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ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

年忘れ…

2006年12月31日 14時39分45秒 | その他
 最後に残った連絡などをメールでしながら、いろいろ考えました…思い起こせば、今年もいろいろありました。

 夏休みまでは、全障研大会と概算要求で大変。それが終わって、権利条約特別委員会へ。12月13日には障害者権利条約が国連総会で採択されました。生活教育の分野では、沖縄の研究集会の後、いろんな事が起こり…。それと平行して、特別支援学校免許の課程認定で、全国的に大変な状況となりました。年末には、センターの設置の件などがありました。来年度からは、特別支援教育の全面実施です。年々、仕事は厳しくなり、発達につながらない「葛藤」ばかりで、「年忘れ」で忘れたいことも多々ありました。

 来年は、よいことがありますように!みなさんもよいお年を…

絵本と障害

2006年12月30日 17時26分59秒 | 絵本
 午前中、ゆっくりしていると、三学出版のNさんから電話。

 Nさんと会って、お茶を飲みながら、来年のことを語る。「障害者権利条約」「インクルーシブ教育」などなど…いろいろやりたいことはあるけれど、とりあえず、やって楽しいことをということで「絵本の中の障害-障害理解の絵本・ブックトーク(仮)」を相談する。ブックリストを兼用するようなもので、さらっと読めるように、ちいさめの本にする(400字×100枚くらい)。…そんな事を話し合った。
 冬休みに、構想をねって、ブログ上で書きためていくという方式で、来年度半ばにはまとめ上げたい。このブログのカテゴリーに「絵本」の項を付け加えた。できたら、シリーズで出したい。1月末くらいにもう一度会うこととなる。

 帰宅してから、年賀状書き。昨日までの疲れで、頭が重い。宛先の人を思いながら、一言添えるので疲れる。夕方、ようやく一段落。年々、仕事が遅くなる。

前頭葉の機能不全

2006年12月29日 20時33分33秒 | 大学
寒い日でした。京都は雪が降ったようです

昨日に引き続き卒論の検討。午前中学部の2人、午後に特別専攻科の2人。その間、韓国に留学していた4回生のHさんが帰国したので、4回生で開いた「おかえりなさいパーティ」で昼食(ピザ、昨日の残りの豆腐、フライもの盛り合わせ)。
午後になって特専の修了論文を読んでいると、「おじょー」が朱の入った論文草稿をとりに研究室に。あんこの入った餅を持ってきたので食えとのこと。疲れていると、甘いモノを求めてしまう。あんこ餅を2つも食べてしまう…。4人の卒論の検討を終えたとき、前頭葉が働かない…、コントロールが利かないし、しゃべれない。疲れ果てて、5時には帰宅。

電車の中で、少しずつ読んできた白澤琢・土岐邦彦『障害児と遊びの教育実践論』(群青社、2006.7)の最後の部分を読む。「わくわく・ドキドキ」がキーワードらしいが、実践記録としてはイマイチ、面白いとは思えなかった。「遊び」に期待しすぎたのか、「わくわく・ドキドキ」に期待しすぎたのか…。生活グループと発達課題別グループそれぞれの遊び(特に、生活グループでの遊びが中心)を紹介・検討していたが、背景となる集団編成や教育課程の編成について説明がないので、どのような基盤の中で遊びの実践が展開しているのかが不明。小学部の実践であることも、実践を評価する際には留意する必要があろう。子どもの姿をもっと示した方がよいと思う。現在の遊び論との関係での心理学的な論究もあるが、通常の子どもの姿での遊び論を援用する論究にはちょっと疑問を感じるところもある。

しかし、いずれにしても今日は前頭葉の機能不全、頭が回らない状態-頭が回転しない感覚が自分でわかる。そんな状況で、みなさまには失礼しています。ごめんなさい!

熊を食らう

2006年12月28日 21時42分58秒 | 大学
 仕事納めの一日
 しかし、仕事納めとはならず…卒論の検討6人。その間、鹿を研究しているT先生が来て、自然教育演習室で忘年会をすると言う。検討が終わった「おじょう」を行かせると、熊と鹿を食ってきた。「うまい!」とのこと。携帯の写真を見ると、幼稚園長のM先生(コウモリを研究している)も下品に食っている。
 さっそく、論文検討を終わらせ、演習室に…。熊を食らう…はじめはうまいとおもったが…どうも固いし、味も変…。この熊は、静岡の大井川付近で取れたモノらしい。鹿のシチューは柔らかくなっていてうまかったが、熊は噛めば噛むほどダメ。

 昼食は、特別専攻科の人たちが授産施設のパンでサンドイッチをつくってみんなで食する。夕食は、これまた、授産施設の豆腐で湯豆腐やすき焼き豆腐を食べる。いろいろ食った一日だった。

卒論の検討では、検討した論文の草稿を研究室においていきやがったやつがいる-熊を食らって「うまい」といっていた「おじょう」さんです!すぐ取りに来い

和歌山で1泊

2006年12月27日 21時33分06秒 | その他
集中講義の後、和歌山滞在。
和歌の浦を見下ろせる旅館で1泊。温泉にはいってちょっとゆっくりする。
今年は本当にいろいろあったことを思い、ビールを一杯
朝風呂をあび、チェックアウトの時間までゴロゴロ。

ただ、ちょっとショックだったこともあった…来年の目標はダイエット!
和歌の浦の朝日に誓う!

午後、帰宅。車の運転で疲れて、寝てしまう…。

W大学集中講義

2006年12月26日 13時53分21秒 | 大学
W大学の集中講義(障害者社会関係論)

ずいぶん前の知り合いのMさんが学生で来ている。どうしよう!

講義は、障害者社会関係論というものなので、1955年に起こった森永ヒ素ミルク中毒事件を素材にしつつ、自己紹介をかねて、1975年に上梓された「はせがわくんきらいや」を紹介。1975年つながりで、障害者の権利宣言に触れ、その後、国際障害者年、長期計画、国連・障害者の10年などの流れを説明。あわせて、WHOの障害の3層構造論や障害の重い子どもたちの教育権保障の流れ(1970年代-1975年には全障害児教育法など)も説明。午後からは、国連障害者権利条約の説明。講義をしていると、声がかすれて出なくなってしまった。ちょっとピンチ。

雨がすごい。ちょっと早めの4時に終わる。次回は、1月9日。

クリスマスというのに

2006年12月25日 23時26分48秒 | 研究会
朝、病院へ。とにかく混んでいる。いったん、診察券をいれてから、家に帰る。結局、11時半に診察がおわる。

そのまま、京都駅経由で近江八幡へ。2時から、Y養護学校中学部の学部研究会。
実践の共有化ということで、あるクラスの授業のビデオをみる。国語の授業で、イカを焼いていきながら、その様子で文章をつくるというものだが…。
その後、各グループでの検討の状況の報告(学部目標をどのように各グループやクラスの目標とするのか/各クラスの教育課程について)と質疑。よく分からないところが多いので、いろいろ質問してみる。
そして、主事から、学部研究の経過と到達点の整理の提起があり、それにコメント。要するに、教育課程の編成と集団編成をどのように行うか-それとともにいろんな概念がとびかう(教育階梯など)…教育課程と集団編成の問題は基本問題だが、しかし、いつも堂々巡りの議論が続くことも多いやっかいな問題。だから、障害児の教育課程論は学習指導要領の解説か、逆にその批判で終始する傾向がある。研究者がほとんどいない分野となっていることも事実であり、現場の言葉や考え方を基礎にしながら、それを批判的に再構築するだけの構成力がもとめられる分野であるが、だれもそのような辛気くさい仕事はしたくない。いっこうに「研究」にならないのであるから…

教育実践の構造的把握、教育課程の問題は時間がかかるのだが、現場はそれを許してくれない

中学部はいがいとおもしろい学部かも知れない。小学部からは、突き上げられ、高等部からはこれだけはといわれ…でも、思春期の新しい変わり目でもあり…。発達課題というより、教育課題が問われる。この教育課題は、高等部の自立や進路の課題ともつながるが、直線でつながると言うことでもない。適応でもなく、やはり「教育課題」なのだと思う。

クリスマスイブというのに…

2006年12月24日 22時25分12秒 | その他
クリスマスイブというのに、1日缶詰の会議。
7時半に家を出、喫茶店でモーニングを食べ、9時半前に到着。
そこから、昼食を挟んで、5時半まで、いろんな層の方の報告を聞く。それなりに面白かったが、内職で卒論の点検(2人分を読む)。
会議で、B先生とあう。いろんな話をする。
会議の後、外へ出るともう暗くなっている。大学へよってとりあえずのものを研究室から持って帰る。

寄宿舎研究会の今後

2006年12月23日 23時56分19秒 | 生活教育
午後から、近江八幡で寄宿舎教育研究会常任委員会。

京都駅からのJRは、大津で人身事故のため遅れていた。早めに出ていたので、影響はなかった。近江八幡で昼食をかきこんで、婦人会館へ(ちょっと分かりにくい所でした)。

和室に、机と椅子のちぐはぐなセッティングで、1時半過ぎから会議が始まる。
1.沖縄集会(生活教育研究集会)の総括-プレ集会との比較で、若手の人たちの成長が報告され、プレ集会の存在の重要性が浮かび上がった。沖縄の、若手の指導員の層が新鮮。しかし、受け継ぐべきものは多くあるものの、それを誰に、どのように伝えるのかは不明なことが寂しい。
2.この間の寄宿舎を取り巻く状況(滋賀の心中事件、貝塚養護学校の学校指定の取り消し問題など)。和歌山の養護学校の統合による寄宿舎の廃舎問題については報告がなかったです。議論で気になったのは、「責任」とか「姿勢」という言い方。機能主義や分担主義への戒めではあるが、しかし無限に努力を強いるような内にこもるような語感がする。
3.春合宿の持ち方-テーマをめぐって、「特別支援教育と寄宿舎」の関係のとらえ方。特別支援学校の中での寄宿舎の位置づけの問題。

 特別支援教育は、障害児の生活現実を視野に入れていないし、寄宿舎の役割を位置づけていないのは、当たり前のことである…官僚の作文なのだから…と思う。そういった作文をしながら、既存の枠組みを変えて、どのように予算をとってくるかが官僚の考えるところである。構造改革はその既存の枠組みを「ぶっこわす」として国民の歓声をあびたのである。新自由主義の席巻の中で、もともと弱かった「福祉国家」論は後退し、教育、医療、社会福祉・社会保障の土台が沈んでいく。そこをみないと、個々の事象の羅列になる。


岩波新書に『ものいわぬ農民』というものがあったことを思い出した。大多数の「ものいわぬ者」の「沈黙」の意味を考えたい。「物言う納税者」というが、しかし、その代表が村上ファンドの代表者のようなものだったりする。しょうもないことを「物言う」人もいる-それで本質が曖昧になったりする。

特別支援教育研究センターの設置

2006年12月22日 23時48分12秒 | 大学
来年度の予算の内示があった。大学交付金は、全体で1.4%削減ということで、全体として大学は厳しい予算編成である。なにせ、教育・福祉・医療では国民の負担は大である…。
その中で、競争的経費や特別の予算をとるというのが大学に強いられている。それは、通常の業務に加えて特別の努力をしないといけない仕組みである。だから、なにもしなければそのまま沈没していくし、しかし進むのも地獄ということである。
そういう中で、「特別支援教育センターの事業」が教育改革のプロジェクトととして予算の内示があった。静かに、センターを設置して、そして身の丈にあった事業をやればと…だから、今年は通らないのではないかと思っていたし、通ったら大変なことになると思っていたのだが…。通ってしまった…。
昼休みに話を聞き、その足で、いろんな人にお願いに…。4コマ目の授業をしてから、Kさんともその話し。その後、5時半から、設置準備委員会で会議。お披露目でおわりと思っていたら、概算要求が通ると、実にいろんな課題がでてきて議論の時間もかかった。2時間以上にわたって会議が続いた。

今日1日、疲れた

生物学者の幼稚園長

2006年12月21日 21時28分35秒 | 大学
 昼食に生協に行くと、幼稚園長のM先生と会った。
 11月末から12月のはじめにM先生とは会わないことにしている。というのは、幼稚園の12月最大の行事、クリスマス会があるからだ。「サンタクロースをやれ」とやいやいといわれるのに決まっているからだ。そんなに熱心なら、教授会で、教授で輪番制にしてサンタクロースをやってくれと提案すればいいのに!まずは率先して、学長がサンタ役をやるべしですね。

 とにかく、今年も逃れることができた。悲惨だったのが、一昨年。保護者講演会、幼児教育セミナー、そしてサンタクロースと3連チャン。保護者、先生たち、そして子どもたちとそれぞれを喜ばすのは大変なことだ。

 今日は、幼稚園の先生たちの研究のことをM先生愚痴りだした。要するに、大学の付属の幼稚園なのなのだから、研究をしないといけないのに…それができていないということだ。幼稚園での研究課題はどんなことがあるか指導してやってほしいというのだから、「園長自身が自分でやれ」と一言でおしまい。
 このM先生、教育ということがちっともわからないという。科学は、自然科学だけじゃないんだ、人文科学もあるじゃないか-だから、教育実践を文学として記すというのも一種の「科学」というのだが、ちっとも納得しない。
 M先生は、自然環境教育センターでコウモリの研究をしている。洞窟に入って、洞窟の上にくっついたコウモリの写真をとって、それを引き延ばして、コウモリの数を数えたりしている。コウモリの出す超音波を受信する機械をつかって、どのようにコウモリが飛んでいるのかを調べたりもしている。そこで、そのコウモリ研究を応用して、幼稚園の定点観測ということで、写真をとって、子どもがどこで、いつ、なにをしているのかを写真でプロットしていくというのはどうか、子どもに発信器をつけて、どんな行動範囲なのかを調べるのもいいではないか-そんな提案をしてみる。
 でも、そんな提案をしないといけないということだから、まず、園長先生自身、幼児教育や保育の関係の本を読んでみたらどうでしょうか(絶対にしないと思うが…)。自然科学の大家が、園長をするのもなかなかおもしろい。

 午後から、3回生のゼミ(実践のビデオをみる)、大学院の授業(「夜明け前の子どもたち」後半と糸賀一雄の業績について)。公開講座のテープおこしをバイトでお願いし、その後、会議。院生のYさんがなぜか荒れていた。やいやいいうので、よけいに荒れたようだ。
 帰ってから、書籍紹介の原稿の校正。1頁におさめろというムリな注文

会議…会議…会議

2006年12月20日 23時39分48秒 | 大学
朝、大学院生たちと大学近くの通園施設へ。発達障害支援センターも併設しているので、両者の取り組みを見学させていただき、いろいろ聞かせていただいた。この10月に通園施設に適用された障害者自立支援法によって大きな波をかぶった。負担が多くなって施設の通所をやめた利用者、そして施設経営は、これまでの3分の2しか収入がなくなったという。それでも、子どもたちは、椅子に落ち着いてすわって療育をうけていた。
通園施設を後にして、近くにある通所授産施設に。大学院生を見学させ、昨日した年賀状コンクールの結果を施設長に渡す。その喫茶で、コーヒーをいただく。

2時過ぎから、会議。その間、論文の査読をする。3時から子どもが来るので準備して、4時に会議を抜け出して、子どもの所へ。指導のKさんと交代で、お楽しみの将棋をする。ビックリするような手をうってくるが、まだまだ…勝利!子どもを帰して、また、会議に戻る。会議の終わった後、6時過ぎからまた会議。
要するに、2時過ぎから、会議が3つ。大変でした

家に帰って、「その時、歴史が動いた」で石井筆子の生涯をやっていた。録画-明日は、障害児教育に歴史にふれてみたい。

年賀状コンクール

2006年12月19日 22時26分26秒 | その他
今日は

ゆっくり目に大学へ。
4コマ目が1回生の基礎ゼミ。はじまる前に、レジュメをつくっておいた。
はじまる前に、頼まれていた通所授産施設の年賀状コンクールの作品の選定をする。最優秀賞1、優秀賞3、がんばったで賞2、審査委員長特別賞2を、1回生といっしょに選んだ。「可愛いで賞」とか、いろんなコメントを付けてもらった。1回生は14人だが、10人くらいがいろんなことをいいながら選定してくれた。遠巻きの人は、よく見れないので、そうなった。ゼミは、10人までが良いということなのだろうか。今度、この学生さんたちを、その授産施設に連れて行きたいと思っている。14人はちょっと多いか…。
1回生のゼミは、『障害児と教育』の第1章の続き(活動と子どもの発達/活動と障害の制約)から、第2章「障害児をどう捉えるか」まで進む。あとは、各章を2~3人に分担してもらって、年明けのゼミで発表の段取りをとる。

審査委員長特別賞の賞品を特別専攻科の学生さんに買ってきてもらった。明日、通園施設の見学の帰りによって、おいてこようと思う。

夜は会議

自閉症のこと

2006年12月18日 23時54分36秒 | 大学
北部は、でも小雨がすこし。寒かったです。

K教育大学の講義は今日で終わり。概論は、自閉症に関して述べる。「わが子は自閉症」のVTRを使ってたが、1歳半ば頃のビデオがあったりして、小さい頃のエピソードがよく示されていた。しかし…、自閉症についての確定診断が5歳になったとか…ちょっと考えられない。幼児期の療育が不在で、二次的な問題を起こしているように見える。両親の子育てに焦点が当てられていて、家庭以外での早期対応や学校教育などを映像では捉えていない。どうなのか…。
特別専攻科の講義では、おもちゃの話や脱線した話が主。がんばって、修了論文を書いてほしい!

ようやく、今年の講義も今週で終わっていく。でも、卒業論文の検討など、まだまだ積み残した仕事は多いので、頭も重い。甘いものを…と思ってケーキセットで一息つく。

帰ってから、CDのコピーやらなにやらとばたばたしていた。コピーの間、武部隆『自閉症の子を持って』新潮新書を読む。比較的「軽い」自閉症の子どものの子育てで直面した問題を記している。「軽い」から対応が遅れる問題など…対応の場が少ない問題は深刻である。著者は、時事通信社の記者。

ドクさんの結婚

2006年12月17日 21時25分31秒 | その他
朝早く電話で起こされて、その後、寝てしまい、午後も、髪を切りに行って、その後、寝てしまう。一日、寝ている。

昨日から、ベトナムの結合双生児の一人、ベトさんの結婚の報道があった。もう、25歳になったという、分離手術からもう18年がたった。思い起こせば、ベトちゃんドクちゃんのことは、当時滋賀大学の藤本文朗先生が、在外研究先にベトナムを選び、そこで2人にあったことがきっかけとなって、日本との交流が行われたのだった。藤本先生は、2人の主治医だったファン博士から、2人にあった車いすをと要請され、日本に帰国。その足で、福井の脊椎損傷で寝たきりになっていたエンジニアに設計を依頼。車いすを送る運動を、「ベトちゃんドクちゃんの発達を願い会」を組織して、開始した。事務局長の役割を、福井の車いす司書をやっていた河原さんが担った。その後、藤本先生たちは何度もベトナムに行ったし、ベトちゃんが急性脳症を患ったときの日本への移送と治療の下支えをした。藤本先生は、滋賀大学を退官したが、いまでもベトナムとの交流をしているようだし、また、その後をついでいる先生方もおられる。

藤本先生になぜ「ベトナム」と問うたことがあった。やはり、ベトナム戦争のことが引っかかってのことで、郷愁にも似た気持ちもあるといわれたことを思い出す。ベトナムが解放されたのが、僕が大学の2回生の時、1975年-この年、国連では「障害者の権利宣言」が出された画期的な年だ。今年の8月、国連の第8回障害者権利条約特別委員会の傍聴に行ったとき、ニーヨーク国連本部の手前の広場で、ベトナムへ従軍した韓国兵士で枯れ葉剤の被害を被った人たちがアメリカへの抗議行動の集会をしていた。

戦争と障害の発生をベトナムは訴えている。ドクさんもインタビューの中で平和を強調していた。枯れ葉剤など化学兵器の問題など、今後も考えていきたい。

※枯れ葉剤
ベトナム戦争中の1961年から71年、米軍が解放勢力が隠れる森林をなくすとして、猛毒ダイオキシンが含まれた「枯れ葉剤」7600万リットルをベトナムに散布。ダイオキシンは、発ガン、先天性障害、身体機能障害の原因物質とされ、散布地域では障害を持った子どもが多数生まれている。ベトナム人300万人以上が影響を受け、土中や水中に残留したダイオキシンにより、今も影響が続いている。