ケンのブログ

日々の雑感や日記

初天神

2019年01月25日 | 日記
一月二十五日と日付を書いて
今日は初天神だなと思う。
初天神と書いて思い出したのだけれど
僕のとなりの町に天神さん、つまり
菅原道真ゆかりのお宮がある。
そのお宮の奥の庭に
君がすむ やどのこずえをゆくゆくと
隠るるまでも 返り見しはや

という菅原道真の歌を書いた木の札があった。
そのお宮に行く度に僕はその歌を読んでいたのだけれど
残念ながら昨年の台風でその歌の札はとこかへ
飛んでいってしまった。

またできればお宮の人が新しい札を作ってくださることを
願っているのだけれど、、、。

二十四節気七十二候を見てみると
今日からが大寒のさわみずこおると出ている。
文字通り沢の水も凍るほどの寒さであると書いてあった。
そのわりに今日は日が照って暖かいようにも思う。
しかし日が沈んだらまた寒くなるかもしれない。
それに北日本では大雪とネットのニュースに出ていた。
やはり一年で一番寒い時期なのだと思う。

朝、ラジオを聞いていたら女性のDJと
ゲストの男性シンガーソングライターが番組を進行していた。
「昔はスポーツカーのエンジン音の
レコードがありましたよ。
昔は本物の車は見れない、レーザーディスクや
ユーチューブの映像もないでしょ」とシンガーソングライターが言った。
「吉幾三か」と女性DJが言った。
「だからエンジン音のレコードを聴いて雰囲気を味わったんですよ」と
男性シンガーソングライターは言った。
吉幾三かという女性DJの突っ込みの入れかたを聞いて
やっぱり大阪やなと思った。
とっさに突っ込む瞬発力が素晴らしい。

先日、関西のある女性が膝のしたに包帯をしておられたので
どうされたのか尋ねたら
「かえるのようにこけました」とおっしゃった。
そのときは面白いおっしゃりかただなあ
関西だなあと思ったのだけれど
しばらくたって都会でよく見かける車に引かれた
かえるの姿を思い浮かべて
女性もきっとどきっとするほとひどいこけかただったんだろうな
と思った。
気を付けていただきたいものだなあとは感じる。

かえるのうたへのリンクです






初地蔵

2019年01月24日 | 日記
一月二十四日の日付を見て初地蔵だなと思う。
今月の間はつき一回の縁日はみんな
お初になる通りだなと思う。
今日も今年初めてあった方に
今年はじめてですねと言ったら
そうですねとおっしゃってくださった。
まだ、一月の間は
今年はじめてということがいろいろと意識できるように思う。
昨日ある方に本当に早いですねと何気に言ったら
「そうですね早いですね
師走走る、一月いく、二月逃げる
三月去るで本当にあっという間です」とおっしゃった。
そう言う言い回しを聞くのは初めてではないけれど
最近聞く機会が本当に減ったなと思う。
ちょっとその事で調べてみると
一月いくとか言うのは語呂合わせの言い方らしい。
ただ、一月は新年のいろんな行事であっという間に終わってしまう。
二月は日数そのものが少ない
三月は年度末でやはりすることが多いので早く感じられる
というところから一月いく二月逃げる
三月去るという言い方があるというようなことが
あるサイトに書いてあった。
きっとそういうことなのだと思う。
そういう語呂合わせのような言い方って
きっとコミュニケーションの潤滑油のような役割を
果たすのだと思う。

朝ラジオを聞いていると、日韓の間で
レーダーの照射、威嚇飛行ということで
両国の主張が対立しているというようなことを言っていた。
日露間で北方領土に関する合意もなかなか
得られないというようなことも言っていた。
英国もEU 離脱をめぐっていろいろ意見が対立しているらしい。
なんかいろんなニュースに接していると
今、世界が大変な時なんだなとしみじみと思う。
先日歌声サロンでロシアの民謡に日本語の
歌詞をつけた歌を歌う前にある方が
「ロシアの歌は好きやけどロシアは嫌いやわ」とおっしゃった。
そんな言葉をきくと
米ソの冷戦時代に
アメリカの指揮者レナードバーンスタインが演奏する
ソビエトの作曲家ショスタコーヴィチの音楽は
とびきり素晴らしい演奏だったことをしみじみと思い出す。
先日、歌声サロンの先生のコンサートで
そのレナードバーンスタインの作曲した
ウエストサイドストーリーから
トゥナイトが演奏された。
やはりバーンスタインの音楽はちょっと違うなと思った。
たまたまユーチューブで見つけた
トゥナイトにリンクをはります。
トゥナイトのリンク



もうすぐ節分 立春

2019年01月23日 | 日記
春は短いけれど夏や冬は結構いつまでも暑く
そして寒いので決して短くはないと思っていた。
ところが不思議と今年は冬もまた春と同様に
短いと感じる。
今は暦の上では大寒でまだ
これから寒さもぶり返す可能性があると気象情報では言っている。
しかし、だんだん日も長くなってきて
寒さはまだ続くかも知れないけれど
日差しはもう冬の日差しでないように思う。
僕は今、歌に興味を持っているけれど
例えばクリスマスソング
あとは雪国とか津軽海峡冬景色とかそういう
冬が旬の歌はもうなんとなく季節が過ぎているように
感じる。
本当に今が冬と思えるのは冬至の前後一ヶ月くらいであるように
感じるようになった。
これは今の僕の感じ方だけれど
季節感を意識すればするようになるほど
きっとどの季節もそれぞれに短く感じるようになるのかもしれない、、、。
とはいっても夏の暑さが続くとき
この暑さまだ続くのか長いなあと思うような気もするけれど、、。

このところラジオでしきりと
節分の恵方巻に大量の廃棄処分という無駄が
出ているという指摘がなされている。
本当に最近はどこへいっても
コストのカットという話を聞くけれど
いくらコストをカットしても
商品そのものに無駄が出てもそれをカットしないというのは
私たち人類としてなんか大きな考え違いであるような気がする。
確かに恵方巻はこれほどいっぱい宣伝して
いっぱい売ればそれは商品に無駄が出るような気がする。
コストのカットという意識が
帳簿上の金銭のプラスマイナスだけに払われるとすれば
それはなんだか恐ろしいことのように思う。

恵方巻の他に僕がちょっと怖いなと思うのは
大量に消費される使い捨てマスク。
以前99パーセントウイルスをカットというような
表示が使い捨てマスクにしてあったので
小さい文字までよく読んでみたら
一定の値より大きいウイルスの99パーセントカットと
いうことがわかった。
それだったら家の網戸だって網戸の網目より
大きい虫はほとんど通さないのと
同じ理屈だと思ってしまった。
あるサイトにはマスクはのどを潤すことで
のどの粘膜がウイルスなどが通るのを
防ぐ働きを高めるというようなことが書いてあった。
僕はそれを読んだとき、これこそがマスクの本来の
役割なのではないかと思ってしまった。
なんかあれだけ大量の使い捨てマスクが
消費されていくのはみんなが集団で
マスクをしなければ危ないという暗示に
かかっているのではないかとさえ思ってしまうことがある。
資源というのは枯渇するものなので
できるだけ無駄遣いを避けたいものだとは思う。

他人のスマホを勝手に見るって?

2019年01月22日 | 日記
先日、新聞の人生相談のコーナーを読んだ。
相談の内容は50代の管理職女性のかたからのものだった。
夫が浮気しているとの内容の相談。
相談者の文章を読んでいると
夫の浮気相手の年齢、家族構成
どのくらいの頻度で夫と浮気相手が
あっているかまでこの50代の
管理職の女性は把握しているようだ。
女性はこのように具体的な浮気内容を
夫のスマホをみることで把握したようだ。
文章の内容からそれをうかがい知ることができる。
その相談に対する女性の回答者からの
回答内容は、とにかく
夫はしてはいけないことをしたのだから
襟をただして夫と話し合って
関係を修復すべきというようなものだった。

まあ、それはそれとして
夫が浮気でいけないことをしたのはその通りとしても
夫のスマホを無断で見る妻の行為はいけないことでは
ないの?と思ってしまった。

それで弁護士のかたが書いたサイトを見てみると
これがスマホではなく紙の手紙を
開封したとしたら刑事罰を受ける可能性が
あると書いてあった。
スマホをみるのはこの限りではないが
プライバシーの権利の文脈で考えることが大切。
夫のスマホやメールを勝手に見ることで
夫のプライバシーのみならず
夫にメールを送ってきた人のプライバシーまで
侵害してしまうことになる。
これは場合によっては法的に不利な状況を作る。
というような内容の指摘がこのサイトではなされていた。

この弁護士の方のサイトを新聞の相談内容に
あてはめて考えてみると
確かに相談者の女性は夫の浮気相手の
年齢、家族構成などプライバシーを侵害しているように思える。
言われてみればその通りかなと思う。

僕ももしスマホを無断で見るパートナーが
いたらきっと息がつまりそうで逃げ出したくなるような気がする。

新聞などに配偶者のスマホを見て
浮気を発見して相談してくる人は
圧倒的に女性が多いように思う。

なぜなのだろう。

以前に読んだあるサイトに
女性は生殖的に数少ないチャンスにかけなければならない
男性は数を打つようになっている。
男女の思考の差はこういうところからも生まれる、
という指摘がなされていたけれど
そういうことはきっと言えるだろうなと思った。

こういう男女の関係を一般論で一くくりにすることは
できないけれど
そもそも見ない、あるいは見て見ぬふりをする
という大人の対応が身を救うことがあるということは
言えるような気がする。


大寒

2019年01月21日 | 日記
昨日から暦の上では大寒となっている。
七十二候も調べてみると
今はふきのはなさく となっている。
意味はふきのとうがめをだす頃ということらしい。
確かに寒いけれど日は長くなっていることが
わかるし立春も近い。
七十二候の名前もふきのはなさく となっているのは
奥ゆかしいことに思える。
ネットの暦で調べてみると大寒の頃に旬の食べ物の
ひとつがゴボウであると書いてあった。
そういえば昨日行ったとなりの町の市民茶会で
主菓子のなかにゴボウが一切れ入っていた。
昨日の主菓子にゴボウが入っていたのは
そういうことだったんだなと思った。
先週のM神宮の茶会でとなりの方が
主菓子を切ったときに中の模様が
白、紫がかった赤、それに中のあんこの三色になっていた。
それを見てとなりの方は「わっ きれい」と言った。
確かにそれはきれいだった。
どれどれと僕も主菓子を食べたけれど
僕はお菓子を菓子切りで切らずに
歯でかじったので中の模様の美しさが
よくわからなかった。
やはり見た目の美しさも味わってお菓子を食べるには
どうやら菓子切りできれいに切ることも
必要であるようだ。
僕には無理なことと思うけれど、、、。
一昨日京都のSKという繁華街の
セルフサービスの喫茶店で
本を読んでいたら
僕のとなりに男女の二人組が来た。
女性は男性を持ち上げてしきりにアピールしている。
僕は男性にアピールするんだったら
こんなこみ合った喫茶店の他に
場所があるだろうと思った。
しかし、しばらく話を聞いていると
女性は男性に自分をアピールしているといっても
プライベートにアピールしているわけではなく
仕事の上での自分の要望をきいてもらうためのアピールだった。
女性のアピールは通ったようだった。
よかった。
ところがそのアピールが通ってしまうと
女性の男性に対する言葉のトーンが微妙にかわり
「○○さんもいろいろ大変ですね
お身体には気を付けてください」と
男性をねぎらうような言葉遣いになった。
それまでは下から目線で男性をおだてて
自分をアピールしていたのに、、、。
現金なものだなと思った。
会話の途中で男性からも女性からも
生き残るという言葉が何度もこぼれた。
本当に仕事の話で生き残るという
言葉が頻繁に出ていくるのは
今の時代を反映しているのかなと思う。
あまりそういう言葉が頻繁に語られるのは
どうも僕には好ましいことのように思えないのだけれど。
しかし、そう思いつつ毎日、一生懸命
生きている人はきっと多いのだろうと思う。