ケンのブログ

日々の雑感や日記

一切皆苦

2020年10月18日 | 日記
昨日は雨 、ちょっと寒いくらいだった。ブルゾンを着ていこうと思ったけれど、実は僕、今春以来ブルゾンをクリーニングに出してない。

ブルゾンといってもユニクロのダウンジャケットだけれど。

とにかく洗濯をしなければと自宅の洗濯機の手洗いモードで選択して洗い、陰干しした。

かわくとまあそれなりにきれいになっている。

しかし、昨日の段階ではまだ、乾いていなかったのでブルゾンの代わりにネックウォーマーを持っていった。

ちょっと寒いと感じたときにネックウォーマーをつけたけれど結構温かい。昨日の段階では十分それでしのげた。

今日は一転して晴れ。

これならブルゾンは必要なしと家においてでかけた。

ところが電車の窓が開いていて寒いときがあった。

ネックウォーマーを探したら持って出かけるのを忘れている。

まあ、間の悪いこと。学生の頃よく友達に「お前は本当に間の悪いやつだなあ」と言われていたけれど。

電車の中でちょっとピーナッツを食べようとしたらピーナッツが一粒、床に落ちてしまった。

「しまった」と小声で言ってその一粒のピーナッツを目で追った瞬間によだれが床にたれてしまった。

しまった、と言って口を開けたのが原因だった。

それを見て、近くに座っていた女性がサッと席を立ってどこかへ行ってしまった。

まあピーナッツを床に落としておまけによだれをたらすほうが悪いとは思うけれど、それでサッと席を立っていかれると、正直言って「感じワル!」と思う。

不潔なのもまわりに悪い感じを与えると思うけれど、潔癖症的な行動も、それと同等に感じの悪い印象を与えるように僕はごく個人的に思う。

とくに今のようにコロナという状況になると何がきれいで何が汚いのか、なにしろ菌やウイルスは目に見えないので明晰、判明に判断することは不可能だ。

最後は個人の感覚にかかってくるように思う。

よくコロナは飛沫感染と、接触感染が話題になるけれど、お店などでビニールの仕切りなどを作れば作るほど、飛沫感染は防げるかもしれないけれど、接触感染の起こりうる面積はビニールの面積の分だけどんどん増大していくことは普通に想像すればなんとなくわかるような気がする。

すき家のカウンターに仕切りがいっぱい作ってあって、そのしきりごしに生姜に手を伸ばしたときに手がその仕切りに触れたときそう思った。

ああ、もしこの仕切りにウイルスが付着していたらこれで接触感染だと。

新聞には新型コロナウイルスのワクチン接種に向けた準備が進んでいると書いてある。

これを見てなんか不安になってきた。

ワクチンには副作用がある。実験段階で副作用が報告されているけれどその詳細は一般には公表されていなというようなことが新聞に書いてあった。

へたにそれを公表するとワクチンの接種率が下がってしまうからではないかと密かに思ってしまう。

僕はもともと、ワクチンは副作用が怖くて摂取しないタイプ。

しかし、きっと世の中にはワクチンを接種して安心するというタイプの人のほうが多いのだと思う。

いつか、幼稚園などで子供にインフルエンザの予防注射を打たない親はまわりのママからきらわれることもあるとどこかに書いてあったように思うし、、、。

ワクチンを接種した人から、あの人はワクチンを接種していない、危ない、近くによるな、などということになったら、それは逆に怖いし不安だなと思う。

ワクチンがあれば、コロナもこんなに恐れられることはないと思ったこともあったけれど、今はむしろ、ワクチンひとつとってもコロナという目に見えないものに対する人の感じ方で対立が起きることが心配になっている。

ワクチンができれば、安心な面、不安な面、両方ある。

仏教の重要な考え方の一つに一切皆苦(すべてはくるしみである)というものがあるけれど、本当にそのとおりだなと思う。

それを心にとめておいて苦しいのがあたりまえと思っていたほうがきっと精神衛生の上ではいいのだと思う。