時13分56秒 | 大学
 午前中雨、午後には晴れ。

 今日から、分担講義の「障害児の発達と学習」がはじまる(4回)。午前中の2コマ目、終了は正規では12時10分。自己紹介にかえて「はせがわくんきらいや」を読み「森永ヒ素ミルク中毒事件」を説明する。時代とともに障害者問題が展開してきたことを振り返りながら、障害のある人たちの人権として障害児教育があることを説明。12時で切り上げ、マイクを学生さんに教務に届けるようにお願いして、大至急で、京都に向かう。1時からK教育大学で講義があるからだ(本当は12時50分から)。

 京奈道路を使って、超特急
 K教育大学に着いたのが、1時ちょうど。ビデオの鍵と小レポート用紙を事務でとって、講義へ。前回の補足として就学指導基準につき説明して、現在、学校教育法施行令の政令改正で問題となっている点を補足。後、障害の重い子どもたちと教育実践ということで「訪問教育」にふれる。

 ようやく学部の講義が終わって、次が特別専攻科と大学院の合併授業。先週に引き続き、アスペルガーの文献を読み進め、一応、終わる。教室が寒いこと、寒いこと。

食事もせずに、午前中から4時過ぎまで、ところをかえての講義でつかれた。やはり、1時間での移動は困難だが、あと3回

帰りに喫茶店によってケーキセットを食べて休んだ。
それにしても、このような講義をどうしてひきうけてしまったのだろうかと後悔

一日雨(当世大学祭事情)

2006年11月19日 23時21分25秒 | その他
一日雨
寒かったです。暖房をつけるとあつくなりすぎるし、切ると寒い。
沖縄の選挙は残念だった。基地の問題だけではなく、今の教育基本法などの国会審議にも影響を与えることになるからだ。
沖縄での研究集会で、この「ちゃ~すが」という言葉をおぼえてきただけに、複雑な心境。

今日まで、京都教育大学、立命館大学などの大学祭だったようだ。最近の大学祭の全体の傾向として、期間が短くなっているように感じる。講義の時間を確保するために、行事の短縮化である-小学校から大学まで行事は圧縮されている。子どもや青年の自主的な活動はどうなる…。
また、立命館は、お酒を出すような出店はないと聞いた。青年の大人としての位置づけがなくなっているのかも?

故田中昌人先生

2006年11月18日 22時20分32秒 | その他
今日は、田中昌人先生が亡くなって1周忌の日。
学生時代は、休講が多く、講義を受けた記憶はあまりない。そのころは、『人間発達の科学』、『人間発達の理論』を出され、その間に、『子どもの発達と診断』を乳児期前半から順次刊行されていった時期にあたる。
研究者というのは、田中先生のような方のことを言うとすれば、「研究者にはなれない」と思ったのもこの時期であり、今もその思いは続いている。

教えていただきたかったことはたくさんある。残念で仕方がないし、それができなかった自分のふがいなさでいっぱいである。しかし、今、それはかなわぬことである。先生の思索の跡をたどりながら、切りひらかれた発達研究の遺産をできるところで受けとめていきたい。

今日午前中から附属小学校の公開研究会。附属小学校の東側の障害児学級への階段をおおうモミジが紅く紅葉して美しかった。公開従業と研究授業を見て、授業研究と分科会討議に参加。
附属小学校公開研究会の終わる頃、雨。冷え込みが身体にしみた。