「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。

小林多喜二を通じて、現代の反貧困と反戦の表象を考えるブログ。命日の2月20日前後には、秋田、小樽、中野、大阪などで集う。

小林多喜二と佐伯祐三

2008-12-21 10:15:44 | 多喜二の美術
2008年12月21日放送のNHK「佐伯祐三  パリの下町へのまなざし」を見た。

高橋源一郎さん(作家)氏のコメントに共感した。
高橋氏のコメントは、佐伯が過ごした1920年代のパリを現代の格差社会にも通じる社会状況とし、そこに多喜二と佐伯の同時代性をみ、佐伯が作品に込めた鬼気迫る思いを探ろうとするものだった。

佐伯祐三の絵画展は1920年後半に札幌でも開催され、そこで多喜二は佐伯の絵画を見ている。

多喜二はその作品にほれ込み、盗んででも自分のものにしたいと友人の一人に語ったという(もちろん、実行されることはなかった)。

多喜二もまた、画家を志望した時代があった。おそらく、佐伯の作品を見て、自らの限界を知りもしただろうが。






                 ◇
没後80年を迎えた洋画家、佐伯祐三(1898~1928)。1920年代後半、パリの下町の光景を繰り返し描いた。それまで誰も描かなかったような裏通りの荒れ果てた酒場や、靴屋など、その作品は人々の生活を色濃く感じさせる。佐伯はなぜ下町にひきつけられていったのだろうか?
佐伯は、東京美術学校を卒業し、絵を学ぶためにパリへ渡った。自信作の裸婦を携えて巨匠ヴラマンクを訪ねるが、その作品をアカデミックだと激しく批判される。自分だけの表現とは何か、苦悩の果てにたどりついたのがパリの下町だった。汚れた壁やはがれかかったポスターに美しさを見いだし、華やかな表通りに背を向けるようにして制作に没頭していく。佐伯は、工場が連なる大阪の下町に生まれ育ち、労働者や農民を数多く描いたゴッホを心から尊敬していたという。創作の根底には、労働者への深い共感があったことが浮かび上がる。しかし、佐伯が人物を描くことはほとんどなかった。それは一体なぜなのか?
番組では、現代の格差社会にも通じる当時のパリの社会状況を絡ませながら、佐伯が作品に込めた鬼気迫る思いを探る。


写真は、小樽文学館に寄贈された多喜二の絵画を紹介する、玉川学芸員。

以下に、佐伯の晩年の年譜を紹介する。

1923(大正12) 25歳= 東京美術学校西洋画科卒業、同級生等と卒業後の発表グループとして「薔薇門社」を結成し第一回展。1月フランスへ向け家族とともに出発。 「自画像」「裸婦」「パレットを持つ自画像」

関東大震災

1924(大正13)26歳=1月パリ着、3月パリ郊外のクラマールに移住
初夏、里見勝蔵の紹介でフォービズムの実力者ヴラマンクを訪ねるが「アカデミズム野郎」と怒号を浴びる。11月モンパルナスのリュ・デュ・シャトーに移住
「ノートル・ダム」「パリ郊外風景」「立てる自画像」


1925(大正14) 27歳= 6月兄祐正を迎えにマルセイユへ、アヴィニヨン、アルルなどゴッホの足跡を追う。第18回サロン・ドートンヌ展に米子とともに入選。11月体調を崩し病床に就く、病身を心配した祐正のすすめで帰国に同意
「エッフェル塔の見える通り」「リュ・デュ・シャトーの歩道」「ノートル・ダム(マント・ラ・ジョリ)」「壁」「コルドヌリ(靴屋)」「煉瓦屋」「村役場」「アネモネ」「人形」
東京放送局、ラジオ放送開始

1926(昭和 1) 28歳= 3月帰国、光徳寺に帰る。
木下、前田、小島らと「1930年協会」結成第一回展を開催 第13回二科展に特例として19点出品二科賞受賞、米子も入選。
下落合風景連作、再び渡仏の準備を始める。
「滞船」「蟹」「肥後橋風景」「下落合風景」
クロード・モネ没

1927(昭和 2) 29歳= 第2回1930年協会展開催、8月再び一家でパリに向かう 10月プールヴァール・デュ・モンパルナスに落ち着く。
第20回サロ・ドートンヌ展に入選、「カフェ・レストラン」の連作始まる 
「リュクサンブール公園」「広告塔」「新聞屋」「ガス燈と広告」「カフェ・レストラン」「鐘楼のある風景」。

金融恐慌起こる 
リンドバークが大西洋無着陸横断飛行に成功

1928(昭和 3) 30歳= 2月山口、荻須らとパリ郊外モランへ写生旅行
3月小雨の中の写生がたたり風邪をひき喀血、病床に就く。翌月リュ・ド・ヴァンブへ転居し療養、6月親友山田が渡仏見舞いに訪れるが、結核とともに精神分裂症気味となり重症、自殺騒ぎを起こす 
椎名らの尽力でヴィル・エブラール精神病院に入院療養するも8月16日午前11時過ぎ30年の短い生涯を閉じる。同30日彌智子も後を追う。 


11月光徳寺で本葬、祐三の戒名は「巌精院釈祐三」、彌智子は「明星院釈尼祐智」


「サン・タンヌ教会」「パンテオン」「一軒の家」「モラン風景」「モランの寺」「煉瓦焼」「扉」「黄色いレストラン」「郵便配達夫」「ロシアの少女」

日本で初の普通選挙

アムステルダム五輪で織田、鶴田が初の金メダル獲得



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1 コメント

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ゴッホ (PineWood)
2016-12-16 05:20:41
昨日、上野でゴーギャン&ゴッホ展を見ていて思い出した。多喜二と佐伯が同時代性とゴッホへの敬愛で繋がっていた点を。小林作品の工場細胞の中の獄中を描いた部分にドレ絵画の模写した監獄の中の囚人(ゴッホ作品)への言及があったー。映画パピヨンか大いなる幻影風のスリリングな牢獄描写に加えてゴッホへの敬愛と自負が感じられた。多喜二は絵筆は断ったものの、プロレタリアの大衆文芸で見事に勤労庶民生活の細部や心情を描いたのではないのだろうか。バルザック見たいに…。
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