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ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

柏てん『京都伏見のあやかし甘味帖 月にむら雲,れんげに嵐』宝島社,2018年

2025年04月07日 09時37分17秒 | 

柏てん『京都伏見のあやかし甘味帖 月にむら雲,れんげに嵐』を読んだ。このシリーズ3作目。京都の和菓子の探訪の位置づけであるが・・・。第一作,第二作,第三作とす住めてくると,和菓子の話しは消えて,要するに「あやかし」妖怪ものの馬鹿話になっていく。今回も,天狗の話し,牛若丸と弁慶の話しがつづいて,鞍馬の山に入っていくのは良いが。和菓子の話しは横に置いておくという感じ。

信じられん頼間違いも多いので,蘊蓄にも何もならないかもしれない。たとえば,近鉄と京阪がまちがっていたりとか・・。とにかく,和菓子が出てくるところを摘記しておきたい。

1886年創業の「仙太郎」(これは仏光寺近くに店があった!) 5月の和菓子ということで,三種類の「柏餅」と「粽(ちまき)」p.45

端午の節句のもととなったのが,中国の端午節。春秋時代の政治家が入水自殺をしたのが,5月5日,その死を悼んだ人々がお供え物として竹筒に米を入れたものを投げ込むようになった。供物を川にすむ龍に食べられないようにせんだんの葉で包み,五色の糸で巻いてほしいとの願いがあり,それが「粽」になったという。日本につたえられた端午節は,藤森神社に端を発する菖蒲の節句と結びつき男子の成長を祝う行事となった。江戸時代以降に盛んになったが,そこで誕生したのが「柏餅」。関東の方がポピュラー。小倉餡がなくなると,味噌餡を入れていたという。

「子育て飴」p.81 「みなとや 幽霊子育飴本舗」 幽霊が飴を買いに来たという話し(六道の辻)

昔,京の都の東限は鴨川までだった。それを越えると鳥辺野とよばれる京都の三大風葬地のひとつにつながる。平安の頃は墓を建てることもなく,庶民の遺体は鳥に食わせたり朽ちさせたりするのが常だった。「六道の辻」はそこへ到る野辺の送りの道。いつしかあの世へとつながるといわれるよいうになった。

手作り琥珀糖p.109 有名なものは御菓子丸の「鉱物の実」(紫竹にある店舗) 鉱物にみたてられたシャンパン色の琥珀糖。

義経にまつわる和菓子。p.156 義経一行が奥州に逃げる際,負傷した弁慶が療養した民家に,銅鑼(どら)を置き忘れたという。その銅鑼で生地を焼いたのがどら焼きのはじまりだとか(あくまで,一説)

「亀屋良長」の「醒ヶ井」p.159 井戸をモチーフにしたお菓子。季節に応じた羊羹を牛皮で海苔巻き状に巻いたお菓子。その断面は見事な渦巻き模様。

 


関川夏央『砂のように眠る 私設昭和史1』(中公文庫

2025年03月19日 17時21分38秒 | 

関川夏央『砂のように眠る 私設昭和史1』(中公文庫版)
関川夏央は,1949年新潟県生まれ。ノンフィクション作家,しかも,フィクションやマンガの原作も書き,エッセイストで批評家でもある。『海峡を越えたホームラン』で第七回講談社ノンフィクション賞,『「坊っちゃん」の時代』(谷口ジローとの共著)で第二回手塚治虫文化賞,『昭和が明るかった頃』で第一九回講談社エッセイ賞,「毎時以降の日本人と,彼らが生きた時代を捉えた幅広い表現活動」により第四回司馬遼太郎賞を受賞。
たしか,『昭和が明るかった頃』は読んだことがある。内容は忘れてしまったが,戦後史として面白かったので,この本も読んでみる気になったのだろう。
不思議な本である,それぞれ関川の過ごしてきた時期の自分を私小説風につづった部分とそれと重ねてその時代に広く影響を与えた本の評論を配置して,それぞれ共鳴させている。

目次
はじめに

クリスマスイブの客
山の民主主義―『山びこ学校』が輝いた時代

みぞれ
日本の青春―石坂洋次郎に見る「民主」日本

思い出のサンフランシスコ
『にあんちゃん』が描いた風景―日本の貧困、日本の理想

春の日の花と輝く
める青年作家の帰国―『何でも見てやろう』という精神

ここでなければどこでも
一九六九年に二十歳であること―『二十歳の原点』の疼痛

時をへてもみんな嘘つき
田中角栄のいる遠景―『私の履歴書』と乾いた砂

おわりに

「戦後」時代略年表
新潮文庫版解?須賀敦子
自著解? 関川夏央


京都のあやかしと和菓子ー柏てん『京都伏見のあやかし甘味帖』はじめの二冊から

2025年02月25日 16時13分42秒 | 

柏てん『京都伏見のあやかし甘味帖 おねだり狐と町家暮らし』(宝島社文庫,2017)

主人公の小薄れんげ(29歳)が、理不尽にも解雇され、その日に家に帰ると同棲相手の彼氏の浮気現場に直面。失業と失恋のダブルパンチに、京都へ逃避行。ラノベだが、まえのあやかしのものと比べると大人っぽいので、読んでいく。しかし、「中書島」のルビが、「なかがきじま」p.22とあって、閉口。京都の和菓子についてかかれたところ、ちょっとうんちく気見たところなど摘記してみた。

「いなり(稲荷)」の由来 今から千三百年以上昔、山城国とよばれていた頃。深草に秦伊呂巨(はたのいろこ)という者があり、彼は稲を積みて豊かに暮らしていた。ある時、弓で餅を射ると、驚いたことに餅は白鳥へと姿を変え、山の峰で稲となった。ゆえに山の名は古くを伊禰奈利(いねなり)、転じて稲生となり、稲荷となった。P.147

・虎太郎が和菓子に魅了されたきっかけ 京菓子司・満月の阿闍梨餅

・虎太郎の甘味日記 宇治編

「椿餅」 源氏物語と言えば、椿餅やんなあ p.74

椿餅というのは一節には和菓子の起源とも言われるお菓子で、なんと千年の歴史がある。当時は砂糖がなかったので甘葛の汁と、道明寺粉を練って椿の葉で挟んでいたらしい。

「茶団子」:「御菓子司能登椽 稲房安兼」(御菓子司は公家の家来として御菓子作りを認められた一部の和菓子屋のこと:創業1717年)

 

・虎太郎の甘味日記 平安神宮編 p.98

「京菓子司平安殿本店」 京吟味百撰の認定を受ける

「平安殿」「栗田焼」「平安饅頭」

・「おせきもち」

ヨモギのお餅としろいお餅が一つずつ。その上に、粒あんがダイナミックに載せられている p.134

 

・虎太郎の甘味日記 松風編

「松風」 納豆味の和菓子・石山本願寺で生まれる。カステラに似た形状、カステラより固くせんべいより柔らかい、保存に優れた乾パン。小麦粉、砂糖、麦芽飴、白味噌をませ合わせ、自然発酵させた生地にケシの実を振りかけて巨大な縁万頃に焼き上げる、それを重宝気にに切り分けられたもの。 亀屋陸奥(西本願寺の南東:創業1421年)

亀屋陸奥の「松風」、松屋藤兵衛の「紫野味噌松風」、松屋常磐の「紫野味噌松風」が御三家 p.150-151

 

・亀屋伊織の「貝づくし」(木型で押した「押物」という種類の菓子)、有平糖「わらび」p.171

 

・豊栄堂の「酒まんじゅう」、「酒カステラ」

 

・「虎太郎の甘味日記 出町柳編」

出町ふたば 「名代豆餅」「三宝だんご」「桜だんご」(桜の葉が練り込まれた薄紅のだんご)p.181

 

・鶴屋吉信 直営店限定「青苔」(寒天を砂糖やなんかで甘くして、外側だけ乾燥させた琥珀糖という御菓子)

 

・「虎太郎の甘味日記 祇園編」

鍵善良房の「葛切」

 

柏てん『京都伏見のあやかし甘味帖 花散る、子一縷、鬼探し』(宝島社、2018)

今度は「中書島」は「ちゅうしょじま」となっていた。ますます「あやかし」の世界にはいっていって、和菓子どころではなくなっていく。伏見稲荷の白菊命婦(しらぎくのみょうぶ)からの頼みで「鬼女」を探すというもの。安倍晴明はでてくるは、主人公の「小薄(おすすき)れんげ」の元彼の「理」に乗り移っているし、貴船、蹴上、宇治、一条戻橋、あっちに行ったりこっちに行ったり。

肝心の和菓子は…、

・虎太郎の甘味日記―老松編

老舗「老松」の「夏柑糖」:輝く橙(だいだい)の果実をくりぬき、その果汁と寒天を混ぜて皮の中に戻して冷やし固める。寒天は酸により分解されるので、夏柑糖は難しい柑橘寒天を成功させ京都人に親しまれていた。P.43-44

 

・現代のどら焼きー朧谷瑞雲同(おぼろやずいうんどう、紫竹地区)の「どら焼き」p.75。種類:小倉、抹茶、黒胡麻、苺、桜など、「吟味謹製生銅鑼焼風味絶佳(ぎんみきんせいなまどらやきふうみぜっか)」。どら焼きとよぶのを躊躇うようなクリームの塊p.77-78

 

・虎太郎の甘味日記―哲学の道編

叶匠寿庵の京都茶室棟(熊野若王子神社裏手) 「あも」:叶匠寿庵の代表ともいえる菓子。昭和46年生まれ。柔らかく滑らかな餅が、しっとりしたつぶあんに包まれた、一見要官位も見える棹菓子。大福があべこべになったようなお菓子。P.106

 

・「にっき餅」「名物志んこ」(「まめ餅」「桜餅」に続いて)p.112-113、「祇園饅頭」の工場でかえる。「志んこ」はちいさな巻物のようなもの、お餅というよりは白玉に近い歯触り。味はほんのりと上品な甘さ。米粉で作るので「真の粉」で「志んこ」となった。p.114

 

・「玖豆善哉(くずぜんざい)」p.121白玉の上に載った透明な餅のような葛(練りたて)。善哉のふんわりした甘さと、なんともいえない葛の柔らかな口当たりが口の中で溶け合う。P.122

・虎太郎の甘味日記―複雑な男心編

「ウチュウワガシ」の「落雁」(落雁の由来は琵琶湖の浮御堂におりてくる雁の情景を描いた打ち物とも、中国の明の時代の菓子『軟落甘』を略したものとも言われている。素材となる穀粉は様々、うるち米、玄米、小麦、大豆、小豆、蕎麦、栗などを製粉して砂糖、水、水飴で練り型に入れて固める。麦を使ったもの麦落雁、豆を使ったもの豆落雁、栗の粉をつかったものは栗落盤。和菓子の落陽とともにその授業は年々減り続け、木型をつれる職人もごくわずか。P.166

 

・JEREMY&JEMIMAH いろとりどりの一風変わったわたあめを売る店。p.193

 

・おまけの一口―子狐のひとりごと

「呪い」と「祝い」:名は呪い。そして祝いでもある。名前という言霊によって相手を縛り、名を贈ることで生命の誕生を言祝ぐ(ことほぐ)のである。P.228

 

「どろぼう」というお菓子:泥棒したいくらい美味しい。小さい麩菓子のようなもの、どちらかというと岩おこしに近い。茶色くて、口に入れるとねっちりしていて、とても甘い。P.248

 

 


『京都上賀茂あやかし甘味処 鬼神さまの豆大福』

2025年02月06日 23時34分49秒 | 

朝比奈希夜『京都上賀茂あやかし甘味処 鬼神(きしん)様の豆大福』小学館文庫、2019年

登場する和菓子

引千切(きちぎり):京都の桃の節句には欠かせない上品な和菓子のこと。丸く延ばしくぼみを作った餅に餡やきんとんをのせたもので、その餅の一カ所が引きちぎったような形であることからこう呼ばれている。/なんでも宮中で餅菓子を作るときに手が足らず、餅を引きちぎったことから、この形になったんだとか。P.15

みたらし:黒砂糖を使った甘辛いたれのだんご。五つのだんごのうち一番上のひとつだけ離れているのは、人の形を表している。そもそもみたらしだんごは、下鴨神社境内の糺の森の御手洗池に湧き出る水の泡をかたどったのが起源だ。P.22

桜餅:関東風と関西風と異なるらしく、関西風は、つぶつぶの道明寺粉でこし餡を包む。わらに京都の桜餅の特徴としては、これを二枚の桜の葉の塩漬けで挟んであること。しかも桜餅といえば薄いピンクの餅を想像するが、京都は白に近いことが多い。P.58

玉椿:京都には欠かせない白餡を原料にした〝こなし〟と言われる生地を使ったもの。/〝こなし〟は白のこし餡に小麦粉や上用粉などを混ぜて蒸し作る生菓子。〝練り切り〟とよく似ていて見分けがつかないが、練り切りはつなぎに求肥などを使い、蒸すという工程がない。/薄い桜色をつけたこなしで餡を包み、椿の花のように成形している。P.64

三笠焼き:関東ではどら焼きというのが一般的だが―p.69

初桜:桜の花びら一枚をかたどった練り切り。P.93

菜種きんとん:餡の周りに若芽の息吹を感じる若苗色のそぼろ餡をつけ、さらには菜の花を思わせるような黄色のぞぼろ餡を散らしたもの。P.93

水無月:京都生まれの和菓子で、六月に並ぶ人気商品。〝夏越の祓え〟といって、本来は一年の半分が経過した六月三十日に穢れをはらうために食すのだが、人気があるのでいるも月の半ばから販売する。ういろうの上に小豆をのせた三角の水無月の中でも、雲龍庵のものは大きめの小豆がごろごろのっていて甘さ控えめなのが特徴だ。P.157-158

麩まんじゅう:夏の時期の和菓子。生麩で作った歯ごたえのあるつるんとした生地でこしあんを巻いた和菓子だ。クマザサで包み店頭に並べる。P.171

水ようかん:竹にはいった水ようかんは、ほのかな竹の香りも楽しめる。普通のようかんより寒天の分量を減らして作るため口当たりが柔らかいのが特徴。P.171

錦玉羹(きんぎょくかん):練り切りで金魚や恋し、水草などを丁寧にひとつづつ作り、それをほんのり青く着色した寒天に閉じ込めた、食べるのがもったいないような和菓子。少しずつ寒天を固まらせては、練り切りを置きまた寒天。そして別の練り切りを置くという作業を繰り返すので、立体的に仕上がり、本当に金魚が泳いでいるように見える。P.171-172

栗甘納豆:渋皮ごと上品な甘さに仕上げてあり、いくつでも食べられるおいしさ。P.171

お月見だんご:中秋の名月を楽しむこの時期は、お月見団子が販売される。丸くて小さなだんごを四角錐形に積み上げる地域が多いが、京都は違う。/どうやら中秋の名月は別名芋名月というらしく、里芋の形に似た細長いだんごにこし餡がまいてある。P.173

姫菊:

はさみ菊:糸切りばさみのような細工用のはさみで、練り切りの表面に一枚ずつ反ビラの切り込みをいれていく生菓子で、まるで芸術品のよう。花びらの間隔や大きさをそろえないければ美しくないので、熟練した技術が必要になる。

こなしの柿:

餡:砂糖を加えてからの練る作業が重要で、これまた職人技。気温によって練る時間を変える必要もあれば、砂糖の量によっても異なる。そして火を止めるタイミングは、…『豆に聞け』」p.268

豆大福:

「豆大福は俺たちを生かした大切な和菓子だ。」

「じいさんが俺に最初に食わせてくれたのが、この豆大福だ。これに救われて、今がある」「ふたちを拾ったときにも、これを食わせた。じいさんは、和菓子を通して俺を絶望からすくい上げてくれた」と成清と小太郎・小菊と天音の祖父との関係を語る。P.230-231

 


「おまけ」の漢字で、びっくり!

2024年12月03日 23時23分23秒 | 

お菓子について、この頃考えている!

味がわからなくなったので、一時、食べ物の番組をみるのも嫌になっていた。もう2年もすると、開き直ってきた。それで、お菓子や料理の味はわからないが、それを別の味わい方をしはじめた。お菓子、特に和菓子の由来などを発見して、おもしろく話をするということ。だいたい、奈良にいたときには、饅頭の神様をまつった、近鉄奈良駅近くの「漢國神社」の宮司さんのところに伺って話をきいたこともあった(この方、奈良学芸大学の時代の附属小学校か中学校の国語の先生だった)。身近に「饅頭」のおいしい話が落ちていたことを思い起こしていた。

辻ミチ子『京の和菓子』(中公新書)を読んでいたら、「おまけ」に「お負け」に漢字が充てられていた。調べてみたら次のようなことが書いてあった。

おまけは漢字にすると「御負け」です。由来はこの漢字の文字通り、商人が客との駆け引きに負けて値を下げる行為を指す言葉でした。しかし、のちに商品以外の物品を追加する行為なども言うようにななりました。おまけの言葉がが全国的に使用される様になった時期は明確には分かっていないですが、 大正時代に大阪で上方の商人が宣伝文句に「もうひとつおまけ、トコトンアメ」という言葉が使用されていました。1922年(大正11年)のグリコキャラメル発売のころに絵カードを入れ、それをヒントに1927年(昭2年)の発売のものから紙メンコ、指輪など市販の豆玩具が「おまけ」としてグリコのキャラメルに付いてくるようになりました。こうして上方の商人で使われていた言葉が、グリコのキャラメルの知名度とともに、全国に広がったと言われてもいます。

ううんと、うなった次第!

 


母ちゃん★センセ、笑ってなんぼー発達障害のある子どもと創る希望ある生活

2024年09月10日 14時47分24秒 | 

ステキなカバーで、帯も「カラフル、パワフル、ストレスフル」と韻を踏んでいてなかなかいい。この本は、奈良教育大学にいた最後の15年間くらいのことを書いている。いろいろあったけど、奈良教育大学はとても僕にとってはいい大学だった。そこをはなれて、5年がたとうとしているけど、その現実はどんどん大学が息苦しくなっている。兵庫県の知事が「おれは知事だ!」と叫んでいると報道されているが、張子の虎のようなそんな「長」なんかなんぼのもんじゃい! いばりくさるリーダーなんかいらん。大学でも、以前には校長、学長には学識や見識というものがあった。

この本にこめたものの一つをプロローグのなかにいれた!

「子どもと向き合って、その願いに応える学校をつくっていきたいと実践してきた教師達の笑顔が、文部科学省や管理職から、重箱の底をつつくように学習指導要領の文言に忠実でないと非難され、いろいろ理屈をつけられて出向させられてしまう。そんな理不尽な教育現場では、無理矢理「笑顔」がつくらされている現実が有り、強制されるような「笑顔」の奥には押し殺された感情があるのではないでしょうか。子どもたちにそんな「笑顔」で向き合えないでしょう。教育は希望をともに語ることなのだから、教育の本質に立ち戻って、センセたちの創造性が生きる学校づくりで子どもたちが本当の笑顔になってほしい。母ちゃん・父ちゃん、そしてセンセたちが笑顔を取り戻し、笑いあって、で・あい(出会い)のある世界を創っていくエネルギーを蓄える糧となることを心より願っています」

「理不尽な処遇」にたいして、異議を唱えなければ、学校はもっともっと魅力を喪失していくだろう。教員を養成する大学も学問や科学の面白さ、人間の面白さを探究していくものでなければ、つまらんものになってしまうだろう。上ばっかりみて、忖度したり、饒舌になったりしている姿は見苦しい。筋道が通ったやりたいことができる大学に是非とも再生してほしい。理不尽な処遇を受けた人たちの異議申し立ての勇気をたたえたい。9月10日が笑顔を取り戻すスタートになることを願っている。

 


纐纈厚『戦争と弾圧 3.15事件と特高課長纐纈弥三の軌跡』(新日本出版社、2020年)

2021年02月24日 12時46分39秒 | 

纐纈厚『戦争と弾圧 3.15事件と特高課長纐纈弥三の軌跡』を読んだ。

京大から、内務省へ。特高課長として、三・一五、四.一六を指揮した人。その後、戦時下文部官僚となった。公職追放の後、政界に進出。「建国記念の日」の制定をすすめた。纐纈弥三の戦前と戦後は連続のもの、このような内務官僚が戦後の政治史上には沢山いた。

ひとつだけ、文部省の普通学務局長として、聾唖教育福祉協会が主催する大会での挨拶。p.209 著者は、視覚障害者や聴覚障害者も戦争に動員される史実が存在することを指摘している。

 


小沼通二編『湯川秀樹日記1945 京都で記した戦中戦後』(京都新聞出版センター、2020年9月)

2021年01月25日 16時13分35秒 | 

小沼通二編『湯川秀樹日記1945 京都で記した戦中戦後』は興味深かった。

湯川秀樹の戦中の京都での記録である。京都を中心とした障害児教育史をたどっているが、戦中戦後の京都のあり様を全般として知りたいと思っていた。田村一二関係では、「新型爆弾」という表現ではなく「原子爆弾」という表現がいつくらいから一般化されたのか、大雅堂という出版社の戦中戦後の動向やGHQの出版言論統制のことが気になっていた。解説で「占領軍の言論統制」について詳細に検閲・削除の方法が示されている(p.216-)。湯川の出版物も修正があったこと、敗戦後1年での心境の変化ともども変化を対照していた。京都大学での終戦終結直後の書類焼却についての記録と解明も重要だと思う。

また、京都の馬町空襲のことや京都帝国大学でのF研究(これは、2020年8月15日に放送されたNHK特集ドラマ「太陽の子」のモチーフとなっもの、その一か月ほど前に自死した三浦春馬も出演していた)、そして広島原爆投下後の調査、京都学派と呼ばれた哲学者との交流などについても記述があることでも、貴重なものだと思った。

小沼通二の「解説」がおもしろい。ほかの記録などと対照させて「湯川秀樹日記」に記述された事実を読み解き、その背景を説明して見せている。日記は事実を記述しているが、湯川の心情は和歌になっている。それが解説の終盤におかれている。

末弟の戦死の方をきく:「弟はすでにこの世になき人とふたとせをへて今きかんとは」など8首 P.247

原子雲:「天地のわかれし時になりしとふ原子ふたたび砕けちる今」など3首

核兵器禁止条約が発効したことは先に書いたが、湯川の「今よりは世界一つにとことはに平和を守るほかに道なし」という和歌をそえ、小沼が最後に記した、「個人・家庭・社会・国家・世界系列の中から国家だけを取り出して、これに唯一絶対の権威を認めたこと」が誤りだったとして、国家の絶対性と決別したのだった(p.249)とのことばを結びとしておく。

本に付箋を付けたが、この本は図書館から借りたもの。

小沼の解説は以下の内容

1.はじめに 湯川のあゆみ/日記

2.当時の情勢 広がる世界大戦/枢軸国の敗色/幸福の選択肢がない全滅と自決/日本空襲 被災者の戦後 飢餓/京都の馬町空襲/広島・長崎の報道/戦争終結直後の書類焼却/占領軍の言論統制

3.湯川の行動と思索 京都大学と東京大学で/旅行/原子爆弾開発を目指した海軍のF研究への参加/熱戦吸着爆弾開発と湯川の視察/占領軍の軍事研究調査/吉井勇との交友/哲学者たちとの交流/湯川の思索/ヒューマニスト湯川の形成

京都新聞での報道について、記者の峰政博が経緯を書いている。

 

 


核兵器禁止条約の発効と湯川秀樹日記

2021年01月22日 23時30分42秒 | 

今日、2021年1月22日は、核兵器の開発や保有、使用などを全面的に禁止する核兵器禁止条約が、批准した50カ国・地域で発効した日となった。

『湯川秀樹日記1945』の解説を興味深く読んでいる。広島の原爆が、当時どのように報道されたかを新聞から拾っている。湯川が読んでいたのが朝日新聞で、1945年8月11日、「帝国、米に厳重抗議 原子爆弾は毒ガス以上の残虐」との見出しがあり、それ以後、朝日新聞は「新型爆弾」「新爆弾」「原子爆弾」の表現が混在するという。毎日新聞は、「原子爆弾」の表現は敗戦までは使わず。

興味深いのは京都新聞。1945年8月9日、「原子爆弾 的米英必死で研究」と記事があり、8月13日にも「原子爆弾 既に独ソ戦で応用」との記事ありで、「原子爆弾」の内容と表現があることである。

日本政府と軍部は「原子爆弾」の表現は敗戦まで使わず。だが、8月10日、広島での「陸海軍合同特殊爆弾研究会」にて「原子爆弾たりと認む」と10日中に、大本営に発送されているとのこと。この会議には、広島の調査をおこなった仁科・川勝らの物理学者が参加した。


竹中均『自閉症の時代』講談社現代新書、2020年5月(承前)

2021年01月16日 22時55分50秒 | 

竹中均『自閉症の時代』(講談社現代新書)。この新書は面白かった。イギリスのところ、スウィフトやニュートンなど、アメリのところなども。

とはいえ、学べたのは、第9章のPrimaryとPrimitiveのところ。フロイトの精神分析を論じて、PrimaryとPrimitiveを同一視すべきでないことを説く。Primaryは第一義は「最も重要な」といういいであり、一次的(一次過程)をいい、secondaryが二次的ということである。Primitiveは原始的・原初的なということであり意味は異なるという。その意味からすれば、初等教育はprimaryで最も重要な教育ということになる。これは、自然科学教育を説いた科学者ハックスレイの言にもある。初等教育を甘く見てはならないのだ。ちょっと、教育に脱線したが、このことだけは記しておきたい。

プロローグの「野生児」の「自閉症児」説はもともと「冷蔵庫マザー」の言説を強化した情緒説のブルーノ・ベッテルハイムがいっていたことだと記憶しているが・・・。いま、日本のアニメ界でも、「もののけ姫」から「おおかみこどもの雨と雪」、今年は「ポケットモンスターココ」もまた「ザルード」に育てられた「ココ」は狼に育てられた子どものアナロジーのようだ。いま「野生」が復活しているのも、このプライマリへの回帰ということかもしれない。

構成は次の通り。

プロローグ

第一章 自閉文化とは何か

伊藤若冲の反復/自閉文化という視点/空間と時間/反復/高精細/物との関係/ゲームとパラドクス

第二章 空間

ヘッドフォンと被影響性/キャロルとホームズ/ルドルフ二世の部屋/涼宮ハルヒの部屋/新海誠のセカイ/『コンビニ人間』の同居/時間の空間化

第三章 反復

常同行動/完璧な反復とデジタル/ウォーホルの缶詰/繰り返すサティの音楽/同じものを食べる/職人とリナックス

第四章 機械

機械と「弱い求心性統合」/機械とモノトラック/チューリングと機械/『コンビニ人間』と「世界の部品」 第五章 高精細・パラドクス・ゲーム 高精細/パラドクス/ゲームとパズル

第六章 奇人たちの英国

スウィフトの国々/キャベンディッシュの実験室/ニュートンの争い/W・B・イェイツと妖精/ラスヌジャンと証明/ウィトゲンシュタインの「奇抜な設定」/ヒュームの懐疑/大西洋を越えて

第七章 自閉症のアメリカ

ジェファーソンの二面性/メルビィルと表面/エジソンの失敗/ミニマルミュージックの静寂/ファンタジーとテクノロジーの出会い/村上春樹のゲームと「マシーン」/GAFAの実験

第八章 自閉症と近代

ルーティンと近代/言わんとバーとルビー/受動性と職人/物から人へ/建築と物語

第九章 PrimaryとPrimitive

PrimaryとPrimitiveのあいだ/「直接体験の原則」を生きる人々/一次性としての縄文/暴力性はどこで生じるか/二つの「モード」

エピローグ

「野生児」の野生/「おおかみこども」の二つの道

あとがき


宮口幸治『ケーキの切れない非行少年たち』新潮新書、2019年

2021年01月12日 13時30分52秒 | 

一昨年話題になったのが本書、宮口幸治『ケーキの切れない非行少年たち』である。いまの3回生の人達が、2回生の終わりに読みたいと言っていたので買っていた。宮口さんには、以前の大学でコグトレの研修でお世話になったことがある。精神科医の中には文学畑の人が多いと思っていたが、このひとは違う。もともと、工学部出身で、その後、医学部にいって、精神科医となった。公立の精神病院から医療少年院の医官へ、それから大学に移ったということだった。もともとの出自が工学部ということもあるのか、わかりやすい文章を書く人だ、ねじれがない。精神科の医者のなかには、おもいっきり文学的な人もおったりするので、そのような人たちとは対照的だ。

要するに、軽度知的障害の逸脱行動、非行・犯罪を中心にその矯正プログラムから出発して、逸脱行動にいたる前に、コグニション(認知の前提)のところから訓練するという提案である。曰く

認知行動療法は「認知機能という能力に問題がないこと」を前提に考えられた手法です。認知機能に問題がある場合、効果ははっきりとは証明されていないのです。では認知機能に問題があるというのはどんな子どもたちか。それが発達障害や知的障害を持った子供たちなのです。つまり発達障害や知的障害を持った子どもたちには、認知行動療法がベースとなったプログラムは効果が期待できない可能性があるのです。でも実際に現場で困っているのは、そういった子どもたちなのです。(p.6)

要するに、軽度知的障害と境界知能の人達に焦点をあてて、教科学習とは異なった別の学習・訓練法の開発こそが課題なのである。端的に、いまの世の中は、IQ100ないと生活していくうえで困難が付きまとうとはっきり言ったりもする。また、「ほめる」ことが強調されていることに対してもはっきりと批判もしている。わかりやすいですね。1年間で、23刷となったのは、カズレーザー絶賛したこともあるかもしれないが、さらりとした語り口、でも問題をはっきりいうことでの読みやすさもあろう。深みや癖のようなものはないけど、学生さんや現場の先生にはちょうどいいかもしれない。

はじめに/第一章 「反省以前」の子どもたち/第二章 「僕はやさしい人間です」と答える殺人少年/第三章 非行少年に共通する特徴/第四章 気づかれない子どもたち/第五章 忘れられた人々/第六章 褒める教育だけでは問題は解決しない/第七章 ではどうすれば? 1日5分で日本を変える/おわりに

なお、宮口のきょうだいは、OTらしく、その教材は多く出されている。公文のプリントによく似ているかもしれないが、その使用の方法は、公文が勝手に一人でやっていくのに対して、人との関係を重視したプログラムになっている点が大きく違っているようだ。これらのプログラムと教材の研究をしてみないといけないが・・・、学生さんだれかやってみないか。ぼくらに商売は、このようなプログラムに付き合うこともその一つなのだが、もうそんな力は残っていない。

 

 


竹中均『「自閉症」の時代』講談社現代新書、2020年5月

2021年01月06日 17時29分42秒 | 

竹中均『「自閉症」の時代』を読んでいる。自閉症の歴史社会学のような感じで、読み物。この本については、読み終わってから、紹介することとして、その中に出てくるアメリカの小説家メルビルの話、その『捕鯨』について記しておきたい。

というのは、以前書いた、首藤瓜於のわけのわからない小説『大幽霊烏賊 名探偵面鏡真澄』の中にでてくるのも、捕鯨の話であり、その生き残りの語りであった。この首藤の小説の基礎をなしているのがメルビル『捕鯨』ではないか。とすると、その不思議な世界は、「自閉」文化の一種なのかもしれない。


首藤瓜於『大幽霊烏賊 名探偵面鏡真澄』講談社、2012年

2021年01月03日 10時55分41秒 | 

昨年読んだ『脳男Ⅱ』は、結局、自宅にあったので、二度読んだということになる。続けて図書館でかりたのが首藤瓜於『大幽霊烏賊 名探偵面鏡真澄』である。図書館でちょっと読みをすると、呉秀三らしき人が、年老いて病院の院長をやっている精神科病院の昔の話。妄想が広がり、そして、何が何だかわからない状況が続いていく。捕鯨の話が長く続いて、「大幽霊烏賊」の妄想が延々と続いたり、最後には、急速に話が展開して、とんでもない結末にいたる。

この小説、出てくる人の名前が読めない。呉秀三らしき人、精神病院がでてくるし、そして、どうもこの作者が「自閉症」やら精神疾患についてテーマとして小説を書いているということだけで、読まされている。だいぶ時間がかかった。全574頁。

字面をおっているだけ・・・。これからの読書はそんなことなんやろなとおもう新年。


加藤典洋『オレの東大物語 1966-1972』集英社、2020年9月

2020年12月31日 22時23分53秒 | 

戦後史を検討する作業をしはじめている。戦後政治史とともに思想史分野では、高等教育や青年、いわゆる若者の戦後史を捉えようとするなかで、書評でであった本、ちょうど、東大ついての本が2冊ほど紹介されていたものの中の1つ。加藤典洋についてはよく知らないが、奈良女子大学の小路田泰直が編者になって、議論した本があったことを思いだして、買ってみた。

加藤が病朱で書き、亡くなって後に出版された本である。いわゆる青春時代の回想もの。1948年生まれ、戦後ベビーブーム世代で、ちょうど1968年の前後に大学にいて、大学闘争・全共闘の世代、中途半端な位置にいたことを思いつつ、引っかかったものをかかえて、戦後の政治や文化に対して批判的視座をもってきた。その原点となるのが「東大はクソだ!」という感覚をえたときのことを書いているもの。

東大闘争の記録や回想は当事者の手によって様々まとめられているかと思う。1968年前後の時代をどう捉えるのかは、『夜明け前の子どもたち』などのドキュメンタリー映画の背景となっている。

共感するところは、中途半端にしていることの価値というか、割り切れないものを抱き続けることが原動力に成ると言うことかもしれないと思った。

解説で、瀬尾育生が、加藤の「ビオス(生活)」と「ゾーエー(生存)」について書いていることに触れて、いくつかを指摘している。「生存」と「生活」、「ただ生きている(剥き出しの生)」と「言葉(意味を)を生きる」というふたつの生、古代ギリシャでは分離されて概念化されていたのが、いつのまにか「生(ライフ)」という一つの言葉となったこと、その歴史を思想として提起していったのが、加藤だと言うことになる。この問題には、いつも悩まされるのだ。

2020年も終わろうとしているのだが、「ただ読んでいる」のと「意味を読み取っている」ということの違いということについても、気づかされた。『オレの東大物語』はだだ読んでいた・・・ただ読んでいるものは多いが、今日、今年図書館で借りて読んで、このブログでも紹介した『脳男Ⅱ』を自宅で発見して、「もう読んでいた」のだなと思って、ただ読んでいたことを思い知らされた。「ただ生きている」とはいえ、そのことの重大性を再度思ってみるが、強がり、へりくつだという自分がいる。