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ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

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戦後特殊教育の発足の光と影-[沖縄戦]沖縄出張法廷での安仁屋政昭さんの証言

2015年09月05日 19時00分01秒 | 大学
戦後特殊教育の発足には光と影の部分がある。

NHKスペシャル アニメドキュメント「あの日、僕らは戦場で~少年兵の告白~」(2015年8月11日)が放映された。
概要をNHKのホームページでは次のように記している。

 「目の前で幼なじみが撃たれ、倒れた。ぼくは彼を見捨てて前進し、戦闘を続けた。あの時、ぼくの心は異常だった・・・」(当時16才)
 沖縄北部の山岳地帯で米軍と戦った少年兵がいる。戦後70年経った今、30人余りの元少年兵が戦争の秘められた事実を語り始めた。証言や未公開の資料から、少年たちは、陸軍中野学校の将校たちからゲリラ戦の訓練を受け、凄惨な戦闘を繰り広げていたことが分かった。さらに、「本土決戦」に向け、全国各地で少年たちによるゲリラ部隊が計画され、訓練が進められていたことも明らかとなった。彼らが、どのように身も心もゲリラ兵に変容させられていったのか。証言をもとに、少年たちの戦闘体験をアニメにして、幅広い世代に伝える。また、日本やアメリカで新たに発掘された資料を分析。「一億総特攻」に向けて、子どもが戦争に利用されていった知られざる歴史を伝える。

戦後、障害児教育の発足についての証言をする方から、次のような[沖縄戦]沖縄出張法廷での安仁屋政昭さんの証言記事のことを伺った。

「これは戦闘部隊ではございません、敗残兵が入り込んでいることも関係しておりますけれども、もともとは、ここに特務教員と島の人々は言っておりますが、これは第三遊撃隊から派遣された、いわゆる残置諜報員のやったことであります*2。当時、菊地義夫という陸軍少尉が伊平屋島におりまして、馬場という軍曹が伊是名島におりますが、この二人が共同して、国民学校の教員という名目で島に入り込んでいるわけですね。この人達が沖縄風の名前に変えて、例えば菊地少尉は宮城太郎という沖縄風の名前に変えて島に潜り込んでいて、厳しい住民監視をしながら、不時着した米兵も虐殺をすると、行商人の、本部出身の人ですけれども、これもスパイ容疑で虐殺をすると、奄美出身の少年の言動がスパイとみなされて虐殺をされております。こういうことをやりながら、菊地少尉は戦後、斉藤義夫というふうに名前を変えまして、なんと沖縄が復帰した一九七二年に、琉球大学の教育学部の教授として沖縄に赴任をしてきていると。で、「沖縄は私の第二の故郷だ」などと言っているわけですけれども、自分の、島で行った行動について全く反省がないというふうに私共は思っております。」

東京学芸大学、琉球大学、筑波大学などの戦後特殊教育施策の中での役割も含めて、ここに登場する方について戦後特殊教育の展開過程の中で役割を確かめたいと思っている。

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1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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子どもの兵士 (歴史記録)
2015-09-22 21:28:16
 アフリカ・中米などの少年兵のことは知らされているが、それでも極めて不充分だと思います。沖縄戦の時は、現在の小学生ぐらいの子どもたちが兵士にさせられ虐殺された。いや本土から来た兵士は沖縄に米軍が上陸したとき沖縄の人々を殺した。赤ちゃんや子どもを抱いて逃げ続けたお母さんの話をしっかり胸に抱いていた久御山にすむ人の話を聞いた。戦争は殺戮しかないと思う。
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