ケンのブログ

日々の雑感や日記

手の早い男はダメ 昔の名まえで出ています

2022年12月07日 | 日記歌入り
野球の イチローさんが 稲葉篤紀さんと対談している動画を見た。

その中で イチローさんは 「打者は 『最短距離でバットを出せ』 などどいう わけのわからない教え方をされるから どうしても 体が 先に 投手の方を向いてしまう。 つまり 腰が回転するよりも先に 手の方が 回転してしまう。 逆に言うと 腰より 先に 手の方が 回転してしまうから 体が 投手の方に 開いてしまう。 だから 打てない」

という主旨のことを話していた。

その話の 締めの部分で イチローさんは 「手の早い男はダメですよ」という
その言葉に稲葉さんが「やっぱり 下から 先に行かないといけない」と応じる
するとイチローさんが「なんだか 話がエロいですねえ」と言う。

まあ そんな やりとりが あった。

でも 「手の早い男は ダメ」 って 単なる冗談ではない 意味があると思う。

稲葉さんは 年下のイチローさんの 話を うなずきながら 聴いている。

年下に話させるのが うまいから 稲葉さんは イチローさんから いい人 と言われるのだと思う。(イチローさんが稲葉さんのことを いい人 と言っているのを どこかで読んだことがある)

イチローさんも 稲葉さんも 愛知県の出身で 空港バッティングセンターという 名古屋の北にある バッティングセンターに通っていた。

今 時々 その バッティングセンターの横を 自動車で通過することがある。

空港バッティングセンター という 縦長の看板を見ると イチローさん ここに通っていたんだなあ と思う。


■昔の名前で出ています
小林旭さんの「昔の名まえで出ています」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップロードします。

聴いていただければ幸いです。

僕が 中学生のころ この歌がヒットしていました。

♪京都にいるときゃ 忍と呼ばれたの♪ という歌の初めの部分を 
♪京都にいるときゃ 忍と呼ばれてた♪ と たぶん わざと 間違えて鼻歌で歌って 生徒に受けていた 体育の先生がいました。

その先生に 何かの機会に 「勝てますかねえ」と僕が質問したら
「勝つと思うな 思えば負けよ」とその先生は 美空ひばりさんの 柔の 歌詞をそのまま 僕に 返してくれました。

先生とか おじさんとか みんな ヒット曲を 鼻歌で歌っていた時代だったな としみじみと 思い出します。

当時は あまり 意識しませんでしたが この歳になって じっくり 小林旭さんの歌を 動画で 聴いてみると 旭さんは いかつい 風貌ですが 声は ハイトーンなんだな と思います。

↓小林旭さんの「昔の名まえで出ています」をカラオケDAMの音源で歌いました。

冬支度 恋人がサンタクロース

2022年12月04日 | 日記歌入り
十二月になって 何となく 体の芯まで冷えるような寒さになってきた。

まだ、もっと寒くなるとは思うけれど。

こちらは 大阪よりも寒い。

昨年は リビングは エアコンの暖房だけで過ごしていたけれど 窓際はずいぶん寒かった。

昨年を反省して 今年は家電量販店で800ワットの廉価電気ストーブを購入。

廉価なので 聴いたこともない メーカーのものだけれど エアコンの暖房と併用すると かなり効果がある。

もっと 寒くなったら どうか わからないけれど 今のところは なんか よさそうな 気がする。

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大阪は ほとんど 雪が降らないし 降っても積もることは めったにない。

こちらは 昨年 何度か 積もった。

けれど 普通のタイヤで 低速運転していた。

今年も もちろん 雪が降ったら低速運転するつもりだけれど さすがに 冬用タイヤにしたくなり ディーラー系のお店で タイヤの購入と取り換えをセットでお願い。

お店の方が 予約だけ取っていって ネットで もっと 安いのを見つけて キャンセルする人が あとを絶たないので 料金は前払いしてほしいと言われた。

お店の人の気持ちは わかるし 正直に前払いの理由も言ってくれたので 前払いで払った。

前払いしますと言ったら 最初に勧めてくれたタイヤの 4分の3くらいの値段のものを改めて勧めてくれた。

早得 という言葉は あまり 好きでないけれど なんとなく 前払いすることで お店の方もリスクを回避できて その結果として 早得になったような気がする。
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自動車の お守りも 新しいものを お受けする。

僕は お宮の 駐車場などで よく 自動車を拭いたりするので 駐車場の使用料というか 言葉は 悪いけれど 駐車場を いろいろ 使わせてもらう みかじめ料のような きもちも含めて お受けした。

もちろん 交通安全を守ってほしいという 気持ちが第一だけれど。

大阪の 京阪電鉄の車両にも 確か 沿線の 交通安全の神様の お守りがついていつものが あったし、、、。

最近の あおり運転の ことで ダミーカメラを つける人も いるようだ。

そのことを 母と 話していたら 「みかじめ料徴収のかわりに その筋の人が おしぼりや 観葉植物 絵画など そして お守りや お札を売ることもある。

お守りを 自動車に つけていたら みかじめ料 払ってる 自動車と思ってもらえるかもしれない」という意味のことを母が言った。

まあ 母らしい発想だなと思いつつも そういうことも あるかもしれないと思った。

それは ともかく いちにち いちにち 無事に過ごせますように それを 第一に願っていきたい。

■恋人がサンタクロース
松任谷由実さんの「恋人がサンタクロース」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップロードします。

聴いていただければ幸いです。

↓松任谷由実さんの「恋人がサンタクロース」をカラオケDAMの音源で歌いました。






ちょっとずつだけれど

2022年12月01日 | 日記歌入り
11月30日付の読売新聞に村上春樹さんが 亡くなられた映画監督 大森一樹さんをしのぶ文章が掲載されている。

その中で 村上春樹さんが 中学に入ったころ 夙川を隔てた 引っ越しを経験し それは 距離にして 数キロの 引っ越しだったけれど 川を超えると いろんな習慣が すこしずつ しかし 疑いの余地なく違っていた と言うことが 書かれている。

村上春樹さんの文章を 少しだけ引用すると このように書かれている。

「言葉も いろんな 日常的習慣も ちょっとずつ(でも疑いの余地なく)違っているのだ」と。

「ちょっとずつ でも うたがいの余地なく 違っている」 って いかにも村上春樹さんらしい書き方。

なつかしいな と思う。

村上春樹さんの 小説を かなり 夢中になって読んでいたころのことを思い出す。

でも 「ちょっとずつ でも 疑いの余地なく 違う」という感覚は とても 大切な感覚であるように 僕は思う。

ちょっとの違いだから まあ いいや と思っていると 見逃してしまうけれど ちょっとだけれど 疑いの余地なく違う と考えると その ちょっとの違いの 大きさに 大切さに 気づくことが できる。

そういうことだと 思う。

ちょっとの 違いに 気を取られすぎたばかりに ものごとが 面倒になってしまったり  やぶから蛇を出してしまうこともある。

しかし 逆に ちょっとの 違いを 見逃したばかりに それが 大きな 失敗に つながってしまうこともある。

どちらが 正解かは 一般的に 決めることは できず ケースバイケースだと思う。

ただ、 すべてのことは ちょっとずつの 変化で なりたっていることは 事実だと僕は思う。

やはり 新聞の人生案内で ある人が あることが きっかけで 彼が離れて行った というようなことを書いていた。

それに 対して 回答者の方が 

“”あなたは あることが きっかけで 彼が 離れて行ったと 思っているかもしれない。

 しかし、きっかけは あることだったかもしれないけれど その あることが 起きる前に 彼が あなたから はなれていく 原因は ちょっとずつ たまっていったのだと思う。

そして たまたま その ある時に 彼は あなたのところを去った。

だから あることが 原因で 彼が あなたのもとを 去ったのではなく ずっと いろんなことが 継続して 積み重なって その 結果として 彼が 去っていったという認識の方が きっと 正しい。

 その意味では 彼が 去ったのは 必然かもしれない。“”

という主旨の回答をされていたと 記憶している。

きっと いろんな 変化は ちょっとした変化の 継続や 集積で起きるというのが 事実だと思う。

まあ そういう意味では ひとつ ひとつの 日常の 行為や 意識が 大切になるということだと思う。

しかし 僕も 村上春樹さんのように 川を越えたときの 変化を 敏感にとらえているわけではないけれど 大阪にいるころは 淀川を南にわたると やはり 街の風景が 違うなと思っていたし 今は 木曽川を超えると 確かに 岐阜県と 愛知県は 違うな と思う。

どう違うかと言われてもそれは 言葉にできないけれど、、、。
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やはり 11月30日付の 読売新聞に 近衛忠輝さんのコラムが出ている。

そこに 近衛忠輝さんは 熊本藩主 細川家の出身で 近衛家に養子に入ったと出ている。

つまり 近衛忠輝さんは 細川元首相と兄弟ということだ。

こういう プロフィールを読むと もう 近衛家とか 細川家とか 上流階級の家柄の人は 互いに つながってしまっているのかな と思ったりする。

詳しいことは 知らないけれど、、、。

近衛と言って思い出すことがある。

指揮者 近衛秀麿さんのことだ。

昔 指揮者 朝比奈隆さんの対談の本を読んでいたら 朝比奈さんは 近衛秀麿さんについて こんな内容のことを語られていた。

「関東大震災の時に 近衛秀麿さんに 近衛さんの家は どうでしたか と尋ねたら 近衛秀麿さんから うちは もう 応仁の乱で焼けました という答えが返ってきた」と、、、。

まあ いかにも 朝比奈隆さんらしい 面白おかしい 話し方だなあと それを 読んで思った。

昔の人は 話が うまかったな と思う。

昔 昔 と言い出すと 歳をとった証拠だけれど。

■Dear again
広瀬香美さんの Dear again をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップロードします。

聴いていただければ幸いです。

3日くらい前に 行った 家電量販店でこの歌が BGMで流れていました。
↓広瀬香美さんのDear againをカラオケDAMの音源で歌いました。


















気になる急死 阿炎の優勝

2022年11月29日 | 日記歌入り
11月29日付の読売新聞に ベラルーシのマケイ外相が亡くなった、急死と書いてある。

とっさに思い出したのが キリルコンドラシンと言うロシアの指揮者。

西側を代表するオーケストラ バイエルン放送交響楽団の首席指揮者になることが 内定していた。

そんな時期に オランダの アムステルダムでのコンサートを終えた 晩に 急死したというエピソードがある。

僕は キリルコンドラシンの演奏する ショスタコーヴィチの交響曲が 独特の切れがあって好きで 割と よく聴く。

聴くたびに 急死と言う 亡くなり方は 残念だったなと思う。

ベラルーシの マケイ外相が 急死と聞いて コンドラシンのことを思い出した。

物事の 因果関係は 僕には まったく わからないけれど ロシアにまつわる人って 急死と言うことが時々あるなと思う。

ご冥福をお祈りします。

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大相撲九州場所は ほとんど 見ないで終わってしまった。

阿炎が優勝と新聞に出ている。

高安が 単独トップで並んでいたけれど 阿炎に逆転されたと。

高安 また 優勝逃したんだと そちらの方が気になってしまう。

阿炎と高安の本割の相撲を動画で見ると 高安 足が 出ていない。

阿炎の変化を警戒しすぎにも思える。

ただ、 阿炎の突き押しを見ていると 師匠の錣山親方が寺尾のしこなで 現役だったころの するどい 突っ張りを思い出す。

あの 突き押しが 強いから 変化が 怖くて 高安 足が出ないのだと思う。

しかし 弟子(阿炎)の 相撲を見て 親方(寺尾)の突っ張りを思い出すというもの また いいものだなあと 我ながら思う。


■ハートのイヤリング
松田聖子さんの「ハートのイヤリング」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップロードします。

聴いていただければ幸いです。

作曲は 佐野元春さんです。

松田聖子さんの歌の中では 重いリズムが 特徴で 僕の好きな歌です。

歌詞の中で 「あの子のうわさなど 信じたくないけど 本当だったら はっきりさせてね」という一節がとても好きです。

はっきりすると安心する というのが 私たち 人間の 心ではないでしょうか。しかし、はっきりしないことが多い世の中ですね。 はっきりしないことになれることも大切とは思います。

↓松田聖子さんの「ハートのイヤリング」をカラオケDAMの音源で歌いました。

感覚のマヒ また免責

2022年11月27日 | 日記歌入り
11月26日付の読売新聞に東京五輪の談合で電通を捜索したという記事が一面に出ている。

談合が本当だとすると もう これは 順法精神など失われてしまっている 感覚のマヒだなと改めて思う。

大手の 広告会社などに勤めていると 日本を動かしているのは俺たち 少々のことは 許される。 少々のことは 必要悪だ。

というような 感覚になってしまうのかもしれない。

旧約聖書の箴言に こんな風に書いてある。

「高ぶりは滅びに先立ち
誇る心は倒れに先立つ。
へりくだって貧しい人とともにいるのは
高ぶるものとともにいて 獲物を分けるのにまさる」と。
※旧約聖書 箴言 第16章より引用

高ぶるのとともにいて 獲物を分けるのにまさる

と箴言に書いてある。

本当に 談合って 簡単に言えば 高ぶる人たち(広告会社のエリート社員)が まさに 広告収入と言う獲物を分け合うことだ。

本当に 旧約聖書に書いてある 言葉は 現代の世の中でも そのまま当てはまる 生き続けているな と思う・


こういう機会に 古くから 伝わっている 人間の 処世術ともいえる 箴言のような 言葉の重みを 改めてかみしめていきたいなと思う。

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大手の 販売店で ダウンジャケットの補修テープがないかと 尋ねたら 親切に 「当店での扱いはありませんが 近所の 島本屋に行ったら あるかもしれません」と販売員のお兄さんが教えてくれた。

それで 道を聞くなら 3階のレジで 聞くより 一階の 出口付近の レジで 「あそこを曲がって、、、」という感じで教えてもらった方がわかりやすいと思って 僕は一階のレジのお姉さんに 尋ねた。

「3階のお兄さんから 補修テープが ここでは扱ってないけど 近所の島本屋にあるかもしれないと 教えてもらった。 それで 島本屋に行ったみたいのですが この 近くですか」と僕は言った。

「はい あの 道を まっすぐ行って 最初の 信号機を超えてすぐの 茶色のビルが島本屋です。 ですが たぶん まだ やっていると 思いますが 週末なので 早く お店を閉めることも ありますのでご注意ください」とお姉さんは言った。

道の教え方は とても わかりやすかった。

でも もう しまっているかもしれない その際は ご了承ください って また 免責発言かと思った。

数日前も 郵便局で 普通郵便を出したら 普通郵便では 追跡もできないし 事故があった時の保証もない と 免責を言われた。

特に 若い 世代の人は もう 強迫観念のように 免責発言をしてしまう人が多いように思う。

昔の話をすると 歳をとった証拠だけれど 本当に 昔は 「三階のお兄さんが 島本屋にあるかも って 言ってたんやけど 島本やって どこかな」 「ああ 島本屋なら ここまっすぐ行って最初の信号機超えてすぐです」「わかりました どうもありがとう」で 簡単に かつ 気持ちよく すんでいた話だと思う。

今の時代は まず 免責を 言うように 上からも うるさく 指導されているのかもしれない。

お客さんから 些細なクレームを よほど 受けているのかもしれない。

でも ネットで 接客七大用語を調べてみると ごく 最近のサイトに次のように出ている
1、いらっしゃいませ
2、かしこまりました
3、少々お待ちください
4、お待たせいたしました
5、恐れ入ります
6、ありがとうございます
 7、申し訳ございません
と。

もう 接客七大用語など 開店前に 唱えたとしても ポイントの確認 レジ袋の有料の確認 カードの確認 免責の確認 いろいろ ありすぎて ありがとう と言う 暇も余裕もなくなってしまっている。

本当に 大変な時代と思うけれど それでも 接客七大用語に 見られるような 言葉と気持ちは忘れないようにしたいものだなと思う。



■そして神戸
内山田洋とクールファイブの「そして神戸」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップロードします。

聴いていただければ幸いです。

神戸の街を思い浮かべながら 聴くと そして 歌うと いい歌だなあと思います。

↓内山田洋とクールファイブの「そして神戸」をカラオケDAMの音源で歌いました。