ケンのブログ

日々の雑感や日記

定年が70歳って

2020年10月13日 | 日記
新聞に定年70歳時代、というようなタイトルの本の広告が出ていた。

ええ。定年が70歳になるの?と思ってしまう。

それで、そのことに関してネットでちょっと調べてみると、法律を改定して定年を70歳まで引き上げていく流れが確か来年あたりから順番にできていくというようなことが書いてあった。

僕は今、70歳くらいの人が多い集まりや場所に顔を出すことが多い。

そういうところでは、腰が痛い、膝が痛い、スマホ老眼になった(本来スマホ老眼などどいう言葉はなく単に老眼でスマホが見にくいという話だと思うけれど)血圧が高い、とかそんな話が頻繁に出てくる。

毎週、水曜日は病院でリハビリとか病院にいくことが大切なスケジュールの一つになっている人も少なからずいる。

平均寿命が長くなったと言っても70歳になって、若い人と同じように、働ける人ってそんなにいないというかほとんどいないと思う。

特にこれからITの時代になってタブレットの画面を見たりすることが必須の世の中になってくると目の衰えは仕事の遅さやミスに直結してしまう。

そして目の衰えは人のいろんな老化現象の中で特に誰にでも比較的平等に現れやすい部分と思う。
(村上春樹さんがあるエッセイで老眼にならない人はいないですかと医者に聞いたら、若くして亡くならない限りはみんな例外なく老眼になりますと言われたという主旨のことをかいておられたと思う)

僕も自分のブログも後で読み返すと、漢字変換の間違いや、そもそも文章の綴りかたの間違いが40歳代の頃より多くなったなと思うことがある。

文章の綴り方で言えば、「僕が好きなのはりんごが好きです」という文の綴り方は間違った綴り方のお手本のような文だけれど、ちょっと長い文になってくると自分自身もそういう間違いのお手本のような文を書いていることにあとになって気づくことも多くなった。

やはり目が悪くなってきて老眼鏡をかけないと見えないことが多いし、老眼鏡をかけてもタブレットの画面など見ているとすぐに目がつかれて集中力がとぎれてしまうことも一因と思う。

足腰は僕は年齢の割にはしっかりしている方だと思うけれど、それでも体のバランスのとり方が下手になってきて、マクドに行ってお盆に飲みものを載せて階段を登ろうとするとバランスを崩してこけるのが怖くてできなくなってしまった。

若い店員の方に「お盆を持って階段上がるのが苦手なのでお盆はいりません」というと不思議そうな顔をされることも時々ある。

それは20前後の年齢のバイトの子だと、なんでお盆を持つと階段を登れないの?ということになってしまうと思う。

僕も若い頃はお盆を持って階段を登るのになんの苦労も感じなかったから。

そういう諸々を考えると定年70歳と言われてもその歳まで働くのはきついなということを思ってしまう。

70歳になって定年を迎えて、旅行とか行こうと思っても、その年齢になると、もう旅行に言ったりする気力もわかないということも多いと思う。

本当にどんな世の中になるのか心配になることが多い。

また、定年が70歳ということになると、今の僕のように、特に具体的にこれこれという仕事をしているというわけではなく、いろいろ街を歩いて観察したり、新聞や本を読んで勉強したり、音楽とか信心とかそういう具体的には目に見えないものに心を注ぐ生活になってくると、自分では決して遊びほうけているつもりはなくても、なんか、世の中に対する言葉では表現できないような後ろめたさと感じてしまうこともある。

僕の父が現役の頃はちょうど定年が55歳から60歳になる変わり目くらいの頃だったと思う。

とにかくまだ定年の年齢がはっきりわかっていて、それが世の中に広く認知されている時代だった。

だから、というわけではないかもしれないけれど、僕の父も「お父さんは定年になったらこれをするんや」というようなことを割と口癖のように言っていた。

それを聞いて、僕も子供心にも父は定年というのを人生の一区切りのときと考えているんだなと思っていた。

今は、どんな年齢を人生の一区切りと考えればいいのかわからなくなってしまったと思う。

もう本当に働く年齢にしても、その他の多くのことについても、基準というものがわからなくなってしまって、そういう意味での不安とかストレスとかそういうものが多い時代になってしまったなと思う。

そんな中でもなんとか自分なりに考えて努力して地道に進んでいきたいなと思う