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ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

京都のあやかしと和菓子ー柏てん『京都伏見のあやかし甘味帖』はじめの二冊から

2025年02月25日 16時13分42秒 | 

柏てん『京都伏見のあやかし甘味帖 おねだり狐と町家暮らし』(宝島社文庫,2017)

主人公の小薄れんげ(29歳)が、理不尽にも解雇され、その日に家に帰ると同棲相手の彼氏の浮気現場に直面。失業と失恋のダブルパンチに、京都へ逃避行。ラノベだが、まえのあやかしのものと比べると大人っぽいので、読んでいく。しかし、「中書島」のルビが、「なかがきじま」p.22とあって、閉口。京都の和菓子についてかかれたところ、ちょっとうんちく気見たところなど摘記してみた。

「いなり(稲荷)」の由来 今から千三百年以上昔、山城国とよばれていた頃。深草に秦伊呂巨(はたのいろこ)という者があり、彼は稲を積みて豊かに暮らしていた。ある時、弓で餅を射ると、驚いたことに餅は白鳥へと姿を変え、山の峰で稲となった。ゆえに山の名は古くを伊禰奈利(いねなり)、転じて稲生となり、稲荷となった。P.147

・虎太郎が和菓子に魅了されたきっかけ 京菓子司・満月の阿闍梨餅

・虎太郎の甘味日記 宇治編

「椿餅」 源氏物語と言えば、椿餅やんなあ p.74

椿餅というのは一節には和菓子の起源とも言われるお菓子で、なんと千年の歴史がある。当時は砂糖がなかったので甘葛の汁と、道明寺粉を練って椿の葉で挟んでいたらしい。

「茶団子」:「御菓子司能登椽 稲房安兼」(御菓子司は公家の家来として御菓子作りを認められた一部の和菓子屋のこと:創業1717年)

 

・虎太郎の甘味日記 平安神宮編 p.98

「京菓子司平安殿本店」 京吟味百撰の認定を受ける

「平安殿」「栗田焼」「平安饅頭」

・「おせきもち」

ヨモギのお餅としろいお餅が一つずつ。その上に、粒あんがダイナミックに載せられている p.134

 

・虎太郎の甘味日記 松風編

「松風」 納豆味の和菓子・石山本願寺で生まれる。カステラに似た形状、カステラより固くせんべいより柔らかい、保存に優れた乾パン。小麦粉、砂糖、麦芽飴、白味噌をませ合わせ、自然発酵させた生地にケシの実を振りかけて巨大な縁万頃に焼き上げる、それを重宝気にに切り分けられたもの。 亀屋陸奥(西本願寺の南東:創業1421年)

亀屋陸奥の「松風」、松屋藤兵衛の「紫野味噌松風」、松屋常磐の「紫野味噌松風」が御三家 p.150-151

 

・亀屋伊織の「貝づくし」(木型で押した「押物」という種類の菓子)、有平糖「わらび」p.171

 

・豊栄堂の「酒まんじゅう」、「酒カステラ」

 

・「虎太郎の甘味日記 出町柳編」

出町ふたば 「名代豆餅」「三宝だんご」「桜だんご」(桜の葉が練り込まれた薄紅のだんご)p.181

 

・鶴屋吉信 直営店限定「青苔」(寒天を砂糖やなんかで甘くして、外側だけ乾燥させた琥珀糖という御菓子)

 

・「虎太郎の甘味日記 祇園編」

鍵善良房の「葛切」

 

柏てん『京都伏見のあやかし甘味帖 花散る、子一縷、鬼探し』(宝島社、2018)

今度は「中書島」は「ちゅうしょじま」となっていた。ますます「あやかし」の世界にはいっていって、和菓子どころではなくなっていく。伏見稲荷の白菊命婦(しらぎくのみょうぶ)からの頼みで「鬼女」を探すというもの。安倍晴明はでてくるは、主人公の「小薄(おすすき)れんげ」の元彼の「理」に乗り移っているし、貴船、蹴上、宇治、一条戻橋、あっちに行ったりこっちに行ったり。

肝心の和菓子は…、

・虎太郎の甘味日記―老松編

老舗「老松」の「夏柑糖」:輝く橙(だいだい)の果実をくりぬき、その果汁と寒天を混ぜて皮の中に戻して冷やし固める。寒天は酸により分解されるので、夏柑糖は難しい柑橘寒天を成功させ京都人に親しまれていた。P.43-44

 

・現代のどら焼きー朧谷瑞雲同(おぼろやずいうんどう、紫竹地区)の「どら焼き」p.75。種類:小倉、抹茶、黒胡麻、苺、桜など、「吟味謹製生銅鑼焼風味絶佳(ぎんみきんせいなまどらやきふうみぜっか)」。どら焼きとよぶのを躊躇うようなクリームの塊p.77-78

 

・虎太郎の甘味日記―哲学の道編

叶匠寿庵の京都茶室棟(熊野若王子神社裏手) 「あも」:叶匠寿庵の代表ともいえる菓子。昭和46年生まれ。柔らかく滑らかな餅が、しっとりしたつぶあんに包まれた、一見要官位も見える棹菓子。大福があべこべになったようなお菓子。P.106

 

・「にっき餅」「名物志んこ」(「まめ餅」「桜餅」に続いて)p.112-113、「祇園饅頭」の工場でかえる。「志んこ」はちいさな巻物のようなもの、お餅というよりは白玉に近い歯触り。味はほんのりと上品な甘さ。米粉で作るので「真の粉」で「志んこ」となった。p.114

 

・「玖豆善哉(くずぜんざい)」p.121白玉の上に載った透明な餅のような葛(練りたて)。善哉のふんわりした甘さと、なんともいえない葛の柔らかな口当たりが口の中で溶け合う。P.122

・虎太郎の甘味日記―複雑な男心編

「ウチュウワガシ」の「落雁」(落雁の由来は琵琶湖の浮御堂におりてくる雁の情景を描いた打ち物とも、中国の明の時代の菓子『軟落甘』を略したものとも言われている。素材となる穀粉は様々、うるち米、玄米、小麦、大豆、小豆、蕎麦、栗などを製粉して砂糖、水、水飴で練り型に入れて固める。麦を使ったもの麦落雁、豆を使ったもの豆落雁、栗の粉をつかったものは栗落盤。和菓子の落陽とともにその授業は年々減り続け、木型をつれる職人もごくわずか。P.166

 

・JEREMY&JEMIMAH いろとりどりの一風変わったわたあめを売る店。p.193

 

・おまけの一口―子狐のひとりごと

「呪い」と「祝い」:名は呪い。そして祝いでもある。名前という言霊によって相手を縛り、名を贈ることで生命の誕生を言祝ぐ(ことほぐ)のである。P.228

 

「どろぼう」というお菓子:泥棒したいくらい美味しい。小さい麩菓子のようなもの、どちらかというと岩おこしに近い。茶色くて、口に入れるとねっちりしていて、とても甘い。P.248

 

 


「どうすればよかったか?」

2025年02月15日 16時21分00秒 | 映画

京都シネマで上映している「どうすればよかったか?」を観てきた。いま話題で、京都シネマでもロングランとなっている。土曜日ということもあってか、沢山人が入っていた。「鍵」「閉じ込め」とあったので身構えた。親として、医者・研究者として、きょうだいとして、家族として、、、本人にとっては何が大事だったのか? 精神の人たちや団体とおつきあいしていることもあって、いま起こっていることとして考える。「どうすればよかったか?」という問いは、社会にも向けられる。


万葉文化館

2025年02月15日 15時33分37秒 | 大学

2025年2月14日 万葉文化館にいった。万葉文化館をめぐった。奈良にいたときはこなかった。静かな飛鳥のたたずまい。いにしえの時、工房があったところだという。開催されていた「明日香の匠」展をみた。作家は、元附属幼稚園副園長の烏頭尾忠子先生、夫の烏頭尾精先生が日本画、吹きガラスの高橋直樹さん、陶工は奈良教育大学におられた脇田宗孝さん。


山田火砂子

2025年02月08日 23時54分31秒 | 映画

山田火砂子 前後編

 

92歳の映画監督・山田火砂子「社会福祉、女性の地位向上、戦争…全部自分が当事者だった。新作では知的障がいのある両親と娘の成長を描く」戦争もNO!差別もNO!<前編>

 

「とにかくお金集めが一番大事だから、上映会の会場でお客さんに〈製作協力券〉と名づけた次回作のチケットを1枚1000円で買ってもらい、そのお金で新しい作品を撮るんです」(撮影:洞澤佐智子)

〈発売中の『婦人公論』5月号、2024年〉

国内最高齢の女性監督、山田火砂子さんの新作映画『わたしのかあさん―天使の詩―』が公開された。夫の映画製作を支えたのちに自らも撮るようになったが、選ぶ題材は社会福祉、女性の地位向上、戦争……と一貫している。そこには「私が当事者である」という強い意識があった(構成=篠藤ゆり 撮影=洞澤佐智子)

資金集めに全国を飛びまわる

映画監督のデビューは64歳だから、この30年弱で10作品を撮ったことになります。私はもともと女優だったし、監督をやろうなんて考えたこともなかったんだけどね。

さすがにこの歳になると、身体はしんどいですよ。ここ数年は週3回、人工透析に通っているし、足も悪いでしょ。それでも上映会があれば、どこでも会場に出向いて挨拶しています。

うちは「現代ぷろだくしょん」という映画製作会社。いわゆる独立系というやつで、製作も配給も自分たちでするの。とにかくお金集めが一番大事だから、上映会の会場でお客さんに「製作協力券」と名づけた次回作のチケットを1枚1000円で買ってもらい、そのお金で新しい作品を撮るんです。

 

私はこの通り口が悪いもので、政治批判だろうがなんだろうが言いたい放題。でもそれが面白いんだろうね。皆さん、私がしゃべると講演料と思って券を買ってくれるわけです。

だからプロデューサーをやっている次女が、「行かなきゃダメ」って厳しいのよ(笑)。前作『われ弱ければ―矢嶋楫子(やじまかじこ)伝』のときは全国204ヵ所の会場を回ったんだって。頑張るよねえ。

医者からは「聞くところによると北海道であれ、アメリカであれ飛んで行っちゃうらしいですけど、少しはご自分の年齢を考えてください」とよく注意されます。でも、言えないじゃない、「映画の資金稼ぎやってるんです」って。(笑)

 

3月から公開された新作『わたしのかあさん―天使の詩―』の構想は、前作の上映中から進んでいました。

知的障がいのある私の長女がお世話になった、東京教育大学附属大塚養護学校(現・筑波大学附属特別支援学校)の菊地澄子先生の書いた本が原作。障がいのある両親のもとに生まれた健常者の娘が、葛藤を乗り越えて成長する様子が描かれています。

両親の役は、寺島しのぶさんと渡辺いっけいさんが演じてくれました。知的障がいのある難しい役なのに、ふたりとも本当にうまいんだよね。

 

私、前作の上映会でお客さんに聞いたんだもん。「寺島さんが演じる知的障がい者のお母さん、見たい人」と聞いたら、どの会場でもぶわ~っと手があがるのよ。実際、やさしくて、きれいな心のお母さん役がぴったりでした。

 

常盤貴子さんも、私の作品に何度も出てくれるね。仲がいいんだ。原作にはない、成長して障害者施設の園長になった娘の役をやってもらいました。幼少期を演じた落井実結子ちゃんも、いい演技をしています。

ほかにも船越英一郎さんや高島礼子さんをはじめ、一流の人が大勢かけつけてくれて、すっかり豪華キャストになっちゃった。キャスト表を見ながら常盤さんと「福祉映画もここまできたねえ」って。船越さんはクランクアップ後、「こういう映画なら僕出ますから、また誘って」と言ってくれました。

嬉しいし、ありがたいことです。なにせ貧乏所帯だからロケにもお金をかけられない。事務所が入っているこの古いマンション、別の階に私は住んでるんだけど、たまたま空き部屋が出たんです。そこを一家が暮らす公団住宅という設定で借りました。

当初、「ドアが公団風じゃない」とプロデューサーの次女が言うので、「じゃあ、お金持ってきてよ」って言ってやりましたよ(笑)。皆さんの楽屋は、私の部屋。わいわい楽しく撮影しました。ぜひ観てください。

 

子どもを手放せ、という誘い

これまで映画で取り上げてきたテーマは、社会福祉、女性の地位向上、戦争……と一貫していると思います。どれも私自身が当事者だからなんだよね。

戦争は、なにより嫌いです。私が生まれたのは1932年。五・一五事件が起こった年で、日本が軍国主義に突き進んでいた時代でした。

やがて第二次世界大戦が勃発。私は東京生まれで、下町が壊滅的な被害を受けた45年3月10日の東京大空襲は免れたものの、5月24、25日の山手大空襲でやられました。

 

 

東京大空襲では約300機のB29が焼夷弾を落としたけど、山手大空襲では各日450機以上が飛んでたの。空襲警報が鳴って夜の町を逃げながら空を見上げると、あんなにたくさんの飛行機同士がよくぶつからないなあと思うくらいだった。

次の瞬間、焼夷弾がバラバラと落ちてきて、あたり一面にぶわ~っと一斉に火がついて真っ赤になった。半分焦げた死体やら、火ぶくれだらけで歩いている人やらで、あの光景を描けと言われたら描けるくらい。忘れたくても、忘れられないですよ。今でも打ち上げ花火は、怖くて泣いちゃう。

 

 

終戦後、女学校に行くも女優になりたくて、エキストラや小さな役をやりながらチャンスを待ちました。ジャズにハマり、18歳のころに女性バンド「ウエスタン・ローズ」を組んで。進駐軍のクラブに出入りしてお金を稼ぎました。その後は軽演劇の舞台に出るようになり、女3人でコントをやったりして。人気あったんですよ。

29歳で結婚して、生まれた娘が2歳のころ、病院で知的障がいがあると診断されました。いまと違って情報もないし、最初はびっくりしてね。正直、私にも恥ずかしいという気持ちがありましたよ。こればかりは、育てたことがない人にはわからないと思う。知的障がいのある子どもを育てるのは、そりゃあ大変なものです。

次女が生まれたあと離婚したんですが、そのころは喫茶店もはじめていて、子育てをしながら店に立っていました。そうしたらNHKの人が「喫茶店のママで終わらせたくない」とスカウトにきてくれた。

 

 

得意の喜劇的な演技で「スターにしてあげる」なんて言うから、三の線の女優で復帰しようって私もすっかりその気になってね。

ところがその条件として、子どもを手放せ、と言われてしまった。当時は里子に出すなんてことが当たり前に行われていたからね。次女は健常者だし、いくらでももらい手があるって。じゃあ長女はどうするんだ。どっちも手放すなんてとんでもない、と断りました。

 

<後編につづく

 

国内最高齢の女性監督・山田火砂子、映画を通して伝えたいこと「92歳、原動力は怒り。命を奪い、差別する社会は今も変わっていない」 戦争もNO!差別もNO!<後編>

 

 

「ありったけのフィルムを買い込んで、幼い娘たちのリュックに詰め込んでロケ地まで運んだこともありました」(撮影:洞澤佐智子)

〈発売中の『婦人公論』5月号から記事を先出し!〉

 

国内最高齢の女性監督、山田火砂子さんの新作映画『わたしのかあさん―天使の詩―』が公開された。夫の映画製作を支えたのちに自らも撮るようになったが、選ぶ題材は社会福祉、女性の地位向上、戦争……と一貫している。そこには「私が当事者である」という強い意識があった(構成=篠藤ゆり 撮影=洞澤佐智子)

 

<前編よりつづく

夫婦で映画をつくると理想に燃えて

映画監督の山田典吾(やまだてんご)と再婚したのは、43歳のとき。これがまた、いい加減な男でね(笑)。お金持ちの医者の息子でさ、助監督として東宝に入ったあと、芸能部の部長さんになったんです。

そのままいれば重役か社長になれたかもしれないのに、組合運動やったり共産党にかぶれたり。あの時代、インテリのぼんぼんは左翼にかぶれがちだったから。それで会社をやめて設立したのが、現代ぷろだくしょんだったわけ。

でも所詮は坊ちゃんだからお金のことがまったくわかっていない。俳優の山村聰さんが脚本・監督を務めた『蟹工船』(小林多喜二原作)を製作したときなんて、実際に工場を造ったらしいです。リアリズムが大事だとか言って。

今のお金で何億という額を使っちゃったんじゃないの? 知り合う前の話だけどね。そんなことをやっているから、出会ったときの典吾に財産という財産はなにもなかった。

最初、典吾が近づいてきたとき、思ったのよ。女優に復帰できるかもって。とんでもない見込み違いだった。それに典吾は東宝にいたといっても管理職だから、現場のことがあまりわかっていなくて、結局、私が裏方の仕事をすることになりました。まあ、「2人で障がい者映画をつくろう」なんて、私も理想に燃えちゃったんだけど。

子どもを家に置いておけないから現場に連れていくと、当時の映画界は完全な男社会だから、「子連れ狼と仕事しなきゃいけないなんて、冗談じゃない」となじられる。社長の妻という立場は一切関係ない。そんな甘い世界じゃないです。

借金取りも押しかけてきたし、典吾からは「プロデューサーはお金を出すのが仕事だ」と言われるし、ありったけのフィルムを買い込んで、幼い娘たちのリュックに詰め込んでロケ地まで運んだこともありました。

それでも私が裏方の仕事を続けたのは、お金の管理ができる人が誰もいなかったからでしょうね。たとえば雨を降らせるとするじゃない。撮影で大量の水が必要なときは特機車を借りるか、予算を抑えたいなら消防車を借りるんだけど、これがけっこうお金をとられるの。大事なのは金銭交渉(笑)。

 

 

『はだしのゲン』を撮ったときは、いかにわが国の未来にとって有意義な作品か、大風呂敷広げてでも説明して、金銭面で協力してもらえるよう交渉しました。お金の工面は苦労が尽きませんよ。企業に出資を頼むと、企業の言いなりの映画になってしまうしね。

気がついたらプロデューサーになっていたわけだけど、典吾は約束通り、障がい者をテーマにした映画を何本も撮ってくれました。

 

監督への道を歩き始める

典吾が亡くなったのは98年です。亡くなる少し前から、私は娘たちとの日々を描いたアニメ映画をつくりたくて、出資者を求めてあっちこっちに手紙を出していました。

出資してくれそうな人に会いに福岡まで行ったものの話がうまく運ばず、ついでに宮崎の高鍋まで足を延ばしたら、以前から映画の題材として話に上がっていた石井十次(いしいじゅうじ)の銅像が立っていました。改めてどんな人だろうと思ったら、日本にまだ福祉という概念がなかった明治時代に、岡山に日本初の孤児院を作った人だっていうじゃない。銅像はあるけど出身地の高鍋でも忘れられかけていると知り、なんとかしたい、と思いました。

高鍋の人たちと会うようになって、「映画を撮りたいそうだけど、いくらかかるの?」と聞かれたから「1億円」と答えると、椅子から転げ落ちてたよ。「そんな金、作れるわけないでしょう」って。

 

 

だから私、「映画ができたら観られる、という製作協力券を1枚1000円で買ってもらって、それを資金にするんです」と説明したの。そしたらその場にいた女性が「面白い! あなたを気に入った。やるだけのことをやろう」と言ってくれました。

結局、先ほど話したアニメ『エンジェルがとんだ日』と、石井十次を描いた『石井のおとうさんありがとう』を私が撮ることに。典吾が死んで会社を閉鎖するかどうかという話も出たけれど、ここから私の監督人生が始まったんだね。

『石井のおとうさん~』は宮崎の新聞社からも取材されました。出演は松平健さん、永作博美さん、辰巳琢郎さん、竹下景子さん……と超一流。でも監督の名前は聞いたことがないって書かれてさ。(笑)

そういえば、内田吐夢監督の息子がうちの事務所にいた時期があったの。そのとき「チャコさんは映画監督になれるよ。絵が浮かんできて、それが目の前で動いてるんだもんな。典吾は絵が止まったまんまなんだよ」と言ってくれた。あのとき典吾はそっぽ向いてたけど(笑)、私にとってその言葉が背中を押してくれた気がしています。

 

 

声を上げなければ社会は変わらない

3~4年に1本のペースで撮ってきたけれど、情勢に合わせてテーマを選ぶこともあります。安倍晋三元総理が憲法改正を声高に主張するようになったときは、『山本慈昭(じしょう) 望郷の鐘―満蒙開拓団の落日』を撮りました。

山本慈昭は中国残留孤児の帰国のために奔走した人物で、安倍さんの祖父の岸信介元総理は満蒙開拓団の生みの親の一人でもある。こうした国策の負の歴史を突きつけたい思いがありました。

この映画は途中で資金が尽きて、一時撮影が止まっちゃったの。でも山本慈昭の故郷、長野県下伊那郡の方が田畑を担保に入れてお金を借り、製作協力券を1万枚買ってくれました。

 

 

長野県は全国最多の開拓民を送り出したところでもあるんだけど、追加も必要になるほど券が売れて、損が出なかったと聞いたときは嬉しくて。忘れられませんね。県内の映画館で半年も上映されたので「ギネスもんだねえ」とみんな喜んでいましたよ。

2018年は医学部の不正入試が取り沙汰された年。東京医科大学などの入試で女子合格者を減らす得点操作が発覚したでしょう。こんなことがあっていいのか、と怒りに震えたね。女性に医師の認可を与える制度がない時代に、近代日本初の女性医師として生きた荻野吟子を題材に、『一粒の麦 荻野吟子の生涯』を撮りました。

 

女性の権利獲得や地位向上のために尽力した人物を何本か撮ったし、また知的障がい者をテーマにした映画を撮ろうと思ったのが、今回の新作です。

時代はよくなりましたよ。福祉も変わってきたと思う。長女が小さいころは、障がい者の子どもが生まれると経済的にも困窮したし、後ろ指を指されるし、変な勧誘も受けるし、将来への不安で一家心中する家族も少なくなかった。

そんなとき、美濃部亮吉都知事が「死なないでください」というメッセージとともに、障がい者の生活支援や施設づくりを進めていきました。欧米の福祉政策の影響もあっただろうけど、自治体や制度を動かし、日本の福祉を確かに前進させたのは、なにより当事者家族の声だったと思いますよ。

 

 

長女は今62歳。障がい者施設で暮らし、障害年金ももらっています。だからなんとか生活ができている。

今日も、庶民の生活を知らない人たちが政治をやっていますよ。子ども一人育てるのに、今は3000万~4000万円はかかるっていうんだから大変な金額じゃない。

若い人は生活が苦しくて子どもを産むのもためらっているのに、政治家はパーティー券で私腹を肥やしたり、めちゃくちゃでしょう。おかしいと思ったことは、声を上げないと。それを恥ずかしがったら世の中は変わりませんよ。

私がこの年齢まで映画をつくる原動力は、「怒り」です。世の中が多少よくなってきたからって、命を奪ったり、傷つけたり、差別したりする社会は変わっていないから。だからこの怒りが続く限り、映画をまた撮らなきゃいけないんでしょうね。(笑)

 

 

 

山田火砂子さんの記事が掲載されている『婦人公論』5月号は好評発売中!


『京都上賀茂あやかし甘味処 鬼神さまの豆大福』

2025年02月06日 23時34分49秒 | 

朝比奈希夜『京都上賀茂あやかし甘味処 鬼神(きしん)様の豆大福』小学館文庫、2019年

登場する和菓子

引千切(きちぎり):京都の桃の節句には欠かせない上品な和菓子のこと。丸く延ばしくぼみを作った餅に餡やきんとんをのせたもので、その餅の一カ所が引きちぎったような形であることからこう呼ばれている。/なんでも宮中で餅菓子を作るときに手が足らず、餅を引きちぎったことから、この形になったんだとか。P.15

みたらし:黒砂糖を使った甘辛いたれのだんご。五つのだんごのうち一番上のひとつだけ離れているのは、人の形を表している。そもそもみたらしだんごは、下鴨神社境内の糺の森の御手洗池に湧き出る水の泡をかたどったのが起源だ。P.22

桜餅:関東風と関西風と異なるらしく、関西風は、つぶつぶの道明寺粉でこし餡を包む。わらに京都の桜餅の特徴としては、これを二枚の桜の葉の塩漬けで挟んであること。しかも桜餅といえば薄いピンクの餅を想像するが、京都は白に近いことが多い。P.58

玉椿:京都には欠かせない白餡を原料にした〝こなし〟と言われる生地を使ったもの。/〝こなし〟は白のこし餡に小麦粉や上用粉などを混ぜて蒸し作る生菓子。〝練り切り〟とよく似ていて見分けがつかないが、練り切りはつなぎに求肥などを使い、蒸すという工程がない。/薄い桜色をつけたこなしで餡を包み、椿の花のように成形している。P.64

三笠焼き:関東ではどら焼きというのが一般的だが―p.69

初桜:桜の花びら一枚をかたどった練り切り。P.93

菜種きんとん:餡の周りに若芽の息吹を感じる若苗色のそぼろ餡をつけ、さらには菜の花を思わせるような黄色のぞぼろ餡を散らしたもの。P.93

水無月:京都生まれの和菓子で、六月に並ぶ人気商品。〝夏越の祓え〟といって、本来は一年の半分が経過した六月三十日に穢れをはらうために食すのだが、人気があるのでいるも月の半ばから販売する。ういろうの上に小豆をのせた三角の水無月の中でも、雲龍庵のものは大きめの小豆がごろごろのっていて甘さ控えめなのが特徴だ。P.157-158

麩まんじゅう:夏の時期の和菓子。生麩で作った歯ごたえのあるつるんとした生地でこしあんを巻いた和菓子だ。クマザサで包み店頭に並べる。P.171

水ようかん:竹にはいった水ようかんは、ほのかな竹の香りも楽しめる。普通のようかんより寒天の分量を減らして作るため口当たりが柔らかいのが特徴。P.171

錦玉羹(きんぎょくかん):練り切りで金魚や恋し、水草などを丁寧にひとつづつ作り、それをほんのり青く着色した寒天に閉じ込めた、食べるのがもったいないような和菓子。少しずつ寒天を固まらせては、練り切りを置きまた寒天。そして別の練り切りを置くという作業を繰り返すので、立体的に仕上がり、本当に金魚が泳いでいるように見える。P.171-172

栗甘納豆:渋皮ごと上品な甘さに仕上げてあり、いくつでも食べられるおいしさ。P.171

お月見だんご:中秋の名月を楽しむこの時期は、お月見団子が販売される。丸くて小さなだんごを四角錐形に積み上げる地域が多いが、京都は違う。/どうやら中秋の名月は別名芋名月というらしく、里芋の形に似た細長いだんごにこし餡がまいてある。P.173

姫菊:

はさみ菊:糸切りばさみのような細工用のはさみで、練り切りの表面に一枚ずつ反ビラの切り込みをいれていく生菓子で、まるで芸術品のよう。花びらの間隔や大きさをそろえないければ美しくないので、熟練した技術が必要になる。

こなしの柿:

餡:砂糖を加えてからの練る作業が重要で、これまた職人技。気温によって練る時間を変える必要もあれば、砂糖の量によっても異なる。そして火を止めるタイミングは、…『豆に聞け』」p.268

豆大福:

「豆大福は俺たちを生かした大切な和菓子だ。」

「じいさんが俺に最初に食わせてくれたのが、この豆大福だ。これに救われて、今がある」「ふたちを拾ったときにも、これを食わせた。じいさんは、和菓子を通して俺を絶望からすくい上げてくれた」と成清と小太郎・小菊と天音の祖父との関係を語る。P.230-231