MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

オットー・ネーベルの作風について

2017-11-25 01:41:28 | 美術

 渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムでは「オットー・ネーベル展 Otto Nebel」が

催されている。

 当初、ネーベルの作風はマルク・シャガール(Marc Chagall)の影響が濃く、例えば

「アスコ―ナ・ロンコ(Ascona Ronco)」(1927年)という水彩画はシャガールの

作品といわれても疑わない程である。

 やがてネーベルの関心は建物内部に向かう。これは同時代のドイツ系アメリカ人画家の

リオネル・ファイニンガー(Lyonel Feininger)が建物外部に関心が向かったことと対照を

なすそうである。

 「高い壁龕」(1930年)頃から規則的なものに惹かれ始めたネーベルは1931年に

「イタリアのカラーアトラス(Color Atlas)」という色彩地図帳を作成する。

 ネーベルはこの地図帳でその場の色調と光彩の強さを形や大きさで表現することで自身の

抽象絵画のベースを築き上げるのである。

 その後、ネーベルは1935年に妻からプレゼントされた『易経』を参考にヘキサグラム

や文字などを積極的に取り入れる。

 「輝く黄色の出来事(Events in the Light Yellow)」(1937年)を描いたネーベルが

他の抽象画家と決定的に違う点は、後期ネーベル作のほとんどが印象派の画家の意図とは

異なる「点描画」であるところで、一筆ではなく手間をかけているだけ、パウル・クレー

(Paul Klee)やワシリー・カンディンスキー(Wassily Kandinsky)などの同時代の画家の

作品よりも艶がありとても美しいのである。


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