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原題:『千里走単騎』
監督:張芸謀(チャン・イーモウ)/降旗康男
脚本:鄒静之
撮影:趙小丁/木村大作
出演:高倉健/寺島しのぶ/中井貴一/リー・ジャーミン/ジャン・ウェン/チュー・リン/ヤン・ジェンポー
2005年/中国・日本
関係を崩壊させる人間関係の濃密さを薄める方法について
「メディア」というものを考えてみたい。主人公の高田剛一は末期の肝臓癌で入院中の息子の健一に代わって中国南部の雲南省まで舞踏家の李加民(リー・ジャーミン)が演じる仮面劇『単騎、千里を走る。』を撮影しにいくのであるが、彼は罪を犯して3年の懲役を受けていた。どうしても李加民に会って撮影したい高田は何故か「ビデオ」を通して外事華僑事務所の李主任など責任者たちを説得し、監獄管理局の許可を得て李加民に会えることになる。
ところが現われた李加民は息子に会いたいと泣き通しで、踊る気配すらない。高田は石頭村に住む彼の8歳になる息子のヤンヤンを連れてこようと試みるのであるが、実はヤンヤンは父親に会いたくなかったのである。高田はヤンヤンの気持ちを忖度し、再び李加民を訪ねると、ヤンヤンの本心は言わないまま、写してきた写真を「ビデオ」で見せることにする。
父親がわざわざ自分のために中国に行ったことを知った息子の健一は父親に手紙を認める。健一は自分たちの関係はまるで仮面劇のようだと例え、「笑いころげる影で歯をくいしばる自分、怒って踊りながら涙を流す自分」は今の自分には意味のないことで、お互いかぶっている仮面を脱いで素顔で話がしたいと書くのであるが、それは「手紙」と「妻」の理恵と「電話」を介して高田に伝えられるのである。高田が中国に行ったきっかけも健一が撮っていた「ビデオ」を観たからであり、「直接」では失敗してしまう人間関係は様々な「メディア」の媒体を通して「理解し合える」というアイロニーが描かれている。そもそも高田が現地の人々と上手く付き合うことができたのは、お互いの国の言葉を「理解できない」おかげなのである。
本作は『映画 深夜食堂』(松岡錠司監督 2015年)と似たようなテーマが扱われていると思うが、高倉健の存在感を残したまま、自分の作風も失わずに演出できる張芸謀監督の腕の確かさがうかがえる。